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第一章
28 出立
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王妃が王国へ戻る日である。
宮の正門は目にも鮮やかな色彩にあふれていた。皇帝を始め正装に身を包んだ宮の者たちが整然と並び、王妃の見送りに出ている。
王国の戴冠式よりも壮大で華やかな光景は、帝国の勢いを示すもの。
そして、王妃を帝国の神子たらしめようとする皇帝の確かな意思を、各国の間諜たちに見せつけるものだった。
ザイは王妃の護衛を解かれ、今は皇帝の後ろに控えている。
結局、ザイが王妃と話したのは、昨夕の屋上庭園が最後となった。もう、あのように二人きりで言葉を交わすことはない。
今回の訪問まで王妃のことなどすっぽり忘れていたのに、これから先はずっと気にかかるのだろうと思うと、ザイは不思議な気がした。
先帝とカイルの死はザイの人生と考え方を大きく変えたが、おそらく、王妃に関してもそうだろう。
彼らの非業の死がなければ、ザイは王妃と何度言葉を交わそうが、「姫」を忘れたままだったに違いない。
果たしてザイは「姫」を思い出し、王妃を忘れられなくなった。
──もし、帝国を追われることがあるなら。
ザイの孤独を、王妃は的確に言い当てた。
先帝の崩御の真相を求めた時のようなあの真剣な目とザイが向き合うことは、この先、かなわない。それが、残念なような、ほっとしたような、寂しいような……、ザイは、まだ整理がつかない。
たった二日で自分の身に起こった変化を、ザイは不思議に思っていた。
人の出会いと別れなど、そんなものかも知れない。自分の力が及ばぬことで悩んでも仕方がない。そうザイは言い聞かせて、王妃を見た。
王妃は皇帝を始め、皇族、また宮の主だった者と対面し、一人一人と別れの挨拶を交わしている。
今生の別れとなる者も多い。おそらく、宰相もその中の一人である。
「まあ、宰相殿、今日はおやつれでしてよ」
王妃が笑って言う。
「お身体を損なっては、私が悲しゅうございます」
「お言葉もったいなく存じます」
宰相はいつもの無表情で答え、そして、ほんの少しだけ微笑んで言った。
「王妃様も、幾久しくお健やかであられますよう」
今朝の内にも第四王子のおもてなしをした宰相は、今度は「いっそ海に浮かべたい」などと言い出し、皇帝を困らせた。
わが娘の事のように王妃を心配する宰相に、王妃が笑顔になる。それは、ザイが見た中で一番、記憶の中の『姫』らしい笑顔だった。
カイルに守られ、安心しきって身分も忘れ、転がりまわって皆で遊んだ子どものころの風景と、高揚した気持ちが、ザイの胸の中に広がった。
「はい。宰相殿もどうかお元気で。奥方様にもよろしくお伝え下さい」
今日の広がる晴天のような王妃の笑顔に、ザイはお元気で、と心の中で呟いた。
※
最後に、皇帝と王妃が向かい合う。
「滞在中はさまざまにお心遣いをいただきありがとうございました。私はこれより王国へ戻りますが、帝国の神子として、より役目に励みたいと存じます」
「両国の和平はあなたあってのもの。あなたとあなたのお父上に恥じぬよう、私もより一層努めよう」
そうして、出立の準備が整った。王妃の手を取り、皇帝が行列に王妃を送る。帝国の臣下たちから離れたところで、皇帝が王妃に囁く。
「あなたなら守ることができるだろうか?」
王妃が訝しげに皇帝を見るが、皇帝は素知らぬ風である。王国の行列からもまだ離れているため、周りには気づかれていないようだ。
「もしもだ、あなたが心配するようなことが起こったなら、だ」
何を、とも、誰を、とも言わないが、屋上庭園で王妃が口にしたことであろう。
王妃は笑みをこぼす。扇をはらりと開いて皇帝に笑顔を向ける様は、傍目には和やかに談笑しているように見える。
「お父様と言い、あなた様と言い、まだ起こってもいないことを早々と心配なさるのは、女の浅知恵では及びもつかぬことです」
皇帝も爽やかに笑う。
「言ってろ言ってろ。せいぜい初恋の君に怖がられないといいな」
それに王妃は、本当にお父様は何故あなた様をお選びになったのかしら、と憮然として言い、皇帝を見据えた。そして、天上の女神もかくやという美しさで微笑んで見せる。それに皇帝は口の端を吊り上げた。
王妃は皇帝に宣言する。
「あなた様に負けぬほど、守ってみせます」
国だろうが、人だろうが。そう言って扇を閉じた加護と繁栄を司る帝国の神子は、皇帝に最上の礼をとる。
「皇帝陛下。あなた様がご誠意を尽くしてくださったことは、わたくし、決して忘れはいたしません」
「神子よ。私もあなたが私の意志を正しく受け取ってくれたことに心からの感謝を。生涯忘れぬだろう」
皇帝が言うのにわずかに王妃は頷く。礼をしたまま王妃は一歩下がり、確かな恭順の意を示した。
それが済むと王妃は王国の者たちに目をやる。迎えに来た王国の女官にかしずかれながら、王妃は行列へとすすむ。皇帝も迎えに来た侍従筆頭の先導で元の場に戻る。
「ご出立!」
王国騎兵の声も高らかに、王妃の行列は王国へと進み出す。
澄み切った青空は、迷いなき王妃の心を示すようで、皇帝には眩しすぎる。
それでも天に向かって皇帝は祈る。
共に幾久しく長からんことを。
──祈るのは、それが果たせないことを知っておるからだ。
昔聞いた言葉が這い出てくるのを心の隅に押しやりながら、皇帝は王妃の行列を見送った。
《第一章終わり。閑話を挟んで第二章》
宮の正門は目にも鮮やかな色彩にあふれていた。皇帝を始め正装に身を包んだ宮の者たちが整然と並び、王妃の見送りに出ている。
王国の戴冠式よりも壮大で華やかな光景は、帝国の勢いを示すもの。
そして、王妃を帝国の神子たらしめようとする皇帝の確かな意思を、各国の間諜たちに見せつけるものだった。
ザイは王妃の護衛を解かれ、今は皇帝の後ろに控えている。
結局、ザイが王妃と話したのは、昨夕の屋上庭園が最後となった。もう、あのように二人きりで言葉を交わすことはない。
今回の訪問まで王妃のことなどすっぽり忘れていたのに、これから先はずっと気にかかるのだろうと思うと、ザイは不思議な気がした。
先帝とカイルの死はザイの人生と考え方を大きく変えたが、おそらく、王妃に関してもそうだろう。
彼らの非業の死がなければ、ザイは王妃と何度言葉を交わそうが、「姫」を忘れたままだったに違いない。
果たしてザイは「姫」を思い出し、王妃を忘れられなくなった。
──もし、帝国を追われることがあるなら。
ザイの孤独を、王妃は的確に言い当てた。
先帝の崩御の真相を求めた時のようなあの真剣な目とザイが向き合うことは、この先、かなわない。それが、残念なような、ほっとしたような、寂しいような……、ザイは、まだ整理がつかない。
たった二日で自分の身に起こった変化を、ザイは不思議に思っていた。
人の出会いと別れなど、そんなものかも知れない。自分の力が及ばぬことで悩んでも仕方がない。そうザイは言い聞かせて、王妃を見た。
王妃は皇帝を始め、皇族、また宮の主だった者と対面し、一人一人と別れの挨拶を交わしている。
今生の別れとなる者も多い。おそらく、宰相もその中の一人である。
「まあ、宰相殿、今日はおやつれでしてよ」
王妃が笑って言う。
「お身体を損なっては、私が悲しゅうございます」
「お言葉もったいなく存じます」
宰相はいつもの無表情で答え、そして、ほんの少しだけ微笑んで言った。
「王妃様も、幾久しくお健やかであられますよう」
今朝の内にも第四王子のおもてなしをした宰相は、今度は「いっそ海に浮かべたい」などと言い出し、皇帝を困らせた。
わが娘の事のように王妃を心配する宰相に、王妃が笑顔になる。それは、ザイが見た中で一番、記憶の中の『姫』らしい笑顔だった。
カイルに守られ、安心しきって身分も忘れ、転がりまわって皆で遊んだ子どものころの風景と、高揚した気持ちが、ザイの胸の中に広がった。
「はい。宰相殿もどうかお元気で。奥方様にもよろしくお伝え下さい」
今日の広がる晴天のような王妃の笑顔に、ザイはお元気で、と心の中で呟いた。
※
最後に、皇帝と王妃が向かい合う。
「滞在中はさまざまにお心遣いをいただきありがとうございました。私はこれより王国へ戻りますが、帝国の神子として、より役目に励みたいと存じます」
「両国の和平はあなたあってのもの。あなたとあなたのお父上に恥じぬよう、私もより一層努めよう」
そうして、出立の準備が整った。王妃の手を取り、皇帝が行列に王妃を送る。帝国の臣下たちから離れたところで、皇帝が王妃に囁く。
「あなたなら守ることができるだろうか?」
王妃が訝しげに皇帝を見るが、皇帝は素知らぬ風である。王国の行列からもまだ離れているため、周りには気づかれていないようだ。
「もしもだ、あなたが心配するようなことが起こったなら、だ」
何を、とも、誰を、とも言わないが、屋上庭園で王妃が口にしたことであろう。
王妃は笑みをこぼす。扇をはらりと開いて皇帝に笑顔を向ける様は、傍目には和やかに談笑しているように見える。
「お父様と言い、あなた様と言い、まだ起こってもいないことを早々と心配なさるのは、女の浅知恵では及びもつかぬことです」
皇帝も爽やかに笑う。
「言ってろ言ってろ。せいぜい初恋の君に怖がられないといいな」
それに王妃は、本当にお父様は何故あなた様をお選びになったのかしら、と憮然として言い、皇帝を見据えた。そして、天上の女神もかくやという美しさで微笑んで見せる。それに皇帝は口の端を吊り上げた。
王妃は皇帝に宣言する。
「あなた様に負けぬほど、守ってみせます」
国だろうが、人だろうが。そう言って扇を閉じた加護と繁栄を司る帝国の神子は、皇帝に最上の礼をとる。
「皇帝陛下。あなた様がご誠意を尽くしてくださったことは、わたくし、決して忘れはいたしません」
「神子よ。私もあなたが私の意志を正しく受け取ってくれたことに心からの感謝を。生涯忘れぬだろう」
皇帝が言うのにわずかに王妃は頷く。礼をしたまま王妃は一歩下がり、確かな恭順の意を示した。
それが済むと王妃は王国の者たちに目をやる。迎えに来た王国の女官にかしずかれながら、王妃は行列へとすすむ。皇帝も迎えに来た侍従筆頭の先導で元の場に戻る。
「ご出立!」
王国騎兵の声も高らかに、王妃の行列は王国へと進み出す。
澄み切った青空は、迷いなき王妃の心を示すようで、皇帝には眩しすぎる。
それでも天に向かって皇帝は祈る。
共に幾久しく長からんことを。
──祈るのは、それが果たせないことを知っておるからだ。
昔聞いた言葉が這い出てくるのを心の隅に押しやりながら、皇帝は王妃の行列を見送った。
《第一章終わり。閑話を挟んで第二章》
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