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第一章
04 止めたというのに
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「いやいや王妃様って、あの姫だよ?」
あの姫、というのは嫁ぐ前、この国の皇女だったころの王妃のことだ。幼い頃、ザイは皇女の遊び相手を務めていた。
遊び相手を務めたといっても、ザイは振り回された思い出しかない。
都に来たばかりのザイには、2歳も年上の身分の高い女の子と遊ぶのは、大変だった。
おまけに、この姫ときたら、かくれんぼでザイが見つからないからと言って、雑草だらけだった中庭を焼き払ったりするのだ。
あくまで姫に悪気はなく、ザイもそれが分かっていたから姫を嫌いになることなどなかったのだが、「初恋」など抱く暇もない、めまぐるしい日々だったように思う。
そんな姫は、嫁いだ王国ではいつからか「光の癒しの王妃」と称えられるようになった。それは健やかに美しい女性に御成あそばされたのだと聞き及んでいた。
ザイでさえ、あの訳の分からない状況にも関わらず一瞬見惚れかけたのも事実。しかし。
「やっぱりあの姫だもの。命の心配が先に来るよ」
よく生きてたよね、僕。そう言うザイに、ザイの父は何度目かもう数えるのも面倒になったため息をつく。
「陛下が、……先の陛下が、『姫はザイの話ばかりする』と私にまでこぼされていたというのに」
私は当たられ損かとぼやく父に、ザイはまた固まる。
──今日僕は固まりすぎかな。疲れすぎかな。
「そもそも、お前が遊び相手として上がっていたのは、将来のことも考慮されてのことだったのだ。
その後情勢が変わって、姫が他国へ嫁ぐことになったから曖昧な状態にされているが」
「……嘘でしょう?」
「嘘なものか。お前に婚約の話が一つもきたことがないのを、妙だと思わなかったか?」
「それは、父さんが僕を一度勘当したからかと」
ザイが勘当されたのは、父の猛反対を押し切って官吏登用試験を受けたときのことだ。
ザイは、実の父である宰相閣下自らが口頭試問で妨害してくるという、なかなか厳しい受験生時代を過ごし、四度目の正直で合格し官吏となった。
合格を受け、宰相という立場から父は仕方なく勘当を解いてくれたが、ザイにはわだかまりが残り、こんな風になんでも話せるようになるには、少し時間がかかった。
勘当のことを持ち出され、一層苦い顔をした宰相だったが、再び話を続ける。
「勘当は関係ない。いや、関係ないこともないのか。さて、どう話したものか。何、単純な話なのだが」
ザイの父はしばらく思案していたが、やがて話し出した。
「王妃が嫁いでいるとはいえ、斎の神子であるのは知っているな?」
「うん。帝国との同盟のために遣わされた神子だから、向こうの王国では、妃というより神様の使者扱いなんだよね」
そう、結婚とはいっても儀礼的なものなのだ。
帝国から神子を王妃に戴いているというのは、栄誉なことであり、他国に対してこれ以上ない牽制となる。
けれど、それが僕とどういう関係が?
「その同盟がもし解消されたとしたら、斎の神子はどうなる?」
「どうなるってそりゃ……、そんなことあるの?」
「ある。過去になかったわけではない。神子がお年を召されて最期の願いとして帝国に帰りたいと望まれ、一旦同盟が解消されたことはある。すぐに次の神子が遣わされたがな」
「へえ、意外と人情的」
通常、神子として嫁げば、神子が実父母の葬儀以外に帝国へ帰ることはない。
今回の王妃の帰国も本来は三年前の先帝崩御時に行われるものだった。しかし、当時は戦の只中で、王妃が帰国するのは困難だった。
そのため、今回の弔いの儀が特別に行われ、王妃の一時帰国が叶ったのだ。
神子は権威の象徴として丁重に扱われるが、人身御供だという声もある。
移動の自由もない。成人前に嫁がされ、儀礼的な結婚に身を捧げる。
成人したのち、嫁ぎ先の君主と夫婦の契りを結ぶことは、許されている。
ただし、生まれた御子はすぐさま生みの母である神子から離され、帝国のいずれかの皇族の養子とされ、帝国で育てられる。
しかし、「最期を故郷で迎えたい」そんな願いが同盟を一時解消してまで聞き届けられた例もあったとは。
「だが、今言っているのはそういう『いい話』でなく、政の都合で同盟が破棄され、神子が返される場合の話だ。
今、もし、王妃が返され、帝国の皇女に復帰なされた場合、夫候補となるのは間違いなくお前だ」
「な、なんで⁉︎」
「未婚。今上侍従。宰相の息子。何より、王妃ご本人の子供の頃からの『お気に入り』。公的にも私的にも、これ以上のはなかろう」
ザイは嫌な汗をかく。改めて言われてみれば、我ながらすごい境遇である。
「だから、私はお前が官吏になるのを止めたというのに」
親の心子知らずとは、このことか。
政など関わらずに商人にでもなれと何度も言っていたザイの父である。
「いや父さん、そんなこと、試験の時は結婚のことなんて、ひとっ言も」
青ざめるザイに、父が言う。
「言えるわけがないだろう。『万一同盟が破棄された場合に備えて逃げるなら、これが最後の機会だ』などと宰相が口にできるか」
あの姫、というのは嫁ぐ前、この国の皇女だったころの王妃のことだ。幼い頃、ザイは皇女の遊び相手を務めていた。
遊び相手を務めたといっても、ザイは振り回された思い出しかない。
都に来たばかりのザイには、2歳も年上の身分の高い女の子と遊ぶのは、大変だった。
おまけに、この姫ときたら、かくれんぼでザイが見つからないからと言って、雑草だらけだった中庭を焼き払ったりするのだ。
あくまで姫に悪気はなく、ザイもそれが分かっていたから姫を嫌いになることなどなかったのだが、「初恋」など抱く暇もない、めまぐるしい日々だったように思う。
そんな姫は、嫁いだ王国ではいつからか「光の癒しの王妃」と称えられるようになった。それは健やかに美しい女性に御成あそばされたのだと聞き及んでいた。
ザイでさえ、あの訳の分からない状況にも関わらず一瞬見惚れかけたのも事実。しかし。
「やっぱりあの姫だもの。命の心配が先に来るよ」
よく生きてたよね、僕。そう言うザイに、ザイの父は何度目かもう数えるのも面倒になったため息をつく。
「陛下が、……先の陛下が、『姫はザイの話ばかりする』と私にまでこぼされていたというのに」
私は当たられ損かとぼやく父に、ザイはまた固まる。
──今日僕は固まりすぎかな。疲れすぎかな。
「そもそも、お前が遊び相手として上がっていたのは、将来のことも考慮されてのことだったのだ。
その後情勢が変わって、姫が他国へ嫁ぐことになったから曖昧な状態にされているが」
「……嘘でしょう?」
「嘘なものか。お前に婚約の話が一つもきたことがないのを、妙だと思わなかったか?」
「それは、父さんが僕を一度勘当したからかと」
ザイが勘当されたのは、父の猛反対を押し切って官吏登用試験を受けたときのことだ。
ザイは、実の父である宰相閣下自らが口頭試問で妨害してくるという、なかなか厳しい受験生時代を過ごし、四度目の正直で合格し官吏となった。
合格を受け、宰相という立場から父は仕方なく勘当を解いてくれたが、ザイにはわだかまりが残り、こんな風になんでも話せるようになるには、少し時間がかかった。
勘当のことを持ち出され、一層苦い顔をした宰相だったが、再び話を続ける。
「勘当は関係ない。いや、関係ないこともないのか。さて、どう話したものか。何、単純な話なのだが」
ザイの父はしばらく思案していたが、やがて話し出した。
「王妃が嫁いでいるとはいえ、斎の神子であるのは知っているな?」
「うん。帝国との同盟のために遣わされた神子だから、向こうの王国では、妃というより神様の使者扱いなんだよね」
そう、結婚とはいっても儀礼的なものなのだ。
帝国から神子を王妃に戴いているというのは、栄誉なことであり、他国に対してこれ以上ない牽制となる。
けれど、それが僕とどういう関係が?
「その同盟がもし解消されたとしたら、斎の神子はどうなる?」
「どうなるってそりゃ……、そんなことあるの?」
「ある。過去になかったわけではない。神子がお年を召されて最期の願いとして帝国に帰りたいと望まれ、一旦同盟が解消されたことはある。すぐに次の神子が遣わされたがな」
「へえ、意外と人情的」
通常、神子として嫁げば、神子が実父母の葬儀以外に帝国へ帰ることはない。
今回の王妃の帰国も本来は三年前の先帝崩御時に行われるものだった。しかし、当時は戦の只中で、王妃が帰国するのは困難だった。
そのため、今回の弔いの儀が特別に行われ、王妃の一時帰国が叶ったのだ。
神子は権威の象徴として丁重に扱われるが、人身御供だという声もある。
移動の自由もない。成人前に嫁がされ、儀礼的な結婚に身を捧げる。
成人したのち、嫁ぎ先の君主と夫婦の契りを結ぶことは、許されている。
ただし、生まれた御子はすぐさま生みの母である神子から離され、帝国のいずれかの皇族の養子とされ、帝国で育てられる。
しかし、「最期を故郷で迎えたい」そんな願いが同盟を一時解消してまで聞き届けられた例もあったとは。
「だが、今言っているのはそういう『いい話』でなく、政の都合で同盟が破棄され、神子が返される場合の話だ。
今、もし、王妃が返され、帝国の皇女に復帰なされた場合、夫候補となるのは間違いなくお前だ」
「な、なんで⁉︎」
「未婚。今上侍従。宰相の息子。何より、王妃ご本人の子供の頃からの『お気に入り』。公的にも私的にも、これ以上のはなかろう」
ザイは嫌な汗をかく。改めて言われてみれば、我ながらすごい境遇である。
「だから、私はお前が官吏になるのを止めたというのに」
親の心子知らずとは、このことか。
政など関わらずに商人にでもなれと何度も言っていたザイの父である。
「いや父さん、そんなこと、試験の時は結婚のことなんて、ひとっ言も」
青ざめるザイに、父が言う。
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