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第二章
19 一日一日の積み重ねは意外と大きい
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筆頭から「はい、お願いします」と置かれた書類の山に、ザイはうんざりする。
「多いね」
「今日は、昨日やるはずだった分も含めてだからね」
「ハイ、謹んでお手伝い致します……」
一日一日の積み重ねは意外と大きい。
皇帝とザイの「戦闘訓練」騒ぎで半日潰れた分を取り戻すべく、侍従二人は腕まくりをした。
※
本来の締め切りまではまだ余裕があるけれど、王妃の護衛選定、第四王子の処遇など、当初の予定になかったものが入ってきたため、前倒しでやってしまうほうがいいということになったのだ。
「王国からの正式な使者は、いつ来るの?」
書類を分けながらザイが聞く。筆頭が答える。
「まだまだ、先だね。王妃様が本日王国へご到着だから、旅の無事を祝う行事やらが終わってからだね。第四王子はどうされているの?」
「昨日はほとんど庭でお過ごしだったそうだよ。ぼーっとされてたらしい」
「らしいって君、見てないの?」
「僕はただ今、家出中だから」
心持ち胸を張って言うザイに、筆頭が呆れて言う。
「子どもみたいなこと言うね。でも、家出になってないね、それ」
「それだよ。職場が父と一緒、現場が我が家」
昨日、ザイは宮で寝て、今朝方、宰相邸へ行き、母に王子の様子を聞き、また、宮にとって返した。
我ながら面倒なことをしていると思う。
だが、昨日のイライラした状態で帰って、父と顔を合わせたくはなかったザイである。
「まあ、これを片付けたら帰るよ。王子の様子も気になるしね」
「そう、奥方様にもよろしくお伝えしてね」
書類を分け終わったところで見習いたちも呼ぶ。怒涛の書類処理が始まった。
※
宰相から邸内ならご自由にお過ごしくださいと言われた。
囚われの身であると思いながら、第四王子は宰相邸でゆったりと過ごしていた。
三度出される温かな食事は、毒味に念入りに食い散らかされたものではない。それが王子は嬉しかった。
午前中は読書をし、午後からは邸内を自由に歩き回る。口さがない宮廷雀の声は聞こえず、第二王子や第三王子からの急な呼び出しもない。
こんな静かな過ごし方をするのは、久しぶりのような気がする。
宰相邸は庭も邸内も手入れが行き届いており、第四王子は散策に飽きない。
客間や広間、食堂は贅を尽くしたものだったが、接受に使われるそれら以外の場所は、至って質素だった。
それが、王子の目には新鮮だった。
物足りない、地味だと言う者が大半だろうが、今の王子には落ち着いていて良いと思えた。不必要なものを削ぎ落とした心地よさがある。
この書庫もそのような部屋だった。ここで一日中本を読むのもいいだろう。宰相夫人が「王国の本も取り寄せましょうか」と言ってくれたが断った。今は、母国から少しでも離れていたいと思う。
──自分は王宮にいるとおかしくなる。
そういう思いは、昔からあった。
だから、第四王子は王宮を抜け出す。
抜け出す自分を、王宮の者は誰も咎めない。何かの拍子に王宮の外で死んでくれないかと思っているのだろう。
自分も、それでいいと思っている。だが、愛妾に懇願されては仕方がないのか、父王は自分に護衛を付けていた。
しかし、その護衛も宰相邸には侵入出来ず、自分一人がここに居る。
生まれて初めて王国の者が一人もいない状況に、王子は安心感を覚えていた。護衛とて、いつ、自分の命を取るか分からなかったからだ。
いつ死んでも別にいいと思いながら、王宮の者の手にだけはかかりたくないと思うのは、ささやかな反抗心だ。
そう考えて、王子は思う。自分は自分の心を分かっている。
宰相には否定されて反論できなかったが、自分の王妃への思いは本物だ、と王子は思う。
しかし、本物であるならば、それは、絶対に秘すべきものだった。
父王の正妃である。しかも、帝国の神子だ。叶えばそれこそ我が身の破滅となる恋を、何故、自分は公言した?
公式の場でそっと盗み見るのがやっとだったのに、なぜ、昼夜問わず王妃の宮を訪ねるようになったのだろう?
いつからか、何がきっかけだったか?
──それを誰があなた様に焚きつけたか、私は想像するしかございませんが
宰相は誰を想像しただろうか。
第四王子は目を閉じる。
兄王子達が相手にしてくれるのが嬉しくて、後ろをついて回った日々。その中で囁かれた言葉の数々。それを励ましだと信じていた幼い自分。
いつ、とも、何、とも、はっきりしない、少しずつ少しずつ、一日一日と自分の思いは歪み、ずれていったのだ。
もう、取り返しがつかない。
再び王宮の門をくぐることは、自分はないだろう。王妃を目にすることもない。
ため息を着いて王子が目を開ければ、目の前には白い狼。
王子は椅子から転げ落ちた。
近頃、夫人は食事の知らせにこの番犬だという大きな白い狼を寄越す。それは、誰とも話したくないと癇癪を起こした王子が原因なのだが、それにしても何というか、と王子は打った腰をさする。
人質は感傷に浸る暇もない。
気まぐれに王子が狼を撫でようとしたら、フイと避けられた。
それでも、この邸の食事を気に入っている王子は、素直に夕食をとりに食堂へと向かうのだった。
※
その頃、王宮から間諜が一人、帝国に向けて飛び出した。王国異変の第一報が帝国に伝えられるのは未明のことである。
「多いね」
「今日は、昨日やるはずだった分も含めてだからね」
「ハイ、謹んでお手伝い致します……」
一日一日の積み重ねは意外と大きい。
皇帝とザイの「戦闘訓練」騒ぎで半日潰れた分を取り戻すべく、侍従二人は腕まくりをした。
※
本来の締め切りまではまだ余裕があるけれど、王妃の護衛選定、第四王子の処遇など、当初の予定になかったものが入ってきたため、前倒しでやってしまうほうがいいということになったのだ。
「王国からの正式な使者は、いつ来るの?」
書類を分けながらザイが聞く。筆頭が答える。
「まだまだ、先だね。王妃様が本日王国へご到着だから、旅の無事を祝う行事やらが終わってからだね。第四王子はどうされているの?」
「昨日はほとんど庭でお過ごしだったそうだよ。ぼーっとされてたらしい」
「らしいって君、見てないの?」
「僕はただ今、家出中だから」
心持ち胸を張って言うザイに、筆頭が呆れて言う。
「子どもみたいなこと言うね。でも、家出になってないね、それ」
「それだよ。職場が父と一緒、現場が我が家」
昨日、ザイは宮で寝て、今朝方、宰相邸へ行き、母に王子の様子を聞き、また、宮にとって返した。
我ながら面倒なことをしていると思う。
だが、昨日のイライラした状態で帰って、父と顔を合わせたくはなかったザイである。
「まあ、これを片付けたら帰るよ。王子の様子も気になるしね」
「そう、奥方様にもよろしくお伝えしてね」
書類を分け終わったところで見習いたちも呼ぶ。怒涛の書類処理が始まった。
※
宰相から邸内ならご自由にお過ごしくださいと言われた。
囚われの身であると思いながら、第四王子は宰相邸でゆったりと過ごしていた。
三度出される温かな食事は、毒味に念入りに食い散らかされたものではない。それが王子は嬉しかった。
午前中は読書をし、午後からは邸内を自由に歩き回る。口さがない宮廷雀の声は聞こえず、第二王子や第三王子からの急な呼び出しもない。
こんな静かな過ごし方をするのは、久しぶりのような気がする。
宰相邸は庭も邸内も手入れが行き届いており、第四王子は散策に飽きない。
客間や広間、食堂は贅を尽くしたものだったが、接受に使われるそれら以外の場所は、至って質素だった。
それが、王子の目には新鮮だった。
物足りない、地味だと言う者が大半だろうが、今の王子には落ち着いていて良いと思えた。不必要なものを削ぎ落とした心地よさがある。
この書庫もそのような部屋だった。ここで一日中本を読むのもいいだろう。宰相夫人が「王国の本も取り寄せましょうか」と言ってくれたが断った。今は、母国から少しでも離れていたいと思う。
──自分は王宮にいるとおかしくなる。
そういう思いは、昔からあった。
だから、第四王子は王宮を抜け出す。
抜け出す自分を、王宮の者は誰も咎めない。何かの拍子に王宮の外で死んでくれないかと思っているのだろう。
自分も、それでいいと思っている。だが、愛妾に懇願されては仕方がないのか、父王は自分に護衛を付けていた。
しかし、その護衛も宰相邸には侵入出来ず、自分一人がここに居る。
生まれて初めて王国の者が一人もいない状況に、王子は安心感を覚えていた。護衛とて、いつ、自分の命を取るか分からなかったからだ。
いつ死んでも別にいいと思いながら、王宮の者の手にだけはかかりたくないと思うのは、ささやかな反抗心だ。
そう考えて、王子は思う。自分は自分の心を分かっている。
宰相には否定されて反論できなかったが、自分の王妃への思いは本物だ、と王子は思う。
しかし、本物であるならば、それは、絶対に秘すべきものだった。
父王の正妃である。しかも、帝国の神子だ。叶えばそれこそ我が身の破滅となる恋を、何故、自分は公言した?
公式の場でそっと盗み見るのがやっとだったのに、なぜ、昼夜問わず王妃の宮を訪ねるようになったのだろう?
いつからか、何がきっかけだったか?
──それを誰があなた様に焚きつけたか、私は想像するしかございませんが
宰相は誰を想像しただろうか。
第四王子は目を閉じる。
兄王子達が相手にしてくれるのが嬉しくて、後ろをついて回った日々。その中で囁かれた言葉の数々。それを励ましだと信じていた幼い自分。
いつ、とも、何、とも、はっきりしない、少しずつ少しずつ、一日一日と自分の思いは歪み、ずれていったのだ。
もう、取り返しがつかない。
再び王宮の門をくぐることは、自分はないだろう。王妃を目にすることもない。
ため息を着いて王子が目を開ければ、目の前には白い狼。
王子は椅子から転げ落ちた。
近頃、夫人は食事の知らせにこの番犬だという大きな白い狼を寄越す。それは、誰とも話したくないと癇癪を起こした王子が原因なのだが、それにしても何というか、と王子は打った腰をさする。
人質は感傷に浸る暇もない。
気まぐれに王子が狼を撫でようとしたら、フイと避けられた。
それでも、この邸の食事を気に入っている王子は、素直に夕食をとりに食堂へと向かうのだった。
※
その頃、王宮から間諜が一人、帝国に向けて飛び出した。王国異変の第一報が帝国に伝えられるのは未明のことである。
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