イグニッション

佐藤遼空

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脱出

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 佑一ははっきりしない意識で、今日子の様子を観察した。傍のテーブルには、飲みかけのコーヒーカップが置いてある。
(身体の拘束はしていないし、飲み物も娯楽も提供している。待遇は悪くない。少なくとも中条警部は、無事に返すつもりだ。ただ、此処の場所が知られたくなくて、連れまわした。連中の狙いは時間稼ぎだ)
「――携帯は取り上げられたんですね?」
「そうなんです。あっちのリビングの方に見張りがいて、時間が来たら解放するから、その時に返すって言ってました」
「解放はいつごろになると?」
「明日のお昼過ぎには、解放するって」
「明日の昼までに、一体、何があるんだ…?」
 佑一は考えていて、ふと頭をよぎることがあった。

「何か、思いついたんですか?」
「いや、全く関係ない事です」
「え? 何かヒントになるかもですよ。教えてください」
 佑一は苦笑しながら言った。
「元カノの結婚式ですよ。確か明日だ」
「あ、青葉さんの」
「関係ない事でしょ?」
「確かに」
 今日子は笑った。佑一は立ち上がろうとして、よろける。そこを今日子が支えた。

「まだ無理ですよ、国枝警部補。けど、そろそろまた薬をうたれる時間です」
「まずいな…此処を脱出しないと」
「焦らないで、救出が来るのを待つとか。……和真先輩とか」
 佑一は怪訝な顔を今日子に向けた。
「和真は意識不明中なんでしょ?」
「そうなんですけどぉ…。なんか和真先輩だったら来てくれるような気がして」
 佑一は苦笑する。
「あいつの傍にいると、なんかそういう気になる…。それは判りますよ。けど、和真に頼ってちゃ駄目なんだ」
 佑一は歩こうとして、足がもつれる。またソファに沈み込んだ。

「くそ…もう少し薬が抜けないと――」
 その様子を見ていた今日子は、佑一を支えるの止めて、隣のソファに腰を下ろした。
「ね、国枝警部補。ちょっと意地悪なこと訊いていいですか?」
「――なんですか?」
 今日子が、覗き込むような眼を向ける。
「国枝警部補は、和真先輩が青葉さんのこと好きだって知ってて、青葉さんとつきあったんですか?」
 佑一はちょっと目を丸くした後、微笑みを洩らした。
「そうですよ」
「それは…和真先輩への対抗意識?」
「いや……そうじゃない」
 佑一は微笑んだまま、首を振った。

「和真に対抗意識なんて、持ったことないですよ。オレはただ、和真に引っ張られて、それに置いて行かれないように頑張ってただけだから」
 佑一は、昔のことを想い出しながら話していた。
「青葉のことは……すぐに判りましたよ。あいつは、ああいう奴だから普段はふざけあってたけど、たまに遠くから、眩しそうに青葉の事を見てた。オレは――そんな和真に憧れてた」
「憧れてた?」
「オレも恋愛をしたら、あんな風に人を見つめるようになるのかなって。…そんな風にね。オレも青葉のことは好きだったけど、青葉は和真のことが好きなんだと思ってたから。オレは最初から諦めてた。けどそしたら、青葉はオレの方に来てくれたんです」
「その時、和真先輩はどんな感じだったんです?」
 興味丸出しの今日子の問いに苦笑しながら、佑一は答えた。

「よかったな、って。仲良くしろよ、二人とも。…って笑いながらオレと青葉に言ったんですよ。それからオレたち二人に気を使ってくれるようになったけど、やっぱり三人で稽古もしたし、よく一緒にいた。三人でいることが自然で…特別の時間でした」
「なんか、和真先輩らしい」
 今日子は笑いをこぼした。佑一は軽く頷くと、言葉を続けた。
「あいつの傍にいると、あいつの明るさや存在感に救われるようになる。けど、いつまでも和真の存在に頼っちゃ駄目なんだ。と、気付いたのが高三の夏です。それからオレは、独りでも大丈夫なように、自分を鍛えた。――だから、此処も自力で脱出しますよ」
 佑一はそう言って、再び身体を起こす。今度はしっかりと立ち上がった。
「そうじゃなければ、今のあいつの隣に立つ資格はない」
 佑一はそう言うと、微笑んでみせた。今日子も微笑みを返す。
「少しは、落ち着きました?」
「オレを落ち着かせようと話しを振ったんですか? 意外に策士だ」
「――それじゃあ、どういう作戦でいきます?」
 そう言って今日子は、いたずらっぽい眼で佑一を覗き込んだ。

 突如、今日子の悲鳴が上がった。
「止めて! やめて下さい、国枝警部補! 駄目ですってば!」
 見張りの男は声に気付いて、部屋のドアを開ける。そこには、今日子に覆いかぶさる国枝佑一の背中がある。
「いやん、駄目ですってば!」
「――こら、お前! 何してる!」
 見張りの男が佑一の肩に手をかけ、振りほどこうとした時だった。どかした佑一の肩ごしに今日子の顔と手が見える。その手には、小さなスプレーが握られていた。
 突然、発射された噴霧に眼をやられる。
「うわっ!」 

 男が怯んだ瞬間、佑一は立ち上がりざまに男の腹に膝蹴りをぶちこんだ。男が呻く。すかさず両手を組んだ鉄槌を、男の頸椎に振り下ろした。男はものもいわずに崩れ落ちる。
「やった!」
 今日子が嬉しそうに声を上げた。二人が部屋の外へ出ると、もう一人の見張りが、もう迫ってきている。
「貴様ら、何をしてる! 出てくるな!」
 男は声をあげながら近づいてきた。が、その背後から男の脇を抱える手が伸びる。
「おい、こいつらに手を出すなよ」
「離せ! 離せってば!」
 男が背後から動きを止められるのを見て、佑一は駆けこんでその金的を蹴り上げた。
「い――」

 呼吸が止まって男の身体が前のめりになると、その真上から鉄槌が振り下ろされる。男は何も言う間もなく、床に倒れ込んだ。
「見張りはこれだけですか、名波さん?」
 佑一は背後に立っていた男――名波丈介にそう呼びかけた。名波が、にっと笑う。
「ああ、見張りは三人。――おれを含めてな」
その姿に、今日子は声をあげた。
「え、味方なんですか、この人?」
「どうなんです、名波さん?」
 佑一は息をつきながら名波に言った。と、その足元がふらつく。それを素早く、名波が支えた。
「おっと、まだふらついてるじゃないか。まあ、そうだろうな。よくあれだけ動いたよ。もう一人もノシたのか?」
 佑一は頷く。名波はにやりと笑った。

「どっかのタイミングで助けようと思ってたが、自分たちで出てくるとはな。やるな、お前」
「どういう事なのか…説明してください」
「判った。が、少し座ってろ」
 名波は佑一をリビングのソファに座らせると、取り出してきた紐で見張りの男の手と足を縛り始めた。
「おれは桜木課長の命令で、高坂一派が誰なのか特定するため潜入してたんだ」
「……公安内で、潜入捜査ですか? 呆れたものだ」
「まあ、そういう事もあるってことだよ。――お嬢さん、ちょっと向うの部屋まで、こいつを運ぶのを手伝ってもらえませんかね?」
 名波は今日子に向けて笑みを見せる。

「お嬢さんですって、いやん」
 今日子は嬉しそうに、両手でグーをつくる。今日子が男の足を持つと、名波は男の上半身を抱えて、佑一たちが閉じ込められていた部屋に運び込んだ。
 中では、もう一人の男が伸びている。名波はそちらも紐で手足を縛り始めた。その作業を見ながら、今日子が口を開く。
「ところで、わたしの演技力どうでした?」
「あ? ああ、襲わてれるにしちゃあ、ちょっと可愛すぎたんじゃないか? あんまり切羽詰まってる感じはしなかったような」
「だって、国枝警部補のイケメンが目の前に迫って来るんですもの」
 はにかむ今日子に名波が苦笑する。
「しょうがないな。――あれ? 二人そういう関係なの?」
「そういう関係じゃありません」
 ドアにもたれかかった佑一が、苦々しい表情で口を挟む。その間に名波は拘束を終えた。

「これでよし。時間は稼げるだろう。じゃあ、脱出するか」
「行きましょう――」
 そう言って佑一は歩き出そうとするが、やはり足元がふらつく。先ほどは気力で動いたが、やはりまだ薬が抜けきらないようだった。
「まあ、動ける方が不思議なくらいだ」
 名波はそう言うと、佑一の腕を取り肩から支えた。そのまま佑一を支えながら、歩き始める。
「あ、二人のスマホはテーブルの上にあるから。お嬢さん、取っといて」
 はい、と返事をしながら、今日子は三台のスマホを手にした。

 三人は部屋を後にし、マンションから出た。すっかり外は夜である。佑一を支えて歩きながら、名波が口を開いた。
「とりあえず、お前は何処かで休んで薬を抜いたほうがいい」
「名波さんはどうするんですか?」
「おれは桜木課長に、高坂一派のメンバーが特定できたから報告に行く」
「明日の午後というタイムリミットは、何故なんです?」
「いや、おれはそこまでは聞かされてない。多分、誰も知らないだろう」
「何か起こす筈です」

 佑一はぼんやりする意識を奮い起こして、そう口にした。
「あのイグニスを使って、何か行動を起こす。そのタイムリミットが明日の午後で、それまでオレたちを足止めできればよかっただけなんだ。それを……阻止しないと」
 ぐらつく意識を感じて、佑一は歯ぎしりした。
「なに? なんだイグニスって?」
「……迎撃が難しいにも関わらず、正確に対象を狙える弾道ミサイルです…」
「な――なんだそりゃ? 高坂班長は、そんな事に関わってたのか?」
「点火作戦…(オペレーション・イグニッション)…」
 そう呟きながら、佑一の意識は再び途切れた。
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