愛するあなたを失いたくないけれど、今のままでは辛すぎる

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決戦の火蓋は落された もう後退は許されない

兄だった男が男の顔を見せた時

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 男の人が服を脱ぐ姿が格好良いと惚れ惚れしたのは、それがダンであり、ダンの振る舞いが軍人そのものだったからであろう。
 ダンは私に背を向けたまま起き上がるや、マントを脱ぐみたいにしてパシッと上着を脱いだのだ。
 上着を脱ぎ捨てて現れた背中、ピシッとアイロンが掛かった白シャツを着た筋肉質の背中は神々しいと見惚れる程だ。そして彼はそのまま軍人が号令を受けたそのものの動き、方向転換!そのまま着席!といった風にしてソファのはじに座ったのである。

 無表情に近い真面目な顔でそんな動きをしたダンは、まるで初めて出会った人のようにも見えた。

 でも、怖いなんて思わない。
 父の葬式の時のダンとジュリアンを思い出しただけだ。

 真っ白の士官学校の詰襟制服姿だった彼らは、真っ黒な服だらけの世界において私には救いの天使そのものに見えた。
 実際に救いの天使であっただろう。
 兄は自分の母親のマンションの部屋は広すぎると私に笑い、ダンはその兄の言葉を受けて私の返事も聞かずに私に手を差し伸べた。

――居候仲間が欲しいな。俺がジュリアンに虐められそうな時は助けてくれ。


「さあ、君の足の様子を見ようか。その可愛い足で俺やジュリアンを蹴れなくなったら困るだろう?」

 ダンは私に手を差し伸べていた。
 あの日と同じぐらい、私を信用させる素晴らしい笑顔で。
 彼の膝に彼の上着が敷かれていた。
 私の足をそこに乗せるために脱いだのね!
 この行為は私がお姫さまに感じてしまうものであるが、ダンが私を見つめる顔、その皆のお兄さん的な素晴らしい笑顔に対して反発心だけが湧いてしまった。

 私に欲望なんてダンが感じることなどないとわかっているのに、そう、魅力のない自分が一番いけないのだと思っているのに、その憤懣を全部ダンに向けてしまったのだ。

 私はダンの手にではなく、ダンの膝にドカンと右足の踵を打ち付けていた。
 で、私の踵が固いものに当たった感触に、しまった、と思ったがもう遅い!

「あっ……つ。」

 ダンが二つ折りになってしまった事で、性知識の少ない私でも何をしてしまったのか理解するしかない。

「きゃあ!ごめんなさい!だ、大丈夫だった?」

 慌てて身を起こして自分が攻撃してしまったところに手を当ててしまったが、足や腕なら当たり前の行為だとしても、私が手を当てたそこは気軽には触ってはいけない場所だ。
 私の手の平は固い何かに触れている!

「ご、ごごごごめんなさい。」

 すぐに手をそこから引こうとしたのだが、私の手首はダンの手に掴まれていた。

「ダン?」

「……まって、動かない。今君に動かれたら俺達は大変な事になる。」

「た、大変な事って?」

「俺は男なんだ。女性に触られた事でおかしくなっている。俺は君を脅えさせたくない。大体、俺達のこれは契約結婚だっただろ?」

 天に舞い上がらせといて地に落とすとは、ダンってなんて残酷な男なの。
 でも、私が契約なんて言ったのだ。
 どうしてあの日、あなたを愛しているから離れたくないって、私は彼に告白しなかったのだろうか。

「で、でも、あなたは結婚だったら、普通の夫婦関係がしたいって。だ、だから、それは別に。」

 私こそ本当の夫婦になりたいのだもの。
 それに私はあなたを愛している。

「あの、私は、あなたを……。」

 何も言えなくなったのは、ダンが私をじっと見つめていたからだ。
 その顔が、いつも私に向けている信頼できる兄、という表情では無かったからだ。
 そこには私が向けて欲しいと望んだ男の顔があった。

「ダン?」

「俺は愛し合う相手とじゃ無きゃ嫌なんだ。」
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