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-5-『クズの本懐』

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 分厚い漆黒のカーテンで覆われ、暗室となった視聴覚室。

 俺はコトのあらましを、ゆっくりと説明した。

 まばらに座る人影が、話が進むにつれて小刻みに揺れている。

 動揺が走っているのだ。

 室内は暗闇に覆われているので、シルエットだけでしか見えないが、怒りの波動はよく伝わってくる。

 俺が語る終えると、場が緊張感で張りつめるのがよくわかった。

「メガネ君こと……二年三組の片山勇気君は許されることのない罪を犯した。勇気君は名前の通り、勇気を奮ったが、我らを前にしてそれは蛮勇というものだ」

「獄長! 芳野先生と背信者はその後どうしたのですか!」

「まさか、体育倉庫というフィールドでビックマッチをしたのでは!?」

「馬鹿な、そのようなこと許されない……学校は学問をするところであります! 決してプロレスをするところではありません!」

「落ちつけ、マイ・フレンズ」

 両手を小さく斜め下に向けて開き、仲間たちのどよめきを抑える。

 獄長というのは、俺の学園SNSでのハンドルネームでもあり、畏敬と名誉の込められた称号でもある。

 私立銀聖高等学校で愛なき戦士たちをまとめている内にそうなった。

 暗室にひそむ彼らは生徒たちの中でもよりすぐりの過激派。

 牢獄に入るべき存在という暗喩もある。

「まず、我らがすべきことは片山君を殺すことではない。死よりもつらい制裁を与えることだ」

「獄長……さすがです」

「恐ろしいお方だ……頼もしい」

「さしあたって、片山君の自室にライブカメラを設置し、YOUTUBEに生放送することを始めよう」

 ――非道。

 誰もが口を閉じていたが、微かに震える空気はそんな苛烈な言葉を宙に浮かべていた。

 もしかしたら、万が一にだが……運営にアカウントバンされるような行為を片山君がするかもしれないが――あるいは世界中に、そのマル秘動画が拡散されてしまう恐れがあるが――そこまでは俺の責任ではない。

「ぬるい。殺すのじゃ」

「長老!?」

 男子生徒の一人が驚愕の声をあげた。

 物置棚側の最後列に座った老人――銀聖高校の校長にして古参戦士がついに重い口を開いたのだ。

 通称、長老。

 めったに発言することのない重鎮の物言いは珍しかった。

 当然、戦士たちは一気に視線を集めた。

「芳野先生は……そんじょそこらのジャリガキが手を出していい存在ではない。年上のダンディで年収が八百三十万以上、更に校長職に就いているちょっぴりポチャ気味の男じゃないと、許されん」

 長老はやけに具体的な人物像を描いたが、あえて俺はその件には触れず、眉根を寄せる。

「殺すのはいつでもできます。最後でいいではありませんか長老」

「獄長、残念だがお前のやり方は時間がかかりすぎる。こうしている今でもワシの可愛い芳野先生がネトラレているかもしれないのじゃぞ。火急の事態とわからんのか?」

「ワシの……ですか。芳野先生は男子生徒の心のオアシス。いわば共有財産です。私物化するつもりですか?」

 暗闇の中で、戦士たちの目が見開かれた。

 まばたきのないイッた狂気の瞳が長老をめった刺しにする。

 気圧けおされた長老はびくつき始め、媚びるように愛想を振りまく。

「そ、そんなつもりはない……ただ、ほら、のぉ……『兵は拙速を尊ぶ』というじゃろう?」

 素早くケリをつけろ、か。
 長老の言いたいことはわからないわけでもない。
 しかし、片山君をどう始末するかは重要な案件だ。手抜きはできない。

「獄長。御耳に入れたいことが」

「どうしたサスケ」

 忍者部、という忍者の物真似をして楽しむ思春期をこじらせてしまった系の頭の可哀相な部活に所属しているサスケが音もなく俺の傍に控え、かしずいていた。

 俺が身体を傾けて聞き耳を立てると、口許を手の平で隠しながらサスケは身を乗り出し、情報を提供した。

「御耳を拝借……実は芳野先生は昨今、複数の男子生徒と逢引きしていると噂があります。獄長のスクープは決定打になりましたが、別件もあるかと」

「なにぃ」

 そうなると事情が変わってくる。

 単純に、片山君だけを消せば済む問題ではなくなった。

 ありあまる大人の色気と、性にお堅い感じがほどよくブレンドした美人秘書風の芳野先生がそんな……俺たちみたいな純情ボーイズをハントする隠れハンターとしての側面を持っていただなんて。

 どうしよう。どうすればいい。

 もしもだが、メンズノンノ系男子である俺が先生のターゲットになってしまったらどうなる。

 完全にありえることじゃないか?

 放課後のカラス鳴く夕暮れ、誰もいない教室でいけない個人授業をされたらどうなってしまうんだ。

 俺は多少は知識はあるし、性的なことに関する好奇心も強い。

 まったく予期していないことではあるが、前準備はできてしまっている。

 すぐに臨戦態勢になれる自信もある。

 教師には逆らえないし、俺はたまにとても内気だ。抵抗などできない。

 きっと――なすがままになってしまう。

 制服は乱暴に剥ぎ取られ、ズボンのチャックが細い指でこじ開けられる。

 あわれもない姿で怯える俺を先生は生臭い息を吐き、舌をなめずりして捕食しようともくろんでいる。

 だめだ。いけないよ……でも、でも、俺は……ぁあ! 先生っ! そんな汚いところはだめぇ!

「ご、獄長?」

「んっ! いや、うむ。この件は内密に……皆、至急の案件が入った。本日はこれにて閉幕とする!」

 パンパンッと両手を打ち鳴らして解散を宣言すると、戦士たちは視聴覚室の戸口から出て行った。

 ただサスケだけが微妙な顔つきをしたまま去らなかった。

 膝をついたまま疑り深そうに俺をジッと見つめ、内心を探ろうとしている。

「獄長、どうしたというのですか。まさかとは思いますが……抜け駆けしてみようなどと思ってはいませんか?」

「痴れ者っ! 俺がそのような浅はかな男であるように見えるか!」

 くわっと一喝すると、サスケは背筋をぶるっと震わせて身を縮まらせた。

 うつむき、自分の失言を悟って両目をきつく閉じている。

「はっ! 失礼致しました!」

「いいか、俺たち純情鉄血団の絆は血よりも濃い。そのような裏切り、身が裂けてもできんのが当然というものだろう」

「もちろんであります」






◇◆◇



「芳野先生、俺、モモとアボガドの数がどうしてもわからなくて……お時間がありましたら、教えてもらえませんか?」

 放課後。

 俺はさっそく友情を裏切ることにして職員室に足を運んだ。

 職員室の扉を開けて芳野先生の机に向かって歩き、困った顔を全面に出しながら胸ボタンに指をかけた。

 ぷちぷちと胸板のチラ見せアピール。

 飢えた年上のメスを虜にするセクシー動作は完璧だ。これで悩殺できるに違いない。

「モルとアボガドロ定数のことよね、緋村君。というか、どうして学生服の胸元をはだけながら聞くの?」

「あ、すいません先生。俺の中のビューティがつい暴走スタンピートしてしまって」

 胸板を露出して少年の青臭さを演出し、女の嗜虐心を刺激する作戦だったがお気に召さないご様子。

 スーツに身を包んだ芳野先生は身持ちの硬そうな雰囲気を放っているが、開いた襟元のワイシャツを突き破りかねないおっぱいだけは、南国の自由奔放な精神を想起させる。

 スマートなボディラインにくっついている二つのフリーダムストライクは俺の心を波打たせてやまない。

「教科書は持ってきてる?」

「あ……」

 や、やばい。

 化学ではなく保健体育を教わりにきたので、そんなゴミみたいなものを持ってこなかった。
 完全にこの場には不要なもんだろ。

 芳野先生は呆れたような顔つきに変化していっている。
 俺から興味がなくなっていくのが手に取るようにわかった。
 ちっくしょう。どうする俺。どうすればいいんだ。

 考えろ鉄次ぃっ!
 人生で一番脳みそをフル回転させるときがきちまったぞ!

 俺だって先生と……美人教師と禁断の関係になりたい……っ!。

 他の男子生徒よりも、先んじて色んなものを卒業したいのだ。

 ただそれだけなんだ――ちっきっしょう、純粋無垢な欲望しか持ってきてないよ。

 うろたえる俺に対して、芳野先生はクスッと笑うと肩をすくめる。

「仕方ない子ね。理科室に予備があったらか、そこでなら教えてあげる」

「は、はい。初めてですがよろしくお願いします!」

「うふふ、何が初めてなのよ。困った子ね」

 直立不動の態勢になる俺の腹部を、ちょこんと指先で突いてきた。

 膝ががくっと崩れかけた。

 体中の筋線維が崩壊してしまったかのように緩んでしまう。

 あ、あぶねえ。

 危ういところで俺の美少年さが功を奏したようだ。美とはすべての矛盾を許すことができるからな。

「それじゃあ、行きましょうか」

 促されて職員室を出る。
 廊下を歩きながらも自然と俺の心は弾んでいった。

 先行する芳野先生がなびかせる茶色の髪は美しかった。

 日頃から、お手入れをされていることが窺える。

 きゅっとしまったお尻の下にある足を覆う黒タイツもまた、大人の妖艶を演出するのに一味つけている。

 もちろん――俺には蒼井先輩という、将来結婚する相手がいる。

 だがあくまでそれはエンディングの話であって、途中で様々な女性と交遊関係を結ぶというのは俺の人生を豊かにしてくれるはずだ。

 高校時代に美人教師から誘惑されるといったイベントは、誰もが羨むもの。

 俺の人生でやってみたいことベストファイブに入っている。

「さぁ、緋村君、入って」

 戸口ががらがらとスライドして開いた。
 流し台が設置された長机が一定間隔で置かれた理科室。
 机の上に丸椅子が逆さになって重ねられている。

 化学薬品のツンとする刺激臭が鼻腔に忍び込んでくる。
 俺が踏みだすと後ろからかちゃりと音がした。
 振り返るとうっすらと微笑を浮かべる芳野先生。

 その口の端が無邪気にほころんでいて美しいが、不思議と異質な迫力があった。

 穏やかでない瞳が、一瞬で俺のすべてを品定めしたような錯覚に陥る。

 遠くから金属バッドが野球ボールを打つカキンっという音が響いてきた。生徒たちの歓声があがっている。斜陽が窓ガラスで分割されて四角形となって室内を照らしている。

 湧きたっていた心に冷や水をかけられたような気分。

 警鐘のような心音が、どくんと耳朶を打った。

「緋村君。どうしたの?」

「いえ、別に……あはは、なんでもありません」

「そう、よかったわ。それで……本当に勉強したいわけじゃないんでしょ?」

 何気ない動作で机に手をついて体重を乗せ、芳野先生はしっとりと色気のある声で尋ねてきた。
 邪心に感付かれている。本題を口に出すにはちょうどよかった。
 俺は芳野先生に背を向けた。

 窓の向こう、夕映えしたグラウンドと湾岸都市である銀星市の街並みを見据える。

「芳野先生が……複数の男子生徒を誘惑していると耳にして……正直、信じられない思いだったんです。だから真実を知ろうと思って」

 そうだ。

 ゆっくりだ。落ちつくのだ鉄次。

 いきなり関係を迫るのはスマートではない。
 まずは事実関係を明らかにしてからだ。


 紳士としてエレガントにコトを運ぶのだ。

「噂ね……本当だと思う?」
「ごまかさないでください。もうネタは割れてるんです。俺、片山君と先生のキスを見てしまったんです」

 俺は傷ついた青年そのものの態度で、全身を震わせた。

 そして、天を仰ぐように無意味に天井に視線を移した。

「先生は教育者。でも、一人の人間であることは変わらない。ときには、年下の可愛い男子生徒に目移りしてしまう気持ちはわかります。だけど……そういうことは社会的にもやっちゃいけないことだ。ましてや大人として思春期の少年に手を出していいはずがない」

「緋村君」

「いいんです。ごまかさなくて。だから、その……」

 一呼吸置いた。
 高鳴る胸を抑えて荒くなった呼吸を整える。
 教師と学生はあくまでも教育者と学徒という関係でしかるべきだ。

 大勢の生徒に対して平等でなければいけないし、世間体も考えて恋愛感情や肉体関係などもってのほかだ。

 絶対に許されることではない。

 ――だから。

「先生の生臭い欲望の餌食えじきになるのは……俺だけでいいんじゃないですか?」

 くるりっと振り返った。

 想いを込めて胸に左手をあてたまま、右手を水平に真横に伸ばす。

 こんなことはしたくない。

 だけど、俺が自己を犠牲にすることで多くの迷える男子生徒を救うのだ。

 その結果、十八禁なことになるかもしれないが――それは、仕方のないことだ。

 ああ、なんてこった。

 完全に美談だよコレ。

「俺が先生のお相手を務めます。だから他の悩める生徒に手を出さないでください。先生と俺となら、きっと素敵な化学反応(ケミストリー)になります」

 俺の告白に芳野先生は目を伏せた。

 真っ黒な机に押しつけられた細い指先が、ぐりぐりとねじられている。

「緋村君……私はね。生徒たちを助けてあげてるだけよ。皆、淡い欲望を持てあまして勉学に集中できなかった子たちよ」

 心当たりはある。

 サスケからの情報によれば、片山君のほかに絵野上君も芳野先生との関係が疑われていた。

 絵野上君は俺を超えたむっつりスケベ。スーパーむっつりスケベマンだ。

 そんな彼が煩悩を破壊されるなど並大抵のことではない。

 芳野先生のお相手はかくも激しいものなのだろうか。

 つらい任務になるかもしれないが、俺の覚悟はできている。

「芳野先生……」

「緋村君。あなたのありあまっているエネルギー……私が食べてあげるわ」

 奇妙な宣言すると芳野先生は俺に向けて歩を進めてきた。

 すぅっと手が伸びてくる。冷たい手の平が俺の顎を愛おしそうになでる。

 化粧の施された端正な顔が迫る。熱っぽい瞳。俺の初めてが奪われてしまう。温かい吐息が頬をかすめて流れる。

 ルージュの口紅の塗られた艶やかな唇が俺の口許へ――。

「お兄ちゃん! 危ない!」

 叫び声と同時に。

 ガラスがダイナミックにパリィンッと割れて黒い影が理科室に闖入してきた。

 ブラックサングラスにスーツを着たクーナがロープにつかまりつつターザンのように飛び込んできたのだ。

 ぱらぱらとガラスの破片をまき散らし、浮遊しながらも攻撃態勢となり、勢いよく右足を突き出して――信じられないことに芳野先生に飛び蹴りをかましたのだ。

 右肩を打たれた芳野先生は衝撃でぶっ飛び、机にぶつかってバウンドし、崩れ落ちる。

 ロープから手を放したクーナは着地し、しゃがみこんだ態勢からすくっと立ち上がった。

 呆然としている俺は突っ立ったまま動けなかった。

「危なかったねお兄ちゃん!」

「いや、待て。なんだこれは? 悪ふざけじゃ済まないぞ」

「わかってないの? 芳野先生は地球外生命体に操られてるのよ」

「いや、それはどうでもいい。宇宙人に操られていようがいまいが、それは些細な問題だ。俺はナイスバディの芳野先生とラブれればそれでいいんだ」

「何それ。お兄ちゃん。私とラブるだけじゃ不満だっていうの?」

「お前は妹だ。手出しはできない。どうしても異性関係がだめなときの非常食みたいなもんだ」

「ちょっと待って。お兄ちゃん。今、とんでもないこといったよ。それに私は常食されるべき存在だし、お兄ちゃんの異性関係は妹の目から見て完全にだめよ」

「黙れ。俺には輝かしい未来があるはずだ。ああ、芳野先生、妹が失礼しました。さぁ、キスの続きを……って」

 視界に異変があった。

 倒れた芳野先生の唇から――ナメクジのような茶褐色の生き物が複数を飛び出し、にょろにょろとうごめいている。

 一匹が五センチくらいか。数は多い。十以上はいるか。

 いいや、違い。

 細かい触手が密集している先に筒状の胴体が見えた。

 あれは――イソギンチャク――背筋が粟立った。

 俺の美的感覚ではこんなおぞましい生物は認められない。

 恐る恐るとだが答えを求め、横のクーナに顔を向けた。

「寄生イソギンチャク型の地球外生命体なの。生物の体液を吸って生きてる害獣よ。依り代だけじゃなく、寄生体と同じ種も襲うの」

「気持ち悪いな……いや、落ちつけ鉄次。身体だけ集中して見ればイケるかも……でも、な」

「お兄ちゃん! 来るよ!」

 危機を告げる切迫した警告。

 倒れていた芳野先生は手や足も使わずにガクンガクンッと不自然な形で身体を起こし、脱力した状態にも関わらず立ったのだ。

 目がでろんと白目になり、口からイソギンチャクらしい生物が本格的に姿を現した。

 突出部に目玉があったようで、触手を出している中央部に単眼がぱっくり開く。

 うーん。

 非常にホラーな光景だな。

 やっぱりアウトかなぁ?
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