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第二章
26 向き合う(1/2)
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王国大使が宮から下がったあと、宰相は一旦自邸へ戻った。黙ったままの第四王子も一緒だ。
王国騒擾の報告と同時に、第四王子が正式に友好の使者となることも伝えられたので、出迎えた宰相夫人は、改めて王子に挨拶を申し上げる。それに王子は「ああ」と返すのが精一杯のようだった。
王子を居室まで送った宰相が御前を辞す旨を申し上げるが、第四王子は無言だ。首を振りもしない。
おそらく一人にはなりたくないのだろう。だが、それを言うのは業腹と見える。
このまま自分が下がったとて、今更不敬だなんだと第四王子は言わないだろうし、言われたなら、それを潮に宰相は第四王子を預かるのを降りて、第四王子を宮に移しても良い。
そう考えていた宰相は、ギクリとする。
不意に不穏な気配を感じた。出所は宰相の背の扉の向こう。
そこに居る。
宰相夫人がいる。
ものすごく怒っている妻がいる。
魔力をほとんど持たない宰相だが、こういう勘としか言いようのないものは、よく当たる。
妻に怒りをぶつけられる覚えは、今の宰相にはたくさんある。竜王に会ったことがあるのを勝手に今上に話されたのは、夫人にとっては不本意だっただろう。
しかし、筆頭やザイから報告させるのは、流石に気が咎めた宰相だ。
第四王子が来てからというもの、宰相夫人は怒りっぱなしだ。
王妃につきまとう第四王子に夫人が嫌悪感を覚えるのは、姫を可愛がっていた夫人からすれば当然だった。嫌いな客人の護衛だけでも嫌なのに、それを宰相が構うものだから、夫人はものすごく機嫌が悪い。
先日、「無視されないだけマシだ」とザイに言った宰相だったが、あくまで「マシ」なのであって、夫人に腹を立てられるのは、宰相にとって酷く堪えるのに違いはないのだ。
宰相も好き好んでこの王子様と話をしている訳ではない。
いっそ第二王子に送りつけてやろうかと考えていたこともあった宰相だが、現国王、そして王太子に第四王子の保護を頼まれては仕方がない。
初めこそ第四王子を始末してやりたいと思っていた宰相だが、王国との取引に生かしておくのも良いと考え始めている。交渉と根回しで生き延びてきた宰相は、使えそうなものは何でも使うのだ。
それは夫人も理解しているのだが、理解と納得はまた別だ。
なまじ魔力があるだけに、生き死にのやり取りをして生き延びてきた夫人は決断が早い。当初から「斬れ」と一貫している。武闘派なのだ。
その夫人が扉の向こうで宰相を待ち構えている。
宰相は第四王子の差し向かいに無言で腰かけた。そうすると、宰相の背後の気配が変わった。
一言で言えば、ドス黒いものに。
しかし、第四王子から御前を辞す許可を頂いていないのだから、宰相は今、部屋から出るわけにはいかないのだ。
それに、動揺した王子を放置して、何か事が起こっても厄介だ。
代わりの者を付ければ良いのだが、夫人のあの様子では、宰相の留守中にそれこそ事が起こりそうだ。
だから、宰相は決して部屋から出たくないなどと思っている訳ではないのだ。決して。
午後の残りの予定を潰す覚悟で、宰相は第四王子が口を開くのを待った。
※
第四王子の言うことは、だいたい宰相の予想通りであった。予想外であったのは、第四王子が第三王子をそれなりに兄として慕っていたらしいことだった。
仲が悪いことで有名な王国の王子たちだが、本人たち、少なくとも第四王子はそう思ってはいなかったようだ。
しかし、それも今日までだろう。
いい加減、己の置かれている状況を認めて貰わねばならない。今のまま王妃に付きまとい、第二王子のいいようにされているのであれば、第四王子も遅かれ早かれ第三王子と同じ道を辿る。
夫人にも話したが、それは王妃のためにもあまり見たくない宰相だ。
