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灼熱の章
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容赦ない陽射しに、陽炎が揺らめいている。
見慣れた町の光景は、わずか半日足らずで灼熱の惨状へと変じた。
街道のあちこちに甲冑を着たままの兵士が幾人も横たわっている。地面には無数の流血痕が、黒くなった影をなお濃くしていた。
うだるような暑さの中、蝉しぐれが埋め尽くす合間を縫って、まだ生きている兵士の呻き声が聞こえる。四郎兵衛はその声を頼りに、まだ息がある兵士を探し歩いた。
四郎兵衛は目の片隅に入った兵士が動いた気がして、その倒れた場所に近寄っていった。兜は着けず、籠手と御貸胴だけを身につけた足軽である。しゃがみ込んで見てみると、既に息はない。喉元を深く斬られ、そこからおびだたしい出血をしていた。
(こうなっては、手の施しようがない)
せめてもの情けと目を閉じさせると、四郎兵衛は手を合わせた。
戦は弓矢の応酬の後には、槍を持った足軽達が作る前列がぶつかり合うところから始まる。刺す、というより、とにかく一斉に振りあげて叩く。専門的な武技など訓練しておらず、ましてや扱いの難しい長物を足軽が使うには、それが一番の方法であった。
しかし互いに深く踏み込みあい乱戦の様相を呈してくると、槍は懐に入られたならば時に扱いづらい邪魔物となる。そこで戦いは剣によるもの、あるいは互いに掴みあい、相手を地面に引き倒す組討ちとなる。
この組討ちに負けると地面に倒され、倒した側の懐刀によって喉を突かれたり斬られたりする。四郎兵衛が見つけたのも、そういう戦いの跡の兵士であった。
「う……」
四郎兵衛は僅かな呻き声を聞いて、近くに倒れていた別の兵士に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「うぅ……」
やはり足軽らしい兵士は小さく呻いた。見ると、この男の甲冑には、横腹のところに穴が開いている。これは槍で鎧ごと刺し貫かれた跡だった。
「待て、今、胴を脱がせる」
四郎兵衛が胴を脱がせると、兵士の左わき腹は真っ赤な鮮血に染まっていた。既に大量の出血をしたことが、すぐに見て取れた。
(これではいかん)
いきなり、その兵士が四郎兵衛の腕を掴んだ。
四郎兵衛は驚いて、その兵士の顔を見る。泥にまみれたその男の顔には、既に死相が浮いていた。
「か、母ちゃん……」
男はそれだけ言うと、がくりと力を無くして死んだ。四郎兵衛は唇を噛んだ。
四郎兵衛は金創医として、戦場となった町を彷徨っていた。
切り傷で済んだ兵士は、まだ生き延びる可能性がある。四郎兵衛はそういう兵士を見つけると、酒を口に含んで吹きかけ、その後に用意していた蓬の粉末を傷口に塗って布を巻いた。怪我人はきりがないほど倒れていた。
(どうしてこんな事になったのだ。何故だ)
判ってはいた。それが乱世の常である戦だということは。がしかし、その奥の部分で、その理解を拒絶したくなる心がどうしても抑えきれなかった。
(こんな戦を続けて、いったい何になるというのだ。多くの者が傷つき、飢え、苦しむこの世で、何故生きていかねばならないのだ)
四郎兵衛は人の命を助ける医者である自分の身を、無性に虚しく感じた。しかしその想いは、不意に耳に飛び込んできた子供の泣き声によってかき消された。
「父上、父上!」
四郎兵衛は胸の苦しさを感じながら、兵士に泣きすがる少年の方へ近づいていった。四郎兵衛はしゃがみ込んで、兵士を見た。
倒れている兵士は、既に事切れている。四郎兵衛を見る少年に、四郎兵衛は首を振って見せた。
少年は、うなるような声で泣き出した。まだ五、六歳のように見える。無理もない、と四郎兵衛は思った。
「ここにいては、まだ危ない。家に戻り、落ち着いてから母親と遺体を運んだ方がいい」
四郎兵衛はその男児の肩にそっと触れながら、そう言ってきかせた。だが少年は四郎兵衛を涙混じりの眼で見上げると、怒りをぶつけるように怒鳴った。
「母上はいない! 家に帰っても、もう誰もいない! もう、俺には誰もいないんだ!」
四郎兵衛には返す言葉がなかった。
ぐしゃり、と怒りの少年の顔が歪む。少年は途方に暮れたように泣き崩れた。
(この子は身寄りがなくなってしまった……天涯孤独となったのだ)
四郎兵衛は、自身も泣きたいような苦しさを覚えた。だが少年の手前それを堪える。
「ならば……」
私のところに来るか、という言葉を言おうとした時、座り込んだ二人に、誰かの影が差した。
「ーーその子は、教会で預かりましょう」
四郎兵衛は声の主を見上げた。
その背中にちょうど太陽があり、黒い服装の向こう側から朱色の陽光が洩れてくる。男は赤茶けた巻き髪と、金色の眼を持つ南蛮人であった。
