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-19-『メタルサイクロプス君の受難』

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 その日、魔軍にお触れがくだった。

 正門付近に立てられた連絡掲示板では、大勢の怪物たちがたむろしていた。

 誰もが目を伏せ、不安げな様子で意見を交わしていた。皆、お触れの内容にあまりに驚いていたので、話し合いの場所を選ぶほどの余裕はなかった。

 貼り付けられた用紙の題目は、辞令である。

 それは新たな人事の発表であり、彼らの日常に深く関わることであった。

 組織図は塗り替えられ、部屋は配置換えされ、人員に所定の役割が振られた。

「どうなってんだよ……」
「魔界の三つドクロ星のホテルを目指す……なんだこれ?」
「ネム姫さまが、変な方向にやる気だしてるのか……?」

 暫定魔王ネムエル・ダハの署名が記されている。

 城の住民であれば、いかなる者とて逆らうことはできない。

 魔族たちは目線を交わし合いながら、心情はどうあれ役割をこなすための準備を始めるしかなかった。

 しかしながら、中には反発心を抱いた者もいた。

「お、俺は納得できないぞ! 文句を言ってくる!」

「メタルサイクロプス、やめとけって」

「そうだぞ。
 下手したらぶち殺されるぞ……あーあ、いっちゃったよ」

 反抗の声を上げたのは鬼族の希少種、黒金の肉体を持つメタルサイクロプスだ。

 彼は筋骨隆々の巨体を傷ついた少女のように震わせ、拳を握りしめて耐えていたが――ついにはこらえきれなくなって走りだした。

 城内に飛び込み、どすんどすんと足音を鳴らしながら廊下を駆ける。

 目的地付近になると、バスケットボールサイズの独眼をギョロギョロと動かした。

 連絡掲示板で指定された部屋を見つけるためだ。

「どこだったか……よしっ、ここだっ!」

 ネームプレートに刻まれた名は支配人室。

 メタルサイクロプスはぶふぅと大きな鼻息を吹き、乱暴にドアを開けた。

「失礼するぞ! 
 俺の名は――」

「メタルサイクロプス君だったね。
 ここからでも大声が聞こえたよ。私が支配人のタチバナだ」

 執務机の上に、マクラが背を向けて立っていた。

 なぜか窓の外を眺めながら後ろ腰で手を組み、無意味に威厳のあるポーズを取っている。

 ――なんで、マクラがしゃべってるんだ?

 メタルサイクロプスはシュールな光景に驚き、一瞬だけ怒気を忘れた。

 けれど、そんなことを気にしている場合ではない。

 なんとか、気を持ち直して訴える。

「俺は三百年、魔王城の門番だった……っ!
 高名な剣聖だって、ぶっ倒したことがある。
 そんな俺がどうして、ホテルのベルボーイにならなきゃいけないんだよ!」

「私は従業員の過去の経歴を問わない。
 人食いヤマタノオロチだって、お客様用のレンタカーにした。
 能力によって、役目を振るだけだ」

 脅しのつもりの大声では、手応えなかった。

 メタルサイクロプスは不服そうに両手を広げた。

「でも、俺はレベル71だ!
 魔界でもハイレベルなんだぜ! 鍛えに鍛え抜かれた男だってことだ!
 客のご用聞きにするなんて、もったいないと思わないのか!」

 ふぅーっ、とため息がひとつ。
 マクラはもったいぶって振りかえった。

 支配人となる小型モンスターは、なぜか付け髭をくっつけていた。その口許にはパイプがあり、ぷかぷかと紫煙を吐きだしている。

 マクラはメタルサイクロプスをひとしきり、ジロジロと吟味すると、観葉植物の横に佇んでいたネムエルを見やった。

 なぜだか、魔の頂点に立つ者は赤メガネをかけていた。

「ところで……ネムエル君。きみのレベルは?」

「297です」

「ありがとう。ネムエル君。
 さて、メタルサイクロプス君。
 きみのレベルは彼女の四分の一程度だ。
 それで……なんだっけか?
 鍛えに鍛え抜かれた……?」

 とぼけながら斜めの方向――天井に顔を向けるマクラ。

 メタルサイクロプスは赤面した。魔王は魔神族だ。生まれついての階位クラスそのものが違う。

 そう叫びたかったが、恥の上塗りになる。

「おっ、俺は知ってるんだぞ。
 ち、近頃、身体でシフルの姉さんにとりいった奴がいるって!
 卑怯な真似をして上層部に入るなんて、男として恥ずかしくないのか!」

 口にするのも嫌になる奥の手だった。

 メタルサイクロプスは厚き義侠心を誇りとするモンスターである。

 艶事を追求の一手とするなど、このような窮地でなければ絶対にしないことだった。

 そんなメタルサイクロプスの起死回生の一撃なれど、マクラは平静としていた。

「それの何が問題なんだ?」

「えっ」

「現実をよーく見たまえ。
 レベル8の私が、レベル71のきみの上に立っている。
 覆せない事実だ。
 私が取った手段など問題ではない。
 力こそ正義の魔界で――この厳しい身分社会で、きみは私の命令に逆らえるかね?」

「くっ!」

 鼻白んで罵倒したものの、冷徹に返されてメタルサイクロプスは打つ手を失った。両膝を折り、床につける。

 それでもまだ反骨心は残っていたのか、うな垂れていた顏が微かに持ち上がる。

「にっ、人間の客を招くって聞いたぜ……
 人魔友好なんて夢物語、魔界で通じると思ってんのかよ。
 争い合った歴史は消えないんだぜ……」

「ふむ……?
 私は人間との友好など、まったく考えていないな。
《ロストアイ》の再建には金が必要だ。
 ウジ虫でも金を持っているのなら、お客様扱いする。
 それがビジネスというものだ」

 ――強い。 

 どう反論しても通じそうにないので、メタルサイクロプスは押し黙った。

 その間、過去の記憶を回想する。
 苦節三百年、雨の日も風の日も門の前に立ち、仲間と偉大なる魔王様を守護するために侵入者を撃退してきた。その誇らしくも輝かしい日々はたった今、終わってしまったのだ。

 田舎に帰ろう――そう、メタルサイクロプスが決めようとしたとき。

「メタルサイクロプス君。
 勘違いしないでもらいたいが、私はきみを評価していないわけではない。
 ベルボーイはお客様に直接関わる仕事だ。
 当然、客の振りをした間者もいるだろう。
 きみは怪しい者を見抜き、先頭に立って戦ってもらいたい。
 そういった裏の仕事は嫌かね?
 表に立って堂々としているのもいいが、いざというときのための者も必要なのだよ。
 門番とベルボーイ。どちらも立派な仕事じゃないか? なぜ優劣をつけたがる?」

「うっ……よくわからないが、戦いがあるなら俺は逃げない」

「なら決まりだ。
 頼りにしてるよ、メタルサイクロプス君」

「あっ、ああ!」

 冷たさ一辺倒だったいけ好かないマクラから、急に親愛の情を向けられたメタルサイクロプスはほだされてしまった。

 脳みそもほぼ筋肉であるがゆえに、考える力が低いせいだ。

 門番もベルボーイも同じようなもの、そんな思考に染められた彼は畏まりながら支配人室から去るのだった。







「ふぅ。
 ようやく、陳情ちんじょうも終わりか」

「お疲れ様、マクラさん。
 ちょっと楽しい遊びだったね」

 複数の陳情者を片づけた壮一は、付け髭を剥がし、パイプを置き台に戻した。

 強気な支配人の演技して魔族たちを対応していたが、途中で役に身が入りすぎてしまったようだ。

 ネムエルに反感がいかないように矢面に立ったが、想像以上にうまく運んだ。

<ロストアイ>の住人は単純で扱いやすい――もとい、素直な者たちばかりだった。

「でも、マクラさん。
 お城をホテルにするなんて、うまくいくのかな?」

「いくさ。
 城の上階からの眺めは魔界全土が一望できて最高だし、周辺にはネムエルのパパが造った商業施設もいっぱいある。提供される料理だってうまい。
 人間もこそこそと観光に来てたし、余ってる部屋はたくさんある。
 活用しなきゃ、損ってものだよ」

「そうだね……」

「実は予約も取れてるんだ。
 先日、新婚旅行していたカップルを助けただろ。
 そいつらとまた会ってたさ、
 安全なら知り合いを呼んでくれるって言ってるんだ。
 案外、〝危ない秘境を安全に旅行したい〟って人間は多いみたいなんだ」

「へえー」

 実のところ旅行者から情報収集した際、魔王城に人間を手引きしていた内部犯――人間との内通者の存在を壮一はつかんでいたが、ネムエルにはそのことを伝えなかった。

 裏切り者と思いたくないが、扱いが難しい案件ではある。

「でも、シフルは怒ってなかった?」

「お金を稼げるって言ったら、
 嫌々ながら首を縦に振ってくれたよ。
 よっぽど財政難だったみたいだ」

「そっかぁ。
 じゃあ、お客さん来るならお城、いっぱい綺麗にしないとね」

「そうだな……って、俺をマジで雑巾代わりにするの?」

 ひょいっと、ネムエルに両手で抱えられた壮一が脂汗を流しながら問う。
 少女は返答せず、壮一を眺めながら「ふふっ」と含み笑いをするだけだった。

(うーん、楽しそうだし、いいかぁ)

 寝具としてある時間も幸せだったが、物事に一緒に取り組むのも悪くない。

 ネムエルが元気でいてくれるのならば――こうして用意してあったモップの先に括り付けられて、床に思いっきり擦りつけられる苦行にも耐えよう。

「いでででっ!
 やめてぇええええええええええ!
 もっと優しくぅううううううう!」

「うわぁー……ホコリまみれの絨毯があっという間に新品みたいになったぁ」

「怒ってる? まだ怒ってたの!?
 ちょっ、壁は! 壁に叩きつけるのはやめてぇ!」

 寝具から清掃用具にランクダウンした壮一の悲痛な叫びは、ネムエルの清掃意欲が尽きるまで城内にこだました。

 シミや汚れを綺麗さっぱり消し去るチートスキルにより、くすんでいた<ロストアイ>はほんの少しだけ、明るさを取り戻していくのであった。







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