上 下
48 / 119
第二章

14 外野にて・父の心子知らず

しおりを挟む
 中庭を眺める宰相に、文官長が聞く。

「お止めしなくても、よろしいのですか?」

「愚息も斬って捨てられぬぐらいの働きはしておるようですから、よろしいでしょう」

 もともと、王妃を送り出した後、皇帝はじめ北の宮は休みを取る予定だった。ゆったりとした日程で組んでいた公務に差し障りは出まい。ここで存分に暴れて頂いておく方が何かと良いだろう、と宰相は思う。

「それに、陛下にここで斬られるようなら、それまでのことです」

 そう答える宰相に、文官長は、なるほど、うちの家風、否、自分の「温和な」性格とは相入れないな、と改めて思う。

「もっとも止めようもございませんな」

 文官長が言うのに宰相も頷く。

 宰相らが公務を終えて中庭を見る頃には、存分に暴れる皇帝と侍従の魔力にあてられて、魔導師のすでに半数が脱落していた。

 ボロ切れのようになった魔導師たちが壁際に集められ、手当を受けている。

 目の前の光景は惨憺たるものだが、幸い皇帝とザイは、双方とも頭が冷えてきたらしい。焼け付くような闘志で戦っていた二人の様子は、今は、鍛錬をしていると言ってもいいくらいには収まってきている。

 それでも、あれを止めに入ることができるのは先帝かカイル、或いは先代の東の宮くらいだろう。

 先代の東の宮は隠棲し、後の二人は故人である。帝国に皇帝とザイを止められるものは、もういない。

 そのザイにどうにかして取り入りたい者は多い。或いは排除したい者も。

 ザイは自分の立場の危うさを理解しているのだろうか。宰相は頭が痛い。

「それにしても、筆頭殿も逞しくなられましたな」

 文官長の呟きに、宰相が中庭を改めて見れば、結界を魔導師たちに任せた筆頭が、戦う二人の横で各所と連絡を取り、明日以降の公務の調整をしていた。

「彼が侍従になってしまったのが、私には残念でしたが、今ほど惜しかったと思うことはありません」

 文官長は苦笑して言う。筆頭は彼の元部下であった。おそらくセラの婚約者候補でもあっただろう。

 これから帰って気詰まりな話をするだろう文官長は、お先に失礼いたしますと言って、帰っていった。

 ※

 文官長にも、逃げる、という選択肢はないのだろうな、と宰相は考える。

 昨晩、ザイに「全力で逃げろ」と言った宰相の言葉は嫌味ではなく全くの本音であったが、ザイはそう取らなかっただろう。

 逃げればいいのだ。

 宰相にとって逃げるのは、ただ自分に合う環境を探すだけのことだ。

 宰相には、親がいなかった。
 物心ついた時には商隊の使い走りとして小突かれ回されており、犬の仔のように気まぐれに養われていた。宰相にとって、世界は厳しいのが当たり前だった。当然何度も逃げた。そうしなければ生きていけなかった。

 やがて、宰相は独立して自分の商隊を率い、街から街へと渡り歩いた。

 師もおらず、先達もおらず、全くの荒野を自分の手で切り開いていく。それが普通だったのだ。宰相だけではない、平民で孤児に生まれれば大抵そんなものだ。

 宰相には渡されるものはないが、守るべきものもなかった。対して息子は、全てを与えられる環境にあった。

 師がなくなれば途端に頼りなくなってしまった彼を、軟弱と宰相は詰る気にはなれない。

 彼は全てを与えられたけれど、それを守る義務も、彼は負ったのだ。それは血の滲むような努力でなければ、到底保てるものでない。

 宰相は、ザイにはそんなものを負わせたくなかった。しかし、ザイはそれを負うのが当然だと考えていたらしい。宰相からすれば意外なことだった。

 恵まれている、たしかにそうだ。しかし、あの子は与えられたものを全て大事にしようとする。

 宰相の息子という立場も、侍従という地位も、そんなものがなくても、ザイはどこでも生きていける。それなのに宮に残ろうとする。

 昔、官吏になりたいと言ったザイに、宰相は猛反対した。ザイを勘当までした宰相に、先帝は言った。

 ──ザイはね、私に仕えたいなんて言っているけれど、たしかにそれも本当なのだけれど、一番はお前を助けたいからだよ? それは認めてやらないといけないのではない?

 それは、今思えば全くその通りだった。今はもう、宰相もザイのことを認めている。それでも。

 宮に仕えるのが、宰相とは関係なく、今はザイ自身の願いとなっていたとしても。

「逃げろ、ザイ」

 馬を駆って船で海を渡りどこまでも自由に。それはかつての宰相の夢でもあった。

 自分が出来なかった事を息子に押し付けているだけなのかもしれない。

 それでも、苦しげなザイを見るたびに、宰相はそう願わずにいられない。

 ※

 宰相も帰っていった。中庭の剣戟は、まだ続きそうである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。

恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。 キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。 けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。 セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。 キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。 『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』 キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。   そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。 ※ゆるふわ設定 ※ご都合主義 ※一話の長さがバラバラになりがち。 ※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

無粋な訪問者は良縁を運ぶ

ひづき
恋愛
婚約破棄ですか? ───ふふ、嬉しい。 公爵令嬢リアーナは、大好きなストロベリーティーを飲みながら、侍従との会話を楽しむ。

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

処理中です...