62 / 119
第三章
01 知ってどうする話してどうする
しおりを挟む
セラが目覚めて毎朝見る天井にはシミひとつない。当たり前の風景は、母がこの家を見事に切り盛りしている証だ。
人を使う者は、人に軽く見られてはならない。それでいて、慕われなくてはならない。それをやってのけるのは、なかなか難しい。宮に上がってから痛感したセラだ。
父はもちろんのこと、邸を取り仕切っている母も実は凄い人だったのね、とセラは思う。そうして、私にそれができるかしら、と不安に思う。そうなると、セラは休んでゆっくりするどころではなくなってしまう。
それでも、初めは家でじっと過ごして居たセラだった。しかし、本を読むのも刺しゅうをするのも、やっていられなくなった。宮に上がる前はそれがセラの全てだったのに。
セラが母の仕事を手伝いたいというと、母は驚いた。
「こんな時にまで働かなくて良いの。貴女は今は心を休めなさい」
そう言って心配そうに肩をさすられた。そうしてセラは自室に追いやられた。動き回っている方が気が紛れるのだけど、と思いながら。
妹は他家に行儀見習いに通っていて、昼間はいない。何となく身の置き所がないセラだ。
じっとしていると宮のことばかり考えてしまう。
お針子のサーシャさん、お仕事が落ち着いて腰の痛みは軽くなったかしら? 女官のアレシアさまは見習い君とうまく連携しているかしら?
そして、ザイは今、どうしているかしら?
近いうちに仕事で宮を離れる口ぶりだったけれど、そうすると、あれよね、あれだわ、だれか女の方と会ってるわよね……。
宮に女性を泊まらせることは出来ない。またザイは公邸である宰相邸に住んでいるので、そこもまた同様だ。だから、ザイは長く宮を離れた際に女性と会っている、らしい。
らしい、というのは官吏たちがそんな話をしていたのをセラが聞いたことがあるからだ。
一緒に通りがかった女官長が咳払いをしたため、官吏たちは気まず気に口を閉じたが、セラはもっと聞きたいと思っていた。嫉妬もあるし怖いもの見たさ聞きたさみたいなものもある。
いつ、どこで、どんな女性と、どんな風に?
それこそ、微に入り細に入り根掘り葉掘り聞きたかった。聞いてどうするんだと言われれば返答に困るが。
ただ、セラはザイを知りたいと思う。
しかし、相手は侍従だ。女官として親しくしてもらえるけれど、セラに隙を見せてはくれない。
だから、宮中聞いて回りたいセラだが、官吏や侍従たちの間で文官長が何か探りを入れているらしいという噂になりかねないので、セラは侍従筆頭に時折尋ねるだけで我慢している。
もっとも、筆頭も教えてくれない。特に女性関係は。
あの手この手で聞き出そうとして、最近はもう手も尽きた。それを聞いてどうするの、が筆頭の口癖だ。
父はザイのことをセラの手に負えない人間だと言った。宮に上がって、それは本当のことかもしれないと思った。
だが、恋が実るかは別として、ザイのことをとことん知って、それでも好きだと思いたい。
思えなければ、そこできちんと諦めも付けられる。だから、セラにとってどんなに嫌なことでも、ザイのことなら知りたいと思う。
──今、ザイはどうしているかしら?
セラは読みかけの本を放り出してため息をつく。傍目には、婚約者の裏切りに傷ついた娘に見えるその様子が、セラの母はじめ、周囲の同情を買っているのをセラは知らない。
※
その頃ザイは女性と会っていた。正確には女の形をとる精霊と。
人の形をしていて、しかし、やはり、人では無い。ふわりと浮かぶように現れた影を見て、ザイは言った。
「やっぱり、はなちゃんだ」
──ちがうわ。
「そうか、『はなちゃん』じゃないね」
きっと、それは、幼いザイが勝手に呼んでいた名前だ。カイルから与えられた名前とは違うのだろう。
「カイルさんは、君を何て呼んでたのかな?」
──縹。
そうか、縹。きれいだから「花」なんだろうと思っていたが、「縹色」だったか。
ザイが「はなちゃん」に会ったのは数えるほどしかなく、最後に会ったのはザイが八歳になるより前だったはずだ。
「縹のはなちゃん久しぶり」
──久しぶり? 人はすぐにそう言う。
精霊と人では時の流れが違うらしい。「縹」を認識すれば、「はなちゃん」と呼ばれても気にしないらしい。
「僕がザイだってよく分かったね」
──分かる。カイルが守るザイ。
「うん、」
そうだよ、と言おうとして、ザイは黙ってしまう。はなちゃんからもそう見えたのか。カイルが守るザイ、と。
はなちゃんの影の向こうにカイルの背が見えた気がして、ザイはくらりとする。
しかし、ザイは聞いておかねばならないことを先に聞く。
「はなちゃん、ここに竜王さまっている?」
──竜王さまはいない。だから縹がご案内する。
「え、案内してくれるの?」
──オススメの精霊をオススメするの。竜王さまの代わりに。
「竜王さまの代わり?」
──竜王さまは山を降りた。人と話す精霊は縹だけ。
「あー、なるほど」
成る程と言ったものの、竜王さまってオススメやらご案内やらしてたのか。ザイは驚く。
しかも、竜王さまは後任まで据えるなんて、律儀で親切……、ではなくて。
「はなちゃん、竜王さまは誰と山を降りたの?」
──ザイも契約に来たの?
