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閑話 先帝の崩御

01 月のない夜のこと

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 砂だった。
 ザイに手渡されたのは、砂だった。

 ※

 先帝の崩御の報に慌てて帰国したザイは、すぐに奥の宮のカイルの控えに呼ばれた。

 奥の宮は不気味なほどに静まり返る。

 深夜であるのに官吏・武官が行き交い、戦に沸き立つ表の宮とは対照的だ。やけに大きく聞こえる衣擦れの音は、ザイを妙な焦燥に駆り立てた。

「帰ったか」

 驚いたことに、ザイを一番に出迎えたのは父の宰相だった。宰相は面やつれしていたが、ザイを見ると、少しホッとしたようだ。しかし、表情は厳しい。

「はい。ただ今帰りました」

 そう答えるザイの胸を不安が突き上げる。

 先帝侍従の控えになぜ、宰相の父がいる? カイルさんは?

「ザイ、よく無事で戻りましたね」

 声のした方を|《》見ると、控えの奥で、カイルが椅子に掛けていた。

「カイルさん?」

 おそらく眠っていないのだろう、憔悴しきって落ち窪んだカイルの目に、しかし光は失われていないのを見て、近づいたザイは一息つく。

「ザイ、お前も前戦に出てもらう。直ぐに発って陛下をお助けせよ。だが、その前に頼みがある」

 宰相が口早に言うのに、ザイは不思議に思う。

 頼み? この有事に? 命令ではなく?

 宰相が、カイルを見る。するとカイルは椅子から立ち上がり、懐から一つの袋を取り出した。そうして、ザイに跪くように言う。ザイがそうするとカイルは、言った。

「ザイ、先の陛下のご遺言です。あなたの手で、先の陛下のご遺灰を海へ。先の陛下の姫が、神子として嫁いだ王国へと続く海へ。あなたの手で」

 渡されるままに受け取ったザイは、信じられない思いでそれを見る。

「どういう、ことですか?」

「ザイ、時間がない」

「父さん、これはどういうこと」

 急かす宰相に、ザイは食い下がる。黙る宰相の代わりにカイルが言う。

「これは先の陛下が叶うなら、とおっしゃっていたことです。確かに代々の皇帝は宮の廟で眠りにつかれます。しかし、先の陛下はすでに位を退かれておりました。今上に申し上げましたところ、今上も生前、先の陛下からその話はされたことがある、それでかまわぬと。廟の柩には先の陛下の剣のみ納めてあります」

「そんな」

 最後に一目、お会いしたかった。お言葉を掛けて頂けずとも、お顔を見せていただきたかった。お隠れになったなんて嘘だと思いながら帰国したザイは、事態が上手く飲み込めない。

 淡々と諭すように語る師の言葉が、ザイは分からない。

 カイルは続ける。

「ここ北の宮が帝国でもっとも重んじられるのは、代々の皇帝の廟を擁するからこそ。いくら退位なされていたと言っても、皇帝であった方の散骨は帝国では例がありません。そこが聖地となってはならないからです。しかも異国に続く海へなど。反対する者もいるでしょう。いいえ、まず許されません。今上陛下も、初めは迷っておられるようでした。

 しかし、私は先の陛下のご希望通りにしたい。この混乱時だからこそできることです。

 ザイ、今この時のあなたにしか頼めません。どうかお願いします」

 最後の対面も叶わず、それが、いきなりこんなかたちで先帝の最期に立ち会うことになろうとは。

 先の陛下は、もう、本当に、──いない。

 ようやくザイはもうどうしようもないことを理解する。

 遺灰を抱きしめて、と言うよりは縋るように抱えるザイは、崩折れても、歯を食いしばって嗚咽を耐える。

「ザイ」

 顔を上げるようにカイルが言うのに、ザイはようようカイルを見上げる。

「私は、宮を守るようにと今上陛下から仰せつかりました。
 私はここから動けません。

 ザイ。

 私の代わりに、私の弟子のあなたに、お願いしますね」

 柔らかく笑うカイルはやつれていてもいつもの表情だ。ザイは何でこんな時にカイルは微笑むことができるのか、どうして自分はこんなに弱いのか、と悲しくなる。

「ザイ、第二陣が出る前の今、お前は行け。そうすれば人目につかない。お前の足なら陛下に追いつけるだろう」

 宰相がザイの背中に手をやる。温かいそれに、痛いほどの気遣いを感じて、ザイはいっそう泣きたくなる。それでも、分かったと言って立ち上がる。

 袋を懐に大事にしまう。

「頼む」

「お気をつけて」

 戦である。国境の海に密かに散骨するのであれば、ザイは一人で戦場を突っ切ることになる。今生の別れにもなるかもしれないこの時に、宰相もカイルもあえて何も言わない。

 ザイの帰還を信じる父と師に、ザイも無言で礼を返し、直ぐに宮を出た。
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