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第一章
18 護衛二日目 誘い
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陽が傾き始める。空の色が屋上庭園の花々に滲む。それに、王妃が良い眺めですね、と言う。
「お父様はこの屋上庭園をご覧になったのかしら」
「はい、一度だけ。春の花が咲き始める頃のお庭をご覧になりました」
「そう、良かったわ。わたくしが中庭に花を植えないでとわがままを申し上げたばかりに、長いことお父様は宮では花をご覧になれなかったのですもの。少し気になっておりましたの」
「そうでございましたか」
「ええ」
そう言って、王妃はもう一度庭園を眺める。
「本当に美しいわ。このお庭も宮も。今上のご威光の行き渡っていらっしゃること。もう、わたくしの帰る場所は、帝国にはございませんね」
「王妃様?」
ザイが険しい顔をしているのを見て、聞き流してくださいなと王妃がクスクスわらう。
「わたくし、お父様以上の皇帝はいらっしゃるはずがないと思っていましたのよ。でも、今上は、お父様が見込まれた方。きっとお父様以上の皇帝におなりあそばすわ」
王妃は寂しそうに笑う。
「そうして、みんなお父様を忘れるのだわ」
それは嫌だ、と叫ぶザイが、確かにいる。だが、ザイは微笑んで言う。
「そのようなことはございません。今上陛下ご自身が先の陛下をお慕いしておられるのですから」
「ええ、そのご様子ね」
王妃は頷いてみせる。そしてしばらくしてザイを見て言った。
「あなたは今もお父様をお慕いしているのね。宰相殿も」
ザイが何か言う前に、はらりと扇を開いて口元を隠した王妃が言う。
「もし、あなたが帝国を追われることがあるなら、わたくしのところにいらっしゃいな。わたくし歓迎いたします」
「それは」
ございません、と言おうとしてザイは喉が干上がる。
もし、帝国を追われることがあるなら。
それを想像したことがなかったかと言えば嘘になる。
先帝を忘れ、カイルを厭う宮にあって、ザイは異物だ。
夕闇にまだ早い時間だが、傾きかけた陽は自分の顔に少しは影を作るだろう。そう願いながらザイは言う。
「それは、ございませんから」
「そう」
王妃が扇を閉じて目を伏せる。その時、
「当たり前だ」
ザイの背後から尊大な声が聞こえた。すでに気配を察していたザイは、慌てることなく控えて皇帝を迎える。
「心安い間柄とはいえ、私の侍従を口説かないで頂きたい。これは先頃ようやく復帰したのだから、早々にあなたに攫われては困る」
「まあ」
王妃は笑う。
「わたくしの時間切れですかしら? 口説くのはこれからでしたのに」
皇帝も笑う。
「それは助かった。あれ以上なら、ザイも、惑うていたかもしれぬ」
いや、ちょっと。ザイは控えながら思う。
陛下、なんでそんな口説くとか攫うとか、そういう方向に持っていくの! 王妃もなんでそんなのに乗ってるの!
もうやめてと情けない顔をしているザイの肩を、侍従筆頭がお疲れ、と叩いた。後ろには王妃が下がらせていた王国の女官たちを連れている。
「この者ザイはあなたのお父上からお譲り頂いたようなもの。決して粗略にはせぬ。宰相とて同じ」
「そのお言葉、先の陛下もお喜びでしょう」
その言葉を信じる、とは言わない王妃に皇帝が言う。
「先の陛下が私に託されたものを私は全て護ろう。それはあなたについてもだ」
皇帝の意図を読みかねた王妃は、じっと皇帝を見つめる。
「さしあたっては、第四王子はしばらくこちらでお預かりする」
皇帝の口から思わぬ人物が出てきたことに、王妃が目を見開く。
「どう言うことですの?」
「あなたを追ってこちらにお出でたようだ」
王妃の扇を持つ手に力が入っている。扇をとり落すまいとしたのだろう。見かねた王妃付きの女官が、すがるように筆頭を見、それを受けた筆頭が皇帝を伺う。皇帝が頷くと、女官は王妃に寄り添い、支えた。
「宰相が今もてなしているがな、先ほどまとめて報告が上がってきた」
王妃が唇を噛む。それを痛ましく見ながらも皇帝ははっきりと言う。
「国王はご存知であれを放置なさっているのか?」
ともに報告を聞いただろう侍従筆頭が苦い顔をしている。王国の女官たち、特に帝国出の者達は顔を強張らせている。
気持ちを落ち着かせるためか、王妃は一つ息をついてから言う。
「迷っておられるのです。国王様にとってはお子ですもの。王子があのようになられたのは、私の所為だと申し上げるものも王宮にはおりますし」
