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ハガード姉弟
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「紫月蝕の時間まで、もうすぐだな」
レギアはそれだけ呟くと、歩き始めた。
「レギアさん、何処へ?」
「骸を探す。多分、近くの谷底に落ちてるはずだ」
迷いなく歩き始めたレギアに対して、アストリックスは立ち止まって思い悩んでいた。レギアはうんざりした顔で向き直った。
「どうした? まさか戻りたいとか言うんじゃないだろうな」
「……本当に、これでよかったのかと…」
レギアは片眉をあげた。
「村の連中がいいと言ってる。犠牲になる本人もいいと言ってる。部外者のあたしたちが、これ以上なにを口を挟む?」
アストリックスは何も言えなかった。レギアは背中を向けると、また歩き始めた。しかし、アストリックスはまだ動けなかった。そのまま立ち去るかに思えたレギアが、ふぅと息をひとつついて振り返った。
「あんたの道義ってのは、そんなもんかい?」
「え……?」
レギアはじろりと横目でアストリックスを睨んだ。
「当事者たちが口先で『もう大丈夫です』と言ってたら、はいそうですかと、そのまま放っておく。あんたの道義ってのは、その程度のものかって言ってるんだ」
アストリックスは息を呑んだ。と同時に、脳裏にトリム・ヴェガーの言葉が甦ってきた。
”誰を救うべきか、よく考えるのじゃ”
(お爺様――)
アストリックスは、旅立ち際のトリムの言葉をもっと憶い出そうとした。
”助けを求める者を救うのが本来じゃろう。じゃが、助けを求めていても救うべきでない者もいれば、助けを求めないが救うべき者もいる。”
(今がそうなの、お爺様? お爺様は、すべて見越していたの?)
アストリックスは迷った。
村人たちは、シリルを犠牲にすることで納得しているし、当人も納得している。それは神獣ディーガルが必要悪だからで、それを駆除することを決して求めているわけではないからだ。
それをおしてディーガルと戦うことは、いったい誰のためになるのか? 自分を騙して生贄にしようとした村人たちのためか。そんな身勝手な人々のために戦うことは、道義にかなうのか。
迷うアストリックスを放って、レギアは歩き去ろうとしている。その背中にアストリックスは問うた。
(『その程度のもの』って、どういう意味なのですか、レギアさん――)
その時すたすたと歩き続けるレギアの前に、さっと黒い影が現れて道をふさいだ。
「――待て、戻れ!」
それはカムランだった。
「カムランさん……」
「お前たちが戻らなければ、姉さんが生贄になる。お前たちは戻れ!」
カムランは剣を手にしていた。それは少年のカムランには、不釣り合いな大きさだった。
アストリックスは切ない気持ちがこみ上げて、駆け寄って口を開いた。
「カムランさん、あなたはわたくしを最初から騙すつもりだったのですか?」
アストリックスの凝視に耐えきれなくなったように、カムランは答えた。
「村の皆も姉さん自身も、姉さんが生贄になることで納得してた。だけど、ぼくはそんなの嫌だったんだ。それでディーガルを退治してくれる人を探す旅に出たんだ。
……けど、アストリックスさんたちを村に連れ帰った時に、グレグから村長の言付けをもらったんだ。『二人の女を犠牲にすれば、お前の姉は助かる』って」
レギアはフン、と鼻で笑った。
「それで、あたしたちを生贄にして、お前の大事な大事なお姉ちゃんは生き延びるわけかい? 随分と身勝手な話じゃないか」
「黙れ! 親代わりにぼくを育ててくれた姉さんは……かけがえのない大事な人なんだ!」
カムランは自責の念を打ち消すかのように、アストリックスたちに向かって叫んだ。アストリックスの胸には、悲しい痛みが走った。
「カムランさん……レギアさんも――誰でも…かけがえのない大事な人なんです」
アストリックスの言葉に、カムランは無言のままだった。剣を持つ手は、小さく震えていた。
「――美しい姉弟愛じゃないの」
不意に森から響いた声に、アストリックスとレギアは声のした頭上を見上げた。樹上に月明かりを受けて、二人の人間の影がある。
「その子の言うことを聞いて戻っておやり、と言いたいところだけど――」
髪を妙にボリュームのある形にアップした女が、口火を開く。
「――その前にまず、お前のお宝か命を貰わないとね」
