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第二章

12 虫干しの向こう

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 ザイの記憶の中、翻る衣の向こうに女官の後ろ姿が見える。それは、姫の遊び相手の子供たちを世話してくれる女官だった。

 ザイが声を掛けると、振り向いて優しく手を繋いでくれるはずの彼女は、その日、振り向かなかった。

 立ち竦んで少し震えていて、悲しそうだった。

 ザイが駆け寄って、どうしたの? と聞くと、彼女は、ようやくザイがいたのに気付いたようだ。

「あら、ごめんなさい。ぼんやりしてしまいました」

 そうして手を繋いでくれた。それでも心ここにあらずといった風の女官を見ているうちに、ザイは気付く。女官の視線の先にカイルの背があった。

 幼心に、この女官さんはカイルさんが好きなんだろうなと思った。そして、カイルさんはこの女官さんを嫌いじゃないけど、特別好きというわけじゃないんだろうなと。

 片思いとか「しつれん」って言うんだ、そういうの。

 それは多分、当たっていたと思う。

 カイルは恋人は何人かいたが、結局、生涯伴侶を定めなかった。

 その師匠に倣うわけではない。


 昨晩は、父と遅くまで話すことになった。ザイと宰相の話はどうしても噛み合わなかった。

「父さんまで僕とセラをくっつけるつもり?」
「別に構わんだろう」
「だから、セラはね、いい子なんだよ。泣かしたくないよ僕は」
「そのうち泣かされるのはお前になるような気がする」
「どっちにしろ無理だよそれ」

 不毛な話はしばらく続き、ザイは話を打ち切る。

「ないよ。本当に」
「そうか」

 宰相は続ける。

「私も歳をとったから、孫の顔が見たくなったなあ」

「棒読みですよ父さん」

 そんな余裕ないでしょう、と冷たくザイが言うのに、宰相は全くその通りだなと言う。

 父とは育った環境が違う。当然、考え方も違うから意見が合わないのは仕方がないとは思うが、それ以上に、ザイが自分自身の気持ちを上手く説明できないのが、父と分かり合えない一番の原因だろう。

 それにしても、とやけに結婚を進める宰相にザイは違和感を覚える。

 理由を聞けば、宰相はあっさりと吐いた。

「皇妃さま方がセラ女官を殊の外気に入っておられるのだ。文官長に恨まれた上に、彼の方から不興を買うのもな」

 それで息子を売るわけだ、と悪びれずに言う宰相に、ザイはがっくりくる。

「でも仕方がないでしょう。皇妃さまならその辺りはご理解して下さるよ」

「ご理解して下さるからこそ、だ。なぜ第四王子に代わる人質をあちらに送ってから交渉しなかったと責められるな。そのご批判は甘んじてお受けするが、それにしても間の悪い」

 セラの婚約破棄も間が悪いが、皇妃様ご不在の折にこういうことがおこるのがな、と宰相はぼやく。

「というわけでだ、嫌なら全力で逃げろ侍従殿」

 逃げるなんて、と言いかけてザイは口をつぐむ。

 言い淀むザイをちらりと見た宰相であったが、宰相は何も言わなかった。もう休む、と言い、ザイを捨て置いて宰相は書斎を後にする。

 結局、ザイは昨晩は宰相邸で休む気になれず、宮に戻ったのだった。

 ※

 そうして一夜明け、翻る衣の向こうに女官の後ろ姿をザイは見つける。

 セラだった。

 官服に金の髪が映える。虫干しの色の渦の中でも輝いて見えるそれは、もう目にすることができなくなるかもしれない。

 そう考えると、ザイは取り返しのつかないことを自分がしでかしているような気がして、息苦しくなる。ザイは立ち竦む。

 やがて、セラはザイに気付かないままに立ち去った。

 もしも、セラが振り向いていたら、目が合っていたら、自分はどうしただろう。

 セラの前に立ち、瞳を見て。
 そして、──その後は?

 考えるザイは、考える先から思考がまとまらず解けていくのを感じる。

 ──もし、なんて考える時点で、それはもう、ない話だ。

 ザイは、ため息をつく。

 そうして、重い足取りでザイもその場を立ち去った。

 ※

 皇帝の元に向かおうとしたところ、ザイは筆頭が来るのに行き合った。

「ザイ、探したよ。ハイ、無いよりはましだと思って」

 慌てた様子の筆頭に、一振りの剣を押し付けられて、ザイはポカンとする。

「これ、何?」

「ごめんね、私は剣には詳しくないから近衛の皆さんに無理にお願いして貸してもらったんだ、けれど、ああ、いらっしゃった頑張って」

 そう言って筆頭が見る先にザイも目をやれば、皇帝がこちらへ向かってきている。

「よう、そこの色男。ちょっと付き合え」

 ──あれ? 僕の主人が何だかとてもキレていらっしゃる。

 大剣を肩に担いで、爽やかに微笑む皇帝を前に、ザイは背中にどっと汗をかいた。
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