「伴天連……」
四郎兵衛の驚きをよそに、その神父は静かに微笑した。
見慣れた町の光景は、わずか半日足らずで灼熱の惨状へと変じた。
街道のあちこちに甲冑を着たままの兵士が幾人も横たわっている。地面には無数の流血痕が、黒くなった影をなお濃くしていた。
うだるような暑さの中、蝉しぐれが埋め尽くす合間を縫って、まだ生きている兵士の呻き声が聞こえる。四郎兵衛はその声を頼りに、まだ息がある兵士を探し歩いた。
四郎兵衛は目の片隅に入った兵士が動いた気がして、その倒れた場所に近寄っていった。兜は着けず、籠手と御貸胴だけを身につけた足軽である。しゃがみ込んで見てみると、既に息はない。喉元を深く斬られ、そこからおびだたしい出血をしていた。
(こうなっては、手の施しようがない)
せめてもの情けと目を閉じさせると、四郎兵衛は手を合わせた。
戦は弓矢の応酬の後には、槍を持った足軽達が作る前列がぶつかり合うところから始まる。刺す、というより、とにかく一斉に振りあげて叩く。専門的な武技など訓練しておらず、ましてや扱いの難しい長物を足軽が使うには、それが一番の方法であった。
しかし互いに深く踏み込みあい乱戦の様相を呈してくると、槍は懐に入られたならば時に扱いづらい邪魔物となる。そこで戦いは剣によるもの、あるいは互いに掴みあい、相手を地面に引き倒す組討ちとなる。
この組討ちに負けると地面に倒され、倒した側の懐刀によって喉を突かれたり斬られたりする。四郎兵衛が見つけたのも、そういう戦いの跡の兵士であった。
「う……」
四郎兵衛は僅かな呻き声を聞いて、近くに倒れていた別の兵士に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「うぅ……」
やはり足軽らしい兵士は小さく呻いた。見ると、この男の甲冑には、横腹のところに穴が開いている。これは槍で鎧ごと刺し貫かれた跡だった。
「待て、今、胴を脱がせる」
四郎兵衛が胴を脱がせると、兵士の左わき腹は真っ赤な鮮血に染まっていた。既に大量の出血をしたことが、すぐに見て取れた。
(これではいかん)
いきなり、その兵士が四郎兵衛の腕を掴んだ。
四郎兵衛は驚いて、その兵士の顔を見る。泥にまみれたその男の顔には、既に死相が浮いていた。
「か、母ちゃん……」
男はそれだけ言うと、がくりと力を無くして死んだ。四郎兵衛は唇を噛んだ。
四郎兵衛は金創医として、戦場となった町を彷徨っていた。
切り傷で済んだ兵士は、まだ生き延びる可能性がある。四郎兵衛はそういう兵士を見つけると、酒を口に含んで吹きかけ、その後に用意していた蓬の粉末を傷口に塗って布を巻いた。怪我人はきりがないほど倒れていた。
(どうしてこんな事になったのだ。何故だ)
判ってはいた。それが乱世の常である戦だということは。がしかし、その奥の部分で、その理解を拒絶したくなる心がどうしても抑えきれなかった。
(こんな戦を続けて、いったい何になるというのだ。多くの者が傷つき、飢え、苦しむこの世で、何故生きていかねばならないのだ)
四郎兵衛は人の命を助ける医者である自分の身を、無性に虚しく感じた。しかしその想いは、不意に耳に飛び込んできた子供の泣き声によってかき消された。
「父上、父上!」
四郎兵衛は胸の苦しさを感じながら、兵士に泣きすがる少年の方へ近づいていった。四郎兵衛はしゃがみ込んで、兵士を見た。
倒れている兵士は、既に事切れている。四郎兵衛を見る少年に、四郎兵衛は首を振って見せた。
少年は、うなるような声で泣き出した。まだ五、六歳のように見える。無理もない、と四郎兵衛は思った。
「ここにいては、まだ危ない。家に戻り、落ち着いてから母親と遺体を運んだ方がいい」
四郎兵衛はその男児の肩にそっと触れながら、そう言ってきかせた。だが少年は四郎兵衛を涙混じりの眼で見上げると、怒りをぶつけるように怒鳴った。
「母上はいない! 家に帰っても、もう誰もいない! もう、俺には誰もいないんだ!」
四郎兵衛には返す言葉がなかった。
ぐしゃり、と怒りの少年の顔が歪む。少年は途方に暮れたように泣き崩れた。
(この子は身寄りがなくなってしまった……天涯孤独となったのだ)
四郎兵衛は、自身も泣きたいような苦しさを覚えた。だが少年の手前それを堪える。
「ならば……」
私のところに来るか、という言葉を言おうとした時、座り込んだ二人に、誰かの影が差した。
「ーーその子は、教会で預かりましょう」
四郎兵衛は声の主を見上げた。
その背中にちょうど太陽があり、黒い服装の向こう側から朱色の陽光が洩れてくる。男は赤茶けた巻き髪と、金色の眼を持つ南蛮人であった。
「伴天連……」
四郎兵衛の驚きをよそに、その神父は静かに微笑した。
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