イグニッション

佐藤遼空

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第六章 前哨  岡原署の島課長

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 署に戻ってきた和真は、その場にいた北山仁司に声をかけた。
「あ、仁さん、芝浦借りていいですか?」
「おう、いいぞ。どんどん持ってけ。おい、芝!」
 呼びかけられた芝浦が、いそいそとやって来る。和真の姿を見るなり、芝浦は軽口を叩いた。
「なんですかあ? やっぱりペアのオレの事、恋しくなっちゃいました?」
「お前の尻ふきをしなくいいんでホッとしてるとこだよ」
「またまた~、で、なんです?」
「お前、岡原の風俗行って来い」
「え、佐水部長のオゴリですか?」
 急に嬉しそうな声を出す芝浦に、和真は呆れ顔を見せた。

「バカ、潜入捜査だよ。彼女を探してほしいんだ」
 和真はそういうと、スマホに相馬由美からもらった写真を出して見せた。芝浦のスマホにそれを転送する。
「おぉ、凄い美人ですねえ。この子を探すんですね」
「西村の元カノ李蓮花だ。岡原二丁目の『メイユエ』にその子がいるかどうか、確認するだけだ。接触はするな」
 芝浦は頷きながらも、和真に質問した。
「けど、佐水部長、どうして自分で行かないんです?」
「俺は相手に面が割れてる可能性があるからな、頼んだぞ」
「わっかりましたっ!」
 気合だけは十分な敬礼をする芝浦に、和真は苦笑した。

 駆けだす芝浦を見送ると、北山が和真に言った。
「あいつ、勢いだけはいいんだがな…ところで、あんまり出張ると、向うもいい気しないぞ」
「あ、俺、岡原の島さんと仲いいんですよ。柔道仲間です」
「おお、あのゴリラな」
 仁は愉快そうに笑った。
 一時間ほど後、芝浦から連絡があった。
「佐水部長、いました李蓮花」
「いたか。しかしお前、連絡速いな。本当に店に入ったのか?」
「入りましたよ~、それで指名表を舐め回すように見たんです。で、『ちょっとすいません、銀行行ってきます!』って言って出てきました」
「なんだ、お楽しみはせずか」
 仁がニヤニヤしながら言った先で、今日子がじろりと睨む。その仁の言葉を聞いて、芝浦が声を上げた。

「え、もしかして、経費で落ちたんですか? しまった~!」
「馬鹿、んなワケあるか。戻ってこい」
 和真は苦笑してそう言った後、すぐに真顔に戻った。
「ちょっと岡原まで行ってきます。中条、行くぞ」
「はい!」
 車に乗り込んだ和真に、今日子は訊ねた。
「和真先輩、何処行くんですか?」
「岡原署だ」
「警察? 店へ行って、李蓮花さんを引っ張って来るんじゃないんですね?」
 和真はハンドルを握りながら、苦笑して見せた。
「テリトリーってもんがあるからな。岡原のテリトリーを勝手に荒らしちゃいけないんだよ。その前に、仁義切っとかないと」
「なんか、昔のヤクザ映画みたいですね。見たことないけど」
 今日子はそんな事を口にした。
 
 ほどなくして岡原署に着いた和真は、席に座るいかつい男の元へと近づいていった。
「島さん」
「おう、和真かどうした、こんな処まで来て。遊びに来たのか? ……ん?」
 立ち上がった島は、和真をはるかに凌ぐ巨漢である。顔も大きくごつごつとしており、眉も太い。髪を角刈りにした島の風貌は、暴力団の人間と言われても、まず納得するものであった。
 その島が、後ろについて来ている今日子に気付いた。
「どうした、その嬢ちゃんは?」
「中条今日子です。今日子ちゃんて呼んでください!」
「…お前、ほんと物おじしない奴だな」
 和真が呆れたように呟く。目を丸くしている島に、和真は軽く言った。

「あ、こいつはキャリアの警部です。一応」
「和真先輩の下で、勉強してます!」
「そ、そうか……色々、大変だな」
 島が困惑の色を見せながら、そう返した。
「こちらは岡原署の刑事組織犯罪対策課、島幸秀課長だ」
「え、課長さんなんですか?」
 今日子が驚いた顔を見せると、和真の方に視線を向けた。
「和真先輩、課長さん相手に随分、気安くないですか?」
「なにせ、こいつには結構投げられてるからな」
 島が親指で和真を指しながら、苦笑して見せる。今日子はまた驚いた。

「え! 和真先輩……この大きい人を投げるんですか?」
「たまにな。島さんだって、相当強いぜ」
 こともなげに言う和真に苦笑しつつ、島は口を開いた。
「それで、どうしたんだ?」
「いや、実は一人引っ張りたいのがいて。島さんに許可もらっとこうと思って」
「そうか、何処の店だ?」
「『メイユエ』って店の、中国娘なんですけど」
 店の名前を出すと、島の顔が変わった。
「『メイユエ』? お前、それは駄目だ」
「え? どうしてですか?」
 島は黙って、周りを見回す。よく見ると、岡原署内部は、少し落ち着きなく動いていた。

「明日の夕方、そこはガサの予定だ」
「ガサ入れ? どういう店なんですか?」
「まあ、ちょっとこっち来い」
 島は席を立つと、二人を別席に呼んだ。テーブルを囲むと、島は話を始める。
「『メイユエ』は月龍会が仕切る風俗店だが、ここでは違法薬物を使ってクスリ漬けにした娘を働かせている実態があった。その娘たちの中には、日本語が通じない中国や台湾、東南アジアから連れてこられたらしい娘も混じっていたんだ。月龍会がさばいている薬の供給元がいる事を考えても、月龍会のバックに外国の組織がいるだろう事は判っていた。それで一年かけて、潜入捜査官を送り込んで、内部の情報を探った」
「――それが、『牙龍』だった」
 和真の言葉に、島は驚いた顔をした。

「…お前、なんでそれを知ってる?」
「いや、今追ってるヤマに関連してるんですよ。それで?」
「『牙龍』は国際的な活動をしてる新進のマフィアだった。人身売買や薬物取引等、まあいわずとしれたもんだ。月龍会はこの牙龍の日本の別店みたいなもので、暴対法で行き場を失った連中を一手に囲ったらしい。その牙龍から来る麻薬が明日届く。その取引の場所が『メイユエ』だ」
「なるほど……それで、明日までは待ってくれって事ですね」
「しかし、お前は何だってそこから中国娘を引っ張ろうとしてる?」
「重要参考人なんですよ。しかし今の話しだと……娘もクスリ漬けで無理に働かされている可能性が高いな…」
 和真は渋い顔をして見せた。が、すぐに何かを思いついて島を見た。

「そうだ島さん、ガサに協力しますよ」
「なに?」
「そうだな、岡原と王日の合同捜査って事で。こっちからはイキのいいの――俺と芝浦、あと平さんあたりを連れてきますよ。どうです?」
「相手が相手だから援軍は心強いが――いいのか?」
「俺が掛け合っときますよ」
 和真が笑うと、島はごつい顔に笑顔をつくってみせた。
「お前がいれば相当の戦力だ。よろしく頼むな」
「了解です」
 和真は頷いて見せた。

 車に戻ると、今日子は感心したように口にした。
「和真先輩って、本当に凄いですねえ…」
「あ? いや、柔道場なんてゴツくてデカい奴ばかりだよ。いやでも慣れるさ」
「いえ、それもありますけど…よその署に顔がきくなんて、そういう人脈が凄いなあって」
 今日子に向かって、和真はなんでもないように答えた。
「人脈なんてもんじゃないよ。ちょっと仲いい人がいるだけさ」
「そういう、下心のない感じがいいんでしょうね……」
 今日子の呟きをよそに、和真は携帯の着信に気付いた。
「はい、佐水」
「佐水、西村の母親が病院に来ているそうだ。面会して、お悔やみ申し上げろ」
「了解。あ、課長。明日の夕方に、岡原はガサ入れするそうです。うちの方から俺と芝、平さんで行っていいですか?」

 和真はそう言った。電話の向こうで、多胡課長が一瞬黙る。
「…お前、もう請け合ってきたんだろ」
「そうですけど。いや、捜査に必要なことですよ。それに隣同士、警察も助け合わないと」
「仕方ない奴だな。こっちからも、向うに挨拶しておく」
「ありがとうございます!」
 和真は笑顔で電話を切った。
「和真先輩って、本当に凄いですね……」
「ん? 何が?」
 感心する今日子に、和真は気にもしない様子でハンドルを切った。
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