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第一章

06 一旦休み・川とカイルと姫と先帝

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 双方疲れすぎだとザイは判断し、父に着替えくらいしたら、と提案してみる。

 その時、母が書斎にやってきた。

「夕食はどうなさいますか? ザイもまだでしょう?」

 そう言われて、ザイは急に腹が減ってきた。しかし、父の話はまだ続きそうである。思案するザイを見てザイの母は微笑んだ。

「お預かりしますね」

 そう言って、しずしずと歩いた母は父の椅子の後ろに回り、長衣にそっと手を添える。それにため息をついて、父が立ち上がる。どうやら一旦休憩らしい。

 母が父を着替えに追いやるのを幸いに、ザイは食堂へと急いだ。

 ※

 食事の後、ザイは再び父に呼ばれる。

 食堂に現れなかった父は、書斎でいくつかの書類を夜食と共に片付けたらしい。

 ザイと入れ替わりに秘書官が書類を持って退出し、母が見送りに出た。
 二人だけになった書斎で、父が口を開く。

「明日の式典だが」

 ザイは明日の主人の予定をざっと思い浮かべる。
 午前は朝議、これにザイは出なくて良いと言われている。午後からは先帝の廟で神事がある。ザイはそれが終われば王妃の護衛となるだろう。

「面倒を言いそうな輩は別の仕事に行くように仕向けた。後はお前がボロを出さなければ良い」

「ボロ?」

「例えば、王妃に向かって『姫』と申し上げたりな」

「あー……」

「その瞬間に『王妃は帝国にお戻りになるのか、同盟は破棄されるのか』と大騒ぎになるぞ」

 宰相の脅しに、ザイは首を竦める。

「だ、大丈夫だよ? むしろ父さんが言いそうだよ」

「そうかも知れん」

 あっさり認める父に、ザイは呆れる。

「あれほどお美しくご成長なされたというのにな」

 父には、王妃が嫁ぐのを見送った日の幼い姫のままに見えるのかも知れない。

「僕は見違えたけどね」

 ザイは、自分を見上げる王妃が、自分より背が高かった姫だということに戸惑った。それでも。

「なさることは姫だな、と思ったけど」

 ザイが振り回されたあの日々、思い出して遠い目をしてしまうのは、感傷のためばかりではない。

 姫と遊んでいて宮の中庭の池に落ちたのをはじめ、行幸先で川にも湖にも海にも落ちた。

  一番怖かったのは川だ。

 とにかく激しい流れから出たかったザイは懸命に泳いだが、岸に全く近づけない。どんどん深みに流されていくのに焦って、その内に水をしこたま飲んで溺れかけた。

 先帝侍従のカイルにすぐ回収されて事なきを得たが、川の中の岩にあちこち体をぶつけて散々だった。

「川に落ちた時は、流れに身を任せましょうね。沈みさえしなければ、いずれ岸にたどり着きますから。下手に泳いだら体力奪われますからね」

 そう教えてくれたのはカイルだ。彼はずぶ濡れになってメソメソするザイに笑いを堪えながら治癒魔法をかけてくれたが、ザイにとっては笑い事でない。
 もう二度と川には落ちたくは無いなあ、と思ったのをザイは覚えている。

 なぜ行く先々で水に落ちていたかといえば、姫が癇癪を起こして魔法を放った時、それを避けようとしてザイが水に飛び込むからであった。

 結界を張る練習もしていた。しかし、ほぼ無詠唱で魔法を放てる皇女の癇癪に、舌ったらずな幼子の結界が間に合うはずがない。
 
 ちなみに、結構な割合で姫も一緒に落ちていた。姫がザイを助けようと飛び込むからだ。

 それなら、そもそも魔法を向けてくるのをやめてくれと言うところだが、魔法は姫にとってごく自然な感情表現だったから仕方がない。むしろ、年の割には制御できていた方ではないだろうか。

 しかし、いくら年上といっても、少女が小さな男の子を泳いで助けられるわけがない。一緒に飛び込むのは危ないよとザイが言ったら、姫はいつになく真剣な顔で言った。

「皇女が落ちたら皆助けないわけにはいかないでしょう? カイル様がいらっしゃらない時は、わたくしがくっついていれば良いのだわ」

 二歳しか違わなかったのに、自分と違って姫はよく状況を理解されていたのだなあとザイは思う。

 当時、ザイの父は宰相となったばかりだった。直轄領で多大な功績を挙げていたとはいえ、市井出の父の抜擢は反発を招いていただろう。

 姫なりにザイを守ろうとして下さってはいたのだ。それでも、子ども同士の些細なケンカが姫の癇癪を呼び、魔法が炸裂してしまう。

 姫の遊び相手として出仕している間、ザイは常に緊張していた。

 姫の一挙一動に胸がドキドキしていたのは、恋ではなかったと思う。

 その内ザイも腕を上げ、大抵のことは安全に対処できるようになっていった。

 そうすると幼い子供のこと、姫や、他にも遊び相手として出仕していた子供達と一緒に、様々ないたずらをしでかすようになった。

 ドキドキはいつしかワクワクに変わった。そこに、なぜか先帝まで混ざっていたのは、ザイの楽しい思い出だ。
 
 そこまで考えたところで、ザイは昼間王妃に会ったときのことを思い出す。あの胸の痛みが、またザイを襲った。

──先の陛下は、もう、何処にもおられない。
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