4 / 66
フロート・ピット
しおりを挟む
目覚めると、薄暗い視界が入ってくる。僕はVRヘッドセットのバイザーを上げた。そうすると視界によく見知った天井が映る。此処は間違いなく、勝手知ったる我が家だ。現実の僕はベッドに横になって、VRヘッドセットを被っていたわけである。
僕は身体を起こして、VRヘッドセット『フロート・ピット』を頭から外した。フロート・ピットは見た目は王冠のようだが、後頭部を抑えるパーツは中央から分かれ、前面部にバイザーが着いている。このバイザーを降ろすのが、メタバースに入るスイッチでもある。
フロート・ピットはメタバースに意識がまるごと入るフルダイブ・システムの用具である。脳細胞の電気情報をスキャンして意識活動を読み込むと同時に、脳活動が身体に反映されないようにシャットアウトする(そうでないと、メタバースで動いた時に、現実の身体を動かしてしまうからだ)。
メタバースの『レナルテ』がオープン・プラットフォームとして公開された直後に発表されたため、レナルテの広がりとともにフロート・ピットは劇的に広まった。今ではフルダイブすることを「浮遊(フロート)する」という言い方の方が浸透している。
時計を見る。
「20:47か…」
世界最大のMMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイングゲーム)である『ノワルド・アドベンチャー』の登録者数は12億にのぼると言われている。その世界『ノワルド』では、時間が経つ。ノワルド・Jでは日本時間よりマイナス8時間、つまり向うでは12:47分だったことになる。
夕方からログインすることが多いため、そのような時間設定になってるのだが、時間設定が異なる4つのワールドがノワルドにはある。J(日本)、E(ヨーロッパ)、I(インド)、A(アメリカ)となっていて、それぞれの主要地域のマイナス8時間が、ノワルドの時刻設定となっている。
僕はフロート・ピットを外すとトイレに行って小用を足した。フロートしてる間に生理的欲求や身体的異常が見られると、レナルテにいる自分にバイオ・アラームで知らされる。ので、メタバースにいる間に粗相をしたりすることはないのだが、それでも途中で席を立ってログアウトしたりするのは面倒だ。
ついでに冷蔵庫を開けて、缶のグレープハイと栄養補給食を取り出した。冷蔵庫の中には大したものは入ってないが、酒と栄養補給食だけは常備している。栄養補給食を頬張りながら、ふと思いついた。
「レナルテの外食が多い人は、現実の食事を粗末にする傾向があるかもな…」
自分で思うと、ちょっと知りたくなったので僕は声を上げた。
「ニア、レナルテの食事と現実の食事の関係を調べて」
「判りました」
落ち着いた女性の声が響く。これは僕のAIマネージャーの声だ。便宜上、僕は『ニア』と呼んでいる。すぐに返事が返ってくる。
「レナルテで一週間に3度以上食事をする人は、現実の食費を栄養補給食等の簡単な食事で済ます傾向が高い、という調査報告をアメリカペンシルベニア大学のラドリー・マッケンジー博士の研究チームが報告してます」
「やっぱり」
「その他には、レナルテで得られる満足感が、現実の食事への満足感を減少させるという研究もあります。大脳生理学者キャサリン・ポートマンの報告です。詳細を知りたいですか?」
僕は口中の水分を奪う栄養補給食を、グレープハイで流し込んだ。その後でニアに答える。
「もういいよ。それよりビールとチューハイ、栄養補給食を注文しておいて」
「定数まででよろしいですか?」
「うん、お願い」
ニアは僕の冷蔵庫の中だけだけでなく、スケジュール管理、健康管理、財政管理までしてくれる。その都度、それぞれのオンラインサービスに頼る方法もあるが、僕は一括で個人データを管理してくれるAIを購入して『ニア』と名付けた。僕のようなやり方が大半だろう。古いSFファンの中には、AIの声を渋い男性にして、『キッド』とか『ジャービス』とか呼んでる人が多いらしい。
