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ティッシュ
ティッシュ 1
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「――で、どうしたんだ? 美咲。一体ママと何があったんだ?」
商店街の通行客へと大きな看板を掲げるチープな雰囲気のファミレス。
美咲が父親に引っ張られて連れて来られたのは、そんなファミレスの中でも窓から商店街が見える席だった。
夕飯時を少し過ぎた時間であることに加えて、突然雨が降ってきたこともあってかその店内はカップルや家族連れで満席に近かった。
「…………」
しかしそんな騒がしい輩も父親の顔も見たくない美咲は、
窓の外で奏でられている雨水の大合唱に耳を澄ませながら、父親の話を右から左に聞き流す。
さっきからあんな奴を『ママ』なんてかわいらしい呼び名で呼ぶ父親に少し苛立ちを感じていたのはもちろん、美咲自身、未だにこの状況を飲み込めていなかったのだ。
当然だろう。どこかをさまよい続けて、いっそこのまま消えてしまいたいとまで思って決行した家出の結末が、カップルひしめくファミレスでオレンジジュースを飲まされているだなんて、本末転倒もいいところだ。
「聞いているのか? 美咲……」
「……聞いてるよ? お母さんと何があったかだよね?」
とはいえ、黙っていても仕方がない。
美咲はどうにかそう自分に言い聞かせたのち、コップ底のオレンジジュースを最後までストーローで吸い尽くしながら返答する。
「塾で受けたテストの結果について言い合いになって――だから家に居づらくなったっていうか、その……」
「塾で受けたテスト? そんなことで家出したって言うのかい?」
「……」
だが返ってきた言葉は冷たいものだった。
事情を知らない父親からすれば、何気ない言葉だったのかもしれないが、その言葉は温まりかけていた美咲の心を凍りつかせる。
「そう……私は、ただそれだけで家出したの」
しかし、それでも美咲は今まで母親から受けた地獄のような仕打ちを、自分の知っている真実を、父親に打ち明けることはしなかった。
別に冷たい言葉をかけられたからではない。ただ、路頭に迷っていたさっきまでは考えなかった父親のひととなりを考えてみると、どうやらこの父親は自分の力にはなってくれそうもないと感じたからである。
たしかにそれは推測の話。美咲の思い込みであり、彼女自身が勝手にそんな固定観念を抱いているだけかもしれない。だが、それが単なる妄想でないという自信が美咲にはあった。
事実、まれではあるのだが父親の前で美咲の母親が美咲に対して暴言や暴行を加えた時、父親は「まぁ、まぁどちらもやめなよ」と、まるで子供同士の喧嘩でも見たかのような言動を取っていた。
つまり結論から言ってしまうと、優しいが腰が低く頼りないこんな父親を味方に付けたとしても、 蛙の面に水どころか火に油を注ぎかねないと美咲は踏んだのである。
しかしそんな美咲の考えに全く気付いていない父親は深いため息を吐いたあと、
「あのねぇ、美咲」と前置きしてから話し出す。
「それはママが美咲の事を考えた上でやってくれていることなんだから……嫌なのは分かるけど、ママの気持ちも少しは考えてあげなさい」
「…………」「ね? お前なら分かるだろう?」
「――分かった」
やはりこの男は信用できない。
美咲はそう思いながら窓の外へ視線を移し、また窓の外で奏でられている雨水の大合唱に耳を澄まし始めた。
外はさっきよりも激しく雨水達がぶつかり合い、商店街のいたるところにある看板や店舗用テントを叩いて音楽よりも純粋な――それでいて美しい音を奏でていた。
美咲はそんな美しい音に耳を澄ませながら、ひとつ気になっていたことを小声で口にする。
「水に流せるティッシュなので考えて。ねぇ……」
父親のことでうやむやになっていたとはいえ、美咲は女性が言った言葉の意味が未だによく分からなかったのだ。
水に流せるティッシュ。
今どき水に流せる――つまりトイレで使えるティッシュはそう少なくない。
むしろトイレで使えないティッシュであろうと無理やり使う人だっているくらいだ。それなのに、あの女性は助言だけならまだしも『十分考えて使え』とまで言ったのである。
あんな紙切れの一体何に気を付ければいいの?
美咲は上着のポケットに入っているティッシュをそっと撫でながら外の様子を映し出す窓をじっと睨み、今もまだこの商店街にいるであろうあの女性に向けてそんな質問をぶつけてみるも……返事などあるわけもなく、また雨音に耳を澄まそうとしたその瞬間。
――美咲は左腕を強引に引っ張り上げられた。
「ほら、分かったならそんな所でふて腐れてなんかいないで早く家に帰ろう」
父親だった。
おそらく「分かった」と言ってからずっと窓の外を眺めていた美咲に痺れを切らしたのだろう。
無理やり美咲の腕を掴み、そのままファミレスから出ようとしていたのだ。
「……ぃっ」
突然のことに顔を強張らせる美咲。
もちろん、自分がずっと黙っていたら几帳面な父親が痺れを切らしてしまうことぐらい分かっていた。……分かっていたが、それでも美咲の体は条件反射にその手を払いのける。
――パァン!
その結果、父親の手を払いのけた拍子に自分の手がどこに行ったのかを美咲が知ったのは、ファミレス中に甲高い音が響き渡った後だった。
商店街の通行客へと大きな看板を掲げるチープな雰囲気のファミレス。
美咲が父親に引っ張られて連れて来られたのは、そんなファミレスの中でも窓から商店街が見える席だった。
夕飯時を少し過ぎた時間であることに加えて、突然雨が降ってきたこともあってかその店内はカップルや家族連れで満席に近かった。
「…………」
しかしそんな騒がしい輩も父親の顔も見たくない美咲は、
窓の外で奏でられている雨水の大合唱に耳を澄ませながら、父親の話を右から左に聞き流す。
さっきからあんな奴を『ママ』なんてかわいらしい呼び名で呼ぶ父親に少し苛立ちを感じていたのはもちろん、美咲自身、未だにこの状況を飲み込めていなかったのだ。
当然だろう。どこかをさまよい続けて、いっそこのまま消えてしまいたいとまで思って決行した家出の結末が、カップルひしめくファミレスでオレンジジュースを飲まされているだなんて、本末転倒もいいところだ。
「聞いているのか? 美咲……」
「……聞いてるよ? お母さんと何があったかだよね?」
とはいえ、黙っていても仕方がない。
美咲はどうにかそう自分に言い聞かせたのち、コップ底のオレンジジュースを最後までストーローで吸い尽くしながら返答する。
「塾で受けたテストの結果について言い合いになって――だから家に居づらくなったっていうか、その……」
「塾で受けたテスト? そんなことで家出したって言うのかい?」
「……」
だが返ってきた言葉は冷たいものだった。
事情を知らない父親からすれば、何気ない言葉だったのかもしれないが、その言葉は温まりかけていた美咲の心を凍りつかせる。
「そう……私は、ただそれだけで家出したの」
しかし、それでも美咲は今まで母親から受けた地獄のような仕打ちを、自分の知っている真実を、父親に打ち明けることはしなかった。
別に冷たい言葉をかけられたからではない。ただ、路頭に迷っていたさっきまでは考えなかった父親のひととなりを考えてみると、どうやらこの父親は自分の力にはなってくれそうもないと感じたからである。
たしかにそれは推測の話。美咲の思い込みであり、彼女自身が勝手にそんな固定観念を抱いているだけかもしれない。だが、それが単なる妄想でないという自信が美咲にはあった。
事実、まれではあるのだが父親の前で美咲の母親が美咲に対して暴言や暴行を加えた時、父親は「まぁ、まぁどちらもやめなよ」と、まるで子供同士の喧嘩でも見たかのような言動を取っていた。
つまり結論から言ってしまうと、優しいが腰が低く頼りないこんな父親を味方に付けたとしても、 蛙の面に水どころか火に油を注ぎかねないと美咲は踏んだのである。
しかしそんな美咲の考えに全く気付いていない父親は深いため息を吐いたあと、
「あのねぇ、美咲」と前置きしてから話し出す。
「それはママが美咲の事を考えた上でやってくれていることなんだから……嫌なのは分かるけど、ママの気持ちも少しは考えてあげなさい」
「…………」「ね? お前なら分かるだろう?」
「――分かった」
やはりこの男は信用できない。
美咲はそう思いながら窓の外へ視線を移し、また窓の外で奏でられている雨水の大合唱に耳を澄まし始めた。
外はさっきよりも激しく雨水達がぶつかり合い、商店街のいたるところにある看板や店舗用テントを叩いて音楽よりも純粋な――それでいて美しい音を奏でていた。
美咲はそんな美しい音に耳を澄ませながら、ひとつ気になっていたことを小声で口にする。
「水に流せるティッシュなので考えて。ねぇ……」
父親のことでうやむやになっていたとはいえ、美咲は女性が言った言葉の意味が未だによく分からなかったのだ。
水に流せるティッシュ。
今どき水に流せる――つまりトイレで使えるティッシュはそう少なくない。
むしろトイレで使えないティッシュであろうと無理やり使う人だっているくらいだ。それなのに、あの女性は助言だけならまだしも『十分考えて使え』とまで言ったのである。
あんな紙切れの一体何に気を付ければいいの?
美咲は上着のポケットに入っているティッシュをそっと撫でながら外の様子を映し出す窓をじっと睨み、今もまだこの商店街にいるであろうあの女性に向けてそんな質問をぶつけてみるも……返事などあるわけもなく、また雨音に耳を澄まそうとしたその瞬間。
――美咲は左腕を強引に引っ張り上げられた。
「ほら、分かったならそんな所でふて腐れてなんかいないで早く家に帰ろう」
父親だった。
おそらく「分かった」と言ってからずっと窓の外を眺めていた美咲に痺れを切らしたのだろう。
無理やり美咲の腕を掴み、そのままファミレスから出ようとしていたのだ。
「……ぃっ」
突然のことに顔を強張らせる美咲。
もちろん、自分がずっと黙っていたら几帳面な父親が痺れを切らしてしまうことぐらい分かっていた。……分かっていたが、それでも美咲の体は条件反射にその手を払いのける。
――パァン!
その結果、父親の手を払いのけた拍子に自分の手がどこに行ったのかを美咲が知ったのは、ファミレス中に甲高い音が響き渡った後だった。
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