イグニッション

佐藤遼空

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拓真の指導

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 果敢に打ち込む。が、こちらの竹刀が届く前に、先にこちらが打たれている。フェイントを入れたり、払いを入れたりしても、同じである。和真の攻撃はまったく当たらず、逆に択真に必ず打たれていた。
(くそ。なんなんだよ)
 最後になって、わざと開けてくれた隙に面を打つ。次々と打ち込む。
「よし。次は佑一」
 面白くなかった。高1になっても、いや、高校生になったからこそ、自分がまだ父から子供扱いされてるのがはっきりと判る。それが面白くなかった。
 今度は佑一が択真にかかっていくところを見つめる。やはり佑一も、同じように打たれている。それが不思議だった。
(先に佑一が動いているのに、打たれるのは佑一の方だ。なんでだよ)
 地稽古が一息つくと、和真は面を着けた択真に迫った。

「なあ、なんで俺たちの方が先に仕掛けてるのに、先に打たれるんだよ?」
 択真が、和真の方を見る。少し目が笑った。
「そうか、そこに気付いたか。――じゃあ、少し座学をするか」 
 択真はそう言うと、和真と佑一を促し、自ら面を外した。二人もそれに倣う。択真は二人の前に座ると、くっきりとした眼と眉を向けた。
「剣道の最高峰の大会って、何か知ってるか?」
「全日本」
 和真の答えに、択真は首を振る。
「世界大会ですか?」
 佑一の答えにも、択真は首を振った。そして択真は言った。
「俺は剣道の最高峰の戦いは、八段戦だと思っている」
「八段戦?」

「そうだ。八段取得者だけが参加できる、特別な大会だ」
「八段って……年寄りばっかじゃねえの?」
 和真は怪訝そうな顔を見せた。通常、全日本などの大会に出るのは、四、五段くらいで、三十代くらいの選手が多い。普通のスポーツ競技と比較すれば、そこが選手として最もピークな戦いだと和真は思っていた。
「そうだな。実際に見てみるか」
 択真は座を立つと、控室からテレビ一式を持ってきた。そしてDVDをセットする。画面には『全日本選抜剣道八段優勝大会』と出ていた。
 和真と佑一は、そこで行われる戦いを見つめた。が、よく判らない。
 選手は見合ったままで中々仕掛けず、打ちあった、と思っても、一本にならない。
「え? なんで今の一本じゃないの?」
 和真は疑問を口にした。そして試合時間が長いのに気が付いた。五分が過ぎても、まだ終わらない。10分で、延長になった。

「なげぇ。長いよ、試合時間」
 和真は文句を言った。そもそも、試合があまり動的な展開がない。スピーディーに動いて、激しく打ち込む。そういう場面がほとんどないのである。静かにお互いが見合っていて、打ちあって、終わり。連続技もフェイントもない。そういう印象しかなかった。
 択真は一旦、DVDを止めた。
「どう見た?」
「…よく判らない。本当に強いのかよ、八段」
 択真は少し笑った後で、真面目な顔をして言った。
「八段は、七段取得から十年経ち、46歳以上になってないと受験できない。毎年数千人が受験して、受かるのは年に20人程度。合格率は、0.05%ほどだと言われている」
「え……」
 佑一が絶句した。

「日本に700人ほどしかいない。それが八段だ」
「それが凄いのは判るけど…何やってるのか、よく判んねえよ」
 和真の正直な感想に、択真は微笑んだ。
「和真、もし真剣を持ったとして、お前の剣道の時の打ち込みで人が斬れると思うか?」
「え……いや、斬れる…んじゃねえの?」
「お前のは叩いているだけだ。斬ってるとは言い難い」
 択真はそう言って、さらに言葉を続ける。
「お前は若いし腕力もあるから、力で竹刀を振ってる。けど、真剣を振る時は力を抜いて、刀の重みを降ろすんだ。剣道をしてる時に、そこまであまり意識した事はないだろう?」
 択真の言葉に、和真は黙るしかなかった。
「けど剣道以上に、『斬る』という事を重視してる場所がある」
「なんですか?」
「薙刀だ」
 佑一の問いに、択真はそう答えた。

「薙刀ってあの…弁慶が持ってた奴?」
「そうだ。俺は一時期、剣道と平行して薙刀をやっていた事があるんだ。薙刀も剣道のように防具をつけて行う競技があるが、それと同時に型を非常に重要視する。防具と型、その比重は半々…あるいは、型の方が重い位だ」
「型武道かよ」
 和真の軽口に、択真は厳しい顔をしてみせた。
「薙刀の防具試合では、ただ当たっただけでは中々、一本にならない。軸手はへその下にあって、体は真半身、後ろ足は伸びきらず十分に引きつけてなければいけない。足で飛んで、手を前に伸ばしたような打ち方では、例え当たっても一本にならないのが普通だ。どうしてそんなに形を重視するか? それは、その形でなければ『斬った』と言えないからだ」
「斬る、斬らないを形で判断するという事ですか?」

「そうだ。薙刀では痛い面や小手も『斬ってない』と言われて嫌われる。本当に斬る時は、力を抜いて衝撃が貫通するような打ち方をするのだ。そういう打ち方が、模擬の薙刀でもできるようにならないと、いつまで経っても上段者と見做されない」
「で、薙刀がそうなのは判ったよ。それがどう八段戦と関わって来るのさ?」
「お前はせっかちだな」
 択真は和真に呆れ顔をして見せた。
「薙刀はつまり、先に当てた者が勝つ『当てっこ競技』じゃないという事だ。和真、地稽古や試合の時に、先に当てたから一本取ったが、その後相手の竹刀が当たったり、あるいは相打ちになる時があるだろう」
「ああ、あるけど」
「もし真剣で戦ってたら、そういう時はどうなる?」
 和真は少し考えて目を見開いた。
「……俺も、斬られてる」

「そうだ。先に当てても自分が斬られたら意味がない。それが実戦だ。『肉を切らせて骨を断つ』という言葉を知ってるだろう? 先に当てても形が不十分で、相手が軽傷ならば、その後に斬られるのは自分だという事だ。だから戦う時は、充分の形で、相手だけを確実に斬らなければいけない。――佑一、それはどういうタイミングだ?」
 問いを振られた佑一は考えて、やがて口を開いた。
「相手が――仕掛けてくる時」
「うん。いい答えだ。剣道では昔から、『三つの許さぬところ』という教えがある。『起こり頭・技を受けた時・技の尽きた時』というものだ。これは北辰一刀流を創始した千葉周作の遺稿にあるものが元になっている。相手が仕掛けてくるのは『起こり頭』だ。相手を攻撃しようとする時――その時、人は一番無防備になる。そこが狙い目だ。しかし、双方が同じように、そのタイミングを狙ったらどうなる?」
「あ」
 和真が声を上げた。

「つまり、八段戦は、両方がそれを狙ってたって事だな?」
 択真は微笑んで頷いた。
「中山義秀という作家の作品に、こういう話がある。この人の祖父は水戸の剣客だったが、一刀流を学んでいた。幕末に水戸の天狗党というのが旗揚げした時にそれに加わり、戦に出て二百人もの人を斬ったという。この人はよく、『人を斬るのは、居物(すえもの)を斬るよりやさしい』と言うくらいの腕前だったという。
 この人の処へ、ある日、七十過ぎの老人がぶらりとやってきた。それで仕合を望まれたので立ち会ったが、この頭髪も顎鬚も真っ白な老人を前に、この人はまったく動けなくなってしまった。それでも二時間ちかく、微動もしないで見合っていたが、遂にこの老人に対して負けを認めた、という事だ」
「二時間…?」
 和真と佑一は、思わぬ話に顔を見合わせた。択真はそのまま話を続ける。

「本当の達人というのは、一か八かで当てにいったりはしない。その一撃に、命が掛かっているからだ。だから絶対に勝てる時を狙って斬りに行く。だが、双方がそれを狙う腕前だったら? 試合のように制限時間のない戦いならば、その好機が来るまで、一瞬の隙も見せずに、また相手の隙に瞬時に反応できる態勢をとったまま、それをじっと狙い澄ませる者が勝つ。八段戦の試合時間が長いわけが判ったか?」
 二人が頷くのを見て、択真は微笑んだ。
「じゃあ、そういう目で、もう一回、八段戦を見てみろ」
 そう言うと択真は、再びDVDを起動させた。
 和真と佑一は、食い入るように画面に見入った。
 その後、実際に出ばな面の打ち方、狙いどころなどを面を着けて指導を受ける。
「早い! もっと待て。相手の出どころを見極めろ」
 択真の声が、和真に飛ぶ。何度もそれを繰り返し、和真は焦れてきた。
「そんな事言ったって、攻めて崩して打った方が早えよ」
「どうして相手を打ちたくなるか、判るか?」
 択真の問いに、和真は答えなかった。代わりに、択真が答える。

「相手が恐いからだ」
「俺は――別に恐がってねえよ!」
「じゃあ、お前は小学生を相手にした時、先に出て打とうと思うか?」
「いや…それはないけど」
「それは自分の方が圧倒的に優位で、相手が打ってきても防いだり、先に打てる自信があるからだ。相手が変わったらそれができないのは、相手を恐れるからだ。先に打たないと、自分が打たれるんじゃないか。そう思う気持ちがあるから、早く動いてしまうんだ。相手を恐れない心と、相手が出てきても先に打てる自分を信じる心があれば、焦って動く必要はない」
「そんな事言われたって――父さん相手に、先に打てるかよ」
「どうしてそう思う? 反射神経だったら、若いお前たちの方が早いかもしれないんだぞ。問題は、お前が、お前自身を信じ切れてないことだ。……薙刀でな、女の先生にだが、こういう言葉を教わった。『手で打たず、腰で打たず、心で打て』」
「最後は心の問題かよ」
 和真は不平そうに言ったが、再び竹刀を構えた。
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