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第一章

21 彼の遠い道 ※暴力・残酷描写あり

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 「陛下。文句が山程もおありでしょうが、後はお任せします。どうぞ、ご自由に。あなた様の御代の長からんことを」

 そう言って倒れたカイルに、皇帝はすぐさま解毒の術をかける。だが、どうしたことか効く様子がない。よく見ればカイルが結界を張っている。

 皇帝は激昂する。

 ふざけるな! と叫ぶ。このまま死ねると思うな! とも。

 ザイは、カイルに駆け寄ろうとして、結界に弾かれる。下手に結界を壊せば、中のカイルは死ぬ。これではおいそれと手が出せない。

 術師である筆頭はカイルによって宮から遠ざけられていた。

 宰相は、すぐさま宰相邸に使いを飛ばす。異変に駆けつけた近衛に、皇帝が厳重な人払いを命じ、侍医を呼びにやる。

 カイルは目に見えて弱っていく。

 ザイはあらゆる知恵──カイルに授けられた知恵で結界の突破を試みる。ザイの干渉にカイルの結界が返す攻撃を皇帝が魔法で潰し、ザイを支援する。

 一つ、二つと時間はかかるが、結界がザイによって解かれていく。

 やがて宰相夫人が駆けつけた。しかし、カイルの結界を一目見るなり夫人は愕然として膝をつく。驚いたザイが叫ぶ。

「母さん⁉︎ 母さんなら解けるでしょう⁉︎」

 帝国一の結界術師が震えている。皇帝も、ザイや宰相でさえも見たことがない夫人の狼狽した様子に、皆は突き落とされたような感覚になる。

兄弟子にいさま、これは兄弟子さま以外、誰にも……」

 そう言いながらも、宰相に促され、夫人は解除に取り掛かる。

 夫人により、さらに結界が二つが解かれた。
 攻撃の結界が全て解け、ザイがカイルを抱き起す。そして再び解毒の術をかけるが、効かない。
 最後の一つ、一切の魔法も術も呪も無効にするらしい特殊な結界が解けないからだ。

 このときのために、だろうか? カイルが唯一ザイにも宰相夫人にも伝えなかったわざなのだろう。

 時間だけが虚しく過ぎる。
 宰相が無理に毒を吐かせようとしても、数日飲み食いをしていないらしいカイルの口からは胃液がわずかに溢れるだけ。駆けつけた侍医の処置も薬も解毒剤も効かず、最後の手段として皇帝だけが持つことを許されている宮の解毒剤を飲ませるが、やはり効かない。

 何事かを察した侍医は、カイル、お前は、と呟き、その場にへたり込む。

 兄弟子にいさま、兄弟子さま。
 私のただ一人のにいさま。

 かすれる声で言いながら、夫人がカイルに手を伸ばす。

「兄弟子さま、どうか逝かないで下さいまし。にいさまは何を望まれたのですか」

 震える手で、夫人は自分の袖が汚れるのも構わず、せめてもと吐瀉物に汚れたカイルの口元を拭う。

 ザイは夫人に代わり、結界を解こうとし、同時にカイルに解毒の術をかけ続けるが、全く効く様子がない。

 皇帝は、ままならぬ状況に歯噛みする。カイルにしてやられた。

 カイルが命に代えても守りたいものがあるとすれば、それは彼の唯一の家族といえた妹弟子の宰相夫人であろう。
 このまま死ぬのならお前のいもうとを殺す。そう言っても、それはカイルにとって脅しにならない。

 皇帝を支える宰相の夫人を害せば、たちまち人心は皇帝を離れることを、カイルは知っている。

「カイルさん!」

 力尽きた夫人を支えながら宰相がカイルに呼びかける。カイルをこのまま逝かせまいとする宰相の声は、もう怒鳴り声となっていた。

 それに、カイルがうっすらと目を開けた。

「おや、シファ?」

 涙を流すザイの母を見てカイルが笑う。

「宰相殿、シファを泣かせないで下さい」
「何をこんな時にまであなたはっ! 私だってこんなことは!」

 宰相が本気で怒って言うのを、カイルがいつもの調子で笑う。そして言う。

「シファ。宰相殿、シファを頼みます」

ザイ。

 カイルが囁くような声でザイを呼んで、何かを言った。

 その声は消え入りそうなほど小さく、皇帝までは聞こえなかった。しかしその言葉は、ザイをしたたかに打ち据えたらしい。

 ザイは息をするのも忘れたように、ただカイルを見つめて微動だにしない。

 そんなザイを見てカイルは、微笑んでいた。それは彼には珍しい作り物でないものだった。

「大丈夫。あなたならできます」

 今度ははっきりと、カイルが言う。もう彼は、自分の腕を自分で動かすこともできないようだ。腕が動くならきっとザイの背をさすってやっていたかもしれない。カイルは今までに皆が見たこともない穏やかな顔をして言った。

「あなたは私の不出来な弟子なのですから」

 そのあとザイは何かを叫んだが、言葉になっていないそれを受け止めきれる者はそこに居ない。

 カイルの目から光が消え、遅れて最後の結界がふっと消えた。

 この世界には、命尽きたものを再び蘇らせる術はない。

 カイルを離さないザイは、皇帝に当身を食らわされて昏倒するまで泣き叫びつづけた。

 ※

 語り終えた皇帝は息を吐いた。

「あなたのお父上も、あなたの師も、俺は守ることが出来なかった。すまない」

 皇帝が言うのに、王妃はかぶりを振る。

「いいえ。お父様がお決めになり、カイル様がなされることを誰が止めることができましょう」

 そう言って王妃は顔を覆う。

「お父様に儘ならぬことがあったように、あなた様にもどうしようもないことでございます。お父様がお決めになったのだもの。それは誰にも、誰も」

 わたくしは誰も恨みなどいたしません。王妃はそう言って、ついに泣き崩れた。

 王妃付きの女官が王妃の背を撫でる。先帝とカイルの信頼を得て王妃と共に海を渡ったその女官も、涙を浮かべている。



 王妃は泣いた。

 お父さまはいない。カイル様もいない。
 初めて「陛下」ではなく、「お父さま」と呼んだ日、戸惑いながらも自分を膝に乗せてくれた父も、「あなたさま以外にそうお呼びになれる方はいませんから」と教えてくれた師もいない。

 父を師を思い、立ち会った者たちの苦しみを思い、立ち会えなかった自分の身の悲しみを思う。

 もし、或いは、例えば、を思い、今となっては詮無いことだと打ちのめされる。

 ──せめて誰も恨むまい。

 それだけは決めて、王妃は泣いた。
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