まやかし幻士郎

佐藤遼空

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剣王院九岳

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 その男は、着ている黒のレザージャケット越しに見ても判るほど、筋肉が発達していた。無造作に伸びた髪も、太い眉と強すぎる眼光の瞳も、男の存在感は強烈だった。
「おい」
 男が低い声を出した。短いが、臓腑を震わせるような響きだった。
「討魔できないなら、戦うんじゃねえ。相手と己の力量を見切れない奴は――いずれ死ぬ」
「え…? え――」
 男はそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。幻士郎は慌てて声をあげる。

「あ、あのっ! この人たちは――?」
 あの杉田朱美が、完全に伸びている。既に憑りついた唆魔も討魔されたようだった。
(いつの間にか、この人が倒したんだ)
 幻士郎は、とりあえず事態を悟った。幻士郎の声に振り返った男は、幻士郎に険しい眼差しを向けた。
「後から来る連中が処理する。早く来い」
「え? 行くんです…か?」
 男は幻士郎の問いには答えずマンションを後にする。階下の駐車場まで来ると、男は一台の大型バイクの前に立ち止まった。カウルがないタイプの、大型バイクである事だけは幻士郎にも判った。
「かぶれ」
 男がヘルメットを放る。幻士郎はそれを受け取ると、頭にかぶりバンドを止めた。

 男は既にバイクに跨っている。黒のヘルメットを被り、ゴーグルを着けていた。男は何も言わず、顎をしゃくった。乗れ、という意図を悟り、幻士郎は後ろに跨った。
「しっかり捕まってろよ」
 男はそれだけ言うと、エンジンをふかしバイクを始動させた。
 幻士郎はその勢いで落とされないように、男の腰に腕を回す。がっちりした男の、胴回りの筋肉が判るようだった。
「いったい、何処に行くんですか?」
 走るバイクの風の中で、幻士郎は背中から声をあげた。
「あん? なんか言ったか」
 男がゴーグルを着けた顔を後ろに向ける。
「何処に行くんですかっ」
 男は前に眼を戻した。
「お前のうちに決まってんだろうが」
 そう言った途端、バイクがグンと加速した。

 着いた先は、まぎれもなく幻士郎の家だった。
 唖然としながらも、幻士郎はヘルメットを脱いで男に手渡した。
「あ、あの……貴方は誰なんですか?」
 男が険しい目つきで、幻士郎を睨む。その眼力だけで幻士郎は怯んだが、男は口を開いた。
「俺は魔滅士(まぼろし)。剣(けん)王院(おういん)九(く)岳(がく)だ」
 男はそれだけ言うと、ずかずかと幻士郎の家に上がり込んだ。
「まぼろし……?」
幻士郎も慌てて家に上がる。勝手知ったるように居間に向かう男の後を追うと、居間には幻雲と白川博子、そしてもう一人の男がいた。

「お爺ちゃん、それに白川先生!」
「戻ったか幻士郎。まず座りなさい」
幻士郎は言われた通りに腰を落とす。斜めに白川博子、その向かいに剣王院九岳と名乗った男。真向かいには幻雲と眼鏡をかけた細身の男が座っていた。
 眼鏡の男は細面で知的な風貌をしていた。白いシャツの上にスーツを身に着けている。幻士郎は、何処かで見たことがある気がしていた。その男が、幻士郎に視線を向けた。
「幻士郎くん、久しぶりだね。水杜紗樹人(さきと)だ」
「水杜さんの…お父さん?」
 紗樹人は静かに頷いた。幻士郎は、涙が溢れてきた。
「ごめんなさい!」
 幻士郎は下がると、床に頭をつけた。

「水杜さんは……ぼくのせいで――」
「幻士郎くん、そんなに自分を責めるもんじゃない」
 紗樹人の声がして、幻士郎は涙に濡れた顔をあげた。紗樹人は、寂しそうな笑みを浮かべて幻士郎を見つめていた。
「あの唆魔多怪を討魔しようとしたのは、香澄の意志だったのだろう? あの子は勝気だからね。君は恐らく、娘に付き合わされた――そんなところだろう」
「けど……香澄さんは…」
「思わぬ唆魔妖にやられた。まあ、力不足だったんだな」
 九岳の言葉に、紗樹人が顔色を変えた。
「九岳! 確かにそうだろうが――娘も彼も、まだ準備不足だった」
「跡目ともあろうものがねえ」
 九岳は意に介した様子もなく、鼻で息を吹いた。幻士郎はそれを横目で見ながら、紗樹人に問うた。