それに、これを機に第四王子が第二王子へ不審を抱けば、それだけで第二王子への牽制になる。
話してもいい事とならない事の区別があまり付いていない末王子だ。こちらに焦って刺客を送ってくるのも、余計なことを喋らせたくないからだろう。
或いは、第三王子を切り捨てたことで、躊躇いがなくなったのかもしれない。
王族に手をかけ、第二王子の庇護下に入った武人たちは尚更だろう。いずれ彼らは起つ。引きしぼられた弓のように、その時を待っている。
神子を戴く御代での王位簒奪は、何としても防がねばならぬ。かといって第二王子を追い詰めてもならぬ。国王と慎重にことを進めなければならない。
それができないのであれば、国王を退位させ、帝国に亡命させ、王妃を帝国に取り戻す。
そのあと王国がどうなろうと知ったことではない。おそらく第二王子が王位を奪おうとするだろう。帝国が引くことによって、周辺諸国が王国に群がる。混乱は数年は続くだろう。
帝国は交易路を失うが、神子の権威を地に落とすよりは良い。
失ったものは取り戻せば良い。
王太子、第二王子、周辺諸国で散々に喰いあった後の疲弊した王国を帝国が武力平定する。
もちろんそれは最終手段ではあるが、そうなることも視野に入れて、宰相は動くことに決めた。
ただ、この午後のひととき、今だけは、政に翻弄される青年の話に付き合おうと思った。
王宮で優しく真綿にくるまれるようにされて一人立つことも許されなかった第四王子がこれから向き合う現実は、酷く冷たく虚しいものだ。
それでも理解している方が、自分の敵が何かも知らず怯え続けるよりも生きやすかろうと思う宰相だ。
第四王子が嗚咽の合間にポツリポツリと話す取り留めのない話に宰相は耳を傾けた。
扉の向こうの殺気は高まるばかりだ。
宰相は宰相で、ひととき、そこにある現実から目を背けているのだった。
※────
・先日、「無視されないだけマシだ」とザイに言った宰相
→第二章09話「目を逸らす無視する見て見ぬふりをする」
・当初から「斬れ」と一貫している。
→ 第一章14話「夜更けですが斬るのは今からでも遅くはないかと」
王国騒擾の報告と同時に、第四王子が正式に友好の使者となることも伝えられたので、出迎えた宰相夫人は、改めて王子に挨拶を申し上げる。それに王子は「ああ」と返すのが精一杯のようだった。
王子を居室まで送った宰相が御前を辞す旨を申し上げるが、第四王子は無言だ。首を振りもしない。
おそらく一人にはなりたくないのだろう。だが、それを言うのは業腹と見える。
このまま自分が下がったとて、今更不敬だなんだと第四王子は言わないだろうし、言われたなら、それを潮に宰相は第四王子を預かるのを降りて、第四王子を宮に移しても良い。
そう考えていた宰相は、ギクリとする。
不意に不穏な気配を感じた。出所は宰相の背の扉の向こう。
そこに居る。
宰相夫人がいる。
ものすごく怒っている妻がいる。
魔力をほとんど持たない宰相だが、こういう勘としか言いようのないものは、よく当たる。
妻に怒りをぶつけられる覚えは、今の宰相にはたくさんある。竜王に会ったことがあるのを勝手に今上に話されたのは、夫人にとっては不本意だっただろう。
しかし、筆頭やザイから報告させるのは、流石に気が咎めた宰相だ。
第四王子が来てからというもの、宰相夫人は怒りっぱなしだ。
王妃につきまとう第四王子に夫人が嫌悪感を覚えるのは、姫を可愛がっていた夫人からすれば当然だった。嫌いな客人の護衛だけでも嫌なのに、それを宰相が構うものだから、夫人はものすごく機嫌が悪い。
先日、「無視されないだけマシだ」とザイに言った宰相だったが、あくまで「マシ」なのであって、夫人に腹を立てられるのは、宰相にとって酷く堪えるのに違いはないのだ。
宰相も好き好んでこの王子様と話をしている訳ではない。
いっそ第二王子に送りつけてやろうかと考えていたこともあった宰相だが、現国王、そして王太子に第四王子の保護を頼まれては仕方がない。
