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第一章
15 夜更けなので沈めるには良い時間かと
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目覚めるなり、皇帝に凄まれた第四王子は一息に吐いた。
金を掴ませて行列第三陣の下働きの者らに紛れていたこと。入国直前に王国の警備兵に見つかり捕らえられて、無礼にも荷物と一緒に運ばれたこと。気がつけば、帝国内の王国大使公館にいたこと。夜になって公館を抜け出したこと。
皇帝はため息をつく。
恐らくは、王国の警備兵が王子がいることに気づいたものの、入国が迫り追い返す暇もなく、また、自分達の落ち度を隠すために荷物に紛れさせて王子を公館に押し込んだのだろう。
同盟国の王妃の行列ゆえに入国審査を緩めていたため出来たことで、帝国の落ち度でもあるが、皇帝は、王国のあまりのお粗末さに悪態をつきそうになる。せめて、公館で見張りくらい付けろ! と。
もう一度ため息をついて、皇帝は聞く。
「そもそも、王子はなぜ、こちらにお出でたのか?」
「王妃の相手を見たかった……っ……からです」
皇帝に睨まれて、渋々に答える第四王子。
──王妃の相手? 何言ってんだこいつ。
ここに来て、皇帝は自分が尋問を買って出たことを後悔し始めた。嫌な予感しかしないが、しかし、聞かないわけにはいかない。
「相手とは」
「浮気の相手。ザイとかいう」
──肝が冷えるとはこのことか。
第四王子の返答に、ザイの両親それぞれから同時に凄まじい殺気が放たれた。
一瞬、それに呑まれてしまった侍従筆頭は、これから起こることを予想し、慌てて強固な結界を張ろうとして、それが既になされていることに気付き、ゾッとする。
「筆頭さま。お気遣いはご無用にございますれば」
あくまで、ゆるゆると。
古き良き時代の女官の言葉遣いを残す夫人の歌うような声が、侍従筆頭には脅しに聞こえる。引っこんでいろ、と。
皇帝の口から「やべぇ」と呟きが漏れた。
見る見るうちに防御と攻撃を兼ねた結界が、次々と何重何種類と構築されていく。
筆頭の張った防音結界の内側に、さらに強固な防音結界を重ね、威嚇のためか態と鮮やかに文様を浮かび上がらせながら、あるいはギチギチと音を立てさせながら、複数の結界を複雑に絡ませ、強化し、連携させていくさまは圧巻の一言に尽きる。
最後に、第四王子の周りも結界で覆われた。これから話される内容を王子に聞かせない為だろう。
今、この結界の中にいる者は、下手に動けば、音も視界も奪われる。
帝国一の結界術師の技に対抗しうるのは、おそらく、宰相の制止であろうが、彼の表情を伺うのでさえ、今は怖すぎる。
「陛下」
「お、おう」
いつもの無表情から更に何かが消え、「無そのもの」といった顔になっている宰相は、速やかに全ての結界が完成したのを夫人に目で確認して、皇帝に申し上げる。
「このような愚かなことを申すのが王子であるはずがない。私の思い違いで失礼いたしました」
「おい」
皇帝が宰相に呆れる横で、侍従筆頭は夫人の結界の突破を試みるも、ころころと笑う宰相夫人に端から潰されている。
「我が家に入った賊として、我が家で始末をつけましょう」
はっきり「始末」と宣った宰相に、皇帝は頭を抱える。
一方、筆頭は、たった一ヶ所綻びを見せているある結界を罠と承知で解きにかかるべきか、魔力を温存しておいて転移の瞬間を一か八かで突くべきか、難しい判断を迫られている。
あくまで、皇帝に対する叛意はないと言いたいのだろう、解くのではなく、力尽くでなら、皇帝や侍従筆頭が決して壊せない結界ではない。しかし、それをやると、この転移の間は瓦礫の山と化す。
皇帝は、言った。
「あなた方の気持ちが分からないではないが、斬るのも始末するのもダメだ!」
「では沈めます」
「沈めるのもナシ! 埋めるのもナシだからな!」
「チッ」
「いい歳したおっさんが舌打ちしてんじゃねえ!」
「誰がおっさんですか」
「アンタだアンタ! ああもう、この結界、早く解け!」
皇帝の命令に、宰相が夫人を見る。夫人は筆頭の防音結界を残して、他の全ての結界を解いた。
こんな騒動の中でも、第四王子はキョトンとしている。
夫人に話が聞こえぬようにされていたとは言え、状況を見て分からないものだろうか?
