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幼なじみたち

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イブはほくほく頬を緩ませて宿舎にある自室に帰った。


もちろん、公爵令嬢兼、聖女用の特別室である。


イブが自室に足を踏み入れると、イブの自室では幼なじみである二人の長年変わらぬ言い合いが展開されていた。


「殿下!聖女様がお帰りになってから、いらっしゃってください!」

「婚約者である聖女がいないこの部屋にこそ、僕がここにいる意味があるんだよ?」

「侍女しかいない部屋にどんな意味があるっていうんですか?!」

「もう、言わせたいのかな?

君が目的だって

知 っ て る く せ に!」


晴れの国の王子であるアーサーが、聖女専属侍女の鼻先をちょんと突く。


アーサーの蛇のように細い目がさらに細くなって笑った。


聖女専属侍女のニナは、鼻息を荒くしてその手をパシンと叩いた。


「もうやめて!アーサー!」


アーサーが目をキラキラさせてニナの手を両手で握る。


「うわぁ、名前呼んでもらったの2ヶ月ぶりなんだけど、今日眠れないかも。

もっと呼んで?」

「もう!怒ってるんですけど!?」

「ニナに怒られるのは至福の極みだって、まだ教え足りないかな?」


王子ウインクをバチンとかますアーサーに、ニナは顔を覆った。


「この人何言っても止まりません!助けて聖女様!」


ニナが真っ赤になって部屋をぐるぐる歩き回って逃げる後ろを、アーサーがぐるぐる追い回してずっと話し続ける。


「ニナ、ねぇ、ニーナ?可愛い顔でこっちむいて!」

「もうこっち来ないでください!」

「え、もっとこっち来て?

仕方ないなぁーこの王子を顎で使えるのは、ニナだけだぞ!」

「怖いー!もう怖いこの人ー!」


イブはいつもの光景にクスクス笑った。

イブの笑い声に気がついたニナが走ってやってくる。


「聖女様!おかえりなさいませ、今日は遅かったではありませんか!」


ニナのお迎え全開の笑顔に心が解れる。


「またあのインチキ聖女担当教師にイジめられたのでは?!」


ニナがイブの顔をぐいぐいのぞき込んで観察する。だが、クスクス笑うイブの様子に首を傾げた。


「あれ?今日は泣かされてないね」


妙にニナに近い距離で同じようにイブを覗き込んだアーサーが先に言う。


イブは意味深に微笑み、先ほどのアーサーのようにニナの鼻先を指先でちょんと突いた。


「良いことがあったの」

「え、なんですか聖女様、教えてください!」

「ニナには後で教えてあげるわ。アーサーには内緒よ」

「僕をのけ者にして君達にどんな利益があるっていうんだい?」

「ニナをイジめた罰よ」

「聖女様、大好きです!」


イブが唇の前に人差し指を当てると、ニナは胸の前で両手を組み合わせて喜んだ。


口を尖らせるアーサーを一瞥してから、女二人で着替え部屋に入って扉を閉めた。


ニナがイブの着替えを手伝い始め、アーサーは着替え部屋の前に自ら椅子を持ってきて座った。


着替え中だってお喋りするからだ。


「聖女様、何があったんですか?」

「実はね」


アーサーが外で聞き耳を立てていることを知っている二人は、耳元でこそこそ話し合う。


アーサーは面白くなくて、口をへの字にして腕を組み、足を組んだ。


「君たちは知らないかもしれないけど!

僕はこの国の王子なんだよ!?」


口が止まらないアーサーがついに一人で話し始めたので、イブとニナはまた顔を見合わせて笑ってしまう。


「なのに身分の差なんて

毛ほども気にしない大らかな人格をもった、

聖女とニナの幼なじみなんだこの僕は!

わかる?!」


アーサーはついに立ち上がって扉の向こうに叫んだ。


「つまり僕たち仲良しだよね!

そうだよね!

のけ者だけはやめてぇ!」


すっかり部屋着に着替え終わったイブがクスクス笑って扉を開ける。


「ニナからかい過ぎたから!

ごめぇん!許してぇ!」


扉にはべったり、アーサーが張りついていてニナが笑った。


聖女と王子と、平民出身の侍女。


三人は幼なじみだ。




  

イブの自室で、ニナが淹れてくれたお茶を三人で飲み始める。


「あいかわらず我が国のお茶ときたら、ひどくマズいな」

「ニナが淹れてもマズいとか、これはもう救いようがないわ」

「なんとかしてください殿下」

「火急の案件なのに誰も解決できないんだよ。水不足で良いお茶をつくるまで手が回らない……」




侍女が聖女と王子のお茶会に一緒に座るなんて、あってはならないことだ。


だが、王子命令でいつも三人でテーブルを囲むことになる。


イブとアーサー、そしてニナは身分を越えて三人で育ってきた。


アーサーが常に、そう望んだからだ。



「それで聖女は、その庭師に名前を呼んでもらってゴキゲンってことね。

良かったじゃないか友だちが増えて」



アーサーは行儀悪く肘をついて、ニナをじっと見つめる。


ニナは熱視線をわざと反らして、目の前のマズ茶をスプーンでかき回した。



「聖女様のお名前を、

平民が気安く呼ぶのは賛同しかねます」



イブは静かにマズ茶を飲んで、ニナの悔しさに歪む眉に宿る想いを知った。



「十歳で聖女様に選ばれてから、私だって名前を呼んだことがないのに」



公爵家に代々務めている使用人の家系であるニナは、同じ屋敷内で育つ、同じ年頃のイブと自然に仲良くなった。


イブの髪が黒かった頃から、二人は親友と呼べる仲だった。


だが、イブが聖女に選ばれたあの日から、平民出身のニナが、聖女のイブの名前を呼ぶことはなくなった。


聖女はあまりに特別だ。


アーサーもイブも身分を理由にニナを蔑むことは一切ない。


だが、長年高貴な二人の側に仕える者としてニナは生きてきた。


身分の壁の現実を、ニナは身をもって知っている。



「ニナ、聖女は名前を呼んで欲しいっていつも言ってるよ?」



アーサーがニナを見つめていた。アーサーの視線にいつも応えられないニナは、首を振る。



「公爵令嬢としてお生まれでありながら、さらに聖女の役割まで担う御方です。

とてもお名前など呼べません。

私はどうあっても、平民ですから」



ニナが唇を噛みしめる。


ニナがどんなに名前を呼びたくても、聖女は国に一人の尊き存在で、王子も等しく尊い。


どんなに人知れず仲が良くても、

イブとニナは対等な親友にはなれない。



どんなに愛しく想っても、

ニナが王子であるアーサーに嫁ぐことなど、天地がひっくり返ってもありえない。



身分差の恋なんて不毛なものに、

イブ「も」苦しむなんてことは避けてほしかった。



「本当に人の血に、貴賤などあるのかな?」



アーサーは茶を飲み干して立ち上がり、ニナの頭を撫でた。



「私は人に上下があるなんておかしいと思うわ。

だって、ニナはニナよ」



イブも立ち上がり、唇を噛みしめるニナを優しく抱きしめた。


アーサーとニナの報われない両片思いを、イブはずっと側で見て来た。


人と人の間に、血や生まれによる貴賤などないのだと、イブは深く知っていた。

 
 
  
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