もう一人の顔はよく似てるが髪は普通の男が言葉を続ける。レギアが声を発した。
「お前らは――ハガード姉弟!」
「お久しぶりね、レギア。機関を裏切って逃げてたらしいじゃないの。馬鹿なことをしたものね」
「天才と呼ばれ、『鉄の魔女』と恐れられていたレギアを馬鹿にする日が来ようとはね。ねえ、ジュリア」
「そうねえ、ジュリス。けど、わたし……昔からあの女が嫌いだったのよ」
ジュリスと呼ばれた男の言葉に、ジュリアと呼ばれた女が応えた。レギアは上空を睨みながら言った。
「そうかい、あたしもお前らが嫌いだったよ。気が合うじゃないか」
「レギアさん、あの人たちは?」
アストリックスの問いにレギアは唇を噛んだ。
「あたしを狙ってきた刺客だよ」
「そう、そういうこと」
ジュリアが手を振りあげる。と、横の茂みから何かがレギアに向かって飛来してきた。
アストリックスは瞬時に動き、カムランの手から剣を奪うとその飛来物を切り落とした。それは白くて太い、分霊体の糸だった。
がさごそと音をたてて、茂みから巨霊蜘蛛が姿を現す。
「あの時の――」
「こいつらは使(ユ)獣(モル)操士(ハンドラー)のハガード姉弟。機関の工作員(エージェント)で、暗殺なんかが専門の汚い奴らさ」
レギアの憎々しげな言葉をよそに、ジュリスはアストリックスをうろんな目で見つめながら姉に話かけている。
「ねえ、ジュリア。あいつ、やっぱり邪魔だよ?」
「そのようね。特に用はないから――皆殺しにしちゃいましょ」
姉弟は紫がかった月明かりの下で、薄く笑いを浮かべた。
「レギアさん、逃げてください。カムランさんも!」
アストリックスは剣を構えて前に出ると、二人に声をあげた。レギアは一つ舌打ちをすると、カムランの服を引っ張って走り出した。
「逃げられると思ってるの?」
ジュリアが樹上から飛び降りながら、手中に三日月槍を出現させる。躊躇いなく突いてくる初撃を、アストリックスはかろうじて剣で払った。
(この人、できる)
アストリックスは瞬時に相手の力量を判断した。
ジュリアの連続突きを、アストリックスはかろうじて受ける。しかし気力を使えないアストリックスはパワーとスピードの双方で押され始める。と、さらにそこに蜘蛛の糸が飛来してきた。
「くっ」
かろうじてそれを受けるが、糸は剣に巻き付く。巨霊蜘蛛はそのままアストリックスの手から剣をもぎとってしまった。
(武器を失った今、蜘蛛糸の射程内にいるのは危険)
アストリックスは走り出した。ジュリアと蜘蛛の追撃を逃れるために、木の陰を利用して森を駆け抜ける。視界の先に、カムランを連れたレギアが目に入った。
(いけない、こっちに逃げてきては――)
方向転換しようとした瞬間、アストリックスは何かに足を捕られて転倒した。右足に何か吸着するものがへばりついている。と、それはみるみる内に軟体動物の姿を現した。
「これは!?」
「陸ダコさ。凄い保護色だろう? タコはカメレオンなんかより遙かに優れた保護色の体質をもっている。実際、タコの保護色は一瞬で岩や砂にほぼ完全に同化する力を持ってるのさ。鋭敏な君をもってしても、君たちがずっと尾行けられていたことに気づかなかったろう?」
愉快そうな声をあげるジュリスの声が、アストリックスに降り注いだ。
「ずっと、この陸ダコは傍にいたということですか?」
「そう。そしてボクとそいつの結んだ絆帯(リンク)はかなり深いもので、霊体を通じて視覚や聴覚を共有できるんだ。だから君たちを先回りできたし、君たちが完全に無力化されてることもお見通しというわけさ」
陸ダコはさらに柔らかに延びる触手を延ばし、アストリックスの手と身体を巻き込んで締め付けた。
「くっ」
触れる弾力性とは裏腹に、締め付ける力の強力さにアストリックスは呻いた。ジュリスは愉快そうに笑った。それを合図のように、突然、アストリックスの身体に電撃が襲った。
アストリックスは声にならない悲鳴をあげ、地面に横たわった。
「実は陸ダコは自ら電撃を発揮する魔能(バギル)があってね。なかなかキクだろ? そしてそれだけでなく、こいつは電撃それ自体に対する耐性がある。君のような気力使いは、そうやって捕まえたところで魔法電撃を浴びせるのが――ボクのやり方なのさ!」
ジュリスは掌で弄んでいた電撃を、動けなくなったアストリックスに向けて放射した。
その瞬間、アストリックスは自らの身体をかばうために多い被さった影を見出した。
「くあぁぁっっ!」
電撃の放射に低い悲鳴をあげたのは、他ならぬレギアだった。