「それで、水杜さんは?」
「石化した娘は我が家に運んだ。最高の技術を持つ魔明士が石化を解こうとしたが――簡単にはいかないようだ」
「そんな!」
「どうやら、石化を施した唆魔妖を討魔するのが一番の早道らしい」
「まあ、死ななかっただけ幸いだぜ」
 途中から口を挟んだ九岳を、紗樹人は睨みつけた。九岳は知らぬ顔を決めて視線を逸らす。
 そんな中、幻士郎は俯いて肩を震わせていた。
「水杜さん――」
 声を上げた幻士郎に、その場の全員が注目する。

「ぼく……あの牙羅蛇を討魔します!」
 幻士郎は涙ぐみながら、声を上げた。しかし、その瞬間に太い怒声が響き渡った。
「馬鹿野郎が!」
 幻士郎は息を呑んだ。それは九岳の出した怒声だった。
「お前が弱いから香澄が石化されたんだろうが! 力もないくせに、一人前の口をきくな!」
 厳しい言葉に、幻士郎は涙も止まった眼で九岳を見た。が、次の瞬間、さらなる涙が溢れて幻士郎は泣き崩れた。
「うっ…ぐっ――そんなこと…言われたって……」
「えぇ? そこで泣くか?」
 九岳は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「やってられないぜ、まったく…」

 その様子に、紗樹人が口を開いた。
「幻士郎くん、香澄を石化した唆魔妖――牙羅蛇と言ったか。それは私たちが追跡して討魔する。心配しなくていい。君は、自分の身の振り方を決めたまえ」
「身の振り方?」
 そこで初めて、幻雲が口を開いた。
「幻士郎、魔明士になって宗家戦に出るかどうか、決めることだ」
「ぼく――」
 幻士郎は涙を拭きながら、幻雲に言った。
「――もっと強くなりたい。強い魔明士になって――水杜さんを助けたいんだ。お爺ちゃん、お爺ちゃんはぼくの方力を制限して、その使い方も教えてくれなかった。けど、本当は使い方を知ってるんでしょ? お爺ちゃん、今度はもっとぼくを強くして」
「幻士郎……」
 幻雲は驚きの眼で幻士郎を見た。が、すぐに表情を引き締める。

「幻士郎、それにはわしより、この九岳が適任だ」
 幻雲の言葉に、幻士郎は剣王院九岳の険しい顔に眼を向ける。すると九岳は、渋い顔をして声を上げた。
「冗談じゃねえ!」
 九岳は幻士郎の顔を見て、うんざりした様子で言葉を続けた。
「こんなすぐ泣くガキの面倒なんか見てられるか」
「九岳さん――いや、九岳先生、お願いします!」
 幻士郎は、涙ぐんだ眼で九岳を見つめた。九岳が渋り切った表情を浮かべた。
「だから、その泣き癖やめろってんだよ! そんなすぐ泣く奴は、どうせ途中で泣き事を言って修行を止めるに決まってる。そんな無駄な時間をかけるより、俺が牙羅蛇を探して討魔した方が早ぇ」
 九岳は幻士郎を睨みつけた。
「その、ぐずぐず泣く癖をやめない限り、修行なんざ無駄だ」
 幻士郎はそう言った九岳の顔を見つめていたが、その眼に涙が溢れた。と、幻士郎は突如、大声をあげた。

「ぼくは泣きますっ!」
 九岳を含めた、その場の者全員が眼を見張った。
「……悲しい時や、辛い時、悔しい時――泣きたい時には、ぼくは泣きます。笑いたい時には笑うし、怒る時には怒ります。それをしないで自分の気持ちを抑え込んでたら、いつか本当の心を見失ってしまう気がする。…だから、ぼくは泣きます。けど、どれだけ泣いても、決して諦めません! 辛くて散々泣くかもしれないけど――ぼくは修行をやめたりしませんっ!」
 幻士郎はそう言って、泣きながら九岳を見た。
「フ…フフ……」
 可笑しそうに笑い声を洩らしたのは、紗樹人だった。

「九岳、この真っ直ぐさ……覚えがあるだろう?」
「ああ。この頑固さもな」
 紗樹人の言葉に、九岳はうんざりしたような顔を見せた。九岳は立ち上がると、涙ぐむ幻士郎を見下ろした。
「10分で支度しろ。すぐに出るぞ」
「え? い、今からですか?」
 幻士郎は慌てて立ち上がりながら、九岳に問うた。
「宗家戦まで一ヶ月しかない、時間がないんだ。いいか、宗家戦に勝てないようじゃ、唆魔妖に勝つなんて夢の話だ」
 九岳の言葉に、幻士郎は涙を手で拭いた。
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