僕はもう一度フロート・ピットを立った状態で被る。バイザーの先端が赤く点滅しているが、これは身体をスキャンしてる状態だ。やがてそれがグリーンに変わると、スキャン完了でフロートOKのサインである。僕はベッドに横になると、バイザーを降ろした。
一瞬で風景が変わり、僕は薄いグレーの壁に囲まれた小さな部屋に立っている。これがレナルテの特徴の一つである、『ホームボックス』だ。僕は空中に浮かんでいるアイコンから、ミラーを選ぶ。と、前面に今の僕の姿が映る。寝間着のスェット姿だ。
「スェットはないよな」
最初にスキャンした時、フロート・ピットはまずその時の衣装を再現する。僕は横に並ぶ衣装の候補から、白の長Tシャツと、黒のズボンを選ぶ。一瞬で僕の服装が変わった。ちょっと無味乾燥だが、まあ、気取るような席でもない。
このミラーに映る僕の姿は、現実の僕の姿そのものだ。が、これも実はアバターである。この現実的なアバターは『ミラリア』と呼ばれているが、ゲームプレイヤーでもない限り大半の人が使用するのはこのミラリアの方だ。
20年ほど前に起きたウィルス病の流行で、一時的にリモートワークが流行った。しかし流行り病が収まるにつれて、また元の対面式の仕事スタイルに戻っていく。が、一部はやはりリモートワークの利便性が残り、リモートと対面の並走は続いた。
けど、ミラリアを使用したレナルテでの仕事は、リモートであると同時に対面であることを可能にする。ビジネスシーンでミラリアが使われるようになると、プラットフォームとしてのレナルテの普及度は一気に高まった。
「札幌ね…」
僕はお気に入りのメニューから札幌駅前(夜)を選ぶ。一瞬にして、僕は夜景も美しい札幌駅前の広場に立っていた。このレナルテの札幌はメタバースの札幌であり、完全に札幌の光景を再現している。
このような現実的なメタバースはデジタルツインとかミラーワールドと呼ばれていたが、企業の会議室などの個別的な再現をデジタルツイン、広範囲なエリア再現をミラーワールドと呼ぶのが現在では普通だ。
レナルテが大きく広まったのは、このようなデジタルツイン製作の容易さにも一因がある。数枚の画像や動画データから、自動的に計算して立体地図を創る機能がレナルテには備わっている。画像を追加したり、直接、アバターとして中に入って細かい点を微調整できたる点も利便性があった。これはファンタジーゲームの舞台になるような仮想世界も、非常に簡便に作れることを意味した。
が、それ以上に重要だったのは、現実界のミラーワールドを簡便に作れることだった。そのため世界中の大体の大都市や観光拠点は、ほぼレナルテのミラーワールドを製作した。観光拠点は主に昼間のミラーワールドが多いが、都市部は夜の街を敢えて別に再現しているところが多い。現実の時間に合わせないのは、夜中に昼間の観光拠点に行きたい人もいるし、時差もある海外の訪問者の事を考えての処置である。
僕は身体を起こして、VRヘッドセット『フロート・ピット』を頭から外した。フロート・ピットは見た目は王冠のようだが、後頭部を抑えるパーツは中央から分かれ、前面部にバイザーが着いている。このバイザーを降ろすのが、メタバースに入るスイッチでもある。
フロート・ピットはメタバースに意識がまるごと入るフルダイブ・システムの用具である。脳細胞の電気情報をスキャンして意識活動を読み込むと同時に、脳活動が身体に反映されないようにシャットアウトする(そうでないと、メタバースで動いた時に、現実の身体を動かしてしまうからだ)。
メタバースの『レナルテ』がオープン・プラットフォームとして公開された直後に発表されたため、レナルテの広がりとともにフロート・ピットは劇的に広まった。今ではフルダイブすることを「浮遊(フロート)する」という言い方の方が浸透している。
時計を見る。
「20:47か…」
世界最大のMMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイングゲーム)である『ノワルド・アドベンチャー』の登録者数は12億にのぼると言われている。その世界『ノワルド』では、時間が経つ。ノワルド・Jでは日本時間よりマイナス8時間、つまり向うでは12:47分だったことになる。
