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-19-『変わりゆくもの』

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 護岸工事済みの海岸。

 星屑のようなテトラポットに腰かけた俺は濁った東京湾を眺めていた。

 隕石が落ちてくる時刻まで残り五時間。

 結局は隕石の方は俺一人が小舟に乗って墜落予想地点に向かい、バッドで跳ね飛ばすことになった。

 静寂に包まれながらぼんやりしてると、段々と不安な気持ちになってきている。

 アルマゲドンだって大勢のチームで対処し、核爆弾を使ったのになぜ俺は一人でバッド一本なのだろうか。

 限りなく無茶じゃないだろうか。これってもしかしてイジメか?

「兄さんや。そないに疑心暗鬼な顔をしとったらうまくいくもんも、いかんくなるで」

 ちょこちょこと八本の触腕を使って歩いてきた宇宙タコ――固有名はハイパー・オクトパスという名前らしいが、呼びにくいので普通にタコと呼ぶことにした。

 俺の親友を名乗る助っ人のこいつの協力によってイカロンは殲滅することになったが、いまいち信じることができない。

 タコは俺の疑心を見抜いたのか、ひょうきんに「かっかっか」と笑った。

「安心せい。タイマン張ったらマブダチやで……先の死闘でワイは兄さんは熱い友情の絆は結ばれたんや。それにイカロンにとってワイは天敵であり、ライバル。いつかは戦わなあかんと思うとった。決戦の場として地球というゴミの掃き溜めなのが気になるけど、ええ機会やったんや」

「タコ、いちいち地球をディスるな」

「わかっとる。兄さんは心配せんでもええ。ロンサムよりも先にワイがワイのチルドレンたちをこさえとった分、数では有利や。世界各地に散らばったワイの種。それぞれがイカロンを凌駕する力を持っとる」

 事実として――ロンサムよりも先にタコに海洋汚染されていたのが気になるのだが、金魚警部の発案は理に適ってはいた。

 大量の巨大イカには大量の巨大タコをぶつけ、退治する。

 お互いが海中というフィールドで勝負する分、力は五分になるだろう。

 イカたちが全滅さえすれば、隕石を呼びこんだJGGが計画を変更してくれてるかもしれないとも期待している。

「タコ、お前のクソガキどもは本当にイカどもを倒せるのか?」

「兄さん。タコについて勉強不足やぞ? タコは無脊椎動物の中でもっとも賢い生き物や。イカと違って武装することもできるし、迷彩能力もある。それに何よりも愛情深いんや。ワイが孕ませたビッチ……いや、母親たちは丹精込めて子タコたちを育成した。立派なソルジャーになっとるはずや。ワイは認知を拒否したが、負けるはずがあらへん」

「一部気になる発言はあったが自信ありげだな……んっ?」

 にゃーんっと後ろから鳴き声が聞こえてきたので、振り返ると我が家のシャムネコの一郎丸が小魚を咥えてドヤ顔していた。

 自慢げに魚をぺっと吐き出す。

「一郎丸……ふっ、応援しにきてくれたのか」

 くれるかと思ってアジっぽい小魚に手を伸ばすと、バシッと肉球で叩かれた。

 黄色の目がジッと俺を睨み、かぱっと口を開くと自分でもしゃもしゃと食い始める。
 ――なんだこいつ。

「ん、首輪に何か挟まってるじゃねえか……手紙か」

 一郎丸が頭を下したことで、後ろ首に挟まっていた白い便箋を見つけた。
 四つ折りになっていたので広げてみるとミーナの字だ。






<にいちゃんへ。

 予備の反重力バッドを淫乱ビックマックの異次元ポケットに入れておきました。
 あたしの設計したものなので宇宙のクズどものバッドより使える思いますが、試作品なのでにいちゃんごと吹き飛ぶ可能性も捨てきれないので使用には注意してください。
 一郎丸はにいちゃんについていくといいました。
 なので、この子は肌身離さず抱えておいてください。
 あたしも同行したいのですが一郎丸に「めっ」されてしまったので悲しいですが安全のためにひとまずハワイまで避難します。
 それにしても、陽気なワイキキ・ビーチから見える壮麗なダイヤモンド・ヘッドは本当に最高であり、喉越し豊かなトロピカルドリンクは都会暮らしで疲れたあたしの心を刺激的に癒してくれています。
 今朝のホテルサービスのバイキングはフルーティなスイーツが盛りだくさんで、選びきれずについつい持ったフォークが踊ってしまいました。
 スコーンとクリームチーズとアサイ―の組み合わせはあたしの舌をとても満足させ、幸いなことにその席でハワイアンダンサーのジェニファーと親密になりました。
 彼女からその身に秘めた情熱のアロハ・スピリットに感化されたあたしは真の自由を学ぶべく、今日はダイヤモンド・ヘッドにオープンカーでハイキングする予定です。
 霊峰の熱い山風は私の頬を焦がし、身に宿るパッションを呼び起こしてくれるでしょう。
 日本では大変なことが起こっていますが、いつでもあたしはにいちゃんのこと案じ、愛を込めて無事を祈ってます。



 ブルー・ハワイを楽しんでいるあなたの最愛の妹から>








 ――逃げやがった。






「くっ」

 目尻の熱いものがこみあげてきて、真上を顔を向けた。

 違うんだ。俺は泣いてるんじゃない。
 ただ、ちょっと太陽がまぶしいだけなんだ。
 ミーナは昔から要領のいい娘だった。

 決して最愛の兄の窮地を見捨てたのではなく、突発的にハワイ旅行がしたくなっただけに決まってる。

「……うん……まあ元気そうで……いいかな……安全そうだし」

「兄さん、可愛がるだけが教育やないで。たまには怒ったらなあかんで?」

「黙れタコ。我が家の教育に口出しするな。これで心置きなく隕石をぶっ飛ばせるってもんだ」

 病弱でひきこもりだったミーナがハワイで元気になってくれるのを素直に兄として喜ぼう。

 たとえ、今日死ぬ運命にあったとしてもだ。

 なぜか濡れている瞼を腕の裾でごしごしぬぐい、指を輪の形にして口笛を吹き一郎丸を呼び寄せる。
 なぁご、と鳴きながら一郎丸は器用に俺の左肩に飛び乗った。
 抱えずに済むがちょっと重い。

「緋村君。準備が整ったぞ」
「えっ……片桐さん?」

 またも防波堤から現れた人影は海上保安庁の艦長さんだった。

 凛々しく制服を身にまとい、胸を張って両腕を腰にあてている。

「君が隕石をどうにかできると匿名で連絡が入ってな。まったくイカといい、隕石といい、エージェントは大変だな」

 もしかしたら片桐さんはJGGが隕石を召喚したのだと知らないかもしれない。

 それはそうか。
 わざわざ自分の仕業だと発表する意味がない。

「ええ、なんつーか、もう避難しようかと思ってるんですけどね」
「この日本の危機。打てる手はなんでも打っておく。政府としては迎撃ミサイルを隕石に放つようだし、私は君に協力しようと思う。君は君で何かあるんだろう?」

 まさかバッド一本で打ち返すとはいなかったが、俺は黄金バッドを掲げて見せた。

「うん? 野球が好きなのか?」

 やっぱり、理解できていない。

「いえ……まあなんつーか、一応はテトラポットくらいは粉々にできましたよ」

 俺の足元の波打ち際。

 粉々になったテトラポットの残骸が転がっている。

 試し打ちしてみたが、大体一トンほどの巨大なコンクリの塊くらいはどういう原理かわからんが楽々破壊できた。

 しかし。

 大リーグだって精々、百六十キロの硬質ボールを打ち返すもので。
 数万キロの速度で飛んでくるらしい隕石を俺は一本足打法でいけるだろうか。
 常識で考えてバッドをあてる前に先に衝撃波とか熱波で死ぬんじゃないだろうか。

「……まあ、行こうか? 緋村君」
「ええ」

 俺は黄金バッドを黒色の細長いバッドケースに入れて肩に抱えた。




 ◇◆◇



 以前、転覆した『あきかぜ』よりも一回り小さい巡視艦の『なつかぜ』に乗り込むと保安官が異様に少ないことに気付いた。

 半分の五百トンクラスの船とはいえ、漁船よりは段違いに大きい。

 それなのに片桐さんを含めれば三名しかおらず、操舵も自動操縦になっている。

 まるで廃艦のようにひっそりとしており、つい艦内のあちこちに頭を伸ばすと片桐さんは苦々しい顔で説明してくれた。

「こういう事態だ。避難する者も多い……どの組織も混乱の中で事態に対処している」

 避難勧告が出されてから警察はもちろん、陸上自衛隊も避難民の誘導に尽力している。

 海上保安庁だって海岸沿いにある国有財産を避難させなければならないし、これを機に他国の侵略してくる恐れもあり、人手は少ないらしい。

 艦の最上部にしてヘリ甲板にあるH型のヘリポートに移動した。

 見晴しはよくそれなりに広く――重心が一番あると思われる船尾側。

 隕石を打ち返すにはベストなポジションだ。

 隕石の大きさは一キロほどだというが、恐竜を滅ぼした隕石だって様々な説はあるが十キロほどらしい。
 東京湾がぶっ飛ぶには充分な大きさかもしれん。

 それをこのきらびやかな黄金バッドで打ち返す――うーん、死ぬなっ! 俺!

「無理なんじゃねーのか」
「無理じゃないってお兄ちゃん」
「まあやるだけやってみよう」
「えっ……クーナ、先輩」

 ブラックサングラスをツルをくいっと持ち上げ、黒スーツを身にまとうクーナ。
 骸骨仮面とマントという独特なファッション感覚の先輩。

 どちらもその服装で街角で会えば確実に避けてしまうファッションスタイルだが――なぜか、この場に来ちまったようだ。

 クーナにはきちんと逃げておけ、といったのに。
 いや、ミーナの手紙からしてクーナが来ることは読めていた。
 こいつはいつまで俺にべったりなのか。

「ちゃあーんっと私は仕込んできたから」

 俺の下にトコトコ近づき、屈んだかと思えばくいっとワイシャツを摘まんで開いて見せてくる。

 頼もしい巨乳。今度こそ、これを利用すべきか。
 バズーカごときでは厳しいかもしれないが、武器があるなら頼りたい。
 予備のバッドも気になる。だが、またこいつの谷間に手を突っ込むのはさけたい。

「ごほんっ、私の粒子砲を拡散させて一時的に隕石を減速させよう。スペースリーガーのバッドは宇宙の大巨人族が使っていたものだが、緋村の火事場の馬鹿力ならいけるはずだ」

 赤面しながら咳払いした先輩は俺に期待をかけているのがわかるが、そう簡単にはいかないだろう。

「俺、隕石ぶっ飛ばせるほどパワーないですよ」
「愛情パワーだよお兄ちゃん」
「緋村、いけると信じろ何事もやってやれんことはない」

 どちらの励ましも正気ではないが――既に船は出航してしまっているし。
 俺が失敗すれば隕石は東京湾を破壊する。
 死ぬ気で跳ね飛ばすしかない、か。






 隕石飛来まで残り約一時間。

 食堂で待機中の俺たちはテーブルに腰かけながらニュースを見ていた。
 悪趣味なことにテレビ局はカウントダウンの数字まで表示していた。
 ほとんど正確な時刻を算出しているというが、死刑台にあがるまでの時間みたいで気分は悪い。
 スプーンで最後の晩餐になるかもしれない食事を楽しむ。
 スパイスの効いたカレーはピリ辛だ。

「最後の飯がカツカレーか。そう悪くねえな」
「縁起でもないこといわないでよお兄ちゃん。でも、どうしても死ぬ前に童貞捨てたいとか血迷ってもいいよ」

 カルボナーラをフォークに巻きつけ、「熱くて、ねっとりしてドロドロが喉に絡みつくぅ」とかアホなことをつぶやいていたクーナが片目を閉じてウィンクしてくる。

「クーナ。ぶっ殺すぞ。俺はそんな急場でパニックを起こすような尻軽男じゃない。というわけで先輩、俺に十分。いえ、五分ほど時間をくれませんか? 物凄い寝心地のいいベッドを見つけたんです」
「血迷ってるところ済まないが、しょうゆを取ってくれ」
「はい」

 手近なところにあったしょうゆ差しを手渡す。

 先輩は刺身定食を楽しんでいたが骸骨仮面に口蓋は縦の格子状になっているので、無理やり差込口に刺身を入れようとしてガンガン箸がぶつかっているのが気になる。

 なぜ外さないのだろうか。
 こだわりでもあるのだろうか。
 もしや呪いの仮面なのだろうか。

「先輩、その仮面って銀河警察連邦では着用とか義務付けられてるんですか?」
「オシャレだ」
「なーるほど、オシャレですか。なーるほど……」

 タイガーフィッシュのときといい、感性は相容れないものがある。

 頑張れば先輩の麗しさと現在の不気味さはギャップ萌えに繋がるかもしれん。
 いや、無理か。

「JGGだと黒スーツは一応義務付けられてるよ」
「逆にこんなん目立つじゃねえか」

 くだらない雑談は続いた。
 危機を忘れているかのようなトークは途切れることがなく、たまにガラスの向こうの大海原を見渡すと、巨大タコと巨大イカが荒ぶりながら激戦を繰り広げていたが、俺たちは落ちついて眺めることができた。

 舷側の外廊下で手すりに乗り、海面を見回しながら戦争を指示しているらしい親タコが兄弟たちの戦死で泣きわめく子ダコを平手打ちして「父ちゃんのために戦うんや。ハイパー・オクトパスの名前に泥をぬったらあかんぞ。逃げるくらいやったら潔く爆弾抱えて突っ込めや」と吐き捨てている一幕があったが、イカロンの方も片付きそうではある。

 戸を開いて波しぶきがかかる舷側へ足を運び、タコの様子を見に行くとしゅっと触腕があがった。
 司令官気取りで片桐さんの帽子を被っている。
 自慢げな顔つき。許可は取ったのか。

「どうだ?」
「こっちで数は勝るさかいにイカロンは殲滅できそうや。だが、逃げるやつもおるさかい。今日中には無理や。間に合わん」

「……<リトル・カーネル>に連絡取ってるけど。繋がらないの」

 気まずそうに胸元で指を突っつき合わせるクーナ。

 呼んでもいないのに俺の後ろについてきたようだ。

 俺はスマホを取り出して残り時間を見る。

 三時のオヤツの時間に落ちてくる隕石。
 もうあまり時間はない。

「残り一時間を切ったか……仕方がない。ついてこいクーナ」
「えっ? うん」

 手を振って促すと、素直にちょこちょこついてくる。
 昔からこいつは俺に懐いている。暇さえあれば片時も離れようとしなかった。

 正直――ずっと悪い気はしなかった。

 少々へそ曲がりなところはあるが、ミーナと同じく俺の大事な肉親だ。
 こんな馬鹿げた事件で――関東地方がぶっ飛ぶくらいのことで死なせるわけにはいかない。

 狭い通路を通り抜けてヘリ甲板にあがると、ちょうどキュルキュルとプロペラを鳴らすヘリコプターが離陸しようとしているところだった。

 風圧を受けている片桐さんは軍服の裾をはためかせ、俺たちに視線を移してくる。
 他の保安官さんも既に乗り込もうと荷物を抱えている。
 墜落地点にはもう到着した。
 アンカーを入れた船はもうここから動くことはない――彼らも避難するのだ。

「緋村君……それで、乗るのはその娘か?」
「ええ。お願いします」
「えっ、ちょ、やだっ!」

 逃げようとしたので腕をつかんで押し留めた。
 引き寄せつつ、想定はしていたが説得を開始する。
 俺と何もかもが違う金髪碧眼――瞳が戸惑いで左右に揺れている。
 愛しく思うどころか、憧れたことさえあった。

「クーナ。よく聞くんだ。元はといえば俺がロンサムを殺し損ねたからこうなった。そのことに後悔はしていないが、責任を果たさなきゃならない。そして何が起ころうとも、お前とミーナだけは絶対に死んで欲しくない。だからここはお兄ちゃんに任せてくれ」
「やだ」

 ぷいっと顔を背ける。
 そんな場合じゃないのに子供ものようにぶすっと頬をふくらませている。

「もう出発するぞ!」
「クーナ。頼む。一生のお願いだ。俺は父さんがいったように……人より丈夫だからなんとかなるかもしれない。今回ばかりはお兄ちゃんに言うことを聞き入れてくれないか。お前が死んだらお兄ちゃんはだめなんだ」
「どうしてだめなの?」
 横に顔を背けながらも上唇に指をあて、つんとしながら本音を引き出そうとしている。

 これが手だとわかっていても。
 こんな急場で。
 こんな一刻を争う局面で。
 俺はクーナのためにはっきりいうしか選択肢がなかった。

「お前のことを愛してるからに決まってるだろ」
「うん。知ってる」

 目の前でふわっと金髪が舞った。

 身を翻したかと思えば顔が接近してきて――目を閉じたクーナは一歩前に進んだ。
 跳ね返す余裕もなく、俺の胸ぐらをつかんでつま先立ちになった彼女は三秒間をたっぷり楽しんでいた。
 離れたときに金髪がなびき、俺の頬をくすぐった。
 舌でぺろりと唇をなぞり、アーモンドの目が小悪魔めいて歪んだ。
 クーナは片桐さんに向かってぶんぶんと手を振る。

「行ってくださいー。私は残ります」

 片桐さんは俺に視線をやったみたいだったが、俺は硬直したまま動けなかった。
 不意打ちとはいえ――人命救助とは違って今度のはまずい。
 口許に手を添えていると、クーナは両手をぐっと握って拳を丸める。

「お兄ちゃんのことは私が護るよ」
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