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中条今日子の挨拶
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王日署に着いた和真は、自分のデスクへと向かう。佐水和真は刑事組織犯罪対策課の一係所属の刑事である。和真は席に近づきながら、隣に座る中年刑事に声をかけた。
「おあよっす、仁(じん)さん。昨日の件、片付いたんですか?」
「おう、早めに済んだんでな。おかげで昨日は久しぶりに、よく寝たよ」
そう答えたのは北山仁司(ひとし)警部補である。まだ五十前なのだが、風貌は既に老刑事の貫禄である。巡査部長である和真より階級は上なのだが、皆が呼ぶ愛称にならい仁さんと呼んでいた。
「お前こそ遅かったじゃないか、寝すごしたか」
「いや、ちょっと朝からトラブっちゃって」
和真は笑いながら席に着いた。それを見計らって、はす向かいの席の若い刑事が口を開く。
「佐水部長、さっき耳に挟んだんですけど、今度来たキャリア、凄い奴らしいですよ」
「何が凄いの?」
和真の問いに、芝浦武敏巡査長が答える。
「なんでも、捕まえたひったくりと一緒に、パトカーで出勤してきたって」
「ぶっ」
和真は思わず吹いた
「なんだ、キャリアっていうから生っちょろいのが来るかと思ってたが、中々の豪傑だな」
仁の言葉に、芝浦が返す。
「仁さんが教育係になるんですよね」
「ま、相棒の南川が退職したからな。しばらくはキャリアのお守りのつもりで拝命したんだが…。なかなか根性のある警察官じゃないか。で、捕まったひったくりはどうしてんだ?」
「今、曾根崎警部補と平部長で、犯人と被害者の聴収してます」
(――おいおい、マジかよ)
二人の話をよそに、和真は事の真相に気付いて焦っていた。
キャリアとは、極めて難関である国家公務員総合職I種に合格した者で、その大半は東大卒業者である。キャリアは警察入庁時で、いきなり巡査部長の上の警部補として入庁し、人事院と警察学校で五ヶ月間の研修を終えた後、警部として大都市圏の警察などに一年間、『現場経験』を積むために配属される。
キャリアはその後、警視庁や警察庁の要職に就く将来が待っているが、基本的には法律運用や予算編成などを担う官僚に近い存在である。が、大きな意味での警察の方向性などは、エリート集団であるキャリアが決定していると言っていい。キャリアは一般警察官からすると、もはや『別次元』の存在なのである。
そういうキャリアはつまり、歳は若いが階級は高い。この『現場経験』のために配属されたキャリアは、階級は警部だが23歳なのである。ひったくり犯を連れてきたというキャリアも、そういう『別次元』の住人だったという事になる――。
と、今朝の出来事を振り返って焦っていた和真だったが、息をつく間もなく、王日署長と刑事課長が連れ立ってやってきた。署長の古戸浩太郎はでっぷりと太っていて、陰では「ブルドック」と呼ばれている。後ろの刑事組織犯罪対策課課長の多胡稔は上背があり、頭部は完全なスキンヘッドで、面立ちもほぼ反社に近い風貌である。こちらは陰では「タコ課長」と呼ばれていた。その後ろに、見た顔の娘がついてきている。二人の雰囲気に、署内の全員が起立して迎えた。
三人が並んだところで、古戸署長が口を開いた。
「え~、みんな周知しているとは思うが、今日からうちの署に新しい仲間が加わる。中条警部だ」
ブラウンの髪で、ピンクブラウスの娘が前に出た。
「おはようございます、中条今日子です。皆さん、『今日子ちゃん』って呼んで、可愛がってください♡」
にっこりと作られた笑顔に対し、場は一瞬で凍りついた。警察組織という堅い組織に対して、あまりにもフランクな挨拶で、皆が反応できなかったのである。
その中で1人、課長の多胡が、坊主頭を近づけながら今日子に横から囁いた。
「いや…中条警部、今は女性を『ちゃん』づけで呼んだりすると、セクハラ問題に抵触する可能性があるので……」
「え~、けどそれは本人が嫌がってるのに、そう呼ばれる場合でしょ? わたしは自分が望んでるんだから、問題なし! 一介の新人だと思って、皆さん、色々教えてください!」
