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27 理由が無くなる時
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カイルを待つ間、シファは懐かしい男と話していた。東にいた頃、年が近いことからカイルとシファとこの男はきょうだいのように扱われることが多かった。名はリヒトという。諜報という役目柄、目立ちはしないが、東の軍でも指折りの実力者である。先頃、戦線から引き揚げてきたそうだ。
会うのは久しぶりだが積もる話があるというわけでは無い。それでもこの男がひたすら喋り続けるのは、沈黙に耐えられないだけと知っているシファはリヒトが喋るのにまかせていた。
子供の頃、シファはリヒトの取り留めのないお喋りが嫌いだった。彼が喋り倒している間、カイルにかまってもらえなくなるからだった。
だから彼が話すのをわざと邪魔したり、時には力づくで黙らせたりもした。
それがきっかけで、周りの大人たちが仲裁に入るほどの大喧嘩をしたこともあった。
さすがにそんなことは子供の頃のことで、大きくなってからはしなくなったが、今思えばリヒトには随分と酷いこともした。だから、というわけでは無いが、シファは今はただじっとリヒトの話を聞いている。カイルを待つ間の暇つぶしには丁度良い。
「俺はね、女からね、『戦なんて無ければいい』って言うのを聞かされるのが嫌でしょうがないんですよ。
だって大抵ね、こう続くんですよ。『次はいつ会えるの?』だの『待つ身にもなってほしい』だの。
大体ね、戦がなきゃ俺は飯が食えませんし、いつ会えるかなんてその時の気分だし、俺は待ってて欲しいなんて頼んじゃいないし」
とにかく煩わしい、とリヒトが言う。
「まあ、随分なおっしゃりよう」
と、シファは口ではリヒトを非難しつつ、内心リヒトに同意してしまう。来る者拒まず去る者追わずを隠しもしない男の相手になろうというのなら、そういう付き合いだと割り切ったほうがいいだろう。
と、考える自分は冷たいだろうか?
初めはそうだったとしても、相手が本気になってしまったのなら、それに向き合うべき?
そんなことは面倒と思うだろうリヒトは自分と似ている。おそらくカイルもそうだろう。
──私も兄様もリヒトさんも、一人でいることの気楽さを選ぶ。
シファはヨシュアもそうだと思っていた。
ヨシュアが真剣に自分との結婚を考えていることに驚きと呆れしか覚えないシファである。失礼な上に冷たい人間だと思われただろう。
「相手の方には嫌われたことでしょう」
──そう、今まではそうだった。それで終わるはずだった。それなのに。
シファは日覆いを押し付けてきたヨシュアの顔を思い出して、知らず目を伏せてしまう。
その横でリヒトの取り留めのない愚痴は続く。
「そうなんですよ。でね、嫌われたならそれでいいんですよ。男なんてそこら中に溢れかえってんですから俺でなくったっていっくらでも他にいるって話で、こっちはもう面倒なだけなのに『いい気になってる』とか余計な口出ししてくる輩もいて、こちらはこちらで」
面倒臭い、というリヒトの言葉は続かなかった。
「妹相手に何下らない話をしてるんですか」
いつのまにか現れたカイルが、リヒトの後頭部をギリギリと掴んでいる。槍を扱うカイルの握力は見た目によらず強い。
「いやー! 頭が割れるー! 離して!」
「全くあなたはいいかげん落ち着いたらどうです」
「アンタにだきゃ言われたくなーい!」
「それはそうですね」
シファの素っ気ない同意に、カイルはピタリと止まり、リヒトが勢い付く。
「ほらほら多数決俺の勝ち……ッ、いやもうごめんなさい……ってー、無理!」
ふたたび力をこめはじめたカイルから体を捻って抜けたリヒトは十分な距離をとる。
「なんで貴方がここにいらっしゃるんです?」
「私が一人歩くのは危ないからだそうですよ」
東の宮もシファに見張りをつけたのだが、東の領外では全てシファが追い払ってしまった。それで、戦線から戻ってきたリヒトにお鉢が回ったらしい。
どうして撒かなかったかと言いたげなカイルにシファは言う。
「私、追いかけっこでは敵いませんもの」
