24 / 119
第一章
20 護衛二日目の夜 知らせる(2/2)
しおりを挟む
「初めから」
王妃が屋上庭園での盗み聞きに憤慨するのに、皇帝は何食わぬ顔で答える。
こちらにもそれなりの術師がいるのでな、気配を隠すのは簡単だ、と。
「それはザイ様もご承知ですか?」
「いや」
皇帝は事も無げに言う。
「別にザイを試したわけではない。あなたにどんな誘いを受けようと、あれが、ああ答えるのは分りきっている」
「随分と信頼していらっしゃいますのね」
「当たり前だ」
「それなのに、この場には置かれないのは何故です?」
ザイを粗略にはせぬと言った皇帝の言葉を信じきれないらしい王妃に、皇帝は苦笑して言う。
「いや、ザイにしかできぬ用事ができたのだ。宰相が、シメたいなどと言ってきた」
「しめたい?」
「さて、私には何の事やら分からぬし、しかし、どうにも物騒なようだから、宰相邸にザイを宥めに遣わした」
明日の出立までには宮に戻るだろうが、と皇帝は態とらしくため息を吐く。
王妃は少し笑って、言う。
「宰相殿は相変わらずご子息にはお弱いのでしょうか」
「さて、傍目には逆に見えるのだから全く不思議な事だ。
どこぞの『姫』にもどうやら弱いらしいようだな。
まあ宰相が一番弱い相手と言えば細君だろうが、アレは同時に最強の守護者であるから」
はははと、乾いた笑いをこぼす皇帝に、王妃はふふ、と笑いながら尋ねる。
「わたくし、宰相邸には何度か伺ったことがございます。奥方様には大変可愛がって頂きました。奥方様はお元気ですか?」
「ああ、宮には滅多に参らぬがな。宰相邸が水も漏らさぬ守りであるのは細君の力。あなたも安心なさると良い」
第四王子は決して王妃に近づけさせない、そう言外に示す皇帝に、王妃は弱々しく言う。
「誠に、わたくしこのように安心した気分は久方ぶりの気が致します」
しばらく沈黙が落ちる。王国で綺麗に微笑む王妃の孤独を、皇帝は想像した。
そして一つ息をついて言う。
「あなたにお伝えしなければならないことがある」
「お父様のことですね?」
ひた、と王妃は皇帝を見据える。皇帝はその視線を受け止める。そしてそのまま言った。
「そうだ。あなたは知りたがっておられる」
「はい。わたくし、覚悟はしております」
「それはどのような覚悟か?」
「何事もこの胸一つに秘め、王国で帝国の神子として務めを果たす覚悟でございます。わたくしは嫁ぐ際に、お父様から既に遺言を頂きました。それで充分でございます。ただ」
そう言って王妃は皇帝の目を見る。
「ただ娘として、お父様の御最期を存じて置きたいのです。それだけでございます。陛下の侍従の方にお尋ねした無礼、何卒お許しくださいませ」
そう言って王妃がこうべを垂れる。それを痛ましげに皇帝は見て言う。
「あなたに不信を抱かせたのはこちらの不手際である。すまなかった」
頭をあげるように皇帝は王妃に言う。
そうして侍従筆頭に結界が万全であるかを確かめて、口を開いた。
「あなたのお父上は、御自ら毒を仰がれた」
王妃付きの女官が息を呑む音が、やけに大きく響く。
王妃は、普通の死でないことは予想していたのだろう、静かな声で皇帝に尋ねる。
「なぜ、そうだと分かるのですか?」
皇帝は長くなる、といって話し始めた。
※
代々帝国に仕え、表に出せぬ歴史も伝え聞く家系の侍医は、しきりに首をひねった。侍医がいくら調べても、先帝の体に毒の跡はなかった。
「後で分かるのだがな……、その毒は体に残らぬものでな、最初は本当に分からなかった。原因不明であるのと、戦況が芳しくないのとで、仕方なく秘すことになった。
戦争が終わり、ご病気であったと知らせたのはあなたも知っての通り。元々儚げな御容姿であったし、譲位後は表にはお出ましでなかったから、みな納得した。
しかし、それからしばらくして、カイルが私に申し出た」
先帝は毒を仰がれた。その毒を用意したのは自分であると。
「聞いたのは私、宰相、それにザイだ。
はじめは、誰も信じなかった。
よしんばカイルが先の陛下に毒を盛ったとしても、先の陛下ならどんな毒でもご自分で解毒なされよう。それに、先の陛下が毒を仰がれる理由もない」
王妃も頷く。
自分の望んだ者に望んだ形で譲位し、宰相に新帝への忠誠を誓わせ、あとは何の憂いも無かった筈だ。
「だが、カイルは言った。先の陛下はご自分が老いることを恐れておられた。いつかご自分が老いて判断を誤ることがあるかもしれぬ、その前に。それが、毒を仰がれた理由だと。
私はその理由に覚えがあった。紛れもなく先の陛下が、私に仰ったことと同じだったからだ。
何故こんなに早く俺のような若輩に帝位を譲ったのかと尋ねたら、先の陛下は『お祖父さまのようになりたくないから、早々とお前に押し付けるのだよ。老いて国を混乱させたくはない』と。
そうはならない、そんなことは俺がさせないと言ったのに」
ギリと奥歯を噛む皇帝は、目の前に先帝がいるかのように言い募る。
そうして一度目を閉じて、また話し始める。
「俺は、カイルが嘘を言っていないのを理解した。だがあいつは、ザイは信じない、と」
嘘だ、そんなことができるはずがない。毒なら、なんらかの痕跡が残るはず。それに気付かない侍医ではない、と。嫌だ、とも言った。
「ならば、証明する。そう言ってカイルは、その場で、ザイの前で毒を飲んだ」
「なんてこと」
王妃は声を震わせる。
「カイル様はなんて酷い事を」
いくさで名を挙げたザイが、この三年世間から遠ざかっていた理由を、王妃は察した。
王妃が屋上庭園での盗み聞きに憤慨するのに、皇帝は何食わぬ顔で答える。
こちらにもそれなりの術師がいるのでな、気配を隠すのは簡単だ、と。
「それはザイ様もご承知ですか?」
「いや」
皇帝は事も無げに言う。
「別にザイを試したわけではない。あなたにどんな誘いを受けようと、あれが、ああ答えるのは分りきっている」
「随分と信頼していらっしゃいますのね」
「当たり前だ」
「それなのに、この場には置かれないのは何故です?」
ザイを粗略にはせぬと言った皇帝の言葉を信じきれないらしい王妃に、皇帝は苦笑して言う。
「いや、ザイにしかできぬ用事ができたのだ。宰相が、シメたいなどと言ってきた」
「しめたい?」
「さて、私には何の事やら分からぬし、しかし、どうにも物騒なようだから、宰相邸にザイを宥めに遣わした」
明日の出立までには宮に戻るだろうが、と皇帝は態とらしくため息を吐く。
王妃は少し笑って、言う。
「宰相殿は相変わらずご子息にはお弱いのでしょうか」
「さて、傍目には逆に見えるのだから全く不思議な事だ。
どこぞの『姫』にもどうやら弱いらしいようだな。
まあ宰相が一番弱い相手と言えば細君だろうが、アレは同時に最強の守護者であるから」
はははと、乾いた笑いをこぼす皇帝に、王妃はふふ、と笑いながら尋ねる。
「わたくし、宰相邸には何度か伺ったことがございます。奥方様には大変可愛がって頂きました。奥方様はお元気ですか?」
「ああ、宮には滅多に参らぬがな。宰相邸が水も漏らさぬ守りであるのは細君の力。あなたも安心なさると良い」
第四王子は決して王妃に近づけさせない、そう言外に示す皇帝に、王妃は弱々しく言う。
「誠に、わたくしこのように安心した気分は久方ぶりの気が致します」
しばらく沈黙が落ちる。王国で綺麗に微笑む王妃の孤独を、皇帝は想像した。
そして一つ息をついて言う。
「あなたにお伝えしなければならないことがある」
「お父様のことですね?」
ひた、と王妃は皇帝を見据える。皇帝はその視線を受け止める。そしてそのまま言った。
「そうだ。あなたは知りたがっておられる」
「はい。わたくし、覚悟はしております」
「それはどのような覚悟か?」
「何事もこの胸一つに秘め、王国で帝国の神子として務めを果たす覚悟でございます。わたくしは嫁ぐ際に、お父様から既に遺言を頂きました。それで充分でございます。ただ」
そう言って王妃は皇帝の目を見る。
「ただ娘として、お父様の御最期を存じて置きたいのです。それだけでございます。陛下の侍従の方にお尋ねした無礼、何卒お許しくださいませ」
そう言って王妃がこうべを垂れる。それを痛ましげに皇帝は見て言う。
「あなたに不信を抱かせたのはこちらの不手際である。すまなかった」
頭をあげるように皇帝は王妃に言う。
そうして侍従筆頭に結界が万全であるかを確かめて、口を開いた。
「あなたのお父上は、御自ら毒を仰がれた」
王妃付きの女官が息を呑む音が、やけに大きく響く。
王妃は、普通の死でないことは予想していたのだろう、静かな声で皇帝に尋ねる。
「なぜ、そうだと分かるのですか?」
皇帝は長くなる、といって話し始めた。
※
代々帝国に仕え、表に出せぬ歴史も伝え聞く家系の侍医は、しきりに首をひねった。侍医がいくら調べても、先帝の体に毒の跡はなかった。
「後で分かるのだがな……、その毒は体に残らぬものでな、最初は本当に分からなかった。原因不明であるのと、戦況が芳しくないのとで、仕方なく秘すことになった。
戦争が終わり、ご病気であったと知らせたのはあなたも知っての通り。元々儚げな御容姿であったし、譲位後は表にはお出ましでなかったから、みな納得した。
しかし、それからしばらくして、カイルが私に申し出た」
先帝は毒を仰がれた。その毒を用意したのは自分であると。
「聞いたのは私、宰相、それにザイだ。
はじめは、誰も信じなかった。
よしんばカイルが先の陛下に毒を盛ったとしても、先の陛下ならどんな毒でもご自分で解毒なされよう。それに、先の陛下が毒を仰がれる理由もない」
王妃も頷く。
自分の望んだ者に望んだ形で譲位し、宰相に新帝への忠誠を誓わせ、あとは何の憂いも無かった筈だ。
「だが、カイルは言った。先の陛下はご自分が老いることを恐れておられた。いつかご自分が老いて判断を誤ることがあるかもしれぬ、その前に。それが、毒を仰がれた理由だと。
私はその理由に覚えがあった。紛れもなく先の陛下が、私に仰ったことと同じだったからだ。
何故こんなに早く俺のような若輩に帝位を譲ったのかと尋ねたら、先の陛下は『お祖父さまのようになりたくないから、早々とお前に押し付けるのだよ。老いて国を混乱させたくはない』と。
そうはならない、そんなことは俺がさせないと言ったのに」
ギリと奥歯を噛む皇帝は、目の前に先帝がいるかのように言い募る。
そうして一度目を閉じて、また話し始める。
「俺は、カイルが嘘を言っていないのを理解した。だがあいつは、ザイは信じない、と」
嘘だ、そんなことができるはずがない。毒なら、なんらかの痕跡が残るはず。それに気付かない侍医ではない、と。嫌だ、とも言った。
「ならば、証明する。そう言ってカイルは、その場で、ザイの前で毒を飲んだ」
「なんてこと」
王妃は声を震わせる。
「カイル様はなんて酷い事を」
いくさで名を挙げたザイが、この三年世間から遠ざかっていた理由を、王妃は察した。
0
お気に入りに追加
144
あなたにおすすめの小説
宰相さんちの犬はちょっと大きい
すみよし
恋愛
最近親しくなった同僚が言いました。
「僕んち、遊びに来る?」
犬飼っててねー、と言うのを聞いて、行くって言いかけて、ふと思い出しました。
──君ん家って、天下の宰相邸、ですよね?
同僚の家に犬を見に行ったら、砂を吐きそうになった話。
宰相さんちの犬たちはちょっと大きくてちょっと変わっている普通の犬だそうです。
※
はじめまして、すみよしといいます。
よろしくお願いします。
※
以下はそれぞれ独立した話として読めますが、よかったら合わせてお楽しみください。
・「宰相さんちの犬はちょっと大きい─契約編─」
:若い頃の宰相夫人シファと、シロたちの契約の話。「元皇女が出戻りしたら…」の生前のカイルもチラッと出ます。
・【本編】「元皇女が出戻りしたら、僕が婚約者候補になるそうです」
:ザイが主人公。侍従筆頭になったトランや、宰相夫妻も出ます。
※
カクヨム投稿は削除しました(2024/06)
ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした
瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。
家も取り押さえられ、帰る場所もない。
まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。
…そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。
ヤクザの若頭でした。
*この話はフィクションです
現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます
ツッコミたくてイラつく人はお帰りください
またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*
どうして私にこだわるんですか!?
風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。
それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから!
婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。
え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!?
おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。
※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。
宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。
airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。
どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。
2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。
ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。
あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて…
あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる