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遺された三人
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病院に着くと、霊安室に西村の母親が来ていた。目の前には白い布がかけられたベッドが置いてある。パイプ椅子に座った母親は、憔悴しきった顔をしていた。
「この度は……」
和真が挨拶すると、母親が立ち上がって礼をする。和真は改めて名乗った。
「王日署の佐水です」
「中条です」
「西村義子です」
そう名乗った母親は、和真の顔を見た。
「警察の方なんですね。孝義は…息子はどうして死んだんでしょう?」
「自殺、他殺――両方の線から今も捜査中です」
「自殺……もありえる、という事なんですか?」
躊躇いがちにそう訊いた義子に、和真は逆に訊ねてみた。
「お母さんの方では、何か西村さんの様子で思い当たることはありませんか?」
和真の問いを受けて、義子は口を開いた。
「実は……十日ほど前に、不意に帰ってきたんです」
「群馬のご実家にですか?」
「ええ」
「西村さんは、ご実家に帰ることは多いのですか?」
「いいえ。もうほとんど正月に顔をみせるくらいで…。だから少しびっくりしまして……」
義子の言葉を、和真は神妙な面持ちで聞いた。
「ちょっと痩せたような気がしましてね。『お前、痩せたんじゃないのかい』って言うと、『太ってるよりいいだろう』と言いましてね。なんか疲れたように笑ってました。せめて、うちではゆっくりしてもらおうと思って、あの子の好きな料理を出したんです。…喜んで食べてましたね。まさか、あれが最後に見た元気な姿になるとは……」
そこまで言うと、義子は涙ぐんで両手で顔を覆って俯いた。その背中に、寄りそうように今日子がそっと触れた。それに助けられたように、義子はハンカチで涙をふくと顔を上げた。
「昔から頭のいい子で、わたしにはあの子が考えてる事がよく判りませんでした。…自殺したんなら……よっぽどの事でしょうねえ…」
「そういう、悩んでるような話しとかは?」
「いいえ。けど、しきりにカレンダーをちらちら見てるので、『お前、何か予定でもあるのかい?』って訊いたんです。そしたら『21日に、僕が元気だったら、また来るよ』って言いました」
「21日? 何か予定とか、記念日とか?」
和真の問いに、義子は首を振った。
「いいえ。何もありません。友達との約束でもあったんでしょうかねえ…そう言えばその後に、息子の友人だという方が見えて、お土産を置いていってくれましたよ。なんだか、スマホでその様子を撮ったりしてね」
「友人? どんな人ですか?」
「いえ、明るい気さくな感じでね。ちょっといい体格の人で、学者さんには見えませんでしたけどね」
「…そうですか」
和真は引っかかるものがあったが、とりあえずそれだけ言った。
「あんなお友達いるっていうのに…どうして、こんな事になったのか…なんで21日なのかも言わずじまいで…。息子がご迷惑をおかけしますが、なにとぞ皆さんのお力で、息子がどうして死んだのか…本当の事を教えてください」
「判りました。尽力します」
和真は、そう義子に答えた。
病院を出ると、今日子は少し神妙な顔で言った。
「当たり前ですけど…死んだ人にも家族があって、悲しい想いをされるんですね」
「そうだな……死んだ人は戻らないけど、その人への想いは遺族に残ってる。だから俺たちみたいな仕事が必要なんだろうな」
そう言った和真の脳裏に、過去の記憶が甦った。
*
永瀬青葉が部活終わりや土日に、佐水択真の道場に来るようになり、和真と佑一は青葉とともに練習する機会が増えた。青葉はみるみる実力を上げていったが、次第に和真と佑一との仲が近くなり、いつの間にか択真の呼び方に倣って、二人を『和真』『佑一』と呼び捨てするようになっていた。
三人の、影の無い青春の日々がそのまま過ぎるかのように見えた。が、二年生の11月のある日、突如、それは破られた。
和真の父、択真の殉職が告げられたのである。
警察関係者や葬儀関係者が出入りしバタバタする中、和真は自室に籠ってぼんやりとしていた。ベッドに転がって、天井を見ている。まだ、父が死んだという事が、実感として判らなかった。
「和真、祐くんと青葉ちゃん」
母、美和子が、和真の部屋に顔を出す。その後から、青葉と佑一が入ってきた。青葉は黙って床に座り、佑一はベッドの足元に腰かけた。
既に青葉は、目を赤くしている。入ってきたはいいが、佑一は何も話さなかった。
「和真……択真先生が…」
涙声を出した青葉に、和真は身体を起こすと、強がって苦笑してみせた。
「しょうがないよな、親父の奴。普段、あれだけ『実戦ならば』『実戦ならば』って言ってさ。それで殉職しちゃあ、しょうがねえよ」
「和真!」
佑一が和真の胸を掴む。その眼には、涙があふれていた。
「択真先生は、同僚を庇って死んだんだ! こんなに人として……立派な生き様はない……」
そう言いながら、佑一の首が和真の眼の間でうなだれていく。和真は寂しげな微笑みを浮かべながら、佑一の背をやさしく叩いた。
「わかってる…わかってるさ、俺だって。…お前たち、本当に親父の事、好きだったもんな――」
「馬鹿だね…和真」
青葉が、真っ赤に泣き腫らした眼で、和真を見つめた。
「あたしたち、みんな択真先生の事が大好きだった。だけどね、一番先生の事好きだったのは……和真に決まってるじゃない」
青葉の言葉に、和真の眼が開かされた。
「そして先生は、あたし達みんなを大事にしてくれた。けどね――一番大事にしてたのは、和真……和真の事だよ」
和真の眼から、堪えようもなく涙が溢れてきた。
「くっ…ううぅぅ………」
抑えていた声が洩れ出し、和真は泣き始めた。青葉がベッドに腰かけ、そっと和真を抱き寄せる。佑一は、逆側から和真の肩を抱いた。和真は寄せられた青葉の胸で、堪えきれずに嗚咽した。三人は一塊になって、しばらく泣いていた。
*
佑一と安積は桜木の前に立っていた。所轄からの情報を一通り報告した後、安積が付け加える。
「所轄の巡査部長が、西村の元妻を拉致しようとした連中と交戦した模様です」
「なに?」
声を上げた高坂班長に対し、桜木は眼鏡の奥の眼を無言で向けた。
「どうなった?」
「元妻は無事で、埼玉の所轄で保護されてるようです。交戦した巡査部長も無傷でした」
「牙龍相手に、よくそんなもので済んだな」
感心したように呟く高坂の後に、桜木が問うた。
「なんという巡査部長だ?」
「佐水和真という男です。なんでも、武道十六段らしいです」
「佐水か――」
桜木の呟きに、高坂が問う。
「課長、ご存知なのですか?」
「いや……。それで、牙龍の足取りはどうなってる?」
「所轄の連中が、元ゼミ生から李蓮花の方を探すようです。もしかしたら、そっちの方から何かあるかと」
「国に帰ってるのだとしたら、望み薄だな」
高坂はそう発言した。安積はそこから付け加えた。
「西村の携帯を調べた処、現在は使われてない連絡先の番号が二週間ほど前に幾つかありました」
「誰の者だ?」
「井口良純という自衛隊員のものです。どうやら――二週間ほど前に基地内で自殺してます」
安積の言葉で、その場に凍りつくような沈黙が降りた。
安積は、確かめるように桜木を凝視している。佑一も、その様子を注視した。
桜木成賢の表情に、変化はない。
「調べてみろ」
桜木は短く言った。
不意に佑一が口を開いた。
「一つお訊ねしてよろしいでしょうか?」
「……何だ?」
「そもそも、西村が中国側と接近してるという情報の出所は何処だったのでしょう?」
高坂ははっとした顔をしたが、何も言わずに桜木の方を見る。桜木はじっと黙ったまま佑一を見ていたが、やがて口を開いた。
「匿名の電話だ」
「その日時と発信元は?」
佑一の問いに、桜木は少し黙る。が、やがて口を開いた。
「二週間前。場所は公園内の公衆電話からだ」
「私はそちらを調べます」
佑一の言葉に、桜木は黙って頷いた。
「この度は……」
和真が挨拶すると、母親が立ち上がって礼をする。和真は改めて名乗った。
「王日署の佐水です」
「中条です」
「西村義子です」
そう名乗った母親は、和真の顔を見た。
「警察の方なんですね。孝義は…息子はどうして死んだんでしょう?」
「自殺、他殺――両方の線から今も捜査中です」
「自殺……もありえる、という事なんですか?」
躊躇いがちにそう訊いた義子に、和真は逆に訊ねてみた。
「お母さんの方では、何か西村さんの様子で思い当たることはありませんか?」
和真の問いを受けて、義子は口を開いた。
「実は……十日ほど前に、不意に帰ってきたんです」
「群馬のご実家にですか?」
「ええ」
「西村さんは、ご実家に帰ることは多いのですか?」
「いいえ。もうほとんど正月に顔をみせるくらいで…。だから少しびっくりしまして……」
義子の言葉を、和真は神妙な面持ちで聞いた。
「ちょっと痩せたような気がしましてね。『お前、痩せたんじゃないのかい』って言うと、『太ってるよりいいだろう』と言いましてね。なんか疲れたように笑ってました。せめて、うちではゆっくりしてもらおうと思って、あの子の好きな料理を出したんです。…喜んで食べてましたね。まさか、あれが最後に見た元気な姿になるとは……」
そこまで言うと、義子は涙ぐんで両手で顔を覆って俯いた。その背中に、寄りそうように今日子がそっと触れた。それに助けられたように、義子はハンカチで涙をふくと顔を上げた。
「昔から頭のいい子で、わたしにはあの子が考えてる事がよく判りませんでした。…自殺したんなら……よっぽどの事でしょうねえ…」
「そういう、悩んでるような話しとかは?」
「いいえ。けど、しきりにカレンダーをちらちら見てるので、『お前、何か予定でもあるのかい?』って訊いたんです。そしたら『21日に、僕が元気だったら、また来るよ』って言いました」
「21日? 何か予定とか、記念日とか?」
和真の問いに、義子は首を振った。
「いいえ。何もありません。友達との約束でもあったんでしょうかねえ…そう言えばその後に、息子の友人だという方が見えて、お土産を置いていってくれましたよ。なんだか、スマホでその様子を撮ったりしてね」
「友人? どんな人ですか?」
「いえ、明るい気さくな感じでね。ちょっといい体格の人で、学者さんには見えませんでしたけどね」
「…そうですか」
和真は引っかかるものがあったが、とりあえずそれだけ言った。
「あんなお友達いるっていうのに…どうして、こんな事になったのか…なんで21日なのかも言わずじまいで…。息子がご迷惑をおかけしますが、なにとぞ皆さんのお力で、息子がどうして死んだのか…本当の事を教えてください」
「判りました。尽力します」
和真は、そう義子に答えた。
病院を出ると、今日子は少し神妙な顔で言った。
「当たり前ですけど…死んだ人にも家族があって、悲しい想いをされるんですね」
「そうだな……死んだ人は戻らないけど、その人への想いは遺族に残ってる。だから俺たちみたいな仕事が必要なんだろうな」
そう言った和真の脳裏に、過去の記憶が甦った。
*
永瀬青葉が部活終わりや土日に、佐水択真の道場に来るようになり、和真と佑一は青葉とともに練習する機会が増えた。青葉はみるみる実力を上げていったが、次第に和真と佑一との仲が近くなり、いつの間にか択真の呼び方に倣って、二人を『和真』『佑一』と呼び捨てするようになっていた。
三人の、影の無い青春の日々がそのまま過ぎるかのように見えた。が、二年生の11月のある日、突如、それは破られた。
和真の父、択真の殉職が告げられたのである。
警察関係者や葬儀関係者が出入りしバタバタする中、和真は自室に籠ってぼんやりとしていた。ベッドに転がって、天井を見ている。まだ、父が死んだという事が、実感として判らなかった。
「和真、祐くんと青葉ちゃん」
母、美和子が、和真の部屋に顔を出す。その後から、青葉と佑一が入ってきた。青葉は黙って床に座り、佑一はベッドの足元に腰かけた。
既に青葉は、目を赤くしている。入ってきたはいいが、佑一は何も話さなかった。
「和真……択真先生が…」
涙声を出した青葉に、和真は身体を起こすと、強がって苦笑してみせた。
「しょうがないよな、親父の奴。普段、あれだけ『実戦ならば』『実戦ならば』って言ってさ。それで殉職しちゃあ、しょうがねえよ」
「和真!」
佑一が和真の胸を掴む。その眼には、涙があふれていた。
「択真先生は、同僚を庇って死んだんだ! こんなに人として……立派な生き様はない……」
そう言いながら、佑一の首が和真の眼の間でうなだれていく。和真は寂しげな微笑みを浮かべながら、佑一の背をやさしく叩いた。
「わかってる…わかってるさ、俺だって。…お前たち、本当に親父の事、好きだったもんな――」
「馬鹿だね…和真」
青葉が、真っ赤に泣き腫らした眼で、和真を見つめた。
「あたしたち、みんな択真先生の事が大好きだった。だけどね、一番先生の事好きだったのは……和真に決まってるじゃない」
青葉の言葉に、和真の眼が開かされた。
「そして先生は、あたし達みんなを大事にしてくれた。けどね――一番大事にしてたのは、和真……和真の事だよ」
和真の眼から、堪えようもなく涙が溢れてきた。
「くっ…ううぅぅ………」
抑えていた声が洩れ出し、和真は泣き始めた。青葉がベッドに腰かけ、そっと和真を抱き寄せる。佑一は、逆側から和真の肩を抱いた。和真は寄せられた青葉の胸で、堪えきれずに嗚咽した。三人は一塊になって、しばらく泣いていた。
*
佑一と安積は桜木の前に立っていた。所轄からの情報を一通り報告した後、安積が付け加える。
「所轄の巡査部長が、西村の元妻を拉致しようとした連中と交戦した模様です」
「なに?」
声を上げた高坂班長に対し、桜木は眼鏡の奥の眼を無言で向けた。
「どうなった?」
「元妻は無事で、埼玉の所轄で保護されてるようです。交戦した巡査部長も無傷でした」
「牙龍相手に、よくそんなもので済んだな」
感心したように呟く高坂の後に、桜木が問うた。
「なんという巡査部長だ?」
「佐水和真という男です。なんでも、武道十六段らしいです」
「佐水か――」
桜木の呟きに、高坂が問う。
「課長、ご存知なのですか?」
「いや……。それで、牙龍の足取りはどうなってる?」
「所轄の連中が、元ゼミ生から李蓮花の方を探すようです。もしかしたら、そっちの方から何かあるかと」
「国に帰ってるのだとしたら、望み薄だな」
高坂はそう発言した。安積はそこから付け加えた。
「西村の携帯を調べた処、現在は使われてない連絡先の番号が二週間ほど前に幾つかありました」
「誰の者だ?」
「井口良純という自衛隊員のものです。どうやら――二週間ほど前に基地内で自殺してます」
安積の言葉で、その場に凍りつくような沈黙が降りた。
安積は、確かめるように桜木を凝視している。佑一も、その様子を注視した。
桜木成賢の表情に、変化はない。
「調べてみろ」
桜木は短く言った。
不意に佑一が口を開いた。
「一つお訊ねしてよろしいでしょうか?」
「……何だ?」
「そもそも、西村が中国側と接近してるという情報の出所は何処だったのでしょう?」
高坂ははっとした顔をしたが、何も言わずに桜木の方を見る。桜木はじっと黙ったまま佑一を見ていたが、やがて口を開いた。
「匿名の電話だ」
「その日時と発信元は?」
佑一の問いに、桜木は少し黙る。が、やがて口を開いた。
「二週間前。場所は公園内の公衆電話からだ」
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