バカも突き抜ければ強いな、と皇帝はため息をついた。
金を掴ませて行列第三陣の下働きの者らに紛れていたこと。入国直前に王国の警備兵に見つかり捕らえられて、無礼にも荷物と一緒に運ばれたこと。気がつけば、帝国内の王国大使公館にいたこと。夜になって公館を抜け出したこと。
皇帝はため息をつく。
恐らくは、王国の警備兵が王子がいることに気づいたものの、入国が迫り追い返す暇もなく、また、自分達の落ち度を隠すために荷物に紛れさせて王子を公館に押し込んだのだろう。
同盟国の王妃の行列ゆえに入国審査を緩めていたため出来たことで、帝国の落ち度でもあるが、皇帝は、王国のあまりのお粗末さに悪態をつきそうになる。せめて、公館で見張りくらい付けろ! と。
もう一度ため息をついて、皇帝は聞く。
「そもそも、王子はなぜ、こちらにお出でたのか?」
「王妃の相手を見たかった……っ……からです」
皇帝に睨まれて、渋々に答える第四王子。
──王妃の相手? 何言ってんだこいつ。
ここに来て、皇帝は自分が尋問を買って出たことを後悔し始めた。嫌な予感しかしないが、しかし、聞かないわけにはいかない。
「相手とは」
「浮気の相手。ザイとかいう」
──肝が冷えるとはこのことか。
第四王子の返答に、ザイの両親それぞれから同時に凄まじい殺気が放たれた。
一瞬、それに呑まれてしまった侍従筆頭は、これから起こることを予想し、慌てて強固な結界を張ろうとして、それが既になされていることに気付き、ゾッとする。
「筆頭さま。お気遣いはご無用にございますれば」
あくまで、ゆるゆると。
古き良き時代の女官の言葉遣いを残す夫人の歌うような声が、侍従筆頭には脅しに聞こえる。引っこんでいろ、と。
皇帝の口から「やべぇ」と呟きが漏れた。
見る見るうちに防御と攻撃を兼ねた結界が、次々と何重何種類と構築されていく。
筆頭の張った防音結界の内側に、さらに強固な防音結界を重ね、威嚇のためか態と鮮やかに文様を浮かび上がらせながら、あるいはギチギチと音を立てさせながら、複数の結界を複雑に絡ませ、強化し、連携させていくさまは圧巻の一言に尽きる。
最後に、第四王子の周りも結界で覆われた。これから話される内容を王子に聞かせない為だろう。
今、この結界の中にいる者は、下手に動けば、音も視界も奪われる。
帝国一の結界術師の技に対抗しうるのは、おそらく、宰相の制止であろうが、彼の表情を伺うのでさえ、今は怖すぎる。
「陛下」
「お、おう」
いつもの無表情から更に何かが消え、「無そのもの」といった顔になっている宰相は、速やかに全ての結界が完成したのを夫人に目で確認して、皇帝に申し上げる。
「このような愚かなことを申すのが王子であるはずがない。私の思い違いで失礼いたしました」
「おい」
皇帝が宰相に呆れる横で、侍従筆頭は夫人の結界の突破を試みるも、ころころと笑う宰相夫人に端から潰されている。
「我が家に入った賊として、我が家で始末をつけましょう」
はっきり「始末」と宣った宰相に、皇帝は頭を抱える。
一方、筆頭は、たった一ヶ所綻びを見せているある結界を罠と承知で解きにかかるべきか、魔力を温存しておいて転移の瞬間を一か八かで突くべきか、難しい判断を迫られている。
あくまで、皇帝に対する叛意はないと言いたいのだろう、解くのではなく、力尽くでなら、皇帝や侍従筆頭が決して壊せない結界ではない。しかし、それをやると、この転移の間は瓦礫の山と化す。
皇帝は、言った。
「あなた方の気持ちが分からないではないが、斬るのも始末するのもダメだ!」
「では沈めます」
「沈めるのもナシ! 埋めるのもナシだからな!」
「チッ」
「いい歳したおっさんが舌打ちしてんじゃねえ!」
「誰がおっさんですか」
「アンタだアンタ! ああもう、この結界、早く解け!」
皇帝の命令に、宰相が夫人を見る。夫人は筆頭の防音結界を残して、他の全ての結界を解いた。
こんな騒動の中でも、第四王子はキョトンとしている。
夫人に話が聞こえぬようにされていたとは言え、状況を見て分からないものだろうか?
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