「レギアさんっ!」
アストリックスの身体の上に、ばたりとレギアが横たわった。
レギアはそれだけ呟くと、歩き始めた。
「レギアさん、何処へ?」
「骸を探す。多分、近くの谷底に落ちてるはずだ」
迷いなく歩き始めたレギアに対して、アストリックスは立ち止まって思い悩んでいた。レギアはうんざりした顔で向き直った。
「どうした? まさか戻りたいとか言うんじゃないだろうな」
「……本当に、これでよかったのかと…」
レギアは片眉をあげた。
「村の連中がいいと言ってる。犠牲になる本人もいいと言ってる。部外者のあたしたちが、これ以上なにを口を挟む?」
アストリックスは何も言えなかった。レギアは背中を向けると、また歩き始めた。しかし、アストリックスはまだ動けなかった。そのまま立ち去るかに思えたレギアが、ふぅと息をひとつついて振り返った。
「あんたの道義ってのは、そんなもんかい?」
「え……?」
レギアはじろりと横目でアストリックスを睨んだ。
「当事者たちが口先で『もう大丈夫です』と言ってたら、はいそうですかと、そのまま放っておく。あんたの道義ってのは、その程度のものかって言ってるんだ」
アストリックスは息を呑んだ。と同時に、脳裏にトリム・ヴェガーの言葉が甦ってきた。
”誰を救うべきか、よく考えるのじゃ”
(お爺様――)
アストリックスは、旅立ち際のトリムの言葉をもっと憶い出そうとした。
”助けを求める者を救うのが本来じゃろう。じゃが、助けを求めていても救うべきでない者もいれば、助けを求めないが救うべき者もいる。”
(今がそうなの、お爺様? お爺様は、すべて見越していたの?)
アストリックスは迷った。
村人たちは、シリルを犠牲にすることで納得しているし、当人も納得している。それは神獣ディーガルが必要悪だからで、それを駆除することを決して求めているわけではないからだ。
それをおしてディーガルと戦うことは、いったい誰のためになるのか? 自分を騙して生贄にしようとした村人たちのためか。そんな身勝手な人々のために戦うことは、道義にかなうのか。
迷うアストリックスを放って、レギアは歩き去ろうとしている。その背中にアストリックスは問うた。
(『その程度のもの』って、どういう意味なのですか、レギアさん――)
その時すたすたと歩き続けるレギアの前に、さっと黒い影が現れて道をふさいだ。
「――待て、戻れ!」
それはカムランだった。
「カムランさん……」
「お前たちが戻らなければ、姉さんが生贄になる。お前たちは戻れ!」
カムランは剣を手にしていた。それは少年のカムランには、不釣り合いな大きさだった。
アストリックスは切ない気持ちがこみ上げて、駆け寄って口を開いた。
「カムランさん、あなたはわたくしを最初から騙すつもりだったのですか?」
アストリックスの凝視に耐えきれなくなったように、カムランは答えた。
「村の皆も姉さん自身も、姉さんが生贄になることで納得してた。だけど、ぼくはそんなの嫌だったんだ。それでディーガルを退治してくれる人を探す旅に出たんだ。
……けど、アストリックスさんたちを村に連れ帰った時に、グレグから村長の言付けをもらったんだ。『二人の女を犠牲にすれば、お前の姉は助かる』って」
レギアはフン、と鼻で笑った。
「それで、あたしたちを生贄にして、お前の大事な大事なお姉ちゃんは生き延びるわけかい? 随分と身勝手な話じゃないか」
「黙れ! 親代わりにぼくを育ててくれた姉さんは……かけがえのない大事な人なんだ!」
カムランは自責の念を打ち消すかのように、アストリックスたちに向かって叫んだ。アストリックスの胸には、悲しい痛みが走った。
「カムランさん……レギアさんも――誰でも…かけがえのない大事な人なんです」
アストリックスの言葉に、カムランは無言のままだった。剣を持つ手は、小さく震えていた。
「――美しい姉弟愛じゃないの」
不意に森から響いた声に、アストリックスとレギアは声のした頭上を見上げた。樹上に月明かりを受けて、二人の人間の影がある。
「その子の言うことを聞いて戻っておやり、と言いたいところだけど――」
髪を妙にボリュームのある形にアップした女が、口火を開く。
「――その前にまず、お前のお宝か命を貰わないとね」
もう一人の顔はよく似てるが髪は普通の男が言葉を続ける。レギアが声を発した。
「お前らは――ハガード姉弟!」
「お久しぶりね、レギア。機関を裏切って逃げてたらしいじゃないの。馬鹿なことをしたものね」
