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-3-『マクラ・オブ・ステータス』

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 夜をいろどっていた星の光が薄れ、東の空に太陽がのぼろうとしていた。

 ベットに置かれたマクラ――元現代人の壮一は、半円窓から差し込む陽光を浴びて目を開けた。

 肉体が寝具に変異してから、三度目の朝となる。

(また朝がきた……夢じゃないんだなぁ)

 寝起きする部屋は、以前とはまったく変わってしまった。

 みすぼらしいセンベイ布団は羽毛布団に変化した。

 薄いベニヤ板の天井も歴史遺産で見るような壁画へきが付きとなり、狭苦しかったアパートの部屋とは違い、居住スペースは格段に広まった。

 何よりも変化したのは、生活音だ。

 通勤ラッシュの始まりを告げる電車の警笛音も聞こえず、都会を騒がすタイヤの走行音もしなければ、職場行きを強制する目覚まし時計の音もしない。

 この場にあるのは、規則正しい寝息だけだ。

「……ふにゃ」

 真横を振り向けば、よだれを垂らしてだらしなく眠るネムエル。
 均整の取れた美貌をふにゃりと崩し、悩みなどなさそうな表情で眠りこけている。とがった八重歯がご愛嬌あいきょうの可愛らしい寝顔であった。

 壮一は彼女の抱きマクラとなりながらも、扉の方に視線を走らせた。

(そろそろ、起きる時間かな)

 予期した通り、コンコンッとノックの音が聞こえてくる。
 続いて、はぁーっと長いため息。
 ドアノブが回転する。

「ネムエルさまぁ、朝ですよ!」
 
 バンッと扉が解放されると、中空に浮かぶ火球が出現した。
 青白く輝く、野球ボールサイズの魔物。

 ボガートだ。

 炎をゆらめかせるボガートは重力など知らず、宙に炎の軌跡を残しながら室内を横切った。

 他方(たほう)、大声を耳にしたネムエルはきゅっと眉間にしわを寄せた。
 壮一を抱いたまま、ベッドの上を反転する。
 ボガートから背を向ける形となった。

「あと、五時間だけ眠らせて」

「はぁああああああ!? 
 既に朝食の時間は二十分も過ぎてるんですよ!
 五時間も眠ったら、昼飯になっちゃうでしょうが!」

「そうだね」

「そうだね……じゃないでしょ!
 肯定してほしいわけじゃないんですぅ!」

「そうだ、YOー」

「言い方の問題でもなくて!
 てゆーか、どこで覚えるんですか、
 そんな言葉遣い!
 もう、いい加減にしてくださいよぉ!」

 しびれを切らしたボカートは、ごぉごぉと魔炎の勢いを強めた。怒りながら空中で勢いをつけ、ネムエルのかけ布団に体当たりを試みている。

 だが、そんな健気な努力も虚しくネムエルは一向に起きる気配はなく。

 むしろ余計に意地になっているのか、かけ布団を引っ張って頭の方に寄せた。
 ミノムシのごとき防御である。

 抱きマクラである壮一は振りかかる火の粉から飛び火を危惧していたが、ボガードから熱は感じなかった。

 魔炎は実際に燃焼しているわけではなさそうだ。

「ほんとに勘弁してくださいよ!
 おれっちが姉さんにどやされるんですよ!
 こうなったら、朝飯を抜きにしますからね!
 デット・ストロベリーのシャーベットもなしです!」

「えっ……なんで?」

「あなたさまが寝坊するからですよ!
 話の流れでわかるでしょ!
 なんでこっちがおかしいみたいな非難の目線を送ってくるんですか!?」

「ちぇー」

 渋々と上半身を起こし、ネムエルは頭上のヘッドキャップをヘッドボートに置いた。面倒そうにあくびをし、腕をクロスさせてパジャマを脱ぎ、用意されたドレスに着替えにかかる。

 のそのそとした動きは亀に等しい。

 まぶたも半分、降りている。
 ずれるドレスはボガートの歯で引っ張られ、補正された。

「さぁ、参りますよ!」

「はーい」

 だらんと袖の垂れた手を挙げ、やる気ない間延びした返事。
 そのまま、ネムエルとボガートは部屋から去った。

 静寂が再び、寝室を包み込む。

(行ったか……さーて、俺はどうすっかな)

 残された壮一は、これといってすることはない。

 ネムエルの就寝時間となれば、マクラとしての役目を果たさなければならないが、他のことはする必要がない。

 一日目と二日目は、ぼんやりと佇むだけだった。

 何かの弾みで元の世界に戻ることを想定していたからである。

 けれど、そんな兆候は一向になく、後戻りできない事態だと悟りつつあった。

(やっぱ、俺はマクラに転生(?)っぽいよな……
 なんだよ。笑えばいいのか、この状況は。
 いやー……全然、面白くないよ……
 どうなってるんだよゴッドよ。
 お前の遺伝子の設計図、完全にトチ狂ってるぜ)

 生き物ではなく、人工物に生まれ変わるのは壮一も想像したことがなかった。

 しかも、前世の記憶と思考力を残している。

 これを破格はかくのサービスと取るか、余計なオプションと取るかは判断に迷うところだ。少なくとも、無機物としての道理からは外れている。

(なんかこの世界、もろに別世界っぽいしなぁ。
 うーん。外国に来たと思えばいいかなぁ……
 言葉が通じてるのも不思議だよなー……。
 まあ、でも)

 ――ネムエルの抱きマクラとなる生活は悪くはない。

 壮一は素直にそう思った。

 ネムエルと一緒にぐっすり眠っていると、社会の荒波ですさみきっていた心が癒されていくのを実感した。

 他に何をするわけでもないが、ただ安穏としているだけはあるが、欠けていた何かが満たされていくような心持ちになる。

 不思議なことだ。

 関わり合いも何もなく、家族ですらない娘と添い寝しているだけなのに――幸せだと感じる。

(でもなぁ、
 人間だった頃の感覚も、
 しっかりと残ってるんだよなあ……)

 どう機能しているのか不明瞭だが、マクラの身上でも感覚器官は存在している。

 何かに触れれば皮膚感覚として伝わる。
 物質が放つ匂いも嗅げる。音も聞こえる。視点も上下左右に変えられる。

 自分はマクラだ。
 さりとて、通常のマクラではない。
 もしかすれば、先ほどのボガートと同じくモンスターであるならば、一応は納得できるのだが。

(生態とか、ステータス的なものとか……
 わかったらいいんだけどな)


 名前:魔王さまのマクラ
 等級:伝説級
 分類:寝具系モンスター
 レベル:2
 能力:【睡眠魔法】
 保有スキル
『自我覚醒』『言語習得』『急速乾燥』『保温効果』『思念操作』


(うおおおおっ……!?)

 突如として、窓型の画面が出現した。

 ステータス、というワードに呼応したのか。ゲーム画面の一ページを切り取ったような、半透明の板が物音も立てずに浮遊している。

 何気なしに壮一は横側をちらりと覗いたが、薄っぺらい。

(ステータス画面……マジで?
 まっ、まあ、モンスターとかいる世界だから、
 そんなもんなのか。
 これって……なっ、納得していいのかな……?)

 ゲーム的なシステムに困惑したが、壮一はしぶしぶと受け入れることにした。
 自分について情報を得られるのなら、さほど問題ではない。
 項目を眺め、考え込む。

(魔王さまのマクラ……あの娘、ぼんやりした感じだけど、
 そんなに凄い立場だったんだ。
 等級はランクってことだとして、
 伝説の寝具系モンスターって……
 凄いような、凄くないような。
 てか、やっぱり俺はモンスターに分類されるのか。
 それに保有スキル……何か、能力があるのか?)

 記載されていた内容は壮一の等身大画像と、箇条かじょうきの項目のみ。

 それだけだが、眺めていると――わくわくとした気持ちも湧いてきた。

(へえ、なかなか面白いな)

 無機質な画面に妙に懐かしさを覚える。ブラック企業に勤める前、学生だった頃はRPGゲームにハマったことがあった。
 そのときの心得によれば、冒険の序盤はとにかく、手持ちのスキルを把握することが重要だった。

(『急速乾燥』)

 声がでないので、呪文は念じてみた。
 しばらくの間、表面的には何も起こらなかった。だが、異変はあった。胸の奥から確実に何か熱いものが込み上げてきているのだ。

 熱に当てられて、頬と頭がカッカしてきた。

 マクラ生地の表面温度があがっているようだった。やや暑苦しいが、不快感はない。
 しかし突然、真下から白く細い筋が昇ってきた。

 壮一はきもを冷やした。高温で発火したかと思ったからだ。違った。布地の下部にこびりついたネムエルのよだれが蒸発しているだけだった。

 熱は一定の温度でキープされ、五分ほどすると効果は薄れていった。

(なるほどな……じゃあ次は『保温効果』だ)

 これは輪をかけて、効果が確認しずらかった。
 身体にフワッと熱が発生した感覚があったが、すぐに消失してしまったからだ。

 恐らく、最初に『急速乾燥』を選んだことで温度が上昇していたからだろう。
 順序を間違えた感がある。

(うーん、じゃあ『思念操作』はどうかな……)

 すぅっと、右半身から何かが出ていく感覚が生まれた。腕を真横に伸ばしたような突っ張り感がある。正面を見れば、白い靄のような棒状の物体がそこにあった。

 不安定に曲がりくねりながら、ちゅうを漂っている。

 形は煙のように頼りないが、動かせる。
 自分自身と感覚は繋がっているらしい。

(これ……腕だ。腕が使えるんだ!
 これなら、俺も動けるぞ!)

 歓喜に包まれながら、思念を練る。

 マクラの側面から伸びた透明の腕は、壮一が指の形をイメージすると五指を形作った。

 形も意思に従って自在に変えられるようだ。
 移動への欲が、めきめきと湧いてくる。
 これでとおさらばだ。

 浮かれた壮一はシーツに両手の平を置いた。

 自らの身体を持ち上げようとしたが、ぐらぐらとして安定しない。

 試行錯誤しこうさくごの結果、バランスを考慮して肘関節を構成した。
 そうして、思いっきり力を込めた。
 自分の身体を持ち上げるためだ。

(あっ)

 予想外の方向に自身の身体は舞った。
 力を込めすぎたのかベッドから跳ね飛んでしまい、天井すれすれのところで放物線を描いた。

 柔らかな絨毯の上にぽすんと着地し、横倒しとなる。

(失敗したな。
 まあ、新しい身体だしな……その内、慣れるだろ)

 壮一は自らの失態に苦笑いしつつも、ベッドへと戻るためにスキルの修練しゅうれんはげむのだった。

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