あ、無視された。誰と契約したかは秘密のなのだろうか?
「いいや、僕は竜王さまが誰と山を降りられたのかなと思って来たんだ。はなちゃん、教えてくれないかな?」
──でも、契約しないとザイは山を降りられない。
また無視。うーん。
とりあえずザイは、はなちゃんの話を聞くことにした。
「どうして契約しないと降りられないの?」
──魔物、帰り道を狙う。精霊がいなければ人は弱い。
「僕、それなりに強いよ?」
──カイルより弱い。
「あ、うん、そうだね」
カイルには敵わないとどこかで思っているザイだ。しかし、カイルの元契約精霊から言われると、堪える。
「じゃあ、はなちゃん、僕と契約してくれる?」
──嫌。
即答だ。
まあそうだろうなとザイは思うが、その時、ほんの少し、いたずら心が起きてザイは聞いてみる。
「はなちゃん、カイルさんが好きなんだ」
──縹はカイルが一番好き。でも、カイルは縹が一番でない。
そのあと、縹にカイルへの思いを熱く話されて、ザイは虚ろな目になってしまう。
延々と、訥々と、縹はカイルを語る。
あまりに終わりそうにないので、ザイはお弁当を広げてしまったのだった。
人を使う者は、人に軽く見られてはならない。それでいて、慕われなくてはならない。それをやってのけるのは、なかなか難しい。宮に上がってから痛感したセラだ。
父はもちろんのこと、邸を取り仕切っている母も実は凄い人だったのね、とセラは思う。そうして、私にそれができるかしら、と不安に思う。そうなると、セラは休んでゆっくりするどころではなくなってしまう。
それでも、初めは家でじっと過ごして居たセラだった。しかし、本を読むのも刺しゅうをするのも、やっていられなくなった。宮に上がる前はそれがセラの全てだったのに。
セラが母の仕事を手伝いたいというと、母は驚いた。
「こんな時にまで働かなくて良いの。貴女は今は心を休めなさい」
そう言って心配そうに肩をさすられた。そうしてセラは自室に追いやられた。動き回っている方が気が紛れるのだけど、と思いながら。
妹は他家に行儀見習いに通っていて、昼間はいない。何となく身の置き所がないセラだ。
じっとしていると宮のことばかり考えてしまう。
お針子のサーシャさん、お仕事が落ち着いて腰の痛みは軽くなったかしら? 女官のアレシアさまは見習い君とうまく連携しているかしら?
そして、ザイは今、どうしているかしら?
近いうちに仕事で宮を離れる口ぶりだったけれど、そうすると、あれよね、あれだわ、だれか女の方と会ってるわよね……。
宮に女性を泊まらせることは出来ない。またザイは公邸である宰相邸に住んでいるので、そこもまた同様だ。だから、ザイは長く宮を離れた際に女性と会っている、らしい。
らしい、というのは官吏たちがそんな話をしていたのをセラが聞いたことがあるからだ。
一緒に通りがかった女官長が咳払いをしたため、官吏たちは気まず気に口を閉じたが、セラはもっと聞きたいと思っていた。嫉妬もあるし怖いもの見たさ聞きたさみたいなものもある。
いつ、どこで、どんな女性と、どんな風に?
