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-12-『破裂するマクラ』

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 夜が更け、赤い月が中天で輝きを増す時刻。

 闇の中に溶け込む魔王城<ロストアイ>は、昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。

 一部の夜行性の種族を除き、ほとんどの住人は就寝時間である。ベッドで安らかな眠りを迎え、明日への英気を養う頃合い。

 そんな夜更けに四魔将の一角。

〝氷壁〟のシフルは六角ランタンを持ち、最上階への階段を昇っていた。

 昼間のネムエルのかたくなな態度が気がかりであり、話し合いをしようと考えているからだ。

「てーか……従魔の安全性を確かめないと、夜も眠れねえよ」

 シフルの記憶によれば、ネムエルは魔物たちを相手に遊びに興じることはあれど、一匹に固執したのは初めてのことだった。

 執事としてボガードを配置しているが、あれは浮遊霊だ。

 主従の盟約を結んであるし、害になるようなら一瞬で消せる。

(どっかの刺客しかくだって可能性も、
 捨てきれないしなぁ……)

 バクスイの死後。
 気性の荒い好戦派の魔族は、おのれの支配域へ散った。

 先代の血を連ねるネムエルに向け、表面上は牙を剥かないが――力を蓄え、権力を持てば意識も変わるものだ。

 魔界は力こそ正義だ。
 強者が魔王の座を目指しても、なんら不思議ではない。

 だからこそ、いくら用心しても損はない。

「ネムがさっさと、育ってくれたらな……」
 
 シフルは次期魔王の教育者として、週の決められた曜日にネムエルに勉強を教え、適度な運動をさせ、もしものときのために戦闘訓練を積ませている。

 ネムエルは嫌々こなすが、憎まれ役を買うのも親心である。

「バクスイ様の御子だけあって、
 才能は恐ろしくあるんだけど……
 肝心のやる気がなぁー」

 逃げ惑うネムエルを想像して嘆息しつつ、シフルは歩を勧めた。わがまま娘に手を焼くのには慣れているが、教え子可愛さのため強くはでれない自分が歯がゆい。

 そうして悩みながらも、シフルはネムエルの寝室の前に立った。

 そして、手の甲で扉を叩こうとして。

「……んっ、あっ………」

 蕩けたような――色っぽく嬌声がシフルの耳に届いた。

 部屋の主人の声だ。
 シフルにとって、間違えようがない。

(うっ、おっ……あ、ぁあああっ!
 そ、そそそ、そうだよな! ネムもそういうお歳だもんな!
 あははっ……まいったな。
 てか、どこで覚えたんだ……)

 性欲の自己処理だと察し、シフルは掲げた手を落とした。

 性教育は、さけて通っていた事柄でもある。

 シフル自身のコンプレックスもあった。

 自分は未婚者でもあるし、冷却体質ゆえに伴侶おろか恋人も得たこともない。

 保健の講師をすることなど恥ずかしくて不可能だったし、他の者にやらせるのも教え子を奪われるようでしゃくだった。

「んっ……あっ、そこ、だめっ……
 やだぁ、もうっ……だめだよぉ……」

(エロい声だなぁー……。
 うーん、自分の世界に入ってるっぽいな。
 わかるわかる。
 好みの相手に触ってもらうシチュがいいんだよな……)

 腕組みしてうなずくシフルは、自身の苦い初恋を追想した。

 意中の相手は、高潔なスケルトンの白騎士だった。

 美しくもほろ苦い思い出が、脳裏にもやもやとよみがえる。

 春の花が咲き乱れる花畑で、はじらいながらも愛する彼に抱きついた。

 つい熱情を込め過ぎたせいで――スケルトンはまたたく間に氷漬けになった。ついでに目を閉じていたせいでその状況に気付けず、ありあまる腕力で粉みじんに砕いてしまった。

 決まり手はアイス・デス・ベアハッグ。

 魔軍の間では、恋人を殺した氷の女としてハクをつける結果となった。

(……事故だったんだよ)

