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第三章
09 生きていくので(2/2)
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急に涙が溢れてきて、ザイは戸惑う。気が付けば縹が黙ってこちらを見ていた。
「縹?」
──カイルの子。
「いや、違います」
聞き様によってはえらい話になってしまう縹の言葉に、ザイは涙も引っ込む。
ザイはカイルの実子、というのは根強い宮の噂だ。ザイがカイルの死に取り乱したのも噂を強固なものにしてしまった。
──カイルが守る子。
「ああ、うん。そう、そういう意味ね」
ザイは胸をなでおろす。
ザイは母似で、一見、宰相に似たところがない。足と足の爪の形が父そっくりなので、ザイは子どもの時から自分は宰相の子だと思っている。
大人になって考えてみるに、カイルと母の関係はやはり兄妹に違いないとザイは思う。
母の子ども時代は過酷であったらしく、それを共に乗り越えた兄弟子とは、他人にはわからない信頼がある。
……それはさておき、縹である。
ザイのすぐそばまで来て縹が言う。
──カイルが守る子は死なないの。
縹がなぜそんな話をし出したのかザイには分からないが、ザイははっきり縹に言う。
「うん、僕は死なない」
ザイは思う。こんなとこまで来て蹲ってる僕はカイルさんのやっぱり不出来な弟子だけど、僕は死なない。
下手したらカイルの後を追いかねなかったと皆言うけれど、ザイは自害するつもりはなかった。
自害するつもりはなくとも、当時のザイの様子では皆の心配はもっともなことで、ザイ自身、これはもうダメかもしれないと思ったこともあった。
食べたくとも食べられず、眠りたくとも眠れない、急に攻撃的になったり悲嘆にくれたり、かと思えば何も感じないまま気付けば幾日か経っていたり、と酷い有様だった。
そんな夢か現か分からぬような日々を送っても自死を選ばなかったのは、カイルへの反発があったからだ。何より、カイルの遺言の意味がわからないまま死ぬのは、ザイは嫌だったからだ。
また、戦であれだけ多くの人を殺しておいて、ザイが自身の勝手で死ぬのは、許されない。そうザイが考えているのもある。
それに、ザイは侍従だ。侍従である間は、主人に命じられる以外のことでは死ねない。
ザイの主人は口は悪いし、人は悪いし、気は短いし、すぐ怒るし、すぐ暴れる。要らなくなったら即バッサリ斬り捨てそうに見える。
だけどあれでいて、とても面倒見が良い方なのである、とザイは思っている。
──だから、斬られるときは僕も納得済みだと思う。
それは侍従になると決まった時、ザイがポロッとこぼした言葉。
元女官の母は「それはそうね」と言い、宰相の父は無言になっていたっけ。
あれは父はやっぱり納得してなかったんだろうなあ、とザイは思う。
僕を宮から遠ざけたくて、僕が官吏になるのも嫌がった父だ。侍従などもってのほかだっただろう。それは今でも、かもしれない。
だけど。
主人に斬られるその瞬間まで、ザイは生きるのだ。敵の血に染まったその身に侍従装束を纏わせて。
ザイは縹を見る。
「縹。僕はこれからも生きていくつもりだよ。こんな僕に付き合ってくれる精霊はいるかな?」
※
挑むようなザイに対する縹の返答は、ザイにとって意外なものだった。
──分からない。
あれ? 拍子抜けしたザイは、ガクッと崩れそうになるのを耐えて、縹に聞く。
「縹、おススメしてくれるんじゃないの?」
それに縹はザイの周りをフワフワ漂いながら言う。
──おススメするの。でもおススメするの、縹は初めてだから。少し待って。
「あ、はい」
うん。精霊だって、何事も初めてのことはあるよね。僕も最初、契約しにきたんじゃないって言っちゃったから、縹も急に契約したいとか言われても困るよね、うん。
ザイは、一生懸命考えているらしい魔山の主人代行の精霊を生暖かい目で見ながら、さっきとは別の意味でちょっとだけ泣きたい気持ちになっていた。
※
いや、でも、待てよ。
縹を待つザイは考える。精霊の「少し」はおそらく一晩じゃきかない。このまま待っていたら痺れを切らした陛下に捜索を出されそうである。
ザイがここに来たのは公には一応伏せられているから、捜索に出される人物は限られる。他の侍従か、お使いか。それならまだ良い。しかし例えば、
「先代の東の宮さま、とか?」
ザイは思わず声に出してゾッとする。
ザイの師匠がどういうわけか苦手としていたあの御仁に追跡されれば、ザイなどいいように遊ばれる。
今は隠居のお暮らしだが、かの方は豪く剛くて毅くて強い。先の東の宮にして、今上の叔父君、今上を大陸一の剣の使い手として育て上げた方である。
いや、悪い方ではないのだけど。
今上のお人の悪いところは、間違いなく先の東の宮の影響だとザイは思っている。
本当にザイが逃亡したとみなされて本気の追っ手をかけられるとしたら、あの方が来る。
縹、早くして。
想像したザイは若干涙目で縹を見る。
すると縹が言った。
──そうだ、ごきぼうを聞くの。
ふわっと寄ってきた縹が嬉しそうに言う。
「ごきぼう? 僕の希望?」
──そう、そなたのもとめるものを、もーしてみよ。
申してみよと仰られましても。
どこか棒読みのセリフのような縹の言葉に、今度はザイが困る番だった。