ザイは今朝の報告を思い出す。傾城を口にするものは多数とは言えないが、確実に増えている、と。また第四王子の行き過ぎた行動になんの処罰もないことは、ゆくゆくは王妃を貶めることになるだろう、とも。
「そのまま下賜なされませ、とさえ言う者も」
王妃を、あまりにも軽んじている発言だろう。そうでなくとも王妃は帝国の神子だ。帝国の神子を王国の王が下賜するなど、あり得ない。帝国にとっても侮辱である。ザイでさえ苛立つのだから、宰相など、どうなることか。
ザイがそう思って皇帝を見ると、皇帝と目が合った。皇帝も同じことを思ったようだ。皇帝は怒りを滲ませていう。
「そのような言が出るのは、あなたのせいではない」
そうして王妃に謝罪する。
「ひとえに私の力量不足であろう」
「そのようなことは」
おそらく、意外であっただろう言葉に王妃が顔を跳ね上げる。
「先の陛下には及ばぬが、帝国の力、数多の国々に示せるよう、努力しよう」
しばらく沈黙がおりたが、皇帝の言葉を王妃は迷った末、受け入れたらしい。
「重ね重ねのお気遣い、ありがとうございます」
そう言って礼をとる。
「とは言っても、あの陛下の跡であるから、何をやっても多少見劣りはする。そこはご勘弁願いたい」
「まあ」
皇帝の軽口に、王妃が華やかに笑う。
「さて日も傾いた。冷え込む前に戻ろう。今夜は、料理長があなたの好きだったものをたくさん用意しているそうだ」
「まあ、それは楽しみですわ。料理長にお礼を申し上げたいと存じます」
「あとでご挨拶に上がらせる。あなたにお声掛け頂ければ、料理長も喜ぶだろう」
そうして、王妃は屋上庭園を後にした。最後に振り返って庭園を目に焼き付けるようにする王妃は、いつもの微笑みを取り戻していた。
ザイも去ろうとして、いくつかの花が日没と共に花弁を閉じてじっとしているのに気づいた。
それぞれ今日一日の秘密を蕾に包み込んで眠り、明日また咲くのだろう。
ふとそんなことを思った。
「お父様はこの屋上庭園をご覧になったのかしら」
「はい、一度だけ。春の花が咲き始める頃のお庭をご覧になりました」
「そう、良かったわ。わたくしが中庭に花を植えないでとわがままを申し上げたばかりに、長いことお父様は宮では花をご覧になれなかったのですもの。少し気になっておりましたの」
「そうでございましたか」
「ええ」
そう言って、王妃はもう一度庭園を眺める。
「本当に美しいわ。このお庭も宮も。今上のご威光の行き渡っていらっしゃること。もう、わたくしの帰る場所は、帝国にはございませんね」
「王妃様?」
ザイが険しい顔をしているのを見て、聞き流してくださいなと王妃がクスクスわらう。
「わたくし、お父様以上の皇帝はいらっしゃるはずがないと思っていましたのよ。でも、今上は、お父様が見込まれた方。きっとお父様以上の皇帝におなりあそばすわ」
王妃は寂しそうに笑う。
「そうして、みんなお父様を忘れるのだわ」
それは嫌だ、と叫ぶザイが、確かにいる。だが、ザイは微笑んで言う。
「そのようなことはございません。今上陛下ご自身が先の陛下をお慕いしておられるのですから」
「ええ、そのご様子ね」
王妃は頷いてみせる。そしてしばらくしてザイを見て言った。
「あなたは今もお父様をお慕いしているのね。宰相殿も」
ザイが何か言う前に、はらりと扇を開いて口元を隠した王妃が言う。
「もし、あなたが帝国を追われることがあるなら、わたくしのところにいらっしゃいな。わたくし歓迎いたします」
「それは」
ございません、と言おうとしてザイは喉が干上がる。
もし、帝国を追われることがあるなら。
それを想像したことがなかったかと言えば嘘になる。
先帝を忘れ、カイルを厭う宮にあって、ザイは異物だ。
夕闇にまだ早い時間だが、傾きかけた陽は自分の顔に少しは影を作るだろう。そう願いながらザイは言う。
「それは、ございませんから」
「そう」
王妃が扇を閉じて目を伏せる。その時、
「当たり前だ」
ザイの背後から尊大な声が聞こえた。すでに気配を察していたザイは、慌てることなく控えて皇帝を迎える。
「心安い間柄とはいえ、私の侍従を口説かないで頂きたい。これは先頃ようやく復帰したのだから、早々にあなたに攫われては困る」
「まあ」
王妃は笑う。
「わたくしの時間切れですかしら? 口説くのはこれからでしたのに」
皇帝も笑う。
「それは助かった。あれ以上なら、ザイも、惑うていたかもしれぬ」
いや、ちょっと。ザイは控えながら思う。
陛下、なんでそんな口説くとか攫うとか、そういう方向に持っていくの! 王妃もなんでそんなのに乗ってるの!