 それ以来、シフルは恋人を作ることを諦めている。

 五百歳を越えて未通女であるが、男との些細なスキンシップでさえ、冷気を放出してしまうのだ。

 性行為などしようとすれば、相手は一体どうなることやら。

 恐らく、挿入する前に凍え死ぬだろう。

 並の者でシフルは抱けない。
 例えば猛吹雪の渦中でも性に及べる益荒男ますらおであれば、あるいは可能かもしれないが。

「んっ……あぅうううっ!
 そう、そこ……うんっ、気持ちいいよぉ……」

(ネムは……
 声をだして盛り上げるタイプなんだな。
 オナニーが終わるまで待ってやるかぁ……)

 親バレと同じくダメージがあろう、とシフルはおもんばかった。

 身内に自慰を見られるほどの苦痛はない。

 それも思春期ならば、業火で身が焼かれるほどの苦しみであろう。

「ふぅううう……はぁー……はぅん……ひんっ……」

 五分ほど待った。
 未だに艶声は鳴りやまない。

 立ち聞きしているシフルは居たたまれず、頬から耳もとまで赤く染めていた。

 同性であり、年下であり、妹のように思っていた可愛いネムエル。
 子供だと思っていたが、夜長に卑猥な行為に耽るほど成長したようだ。

(……長いな)

 こうなれば、やりすぎは身体によくないと注意すべきか。
 いや、そんなのは余計なお世話だ。
 それでも、心配になってくる。

(変なやり方してねえといいけど……
 消毒してないペンとかあそこに突っ込むと、炎症を起こすんだぞ)

 色気にあてられたシフルは、変な方向に思考を傾けていた。

 おのれの経験にもとづいて、アドバイスをしたくなったのだ。

(抜けたキャップがマンコに残ると、
 すげぇ焦るんだぞ。
 てーか……あんなにおとなしい奴がこんだけ声を出すって、
 どっ、どういうソロ・プレイをしてんだろ?)

 興味がシフルを行動させた。
 冷たいドアノブをくるりとひねる。

 扉がほんの少しだけ、ずらされた。

「はぅ……ひゃ……んっ」

 寝室に灯火はなかった。

 心地のよい薄暗がりに覆われている。

 窓辺から射しこむ月明かりを頼りに、シフルは様子を探った。

 奥のベッドでは、一糸まとわぬ少女がいる。

 ネムエルだ。
 作り物めいた陶器色の肌をあけに染め、仰向けに寝そべり、半透明の怪腕に愛撫されている。

(う、おおおおおっ……なっ、なんだぁ!?
 もしかして、魔法を使ってやってんのかよっ!
 ばっ、馬鹿な……
 そっ、そんな自由な発想があったのか……っ!)

 ピンク色の脳細胞に狂わされたシフルは、若き発想に感銘を受けた。

 事態を忘れてその手があったかと、かしわ手を打ってしまいそうになる。

「んふぅっ……ぅうっ」

 ネムエルの華奢な細腰が、耐えきれないという風にシーツの上を浮いた。

 雌の絶頂を捉え、女体をまさぐる腕が空中でぴたりととまる。

 ネムエルの感じ方を見極めるような間の取り方。

 数秒後、腕の動きは再開された。
 突き出された二本の指が恐る恐る伸び、濡れそぼる秘部に触れる。

 薄い水膜を張った恥肉の溝をほじくり、指腹に集まる粘液の量を増やそうと試みているのか、ねちっこい愛撫を続けている。

(す、すげぇ……まるで、
 生きてるみたいに操って……
 って、あれ?
 生きてる……だと?)

 背筋が粟立つほどの違和感。

 血相を変えたシフルは、扉を壁に叩きつけて轟音を鳴らし、寝室に乱入した。

 ドアノブと壁の衝突音に怪腕はびくりと反応した。しゅるしゅると発生源に戻っていく。

 昼間の従魔――マクラ型モンスターへと。

「てめえっ! 何してやがる!」

「ふぁあ! なっ……何?」

 情事中だったネムエルは、大声に目を剥いて上半身を起こした。

「どっ、どうしたのシフル?」

 一応は、いきなり自分の部屋に入ってきたシフルと問答しようとした。

 が、シフルは意に介さず、つかつかと枕元に歩み寄り、生けるマクラを奪い取った。

「この野郎っ!
 不届き者の馬鹿野郎が!」

 握り潰す勢いでマクラの生地をわし掴みし、鬼の形相で睨みつける。

 しかし、シラを切ろうとしているのかマクラは沈黙していた。

 なるほど動かなければ、ただの布製品ではある。
 見事な死んだふりだ。

「チッ!
 あとで死ぬほど拷問してやるから、楽しみにしとけよ。
 それよりも、ネム。
 お前はこいつに何をされてかわかってんのか?」

「あぁ……マクラさんのマッサージだね。
 とっても気持ちいいし、すっきりして良い夢が見れるんだ。
 安眠効果があるんだって。凄いよね」

 にっこりと、曇りのない笑顔を見せるネムエル。

 シフルは全身に鳥肌が立つのがわかった。

 自分の可愛い妹が――悪い男に騙されている。

 理解すると、激情の炎が更に燃え上がった。

 性教育をきちんと施さなかったのは、おのれの最大の間違いだったと痛感する。

「なっ、何を言ってるのかわかってるのか?
 エロいことされてるんだぞ。
 そ、そういうのは好きな人としか、しちゃいけないんだぞ!」

「マクラさんは友達だし、好きだよ」

「ち、違う。
 違うんだ、ネム。
 ああ……どう説明したらいいのか。
 とにかく、えっちことは悪いことなんだぞ!」

「そうなの?
 でも私、魔王って悪いことしても、
 オーケーな存在だと思ってた」

 受けとめ方が軽い――慈母のようなおおらかさだ。

 普段なら美点ではあるが、今回に限っては欠点だった。

「うっ……んんんんんっ!
 だっ、だめっ!
 とにかく、だめだっ!
 ネムはまだ正式に魔王認定されてないし、
 不健全だ!
 こいつはあたしが没収するっ!」

「やだ。
 せっかくできた私の友達だから、取らないでよ。
 それに、この子はいい子だもん」

 頭ごなしに説教され、不満顔になったネムエルは両手を伸ばした。

 奪われたマクラの端部をがっしりとつかむ。

 シフルも負けじと引っ張り――力の応酬が続いた。

「さっさと放せ!
 あたしが焼却場にスラムダンクしといてやる!」

「そんなのだめっ!」

 ピリピリと、不吉な音が布地から漏れてくる。

 絹のマクラカバーに細い亀裂が入った。
 詰め物を覆う麻地の布の部分が、分け目から覗けてくる。マクラカバーがビリッと裂けた。麻地の布もまた、張力の限界に達しようとしていた。

「「あっ」」



 ――ブチンッ


 
 張っていた布地が真ん中から、縦割りに裂けた。

 衝撃で内部の詰め物が――水鳥の羽毛が、四方八方に散らばる。

 残骸をつかんだまま、唖然とする二人をよそに、無数の真っ白な羽毛は宙を舞う。

 それは牡丹雪のようにふわりふわりと降り注ぎ、二人の肉体の上や、ベッドの隅にあるカーテンのシワに引っかかったが、大部分は絨毯に落ちた。

「ま、ま、マクラさんが死んだっ!」

 ネムエルが絶叫して、両頬を手の平で強く押した。

「あっ、あっー……
 ま、まあ……片付いたか」

 手間が省けた、とばかりにシフルは手に持った残骸を床に投げ捨てた。

 肩に乗った羽毛もパッパと手で払う。

 不本意な形とはいえ、事態が収束した。

 教育係としては、魔王に淫猥いんわいなことをする従魔など捨て置けない。

「うぅう……シフル、出てって!
 マクラさんのお墓を作るからっ!」

「……ネム。
 お前はあたしを憎むかもしれないけど、
 いずれ、わかるときがくる」

 目に涙を溜め、怒るネムエルにシフルは気圧され、唇を引きしめて背を向けた。

 扉を閉め、力なく壁に背中をくっつける。

「うぅ、ぐすっ……
 よっ、ようやくできた友達だったのに……」

 すすり泣きが聞こえてきた。

 間違ったことをしたとはつゆほどにも思っていないが、シフルにはネムエルの悲哀がつらかった。

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