おススメを聞いてから選ぶのじゃダメ? と聞くザイに、縹は「ごきぼうを聞いてからおススメするの」と譲らず、ザイは途方にくれるのだった。
「縹?」
──カイルの子。
「いや、違います」
聞き様によってはえらい話になってしまう縹の言葉に、ザイは涙も引っ込む。
ザイはカイルの実子、というのは根強い宮の噂だ。ザイがカイルの死に取り乱したのも噂を強固なものにしてしまった。
──カイルが守る子。
「ああ、うん。そう、そういう意味ね」
ザイは胸をなでおろす。
ザイは母似で、一見、宰相に似たところがない。足と足の爪の形が父そっくりなので、ザイは子どもの時から自分は宰相の子だと思っている。
大人になって考えてみるに、カイルと母の関係はやはり兄妹に違いないとザイは思う。
母の子ども時代は過酷であったらしく、それを共に乗り越えた兄弟子とは、他人にはわからない信頼がある。
……それはさておき、縹である。
ザイのすぐそばまで来て縹が言う。
──カイルが守る子は死なないの。
縹がなぜそんな話をし出したのかザイには分からないが、ザイははっきり縹に言う。
「うん、僕は死なない」
ザイは思う。こんなとこまで来て蹲ってる僕はカイルさんのやっぱり不出来な弟子だけど、僕は死なない。
下手したらカイルの後を追いかねなかったと皆言うけれど、ザイは自害するつもりはなかった。
自害するつもりはなくとも、当時のザイの様子では皆の心配はもっともなことで、ザイ自身、これはもうダメかもしれないと思ったこともあった。
食べたくとも食べられず、眠りたくとも眠れない、急に攻撃的になったり悲嘆にくれたり、かと思えば何も感じないまま気付けば幾日か経っていたり、と酷い有様だった。
そんな夢か現か分からぬような日々を送っても自死を選ばなかったのは、カイルへの反発があったからだ。何より、カイルの遺言の意味がわからないまま死ぬのは、ザイは嫌だったからだ。
また、戦であれだけ多くの人を殺しておいて、ザイが自身の勝手で死ぬのは、許されない。そうザイが考えているのもある。
それに、ザイは侍従だ。侍従である間は、主人に命じられる以外のことでは死ねない。
ザイの主人は口は悪いし、人は悪いし、気は短いし、すぐ怒るし、すぐ暴れる。要らなくなったら即バッサリ斬り捨てそうに見える。
だけどあれでいて、とても面倒見が良い方なのである、とザイは思っている。
──だから、斬られるときは僕も納得済みだと思う。
それは侍従になると決まった時、ザイがポロッとこぼした言葉。
元女官の母は「それはそうね」と言い、宰相の父は無言になっていたっけ。
あれは父はやっぱり納得してなかったんだろうなあ、とザイは思う。
僕を宮から遠ざけたくて、僕が官吏になるのも嫌がった父だ。侍従などもってのほかだっただろう。それは今でも、かもしれない。
だけど。
主人に斬られるその瞬間まで、ザイは生きるのだ。敵の血に染まったその身に侍従装束を纏わせて。
ザイは縹を見る。
「縹。僕はこれからも生きていくつもりだよ。こんな僕に付き合ってくれる精霊はいるかな?」
※
挑むようなザイに対する縹の返答は、ザイにとって意外なものだった。
──分からない。
あれ? 拍子抜けしたザイは、ガクッと崩れそうになるのを耐えて、縹に聞く。
「縹、おススメしてくれるんじゃないの?」
それに縹はザイの周りをフワフワ漂いながら言う。
──おススメするの。でもおススメするの、縹は初めてだから。少し待って。
「あ、はい」
うん。精霊だって、何事も初めてのことはあるよね。僕も最初、契約しにきたんじゃないって言っちゃったから、縹も急に契約したいとか言われても困るよね、うん。
ザイは、一生懸命考えているらしい魔山の主人代行の精霊を生暖かい目で見ながら、さっきとは別の意味でちょっとだけ泣きたい気持ちになっていた。
※
いや、でも、待てよ。
縹を待つザイは考える。精霊の「少し」はおそらく一晩じゃきかない。このまま待っていたら痺れを切らした陛下に捜索を出されそうである。
ザイがここに来たのは公には一応伏せられているから、捜索に出される人物は限られる。他の侍従か、お使いか。それならまだ良い。しかし例えば、
「先代の東の宮さま、とか?」
ザイは思わず声に出してゾッとする。
ザイの師匠がどういうわけか苦手としていたあの御仁に追跡されれば、ザイなどいいように遊ばれる。
今は隠居のお暮らしだが、かの方は豪く剛くて毅くて強い。先の東の宮にして、今上の叔父君、今上を大陸一の剣の使い手として育て上げた方である。
いや、悪い方ではないのだけど。
今上のお人の悪いところは、間違いなく先の東の宮の影響だとザイは思っている。
本当にザイが逃亡したとみなされて本気の追っ手をかけられるとしたら、あの方が来る。
縹、早くして。
想像したザイは若干涙目で縹を見る。
すると縹が言った。
──そうだ、ごきぼうを聞くの。
ふわっと寄ってきた縹が嬉しそうに言う。
「ごきぼう? 僕の希望?」
──そう、そなたのもとめるものを、もーしてみよ。
申してみよと仰られましても。
どこか棒読みのセリフのような縹の言葉に、今度はザイが困る番だった。
おススメを聞いてから選ぶのじゃダメ? と聞くザイに、縹は「ごきぼうを聞いてからおススメするの」と譲らず、ザイは途方にくれるのだった。
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