夕方からログインすることが多いため、そのような時間設定になってるのだが、時間設定が異なる4つのワールドがノワルドにはある。J(日本)、E(ヨーロッパ)、I(インド)、A(アメリカ)となっていて、それぞれの主要地域のマイナス8時間が、ノワルドの時刻設定となっている。
僕はフロート・ピットを外すとトイレに行って小用を足した。フロートしてる間に生理的欲求や身体的異常が見られると、レナルテにいる自分にバイオ・アラームで知らされる。ので、メタバースにいる間に粗相をしたりすることはないのだが、それでも途中で席を立ってログアウトしたりするのは面倒だ。
ついでに冷蔵庫を開けて、缶のグレープハイと栄養補給食を取り出した。冷蔵庫の中には大したものは入ってないが、酒と栄養補給食だけは常備している。栄養補給食を頬張りながら、ふと思いついた。
「レナルテの外食が多い人は、現実の食事を粗末にする傾向があるかもな…」
自分で思うと、ちょっと知りたくなったので僕は声を上げた。
「ニア、レナルテの食事と現実の食事の関係を調べて」
「判りました」
落ち着いた女性の声が響く。これは僕のAIマネージャーの声だ。便宜上、僕は『ニア』と呼んでいる。すぐに返事が返ってくる。
「レナルテで一週間に3度以上食事をする人は、現実の食費を栄養補給食等の簡単な食事で済ます傾向が高い、という調査報告をアメリカペンシルベニア大学のラドリー・マッケンジー博士の研究チームが報告してます」
「やっぱり」
「その他には、レナルテで得られる満足感が、現実の食事への満足感を減少させるという研究もあります。大脳生理学者キャサリン・ポートマンの報告です。詳細を知りたいですか?」
僕は口中の水分を奪う栄養補給食を、グレープハイで流し込んだ。その後でニアに答える。
「もういいよ。それよりビールとチューハイ、栄養補給食を注文しておいて」
「定数まででよろしいですか?」
「うん、お願い」
ニアは僕の冷蔵庫の中だけだけでなく、スケジュール管理、健康管理、財政管理までしてくれる。その都度、それぞれのオンラインサービスに頼る方法もあるが、僕は一括で個人データを管理してくれるAIを購入して『ニア』と名付けた。僕のようなやり方が大半だろう。古いSFファンの中には、AIの声を渋い男性にして、『キッド』とか『ジャービス』とか呼んでる人が多いらしい。
僕はもう一度フロート・ピットを立った状態で被る。バイザーの先端が赤く点滅しているが、これは身体をスキャンしてる状態だ。やがてそれがグリーンに変わると、スキャン完了でフロートOKのサインである。僕はベッドに横になると、バイザーを降ろした。
一瞬で風景が変わり、僕は薄いグレーの壁に囲まれた小さな部屋に立っている。これがレナルテの特徴の一つである、『ホームボックス』だ。僕は空中に浮かんでいるアイコンから、ミラーを選ぶ。と、前面に今の僕の姿が映る。寝間着のスェット姿だ。
「スェットはないよな」
最初にスキャンした時、フロート・ピットはまずその時の衣装を再現する。僕は横に並ぶ衣装の候補から、白の長Tシャツと、黒のズボンを選ぶ。一瞬で僕の服装が変わった。ちょっと無味乾燥だが、まあ、気取るような席でもない。
このミラーに映る僕の姿は、現実の僕の姿そのものだ。が、これも実はアバターである。この現実的なアバターは『ミラリア』と呼ばれているが、ゲームプレイヤーでもない限り大半の人が使用するのはこのミラリアの方だ。
20年ほど前に起きたウィルス病の流行で、一時的にリモートワークが流行った。しかし流行り病が収まるにつれて、また元の対面式の仕事スタイルに戻っていく。が、一部はやはりリモートワークの利便性が残り、リモートと対面の並走は続いた。
けど、ミラリアを使用したレナルテでの仕事は、リモートであると同時に対面であることを可能にする。ビジネスシーンでミラリアが使われるようになると、プラットフォームとしてのレナルテの普及度は一気に高まった。
「札幌ね…」
僕はお気に入りのメニューから札幌駅前(夜)を選ぶ。一瞬にして、僕は夜景も美しい札幌駅前の広場に立っていた。このレナルテの札幌はメタバースの札幌であり、完全に札幌の光景を再現している。
このような現実的なメタバースはデジタルツインとかミラーワールドと呼ばれていたが、企業の会議室などの個別的な再現をデジタルツイン、広範囲なエリア再現をミラーワールドと呼ぶのが現在では普通だ。
レナルテが大きく広まったのは、このようなデジタルツイン製作の容易さにも一因がある。数枚の画像や動画データから、自動的に計算して立体地図を創る機能がレナルテには備わっている。画像を追加したり、直接、アバターとして中に入って細かい点を微調整できたる点も利便性があった。これはファンタジーゲームの舞台になるような仮想世界も、非常に簡便に作れることを意味した。
が、それ以上に重要だったのは、現実界のミラーワールドを簡便に作れることだった。そのため世界中の大体の大都市や観光拠点は、ほぼレナルテのミラーワールドを製作した。観光拠点は主に昼間のミラーワールドが多いが、都市部は夜の街を敢えて別に再現しているところが多い。現実の時間に合わせないのは、夜中に昼間の観光拠点に行きたい人もいるし、時差もある海外の訪問者の事を考えての処置である。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
月の塔
みらいつりびと
SF
西洋でバベルの塔が建設されていた頃、東洋では月の塔が建設されていた。
高空の低温と空気の薄さに阻まれて、その建設は中止された。
しかし月人の協力を得て、地球と月を結ぶ塔の建設が再開される。
狭間の世界
aoo
SF
平凡な日々を送る主人公が「狭間の世界」の「鍵」を持つ救世主だと知る。
記憶をなくした主人公に迫り来る組織、、、
過去の彼を知る仲間たち、、、
そして謎の少女、、、
「狭間」を巡る戦いが始まる。
いつか日本人(ぼく)が地球を救う
多比良栄一
SF
この小説にはある仕掛けがある。
読者はこの物語を読み進めると、この作品自体に仕掛けられた「前代未聞」のアイデアを知ることになる。
それは日本のアニメやマンガへ注がれるオマージュ。
2次創作ではない、ある種の入れ子構造になったメタ・フィクション。
誰もがきいたことがある人物による、誰もみたことがない物語がいま幕を開ける。
すべてのアニメファンに告ぐ!! 。隠された謎を見抜けるか!!。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
25世紀後半 地球を襲った亜獣と呼ばれる怪獣たちに、デミリアンと呼ばれる生命体に搭乗して戦う日本人少年ヤマトタケル。なぜか日本人にしか操縦ができないこの兵器に乗る者には、同時に、人類を滅ぼすと言われる「四解文書」と呼ばれる極秘文書も受け継がされた。
もしこれを人々が知れば、世界は「憤怒」し、「恐怖」し、「絶望」し、そして「発狂」する。
かつてそれを聞いた法皇がショック死したほどの四つの「真理」。
世界でたった一人、人類を救えも、滅ぼしもできる、両方の力を手に入れた日本人少年ヤマトタケル。
彼は、世界100億人全員から、救いを求められ、忌み嫌われ、そして恐れられる存在になった。
だが彼には使命があった。たとえ人類の半分の人々を犠牲にしても残り11体の亜獣を殲滅すること、そして「四解文書」の謎を誰にも知られずに永遠に葬ることだった。
ゴースト
ニタマゴ
SF
ある人は言った「人類に共通の敵ができた時、人類今までにない奇跡を作り上げるでしょう」
そして、それは事実となった。
2027ユーラシア大陸、シベリア北部、後にゴーストと呼ばれるようになった化け物が襲ってきた。
そこから人類が下した決断、人類史上最大で最悪の戦争『ゴーストWar』幕を開けた。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる