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第三章
12 父の謝罪と方針転換
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「あ、ありがとうございます……」
本当は「恐れ入ります」が正しいのだろうけれど、セラの口から思わずにこぼれてしまったから仕方がない。
セラは慌てて頭を下げて「恐れ入ります」と付け加える。
しかし父は苦い顔のままだ。
「セラ、お前は礼を言ってはならない」
ここは怒るところだ、と父は言う。
私が、怒る? お父さまに?
父相手に怒る自分を想像して、セラは首をひねってしまう。無理だ。想像がつかない。
「今回のことは私に見る目がなかったのが原因だ。我が娘のことでさえ見誤っていたのだから、当然と言えば当然かもしれない」
文官長は言う。
「お前を見くびっていた。決めつけていた。お前の力も、ザイ殿を思う心も。それをまず謝りたい」
セラはまた驚いて父を見る。
いつだって正しい父が謝っている。
「すまなかった」
父は間違いを犯したという。
そのことがセラには信じ難く、そして何となく受け入れがたい。
だが、父が自分を娘というだけでなく、初めて一人の人間として大人として認めてくれたのだと分かる。
それは嬉しいはずなのにどこか寂しく、そしてあたたかな腕から急に放り出されたような不安と緊張をセラにもたらした。
「お父さま」
セラはどう言って良いのか分からず、父の手を取った。父がとても辛そうに見えたからだ。
「お父さま。お父さまのせいではありません。あちらが心を移したのは、やはり私にも責任があると思うのです」
セラは初めは相手に怒っていた。
しかし、家で真っ白な天井を見ながら一人でゴロゴロするうち、思ったことがある。
お相手は婿に入る。母が完璧に管理するこの家に。
父は仕事で知っているとはいえ、肝心の妻となるセラとはほとんど交流がなかった。自分に関心を示さない婚約者。そんな相手の家に一人で入るのは不安だっただろうと。
寂しかった、というのは都合の良い言い訳に違いないのだが、少しは真実が混じっているかもしれない。
政略結婚だから結婚してから心を通わせれば良い、相手もそのつもりだろうと割り切っていたセラだったが、政略結婚だからこそ、婚約中の相手に気を使うべきところはあったのではないか。
セラにその気づきがこの婚約の初めからあれば、少なくともこんな急な事態にはなっていなかっただろう。
「でも! だからといって子を設けるのは、しかもそれを黙っているのは、そしてあんな手紙を寄越すのはどうかと思いますけれど!」
言いながらセラはまた腹が立ってきた。
※
ここ数日のしおらしさは何処へやらの勢いでセラは憤慨する。
やはり元気いっぱいらしい娘に文官長は微笑む。
「お父さま、私、何も考えられないのは本当なんです。この先のことは見当もつきません。ただ私はその」
セラは言いかけて、勝手に喋りすぎたとハッと黙る。
恐る恐る父を見るが、父は微笑んでいる。先日のような怖い微笑みではない。
セラはゴクリと唾を飲み込み、続ける。
「その、あの子の婚約者を変えることは絶対にしたくないんです」
妹は先日、「何処へでも嫁ぐ」と言っていたけれど、本当はそんなことはしたくないはずだ。
妹とその婚約者の仲の良さを見ていれば、そう遠くない未来、妹が後悔するのは目に見えている。
「それは私も同じ考えだ。だが、それはこの家を継ぐ者がいなければならない」
「そ、そうですよね、それで、私はそこで考えが止まってしまうのです」
「つまりはお前はザイ殿以外との結婚は考えられないのだろう?」
「そ……っ」
セラは両手で顔を覆ってしまう。
宮に行きたいと訴えた理由が理由だけに何を今更なのだろうが、父親から面と向かって言われるのは、また別だ。
真っ赤になったセラは、「そっ」だの「だっ」だのしばらく口をパクパクさせていたが、やがて観念していう。
「そうです……」
完全に片思いですけど、それこそ本当どうしようもないんですけれど、ふふふふ、これっぽっちも実のない話でございますけれども、とブツブツと言うセラは呪詛でも呟いているようだ。
そんな娘に若干引きながらも文官長は言う。
「それなら一つ方法がある」
「あるのですか?」
「お前がザイ殿を落とせ」
……。
はい?
……私の目の前のこの方は、本当に私のお父さまかしら?
およそ父の口から出るとは思われない俗っぽい言葉が聞こえたような気がして、セラは父をまじまじと見るのだった。
※───
・あんな手紙→ 第二章02話「婚約破棄する女官は蹴りに来た馬を華麗に乗りこなすつもりが馬が来る様子がない」
本当は「恐れ入ります」が正しいのだろうけれど、セラの口から思わずにこぼれてしまったから仕方がない。
セラは慌てて頭を下げて「恐れ入ります」と付け加える。
しかし父は苦い顔のままだ。
「セラ、お前は礼を言ってはならない」
ここは怒るところだ、と父は言う。
私が、怒る? お父さまに?
父相手に怒る自分を想像して、セラは首をひねってしまう。無理だ。想像がつかない。
「今回のことは私に見る目がなかったのが原因だ。我が娘のことでさえ見誤っていたのだから、当然と言えば当然かもしれない」
文官長は言う。
「お前を見くびっていた。決めつけていた。お前の力も、ザイ殿を思う心も。それをまず謝りたい」
セラはまた驚いて父を見る。
いつだって正しい父が謝っている。
「すまなかった」
父は間違いを犯したという。
そのことがセラには信じ難く、そして何となく受け入れがたい。
だが、父が自分を娘というだけでなく、初めて一人の人間として大人として認めてくれたのだと分かる。
それは嬉しいはずなのにどこか寂しく、そしてあたたかな腕から急に放り出されたような不安と緊張をセラにもたらした。
「お父さま」
セラはどう言って良いのか分からず、父の手を取った。父がとても辛そうに見えたからだ。
「お父さま。お父さまのせいではありません。あちらが心を移したのは、やはり私にも責任があると思うのです」
セラは初めは相手に怒っていた。
しかし、家で真っ白な天井を見ながら一人でゴロゴロするうち、思ったことがある。
お相手は婿に入る。母が完璧に管理するこの家に。
父は仕事で知っているとはいえ、肝心の妻となるセラとはほとんど交流がなかった。自分に関心を示さない婚約者。そんな相手の家に一人で入るのは不安だっただろうと。
寂しかった、というのは都合の良い言い訳に違いないのだが、少しは真実が混じっているかもしれない。
政略結婚だから結婚してから心を通わせれば良い、相手もそのつもりだろうと割り切っていたセラだったが、政略結婚だからこそ、婚約中の相手に気を使うべきところはあったのではないか。
セラにその気づきがこの婚約の初めからあれば、少なくともこんな急な事態にはなっていなかっただろう。
「でも! だからといって子を設けるのは、しかもそれを黙っているのは、そしてあんな手紙を寄越すのはどうかと思いますけれど!」
言いながらセラはまた腹が立ってきた。
※
ここ数日のしおらしさは何処へやらの勢いでセラは憤慨する。
やはり元気いっぱいらしい娘に文官長は微笑む。
「お父さま、私、何も考えられないのは本当なんです。この先のことは見当もつきません。ただ私はその」
セラは言いかけて、勝手に喋りすぎたとハッと黙る。
恐る恐る父を見るが、父は微笑んでいる。先日のような怖い微笑みではない。
セラはゴクリと唾を飲み込み、続ける。
「その、あの子の婚約者を変えることは絶対にしたくないんです」
妹は先日、「何処へでも嫁ぐ」と言っていたけれど、本当はそんなことはしたくないはずだ。
妹とその婚約者の仲の良さを見ていれば、そう遠くない未来、妹が後悔するのは目に見えている。
「それは私も同じ考えだ。だが、それはこの家を継ぐ者がいなければならない」
「そ、そうですよね、それで、私はそこで考えが止まってしまうのです」
「つまりはお前はザイ殿以外との結婚は考えられないのだろう?」
「そ……っ」
セラは両手で顔を覆ってしまう。
宮に行きたいと訴えた理由が理由だけに何を今更なのだろうが、父親から面と向かって言われるのは、また別だ。
真っ赤になったセラは、「そっ」だの「だっ」だのしばらく口をパクパクさせていたが、やがて観念していう。
「そうです……」
完全に片思いですけど、それこそ本当どうしようもないんですけれど、ふふふふ、これっぽっちも実のない話でございますけれども、とブツブツと言うセラは呪詛でも呟いているようだ。
そんな娘に若干引きながらも文官長は言う。
「それなら一つ方法がある」
「あるのですか?」
「お前がザイ殿を落とせ」
……。
はい?
……私の目の前のこの方は、本当に私のお父さまかしら?
およそ父の口から出るとは思われない俗っぽい言葉が聞こえたような気がして、セラは父をまじまじと見るのだった。
※───
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