もうやめてと情けない顔をしているザイの肩を、侍従筆頭がお疲れ、と叩いた。後ろには王妃が下がらせていた王国の女官たちを連れている。
「この者ザイはあなたのお父上からお譲り頂いたようなもの。決して粗略にはせぬ。宰相とて同じ」
「そのお言葉、先の陛下もお喜びでしょう」
その言葉を信じる、とは言わない王妃に皇帝が言う。
「先の陛下が私に託されたものを私は全て護ろう。それはあなたについてもだ」
皇帝の意図を読みかねた王妃は、じっと皇帝を見つめる。
「さしあたっては、第四王子はしばらくこちらでお預かりする」
皇帝の口から思わぬ人物が出てきたことに、王妃が目を見開く。
「どう言うことですの?」
「あなたを追ってこちらにお出でたようだ」
王妃の扇を持つ手に力が入っている。扇をとり落すまいとしたのだろう。見かねた王妃付きの女官が、すがるように筆頭を見、それを受けた筆頭が皇帝を伺う。皇帝が頷くと、女官は王妃に寄り添い、支えた。
「宰相が今もてなしているがな、先ほどまとめて報告が上がってきた」
王妃が唇を噛む。それを痛ましく見ながらも皇帝ははっきりと言う。
「国王はご存知であれを放置なさっているのか?」
ともに報告を聞いただろう侍従筆頭が苦い顔をしている。王国の女官たち、特に帝国出の者達は顔を強張らせている。
気持ちを落ち着かせるためか、王妃は一つ息をついてから言う。
「迷っておられるのです。国王様にとってはお子ですもの。王子があのようになられたのは、私の所為だと申し上げるものも王宮にはおりますし」
ザイは今朝の報告を思い出す。傾城を口にするものは多数とは言えないが、確実に増えている、と。また第四王子の行き過ぎた行動になんの処罰もないことは、ゆくゆくは王妃を貶めることになるだろう、とも。
「そのまま下賜なされませ、とさえ言う者も」
王妃を、あまりにも軽んじている発言だろう。そうでなくとも王妃は帝国の神子だ。帝国の神子を王国の王が下賜するなど、あり得ない。帝国にとっても侮辱である。ザイでさえ苛立つのだから、宰相など、どうなることか。
ザイがそう思って皇帝を見ると、皇帝と目が合った。皇帝も同じことを思ったようだ。皇帝は怒りを滲ませていう。
「そのような言が出るのは、あなたのせいではない」
そうして王妃に謝罪する。
「ひとえに私の力量不足であろう」
「そのようなことは」
おそらく、意外であっただろう言葉に王妃が顔を跳ね上げる。
「先の陛下には及ばぬが、帝国の力、数多の国々に示せるよう、努力しよう」
しばらく沈黙がおりたが、皇帝の言葉を王妃は迷った末、受け入れたらしい。
「重ね重ねのお気遣い、ありがとうございます」
そう言って礼をとる。
「とは言っても、あの陛下の跡であるから、何をやっても多少見劣りはする。そこはご勘弁願いたい」
「まあ」
皇帝の軽口に、王妃が華やかに笑う。
「さて日も傾いた。冷え込む前に戻ろう。今夜は、料理長があなたの好きだったものをたくさん用意しているそうだ」
「まあ、それは楽しみですわ。料理長にお礼を申し上げたいと存じます」
「あとでご挨拶に上がらせる。あなたにお声掛け頂ければ、料理長も喜ぶだろう」
そうして、王妃は屋上庭園を後にした。最後に振り返って庭園を目に焼き付けるようにする王妃は、いつもの微笑みを取り戻していた。
ザイも去ろうとして、いくつかの花が日没と共に花弁を閉じてじっとしているのに気づいた。
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ふとそんなことを思った。
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