「天才と呼ばれ、『鉄の魔女』と恐れられていたレギアを馬鹿にする日が来ようとはね。ねえ、ジュリア」
「そうねえ、ジュリス。けど、わたし……昔からあの女が嫌いだったのよ」
ジュリスと呼ばれた男の言葉に、ジュリアと呼ばれた女が応えた。レギアは上空を睨みながら言った。
「そうかい、あたしもお前らが嫌いだったよ。気が合うじゃないか」
「レギアさん、あの人たちは?」
アストリックスの問いにレギアは唇を噛んだ。
「あたしを狙ってきた刺客だよ」
「そう、そういうこと」
ジュリアが手を振りあげる。と、横の茂みから何かがレギアに向かって飛来してきた。
アストリックスは瞬時に動き、カムランの手から剣を奪うとその飛来物を切り落とした。それは白くて太い、分霊体の糸だった。
がさごそと音をたてて、茂みから巨霊蜘蛛が姿を現す。
「あの時の――」
「こいつらは使(ユ)獣(モル)操士(ハンドラー)のハガード姉弟。機関の工作員(エージェント)で、暗殺なんかが専門の汚い奴らさ」
レギアの憎々しげな言葉をよそに、ジュリスはアストリックスをうろんな目で見つめながら姉に話かけている。
「ねえ、ジュリア。あいつ、やっぱり邪魔だよ?」
「そのようね。特に用はないから――皆殺しにしちゃいましょ」
姉弟は紫がかった月明かりの下で、薄く笑いを浮かべた。
「レギアさん、逃げてください。カムランさんも!」
アストリックスは剣を構えて前に出ると、二人に声をあげた。レギアは一つ舌打ちをすると、カムランの服を引っ張って走り出した。
「逃げられると思ってるの?」
ジュリアが樹上から飛び降りながら、手中に三日月槍を出現させる。躊躇いなく突いてくる初撃を、アストリックスはかろうじて剣で払った。
(この人、できる)
アストリックスは瞬時に相手の力量を判断した。
ジュリアの連続突きを、アストリックスはかろうじて受ける。しかし気力を使えないアストリックスはパワーとスピードの双方で押され始める。と、さらにそこに蜘蛛の糸が飛来してきた。
「くっ」
かろうじてそれを受けるが、糸は剣に巻き付く。巨霊蜘蛛はそのままアストリックスの手から剣をもぎとってしまった。
(武器を失った今、蜘蛛糸の射程内にいるのは危険)
アストリックスは走り出した。ジュリアと蜘蛛の追撃を逃れるために、木の陰を利用して森を駆け抜ける。視界の先に、カムランを連れたレギアが目に入った。
(いけない、こっちに逃げてきては――)
方向転換しようとした瞬間、アストリックスは何かに足を捕られて転倒した。右足に何か吸着するものがへばりついている。と、それはみるみる内に軟体動物の姿を現した。
「これは!?」
「陸ダコさ。凄い保護色だろう? タコはカメレオンなんかより遙かに優れた保護色の体質をもっている。実際、タコの保護色は一瞬で岩や砂にほぼ完全に同化する力を持ってるのさ。鋭敏な君をもってしても、君たちがずっと尾行けられていたことに気づかなかったろう?」
愉快そうな声をあげるジュリスの声が、アストリックスに降り注いだ。
「ずっと、この陸ダコは傍にいたということですか?」
「そう。そしてボクとそいつの結んだ絆帯(リンク)はかなり深いもので、霊体を通じて視覚や聴覚を共有できるんだ。だから君たちを先回りできたし、君たちが完全に無力化されてることもお見通しというわけさ」
陸ダコはさらに柔らかに延びる触手を延ばし、アストリックスの手と身体を巻き込んで締め付けた。
「くっ」
触れる弾力性とは裏腹に、締め付ける力の強力さにアストリックスは呻いた。ジュリスは愉快そうに笑った。それを合図のように、突然、アストリックスの身体に電撃が襲った。
アストリックスは声にならない悲鳴をあげ、地面に横たわった。
「実は陸ダコは自ら電撃を発揮する魔能(バギル)があってね。なかなかキクだろ? そしてそれだけでなく、こいつは電撃それ自体に対する耐性がある。君のような気力使いは、そうやって捕まえたところで魔法電撃を浴びせるのが――ボクのやり方なのさ!」
ジュリスは掌で弄んでいた電撃を、動けなくなったアストリックスに向けて放射した。
その瞬間、アストリックスは自らの身体をかばうために多い被さった影を見出した。
「くあぁぁっっ!」
電撃の放射に低い悲鳴をあげたのは、他ならぬレギアだった。
「レギアさんっ!」
アストリックスの身体の上に、ばたりとレギアが横たわった。
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