中条今日子はそう言うと、力強く頭を下げた。
またもや時間が止まったように空気が固まる。が、その空気を割るように、不意に拍手の音が響いてきた。
「いや~、いいねえ、今日子ちゃん。気に入ったよ、ようこそ王日署へ」
そう声を上げたのは、北山仁司警部補である。それに呼応するように、署内の全員が拍手を始めた。顔をあげた今日子は、嬉しそうに顔を赤らめながら周囲を見回した。場をなだめるように、多胡課長が、口を開く。
「中条警部は初日からお手柄で、ひったくり犯を連行してきた。これからの一層の活躍を期待するものである」
「あ~、あれは何だか、ものすごく強い人がババッてやっつけちゃって逮捕協力してくれたんです。全身真黒のライダーの人で――」
そう言いながら室内を見た今日子が、和真のところで視線を止めた。言葉が止まった今日子を、皆が見つめる。うつむいていた和真は、辺りを伺うためにそっと顔を上げた。
と、こちらを見つめる今日子と目が合った。
「あーっ!」
今日子が声を上げる。
「あの人、あの人です! 謎のライダー! あっという間に強盗をやっつけた人!」
今日子の指さしに、和真は顔を抑えて横を向いた。署内の全員の視線が集まっている。
(参ったな…)
そこに多胡課長の声が飛んだ。
「佐水、そうなのか?」
「いや……まあ、そんなところです」
和真の返答に、多胡は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「後で報告に来い。――で、中条警部と組んでもらうのは――」
「佐水さんっていうんですか、あの人?」
多胡課長の言葉を遮って、今日子が訊ねる。多胡課長は、いかつい顔に当惑の表情を浮かべて答えた。
「あ…佐水和真巡査部長だが――」
「佐水さんと組みたいです! それでお願いします!」
多胡課長が古戸署長を覗き見る。古戸署長が口を開いた。
「いいんじゃないか。佐水、しっかり頼むぞ」
「え…いや、俺には芝浦って相棒がいますけど」
和真は僅かに抵抗してみた。が、それはまったく無駄だった。
「芝浦は北山と組め。以上だ」
和真は多胡課長の言葉を聞きながら、中条今日子の方へ視線を向ける。今日子はにっこりと笑っていた。
「おあよっす、仁(じん)さん。昨日の件、片付いたんですか?」
「おう、早めに済んだんでな。おかげで昨日は久しぶりに、よく寝たよ」
そう答えたのは北山仁司(ひとし)警部補である。まだ五十前なのだが、風貌は既に老刑事の貫禄である。巡査部長である和真より階級は上なのだが、皆が呼ぶ愛称にならい仁さんと呼んでいた。
「お前こそ遅かったじゃないか、寝すごしたか」
「いや、ちょっと朝からトラブっちゃって」
和真は笑いながら席に着いた。それを見計らって、はす向かいの席の若い刑事が口を開く。
「佐水部長、さっき耳に挟んだんですけど、今度来たキャリア、凄い奴らしいですよ」
「何が凄いの?」
和真の問いに、芝浦武敏巡査長が答える。
「なんでも、捕まえたひったくりと一緒に、パトカーで出勤してきたって」
「ぶっ」
和真は思わず吹いた
「なんだ、キャリアっていうから生っちょろいのが来るかと思ってたが、中々の豪傑だな」
仁の言葉に、芝浦が返す。
「仁さんが教育係になるんですよね」
「ま、相棒の南川が退職したからな。しばらくはキャリアのお守りのつもりで拝命したんだが…。なかなか根性のある警察官じゃないか。で、捕まったひったくりはどうしてんだ?」
「今、曾根崎警部補と平部長で、犯人と被害者の聴収してます」
(――おいおい、マジかよ)
二人の話をよそに、和真は事の真相に気付いて焦っていた。
キャリアとは、極めて難関である国家公務員総合職I種に合格した者で、その大半は東大卒業者である。キャリアは警察入庁時で、いきなり巡査部長の上の警部補として入庁し、人事院と警察学校で五ヶ月間の研修を終えた後、警部として大都市圏の警察などに一年間、『現場経験』を積むために配属される。
キャリアはその後、警視庁や警察庁の要職に就く将来が待っているが、基本的には法律運用や予算編成などを担う官僚に近い存在である。が、大きな意味での警察の方向性などは、エリート集団であるキャリアが決定していると言っていい。キャリアは一般警察官からすると、もはや『別次元』の存在なのである。
そういうキャリアはつまり、歳は若いが階級は高い。この『現場経験』のために配属されたキャリアは、階級は警部だが23歳なのである。ひったくり犯を連れてきたというキャリアも、そういう『別次元』の住人だったという事になる――。
と、今朝の出来事を振り返って焦っていた和真だったが、息をつく間もなく、王日署長と刑事課長が連れ立ってやってきた。署長の古戸浩太郎はでっぷりと太っていて、陰では「ブルドック」と呼ばれている。後ろの刑事組織犯罪対策課課長の多胡稔は上背があり、頭部は完全なスキンヘッドで、面立ちもほぼ反社に近い風貌である。こちらは陰では「タコ課長」と呼ばれていた。その後ろに、見た顔の娘がついてきている。二人の雰囲気に、署内の全員が起立して迎えた。
三人が並んだところで、古戸署長が口を開いた。
「え~、みんな周知しているとは思うが、今日からうちの署に新しい仲間が加わる。中条警部だ」
ブラウンの髪で、ピンクブラウスの娘が前に出た。
「おはようございます、中条今日子です。皆さん、『今日子ちゃん』って呼んで、可愛がってください♡」
にっこりと作られた笑顔に対し、場は一瞬で凍りついた。警察組織という堅い組織に対して、あまりにもフランクな挨拶で、皆が反応できなかったのである。
その中で1人、課長の多胡が、坊主頭を近づけながら今日子に横から囁いた。
「いや…中条警部、今は女性を『ちゃん』づけで呼んだりすると、セクハラ問題に抵触する可能性があるので……」
「え~、けどそれは本人が嫌がってるのに、そう呼ばれる場合でしょ? わたしは自分が望んでるんだから、問題なし! 一介の新人だと思って、皆さん、色々教えてください!」
中条今日子はそう言うと、力強く頭を下げた。
またもや時間が止まったように空気が固まる。が、その空気を割るように、不意に拍手の音が響いてきた。
「いや~、いいねえ、今日子ちゃん。気に入ったよ、ようこそ王日署へ」
そう声を上げたのは、北山仁司警部補である。それに呼応するように、署内の全員が拍手を始めた。顔をあげた今日子は、嬉しそうに顔を赤らめながら周囲を見回した。場をなだめるように、多胡課長が、口を開く。
「中条警部は初日からお手柄で、ひったくり犯を連行してきた。これからの一層の活躍を期待するものである」
「あ~、あれは何だか、ものすごく強い人がババッてやっつけちゃって逮捕協力してくれたんです。全身真黒のライダーの人で――」
そう言いながら室内を見た今日子が、和真のところで視線を止めた。言葉が止まった今日子を、皆が見つめる。うつむいていた和真は、辺りを伺うためにそっと顔を上げた。
と、こちらを見つめる今日子と目が合った。
「あーっ!」
今日子が声を上げる。
「あの人、あの人です! 謎のライダー! あっという間に強盗をやっつけた人!」
今日子の指さしに、和真は顔を抑えて横を向いた。署内の全員の視線が集まっている。
(参ったな…)
そこに多胡課長の声が飛んだ。
「佐水、そうなのか?」
「いや……まあ、そんなところです」
和真の返答に、多胡は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「後で報告に来い。――で、中条警部と組んでもらうのは――」
「佐水さんっていうんですか、あの人?」
多胡課長の言葉を遮って、今日子が訊ねる。多胡課長は、いかつい顔に当惑の表情を浮かべて答えた。
「あ…佐水和真巡査部長だが――」
「佐水さんと組みたいです! それでお願いします!」
多胡課長が古戸署長を覗き見る。古戸署長が口を開いた。
「いいんじゃないか。佐水、しっかり頼むぞ」
「え…いや、俺には芝浦って相棒がいますけど」
和真は僅かに抵抗してみた。が、それはまったく無駄だった。
「芝浦は北山と組め。以上だ」
和真は多胡課長の言葉を聞きながら、中条今日子の方へ視線を向ける。今日子はにっこりと笑っていた。
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