初めこそ第四王子を始末してやりたいと思っていた宰相だが、王国との取引に生かしておくのも良いと考え始めている。交渉と根回しで生き延びてきた宰相は、使えそうなものは何でも使うのだ。
それは夫人も理解しているのだが、理解と納得はまた別だ。
なまじ魔力があるだけに、生き死にのやり取りをして生き延びてきた夫人は決断が早い。当初から「斬れ」と一貫している。武闘派なのだ。
その夫人が扉の向こうで宰相を待ち構えている。
宰相は第四王子の差し向かいに無言で腰かけた。そうすると、宰相の背後の気配が変わった。
一言で言えば、ドス黒いものに。
しかし、第四王子から御前を辞す許可を頂いていないのだから、宰相は今、部屋から出るわけにはいかないのだ。
それに、動揺した王子を放置して、何か事が起こっても厄介だ。
代わりの者を付ければ良いのだが、夫人のあの様子では、宰相の留守中にそれこそ事が起こりそうだ。
だから、宰相は決して部屋から出たくないなどと思っている訳ではないのだ。決して。
午後の残りの予定を潰す覚悟で、宰相は第四王子が口を開くのを待った。
※
第四王子の言うことは、だいたい宰相の予想通りであった。予想外であったのは、第四王子が第三王子をそれなりに兄として慕っていたらしいことだった。
仲が悪いことで有名な王国の王子たちだが、本人たち、少なくとも第四王子はそう思ってはいなかったようだ。
しかし、それも今日までだろう。
いい加減、己の置かれている状況を認めて貰わねばならない。今のまま王妃に付きまとい、第二王子のいいようにされているのであれば、第四王子も遅かれ早かれ第三王子と同じ道を辿る。
夫人にも話したが、それは王妃のためにもあまり見たくない宰相だ。
それに、これを機に第四王子が第二王子へ不審を抱けば、それだけで第二王子への牽制になる。
話してもいい事とならない事の区別があまり付いていない末王子だ。こちらに焦って刺客を送ってくるのも、余計なことを喋らせたくないからだろう。
或いは、第三王子を切り捨てたことで、躊躇いがなくなったのかもしれない。
王族に手をかけ、第二王子の庇護下に入った武人たちは尚更だろう。いずれ彼らは起つ。引きしぼられた弓のように、その時を待っている。
神子を戴く御代での王位簒奪は、何としても防がねばならぬ。かといって第二王子を追い詰めてもならぬ。国王と慎重にことを進めなければならない。
それができないのであれば、国王を退位させ、帝国に亡命させ、王妃を帝国に取り戻す。
そのあと王国がどうなろうと知ったことではない。おそらく第二王子が王位を奪おうとするだろう。帝国が引くことによって、周辺諸国が王国に群がる。混乱は数年は続くだろう。
帝国は交易路を失うが、神子の権威を地に落とすよりは良い。
失ったものは取り戻せば良い。
王太子、第二王子、周辺諸国で散々に喰いあった後の疲弊した王国を帝国が武力平定する。
もちろんそれは最終手段ではあるが、そうなることも視野に入れて、宰相は動くことに決めた。
ただ、この午後のひととき、今だけは、政に翻弄される青年の話に付き合おうと思った。
王宮で優しく真綿にくるまれるようにされて一人立つことも許されなかった第四王子がこれから向き合う現実は、酷く冷たく虚しいものだ。
それでも理解している方が、自分の敵が何かも知らず怯え続けるよりも生きやすかろうと思う宰相だ。
第四王子が嗚咽の合間にポツリポツリと話す取り留めのない話に宰相は耳を傾けた。
扉の向こうの殺気は高まるばかりだ。
宰相は宰相で、ひととき、そこにある現実から目を背けているのだった。
※────
・先日、「無視されないだけマシだ」とザイに言った宰相
→第二章09話「目を逸らす無視する見て見ぬふりをする」
・当初から「斬れ」と一貫している。
→ 第一章14話「夜更けですが斬るのは今からでも遅くはないかと」
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