愛するあなたを失いたくないけれど、今のままでは辛すぎる

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後退ばかりの愛される男

未練を断ち切るには

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 俺がさらにダンに腕を巻き付けてしがみ付くと、ダンは俺を抱き締め返した。
 それは優しく、まるで恋する相手を思いやる素振りそのままに俺を抱き締め、俺の髪までも撫であげて来たのだ。
 俺はもう止まらない。
 ダンの髪に手を入れてその柔らかさを感じながら、キスされたいといつも見つめていたその形の良い唇に口づけていたのである。
 ダンは俺を拒絶するどころか、優しくキスを返して来た。

 性的に感じることは無い、家族同士がする嫌らしくもないマウストゥマウスでしかないが、俺の心を粉々にする威力はあった。

 こんなにも愛しているのに、ダンが俺の心に気が付くどころか俺が彼の性欲を煽ることさえも出来ない存在なのだ。
 俺はダンを手放そうと腕を緩めたが、ダンは俺を抱き直した。
 彼の表情は俺の身体の不調を心配しているだけの顔つきだ。

「――すまない。」

「いいよ。お前はキスが上手いし。」

「ばかやろ。俺の事を思うなら、受け入れずに突き飛ばせ。お前は優しすぎ。そんなお前に醜態を見せっぱなしだって俺がいたたまれないだろ。」

「お前は俺に醜態しか見せないだろ。何を格好つけているんだ。」

「糞野郎が。」

 俺は再びダンにしがみ付いた。
 そしてダンはやっぱり俺を抱き返した。

「お前は俺の成すがままなんだな。」

「俺はお前を慰める事が好きなんだよ。こんな強くて優しい男が最後に頼ってくれるのが俺だってね、俺はそれが嬉しいんだ。」

「強くて優しいのはお前だろ?士官学校でお前は首席だったじゃないか。」

「それでも強いのはお前だよ。そして俺はさ、そんなお前の特別になっていたいからってね、そう、勉強に体作りに無我夢中になった馬鹿だ。」

 俺の特別。
 ダンに言われれば心が浮き立つぐらいに嬉しい言葉だろうに、心が引き裂かれてしまう残酷な言葉にしか聞こえないのは何故だろう。
 俺は涙が止まらなくなり、ダンはそんな俺に何も言わずに彼がするべきこと、俺の身体を隅々まで洗うという仕事に没頭する振りをしてくれた。

 ああ、どこまでも優しい間抜け男。

 彼は俺を洗い終えると、ベッドに運ぼうと俺を抱え上げた。
 俺が彼のたくましい体、それも全裸になった肉体に抱きかかえられることがどれほど苦痛なのか考えもしない。
 そして俺もそれを告白するどころか、ダンの肉体が自分に触れるその温かさに堪能し、彼によってベッドに運ばれるままにさせた。

「歩けよ、少しは。」

「俺の特別でいたいんだろ。俺がこうして甘えられるのはお前だけさ。」

「余計なことを言ったな。情けないね。」

「そんなことは無いよ。素晴らしきダン様に俺の部屋を片付けさせてすまないと思っていた罪悪感が、今はもう俺の心のどこにも無くなってしまった。」

 ダンは舌打ちをして見せてから、アハハハと心地の良い笑い声をあげた。
 笑い声をあげて、ハアと今度は大きく溜息を吐いてベッドの端に腰かけた。

「どうした?疲れたのか?」

 俺はベッドの上に放ってあったバスローブを彼の肩にかけ、彼はそのままそれに袖を通しながらボソッと情けない言葉を吐いた。

「どうして女の子は女の子のままでいてくれないんだろう。」

 それはお前がロリコンでしか無かったという告白か?
 それともダンはティナとは?

「ローブを貸してやるから、それを着たらとっとと部屋を出ていきな。」

 ダンは俺を見返し、そして不機嫌そうに顔を歪めた。

「君のお礼を聞いたら出ていく。」

「ああ、やっぱり。」

「何がやっぱりだよ!」

「君は俺に構い過ぎる。これはお前達がやっていない証拠だな。自分の中のフラストレーションを紛らわせられるからって、俺の世話役を可愛いアロイスから奪ったんだ。なーにが俺の特別だ。この偽善者。」

 偽善者という言葉にダンは頬骨の辺りをかっと赤く染め、俺はもっと彼を怒らせることが出来るようにこれ見よがしに鼻を鳴らしてやった。

「悪かったよ。じゃあ、今すぐアロイス君を呼び戻すよ。まだ我が家にいるんならね。いなかったら、はい、邪魔した俺が連れ戻させていただきます。」

「はははは、それだよ。新妻と一夜を共にしたばかりの男の台詞じゃないね。君はしていないんだ。可愛いティナの処女を奪えなかったんだ。」

 初夜を台無しにされた可哀想なティナ。
 それなのに俺の胸にはまだ真っ新なダンがいると、彼がティナに手を出せないのは俺への気持ちがあるからではないかとありえない希望まで芽生えているのだ。

 駄目だな。

 俺はこのままでは駄目になる。

 俺はダンへ手を差し出していた。
 この手を振り払ってもらうために。
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