「これだけはね、ええ。俺はこれで食ってるもんで」
そう言ってリヒトは胸を張る。それに冷たくカイルが言う。
「行き先がわかればよろしいでしょう。さっさとお帰りください」
「えー、奢って頂く約束ですし」
「そんな約束してません」
「違いますー。アンタじゃありません」
ねー? と同意を求めるリヒトにシファが説明する。
「兄様が時間通りにいらっしゃるかどうか賭けていましたの」
それでシファが負けたのだ、と。
今日はいつもの飲み屋ではなく、リヒトの追跡を振り切れなかったシファが指定した酒場である。それに急なことだから遅れるか、もしかしたら会えないかもしれないと思っていたのに時間通りに現れた兄弟子をシファは不思議に思う。
「兄さまは一体どうやって時間をやりくりされているのですか」
「やり繰りは出来ていませんよ。あなたが私に会いたいなら、他の予定が予定でなくなるだけです」
にっこり笑う皇帝侍従に、シファは無いことにされた予定がなんであるかは聞かないことにした。
「うわあ、このにいさまダメ過ぎる」
そう呟いたリヒトはカイルにつまみ出された。
※
場所を変えて約束通り一杯奢ってやると、酒場で三人を伺っていた有象無象はリヒトが引き受けてくれた。
リヒトは元々それが目的だったらしい。
無事不穏な輩を撒いたカイルとシファは、ふたたび場所を変えて、いつもの飲み屋で話をしている。
ヨシュアの足を引っ張るというシファに、カイルは笑う。
「確かにヨシュアさんは北の誰かと縁を結ぶべきでしょうが、そうしなくても良い手がありますよ?」
シファがどういうことだろうと小首を傾げる。
「シファを妻にすれば良いのですよ」
「どうして」
「この私が味方になるからです」
今上侍従が笑いながら言うのに、シファはあっけにとられる。
「元々ヨシュアさんを出世させたのは陛下ですし。さらにシファが妻となるなら、私はヨシュアさんに協力せざるを得ません」
「兄さま」
西の宮が何やら動いているのは知っていたが、今上とこの兄も噛んでいたのか。……いや、噛んでいないはずがなかった。
「私はあの人の助けになるでしょうか」
「あなたが助けになりたいと望めば」
「望めば」
呟いてシファは不思議な気持ちになる。
私が望めば、私はヨシュアさんの力になれる。北の宮に行ってもカイルの支援を受ければ、ヨシュアはそうそう喰われることはない。
シファが望んでいる間は、ヨシュアの行先を見ることが出来る。砂漠も平原も越えるヨシュアの行先を。
シファが二度と戻るまいと自ら辞した北の宮。ヨシュアはどう進んでいくのだろう?
それをシファは、見てみたいと思う。
会うのは久しぶりだが積もる話があるというわけでは無い。それでもこの男がひたすら喋り続けるのは、沈黙に耐えられないだけと知っているシファはリヒトが喋るのにまかせていた。
子供の頃、シファはリヒトの取り留めのないお喋りが嫌いだった。彼が喋り倒している間、カイルにかまってもらえなくなるからだった。
だから彼が話すのをわざと邪魔したり、時には力づくで黙らせたりもした。
それがきっかけで、周りの大人たちが仲裁に入るほどの大喧嘩をしたこともあった。
さすがにそんなことは子供の頃のことで、大きくなってからはしなくなったが、今思えばリヒトには随分と酷いこともした。だから、というわけでは無いが、シファは今はただじっとリヒトの話を聞いている。カイルを待つ間の暇つぶしには丁度良い。
「俺はね、女からね、『戦なんて無ければいい』って言うのを聞かされるのが嫌でしょうがないんですよ。
だって大抵ね、こう続くんですよ。『次はいつ会えるの?』だの『待つ身にもなってほしい』だの。
大体ね、戦がなきゃ俺は飯が食えませんし、いつ会えるかなんてその時の気分だし、俺は待ってて欲しいなんて頼んじゃいないし」
とにかく煩わしい、とリヒトが言う。
「まあ、随分なおっしゃりよう」
と、シファは口ではリヒトを非難しつつ、内心リヒトに同意してしまう。来る者拒まず去る者追わずを隠しもしない男の相手になろうというのなら、そういう付き合いだと割り切ったほうがいいだろう。
と、考える自分は冷たいだろうか?
初めはそうだったとしても、相手が本気になってしまったのなら、それに向き合うべき?
