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第二章
14 外野にて・父の心子知らず
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中庭を眺める宰相に、文官長が聞く。
「お止めしなくても、よろしいのですか?」
「愚息も斬って捨てられぬぐらいの働きはしておるようですから、よろしいでしょう」
もともと、王妃を送り出した後、皇帝はじめ北の宮は休みを取る予定だった。ゆったりとした日程で組んでいた公務に差し障りは出まい。ここで存分に暴れて頂いておく方が何かと良いだろう、と宰相は思う。
「それに、陛下にここで斬られるようなら、それまでのことです」
そう答える宰相に、文官長は、なるほど、うちの家風、否、自分の「温和な」性格とは相入れないな、と改めて思う。
「もっとも止めようもございませんな」
文官長が言うのに宰相も頷く。
宰相らが公務を終えて中庭を見る頃には、存分に暴れる皇帝と侍従の魔力にあてられて、魔導師のすでに半数が脱落していた。
ボロ切れのようになった魔導師たちが壁際に集められ、手当を受けている。
目の前の光景は惨憺たるものだが、幸い皇帝とザイは、双方とも頭が冷えてきたらしい。焼け付くような闘志で戦っていた二人の様子は、今は、鍛錬をしていると言ってもいいくらいには収まってきている。
それでも、あれを止めに入ることができるのは先帝かカイル、或いは先代の東の宮くらいだろう。
先代の東の宮は隠棲し、後の二人は故人である。帝国に皇帝とザイを止められるものは、もういない。
そのザイにどうにかして取り入りたい者は多い。或いは排除したい者も。
ザイは自分の立場の危うさを理解しているのだろうか。宰相は頭が痛い。
「それにしても、筆頭殿も逞しくなられましたな」
文官長の呟きに、宰相が中庭を改めて見れば、結界を魔導師たちに任せた筆頭が、戦う二人の横で各所と連絡を取り、明日以降の公務の調整をしていた。
「彼が侍従になってしまったのが、私には残念でしたが、今ほど惜しかったと思うことはありません」
文官長は苦笑して言う。筆頭は彼の元部下であった。おそらくセラの婚約者候補でもあっただろう。
これから帰って気詰まりな話をするだろう文官長は、お先に失礼いたしますと言って、帰っていった。
※
文官長にも、逃げる、という選択肢はないのだろうな、と宰相は考える。
昨晩、ザイに「全力で逃げろ」と言った宰相の言葉は嫌味ではなく全くの本音であったが、ザイはそう取らなかっただろう。
逃げればいいのだ。
宰相にとって逃げるのは、ただ自分に合う環境を探すだけのことだ。
宰相には、親がいなかった。
物心ついた時には商隊の使い走りとして小突かれ回されており、犬の仔のように気まぐれに養われていた。宰相にとって、世界は厳しいのが当たり前だった。当然何度も逃げた。そうしなければ生きていけなかった。
やがて、宰相は独立して自分の商隊を率い、街から街へと渡り歩いた。
師もおらず、先達もおらず、全くの荒野を自分の手で切り開いていく。それが普通だったのだ。宰相だけではない、平民で孤児に生まれれば大抵そんなものだ。
宰相には渡されるものはないが、守るべきものもなかった。対して息子は、全てを与えられる環境にあった。
師がなくなれば途端に頼りなくなってしまった彼を、軟弱と宰相は詰る気にはなれない。
彼は全てを与えられたけれど、それを守る義務も、彼は負ったのだ。それは血の滲むような努力でなければ、到底保てるものでない。
宰相は、ザイにはそんなものを負わせたくなかった。しかし、ザイはそれを負うのが当然だと考えていたらしい。宰相からすれば意外なことだった。
恵まれている、たしかにそうだ。しかし、あの子は与えられたものを全て大事にしようとする。
宰相の息子という立場も、侍従という地位も、そんなものがなくても、ザイはどこでも生きていける。それなのに宮に残ろうとする。
昔、官吏になりたいと言ったザイに、宰相は猛反対した。ザイを勘当までした宰相に、先帝は言った。
──ザイはね、私に仕えたいなんて言っているけれど、たしかにそれも本当なのだけれど、一番はお前を助けたいからだよ? それは認めてやらないといけないのではない?
それは、今思えば全くその通りだった。今はもう、宰相もザイのことを認めている。それでも。
宮に仕えるのが、宰相とは関係なく、今はザイ自身の願いとなっていたとしても。
「逃げろ、ザイ」
馬を駆って船で海を渡りどこまでも自由に。それはかつての宰相の夢でもあった。
自分が出来なかった事を息子に押し付けているだけなのかもしれない。
それでも、苦しげなザイを見るたびに、宰相はそう願わずにいられない。
※
宰相も帰っていった。中庭の剣戟は、まだ続きそうである。
「お止めしなくても、よろしいのですか?」
「愚息も斬って捨てられぬぐらいの働きはしておるようですから、よろしいでしょう」
もともと、王妃を送り出した後、皇帝はじめ北の宮は休みを取る予定だった。ゆったりとした日程で組んでいた公務に差し障りは出まい。ここで存分に暴れて頂いておく方が何かと良いだろう、と宰相は思う。
「それに、陛下にここで斬られるようなら、それまでのことです」
そう答える宰相に、文官長は、なるほど、うちの家風、否、自分の「温和な」性格とは相入れないな、と改めて思う。
「もっとも止めようもございませんな」
文官長が言うのに宰相も頷く。
宰相らが公務を終えて中庭を見る頃には、存分に暴れる皇帝と侍従の魔力にあてられて、魔導師のすでに半数が脱落していた。
ボロ切れのようになった魔導師たちが壁際に集められ、手当を受けている。
目の前の光景は惨憺たるものだが、幸い皇帝とザイは、双方とも頭が冷えてきたらしい。焼け付くような闘志で戦っていた二人の様子は、今は、鍛錬をしていると言ってもいいくらいには収まってきている。
それでも、あれを止めに入ることができるのは先帝かカイル、或いは先代の東の宮くらいだろう。
先代の東の宮は隠棲し、後の二人は故人である。帝国に皇帝とザイを止められるものは、もういない。
そのザイにどうにかして取り入りたい者は多い。或いは排除したい者も。
ザイは自分の立場の危うさを理解しているのだろうか。宰相は頭が痛い。
「それにしても、筆頭殿も逞しくなられましたな」
文官長の呟きに、宰相が中庭を改めて見れば、結界を魔導師たちに任せた筆頭が、戦う二人の横で各所と連絡を取り、明日以降の公務の調整をしていた。
「彼が侍従になってしまったのが、私には残念でしたが、今ほど惜しかったと思うことはありません」
文官長は苦笑して言う。筆頭は彼の元部下であった。おそらくセラの婚約者候補でもあっただろう。
これから帰って気詰まりな話をするだろう文官長は、お先に失礼いたしますと言って、帰っていった。
※
文官長にも、逃げる、という選択肢はないのだろうな、と宰相は考える。
昨晩、ザイに「全力で逃げろ」と言った宰相の言葉は嫌味ではなく全くの本音であったが、ザイはそう取らなかっただろう。
逃げればいいのだ。
宰相にとって逃げるのは、ただ自分に合う環境を探すだけのことだ。
宰相には、親がいなかった。
物心ついた時には商隊の使い走りとして小突かれ回されており、犬の仔のように気まぐれに養われていた。宰相にとって、世界は厳しいのが当たり前だった。当然何度も逃げた。そうしなければ生きていけなかった。
やがて、宰相は独立して自分の商隊を率い、街から街へと渡り歩いた。
師もおらず、先達もおらず、全くの荒野を自分の手で切り開いていく。それが普通だったのだ。宰相だけではない、平民で孤児に生まれれば大抵そんなものだ。
宰相には渡されるものはないが、守るべきものもなかった。対して息子は、全てを与えられる環境にあった。
師がなくなれば途端に頼りなくなってしまった彼を、軟弱と宰相は詰る気にはなれない。
彼は全てを与えられたけれど、それを守る義務も、彼は負ったのだ。それは血の滲むような努力でなければ、到底保てるものでない。
宰相は、ザイにはそんなものを負わせたくなかった。しかし、ザイはそれを負うのが当然だと考えていたらしい。宰相からすれば意外なことだった。
恵まれている、たしかにそうだ。しかし、あの子は与えられたものを全て大事にしようとする。
宰相の息子という立場も、侍従という地位も、そんなものがなくても、ザイはどこでも生きていける。それなのに宮に残ろうとする。
昔、官吏になりたいと言ったザイに、宰相は猛反対した。ザイを勘当までした宰相に、先帝は言った。
──ザイはね、私に仕えたいなんて言っているけれど、たしかにそれも本当なのだけれど、一番はお前を助けたいからだよ? それは認めてやらないといけないのではない?
それは、今思えば全くその通りだった。今はもう、宰相もザイのことを認めている。それでも。
宮に仕えるのが、宰相とは関係なく、今はザイ自身の願いとなっていたとしても。
「逃げろ、ザイ」
馬を駆って船で海を渡りどこまでも自由に。それはかつての宰相の夢でもあった。
自分が出来なかった事を息子に押し付けているだけなのかもしれない。
それでも、苦しげなザイを見るたびに、宰相はそう願わずにいられない。
※
宰相も帰っていった。中庭の剣戟は、まだ続きそうである。
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