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第二章

01 「ちょっと」のことこそ、上限は決めておく

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「終わったあぁー…」

 たった二日間にも満たない護衛が、こんなにも長いと思ったのは初めてだ。

 王妃が帰った後のこれからの方がやることは増えそうだが、とりあえず一息つきたい。

 王妃の見送りのために着た正装を脱いだままに、ザイは寝台に突っ伏した。

 どれくらいたっただろうか。ふと気付くと、遠慮がちにザイの控えの扉を叩く音がする。

 仕方なく起き上がってそれなりに身繕いしたザイが入室を許可すると、入ってきたのは侍従見習いだ。

 お疲れのところ申し訳ありませんが、とすまなさそうにザイに言う。

「ザイ様、お衣装を預かりに参りました」
「はい。そうでした……」

 ザイは正装を脱ぎ散らかしたのを後悔する。

「呼ぶのを忘れてた上に悪いんだけど、畳むの手伝ってくれる?」
「はい、もちろん」

 げっそりと言うザイに笑いながら、見習いはザイの衣装を畳み始める。

「こちらへ参る途中にセラ女官とお会いしたのですが、ザイ様に申し上げたいことがおありと伺いました。お手隙の時でよろしいのでお時間頂きたいそうです」
「え、なんだろう? また衣装ほつれさせたかな?」

 ザイは役目柄激しく動くこともあり、侍従装束を傷めてしまうことがよくある。その度に、お針子をまとめる女官のセラに睨まれるのだ。

 心当たりはないが、早く片付けておこう。そう思ったザイは見習いと一緒に正装を返しに行った。

 北の宮の庫の前は、お針子たちが忙しく立ち働いていた。北の宮に仕える者の正装の装束は、ここで厳重に管理されている。

 衣装を点検し異常がないか確認し、必要な処置を施して庫へ返す。明日は晴れるらしいから、宮のあちこちに虫干しの色とりどりの装束が並ぶことだろう。それは、儀式のたびに見られる、ザイの好きな北の宮の風景だ。

「あら、ザイ様」
「まあ、ザイ様、わざわざお運びくださったの?」

 次々と声をかけられるが、彼女たちはこちらに笑顔を向けつつ、手を止めない。いつもながらすごい技だとザイは感心する。

「レティさん、アリーナさん、セラ女官はどちらに?」

 見習いと二人で装束を渡しながらザイが聞くのに、お針子二人が答える。

「セラ様なら、庫の奥ですわ」
「もうすぐ庫を締めますので、他の女官様方と最後の点検をなさっておいでです」
「ありがとう、叱られてきます」
「まあ、大変!」

 周りのお針子たちもどっと笑うのに、行ってきます、とザイも笑って、庫の奥を目指す。

「いつも思うのですが、ザイ様はどうやってみなさんのお名前を覚えておいでですか?」

 後をついてくる見習いが感心して聞くのに、ザイは笑って言う。

「僕はちっちゃい頃からこちらにはよく出入りしていたからね、自然に覚えたかなあ」
「さようですか。私はお針子さんまではなかなか覚えられなくて」

肩を落とす見習いに、ザイは教える。

「少しずつ覚えていけばいいよ。僕らがお勤めに専念できるのは彼女たちのおかげだからね。毎回あの衣装を一から揃えるとなると、僕らじゃ大変だよ」

「そうですね、毎回となると本当に」

「まあ、名前呼び間違えて、意趣返しに装束に禁忌の飾り紐紛れ込まされてて、気付かずに儀式に出て大臣の皆様に騒がれるかも、って思えば覚えられるよ」

「……心して覚えます」

 見習いがゴクリと唾を飲むのがおかしくてザイは冗談だよ、と笑う。

「何脅かしてらっしゃるのかしら」

 庫の奥から呆れたような声がかかる。そして女官の官服に金の髪を結い上げたセラが現れた。

「昔あったって聞いてるよ?」
「ええ、私の生まれる前のことだそうよ。それから、女官お針子一同再発防止に努めているところでございます!」

 セラが腕を組んで、怒ったように言い、しかし渋い顔をして言う。

「努めてはいるんだけど。わざとじゃない単純な失敗だってないとは限らないわ。侍従の皆様方にもご注意頂ければ幸いでございます」
「承りました」

 いつもお世話になります、と、ザイが言うのに、セラも笑う。侍従見習いはザイの話が嘘でなかったことに驚いていたため、若干笑顔がぎこちなかった。

「僕に話があるって聞いたんだけど、また、やってしまってた?」
「ああ、それで急いでいらっしゃったのね。違います、今日はお礼を申し上げたかったの」

 話している間も次々と出入りする女官たちを差配しながら、セラは言う。

「昨日、陛下が、使う装束を増やして下さったでしょう? お衣装って袖を通さないでいても傷んでしまうから、適度に着て干さないといけないの。だから凄く助かったわ。着付けのみんなが、侍従様方のお陰だって言うから挨拶に行ったら、あなたの口添えだって筆頭様から伺ったわ」
「ああ、それか。たしかに申し上げたのは僕だけど、でもそれは筆頭がやけにお衣装を抱えてたから思い当たったんだよ。陛下を追っかけつつだったから大変だったと思うよ」

 ザイが言うのに、まあ、とセラは驚く。

「筆頭様ったら全くそんなこと仰らなかったわ」
「彼らしいね」
「本当ね」

 筆頭様には改めてお礼を申し上げに参りますとセラはクスクス笑った。

「ごめん、忙しいところ邪魔しちゃったね」
「いいえ。もう終わるもの。わざわざありがとう。でも次はもう少し早くお衣装を見習いの方に預けてくださいな」
「はい。気をつけます」

 お詫びに何かしようかと言うザイに、じゃあ、とセラは思案する。

「あなた、今から時間ある?」
「それって長い?」
「それなりに」

 庫を締め、鍵の点検をしながらセラが言う。ザイは侍従見習いに確認して言う。

「一時間くらいなら」
「あー、それじゃ足りないかもだけどお願いするわ」

鍵をしまって、お針子たちを返し、他の女官たちにいくつか指示を出す。全てを終えて解散を告げて、 セラは言う。

「ちょっと話を聞いて欲しいの」

 にっこり笑うセラの目が笑ってない。

 きっかり一時間だけね! と念押ししたザイは、日頃世話をかけている女官の愚痴に付き合うことになった。巻き込まれた見習い君は「ちょっと」が「少し」や「軽く」を意味しないと言うことを、この後学んだ。

※─────────────
陛下が、装束を増やした話
 →第一章 10話「お支度」
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