そんなことは面倒と思うだろうリヒトは自分と似ている。おそらくカイルもそうだろう。
──私も兄様もリヒトさんも、一人でいることの気楽さを選ぶ。
シファはヨシュアもそうだと思っていた。
ヨシュアが真剣に自分との結婚を考えていることに驚きと呆れしか覚えないシファである。失礼な上に冷たい人間だと思われただろう。
「相手の方には嫌われたことでしょう」
──そう、今まではそうだった。それで終わるはずだった。それなのに。
シファは日覆いを押し付けてきたヨシュアの顔を思い出して、知らず目を伏せてしまう。
その横でリヒトの取り留めのない愚痴は続く。
「そうなんですよ。でね、嫌われたならそれでいいんですよ。男なんてそこら中に溢れかえってんですから俺でなくったっていっくらでも他にいるって話で、こっちはもう面倒なだけなのに『いい気になってる』とか余計な口出ししてくる輩もいて、こちらはこちらで」
面倒臭い、というリヒトの言葉は続かなかった。
「妹相手に何下らない話をしてるんですか」
いつのまにか現れたカイルが、リヒトの後頭部をギリギリと掴んでいる。槍を扱うカイルの握力は見た目によらず強い。
「いやー! 頭が割れるー! 離して!」
「全くあなたはいいかげん落ち着いたらどうです」
「アンタにだきゃ言われたくなーい!」
「それはそうですね」
シファの素っ気ない同意に、カイルはピタリと止まり、リヒトが勢い付く。
「ほらほら多数決俺の勝ち……ッ、いやもうごめんなさい……ってー、無理!」
ふたたび力をこめはじめたカイルから体を捻って抜けたリヒトは十分な距離をとる。
「なんで貴方がここにいらっしゃるんです?」
「私が一人歩くのは危ないからだそうですよ」
東の宮もシファに見張りをつけたのだが、東の領外では全てシファが追い払ってしまった。それで、戦線から戻ってきたリヒトにお鉢が回ったらしい。
どうして撒かなかったかと言いたげなカイルにシファは言う。
「私、追いかけっこでは敵いませんもの」
「これだけはね、ええ。俺はこれで食ってるもんで」
そう言ってリヒトは胸を張る。それに冷たくカイルが言う。
「行き先がわかればよろしいでしょう。さっさとお帰りください」
「えー、奢って頂く約束ですし」
「そんな約束してません」
「違いますー。アンタじゃありません」
ねー? と同意を求めるリヒトにシファが説明する。
「兄様が時間通りにいらっしゃるかどうか賭けていましたの」
それでシファが負けたのだ、と。
今日はいつもの飲み屋ではなく、リヒトの追跡を振り切れなかったシファが指定した酒場である。それに急なことだから遅れるか、もしかしたら会えないかもしれないと思っていたのに時間通りに現れた兄弟子をシファは不思議に思う。
「兄さまは一体どうやって時間をやりくりされているのですか」
「やり繰りは出来ていませんよ。あなたが私に会いたいなら、他の予定が予定でなくなるだけです」
にっこり笑う皇帝侍従に、シファは無いことにされた予定がなんであるかは聞かないことにした。
「うわあ、このにいさまダメ過ぎる」
そう呟いたリヒトはカイルにつまみ出された。
※
場所を変えて約束通り一杯奢ってやると、酒場で三人を伺っていた有象無象はリヒトが引き受けてくれた。
リヒトは元々それが目的だったらしい。
無事不穏な輩を撒いたカイルとシファは、ふたたび場所を変えて、いつもの飲み屋で話をしている。
ヨシュアの足を引っ張るというシファに、カイルは笑う。
「確かにヨシュアさんは北の誰かと縁を結ぶべきでしょうが、そうしなくても良い手がありますよ?」
シファがどういうことだろうと小首を傾げる。
「シファを妻にすれば良いのですよ」
「どうして」
「この私が味方になるからです」
今上侍従が笑いながら言うのに、シファはあっけにとられる。
「元々ヨシュアさんを出世させたのは陛下ですし。さらにシファが妻となるなら、私はヨシュアさんに協力せざるを得ません」
「兄さま」
西の宮が何やら動いているのは知っていたが、今上とこの兄も噛んでいたのか。……いや、噛んでいないはずがなかった。
「私はあの人の助けになるでしょうか」
「あなたが助けになりたいと望めば」
「望めば」
呟いてシファは不思議な気持ちになる。
私が望めば、私はヨシュアさんの力になれる。北の宮に行ってもカイルの支援を受ければ、ヨシュアはそうそう喰われることはない。
シファが望んでいる間は、ヨシュアの行先を見ることが出来る。砂漠も平原も越えるヨシュアの行先を。
シファが二度と戻るまいと自ら辞した北の宮。ヨシュアはどう進んでいくのだろう?
それをシファは、見てみたいと思う。
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