それこそ、微に入り細に入り根掘り葉掘り聞きたかった。聞いてどうするんだと言われれば返答に困るが。
ただ、セラはザイを知りたいと思う。
しかし、相手は侍従だ。女官として親しくしてもらえるけれど、セラに隙を見せてはくれない。
だから、宮中聞いて回りたいセラだが、官吏や侍従たちの間で文官長が何か探りを入れているらしいという噂になりかねないので、セラは侍従筆頭に時折尋ねるだけで我慢している。
もっとも、筆頭も教えてくれない。特に女性関係は。
あの手この手で聞き出そうとして、最近はもう手も尽きた。それを聞いてどうするの、が筆頭の口癖だ。
父はザイのことをセラの手に負えない人間だと言った。宮に上がって、それは本当のことかもしれないと思った。
だが、恋が実るかは別として、ザイのことをとことん知って、それでも好きだと思いたい。
思えなければ、そこできちんと諦めも付けられる。だから、セラにとってどんなに嫌なことでも、ザイのことなら知りたいと思う。
──今、ザイはどうしているかしら?
セラは読みかけの本を放り出してため息をつく。傍目には、婚約者の裏切りに傷ついた娘に見えるその様子が、セラの母はじめ、周囲の同情を買っているのをセラは知らない。
※
その頃ザイは女性と会っていた。正確には女の形をとる精霊と。
人の形をしていて、しかし、やはり、人では無い。ふわりと浮かぶように現れた影を見て、ザイは言った。
「やっぱり、はなちゃんだ」
──ちがうわ。
「そうか、『はなちゃん』じゃないね」
きっと、それは、幼いザイが勝手に呼んでいた名前だ。カイルから与えられた名前とは違うのだろう。
「カイルさんは、君を何て呼んでたのかな?」
──縹。
そうか、縹。きれいだから「花」なんだろうと思っていたが、「縹色」だったか。
ザイが「はなちゃん」に会ったのは数えるほどしかなく、最後に会ったのはザイが八歳になるより前だったはずだ。
「縹のはなちゃん久しぶり」
──久しぶり? 人はすぐにそう言う。
精霊と人では時の流れが違うらしい。「縹」を認識すれば、「はなちゃん」と呼ばれても気にしないらしい。
「僕がザイだってよく分かったね」
──分かる。カイルが守るザイ。
「うん、」
そうだよ、と言おうとして、ザイは黙ってしまう。はなちゃんからもそう見えたのか。カイルが守るザイ、と。
はなちゃんの影の向こうにカイルの背が見えた気がして、ザイはくらりとする。
しかし、ザイは聞いておかねばならないことを先に聞く。
「はなちゃん、ここに竜王さまっている?」
──竜王さまはいない。だから縹がご案内する。
「え、案内してくれるの?」
──オススメの精霊をオススメするの。竜王さまの代わりに。
「竜王さまの代わり?」
──竜王さまは山を降りた。人と話す精霊は縹だけ。
「あー、なるほど」
成る程と言ったものの、竜王さまってオススメやらご案内やらしてたのか。ザイは驚く。
しかも、竜王さまは後任まで据えるなんて、律儀で親切……、ではなくて。
「はなちゃん、竜王さまは誰と山を降りたの?」
──ザイも契約に来たの?
あ、無視された。誰と契約したかは秘密のなのだろうか?
「いいや、僕は竜王さまが誰と山を降りられたのかなと思って来たんだ。はなちゃん、教えてくれないかな?」
──でも、契約しないとザイは山を降りられない。
また無視。うーん。
とりあえずザイは、はなちゃんの話を聞くことにした。
「どうして契約しないと降りられないの?」
──魔物、帰り道を狙う。精霊がいなければ人は弱い。
「僕、それなりに強いよ?」
──カイルより弱い。
「あ、うん、そうだね」
カイルには敵わないとどこかで思っているザイだ。しかし、カイルの元契約精霊から言われると、堪える。
「じゃあ、はなちゃん、僕と契約してくれる?」
──嫌。
即答だ。
まあそうだろうなとザイは思うが、その時、ほんの少し、いたずら心が起きてザイは聞いてみる。
「はなちゃん、カイルさんが好きなんだ」
──縹はカイルが一番好き。でも、カイルは縹が一番でない。
そのあと、縹にカイルへの思いを熱く話されて、ザイは虚ろな目になってしまう。
延々と、訥々と、縹はカイルを語る。
あまりに終わりそうにないので、ザイはお弁当を広げてしまったのだった。
1
お気に入りに追加
145
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。

愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。


【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる
雨野
恋愛
難病に罹り、15歳で人生を終えた私。
だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?
でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!
ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?
1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。
ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!
主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!
愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。
予告なく痛々しい、残酷な描写あり。
サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。
小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。
こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。
本編完結。番外編を順次公開していきます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる