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第二章

11 虫干し

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 北の宮の回廊に、色とりどりの衣装がゆれる。

「良い眺め!」

 全ての衣装を干し終えた女官とお針子たちが笑い合う。

「皆さまお疲れ様です。
 早めのお三時をいただきましたら、また、一斉に取り入れましょう。
 それまでは、ご自由になさってもよろしいと女官長さまからお許し頂いております。
 皆さま! ごゆるりと」

 セラが言うのに、皆がほっと一息つく。それぞれ控えに戻っていく衣装方たちを見ながら、セラも一息つく。

 あー、ここで一杯飲み干せればいいのに。女官にあるまじきことを考えるセラである。

 それでなくっても今日は飲みたい。潰れるほどに飲みたい。いや、明日があるから飲まないけど。

 そんなセラは、ザイの使う装束が嫌でも目に入る。

 その昔、禁忌の飾り紐を忍ばせたお針子の気持ちが、今は少し分かるかも、とセラは思う。

 恋て希いて待ちわびて、気にかけて欲しくて。

 それは、なんて自己中心的で迷惑で恥知らずで押し付けがましい想いだろう。

 そんな風に言うのは簡単だけれど、セラはそのお針子が今目の前にいたら、抱きしめてやりたいと思う。一緒に泣きたいと思う。

 辛い、苦しい、悲しい。──虚しい。

 侍従とは何とも厄介である。特権を与えられ、時に皇帝の名代も務めることもできる彼らは、国内どころか他の国々も自由に渡り歩き、ひとところには留まらない。ましてやザイは、荒事も請け負う侍従である。

 セラの手に負える人間ではない、そう言ったのは父である。宮の表も裏も知る文官の長は、セラに諦めるように言って聞かせた。

 セラは知らなかったが、父の護衛に着いた時だけでも、ザイは七人を討ち取っている。眼前で仲間を殺された八人目は、抵抗することなく、その場で全てを吐いたという。

 そういった冷酷な判断を下し実行できる人間だ。それを詰る気は、彼に命を助けられた私には無い。だが、娘のお前をやれるかと言われれば、否だ、と。

 そこまで言われても、セラはザイを諦めなかった。よく分かっていなかったのである。

 宮でのザイは気のいい青年で、少しだらしないところもある。それが、侍従装束をまとわせれば、途端に凛と美しくなる。それを見るのがセラは好きだった。

 だが、三年前、戦から帰ったザイは全く様子が違う別人であった。

 人のいい笑顔は消え、ただ眼だけが鋭い。宮に入る前に身を清めたはずなのに、ザイの周りだけ血臭が漂う気がした。

 迎えた女官たちが怯えたのが伝わったのだろう、ザイは、すぐにいつもの笑顔を浮かべてみせた。

 それに安心したセラであったが、唐突に気づく。

 ──この人は笑顔を纏える人だ。

 女官のセラは笑顔を浮かべることの大切さを知っている。宮に仕える者の義務であるとさえ思う。

 ただザイは違う、と思い込んでいた。

 彼は宮にあっても心からの笑顔で笑う人だった。小さな頃から宮に出入りし、先帝に愛され、侍従となった。古参のお針子たちは皆、ザイのことを息子や孫のように言う。その話を聞くのもセラは好きだった。

 父を守ってくれた、「強くて優しいザイ」は、ますますセラの中で大きくなっていったが、それは彼のほんの一面。

 冷酷な判断を下せる侍従としての側面も、セラは女官として務めるうちに知ることになる。

 彼が女官やお針子までの名前を全て覚えているのは、宮の女たちの動きを見張っているからだ。

 例えば昨日のように、周りに聞こえるのを承知で、出し抜けに禁忌の飾り紐を忍ばせたお針子の話をする。

 冗談だ、と言うが、何事か企む、あるいは秘密を抱える女官には、その冗談はどう聞こえるだろうか?

 その話を耳にして動揺する者はいないか、不審な動きをする者はいないか、彼は気配を探っているのだ。

 それが必要なことだと理解はしている。侍従としての仕事だ。そしてその仕事のうちに、文官長の娘であるセラの行動も観察されている。

 自分の気持ちなど、とうに知れているだろう。そしてそれに対して何も言わないことこそがザイの返答だ。

 気持ちはない。

 だが、命令とあれば、ザイはセラと結婚するだろう。そしてセラと穏やかな家庭を築く筈だ。

 女官として宮に上がる前なら、それを幸せと思っただろうセラである。しかし、今はとてもそう思えない。

 おもう人がいるのか、それとも人をおもう人ではないのか、それはわからない。ただわかるのは、ザイの心はここにはないということだ。

 少なくとも、自分には向けられていない。

 色鮮やかな虫干しの風景が、セラの目の中で滲んでぼやけていく。ザイの衣装も、もう、どれか判らない。

 目を瞬かせてそれを消すと、セラは自分の控えに戻った。
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