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第九章 未来を奪い取れ

人生は悲喜劇そのもの

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 俺の恋人は俺を庇い敵の術に拘束された。
 長くてしなやかな肢体に這う黒ずんで腐った蔦は、俺の大事な恋人の清純さを
汚そうとしているようでもある。

 ヴァクラのチュニックを捲ってヴァクラの可愛い臍をなぞり、ヴァクラの美しく長い首に幾重にも愛撫するようにして蔦が巻き付く。
 足首に絡まった蔦は足首を伝って裾の中へと侵入していく。

 俺は自分の目に見せつけられる光景に、耐え切れなくなり敵に叫んでいた。
 何でもするからヴァクラを解放して欲しいと。
 妹もヴァクラの為ならば何でもすると泣いた。
 しかし気丈なヴァクラは俺達に逃げろと叫び、苦しい息の中で俺に微笑んで見せたのだ。

 その顔は、防衛大時代の脱落していった同期が見せた顔だ。
 翌日には寮にはいない、さようなら、の顔だ。

「ヴァクラ!」

 俺が叫んだそこで、ぱちんと誰かが指を鳴らした。
 すると、ヴァクラの周囲の空気が硬質化して見えた。
 いや、まさに見えない刃物が次々にヴァクラの周囲でその刃を振るい、ヴァクラを拘束している蔦を粉々に切り裂いていくのだ。

「わあ!」
「ヴァクラ!」

 俺は落ちて来たヴァクラを抱き締めた。
 ヴァクラも俺に抱きついた。
 そして、この現象に一番驚いているのは、ヴァクラに魔法を放った教団の教祖という男であった。
 人外らしき男であるが、人間のように青くなって脅えていた。

「ど、どどど、どうして。」

 ぱちん。

 もう一つ指を鳴らした音が響いた。
 それは俺の後方、時計の針で言えば七時の方角だった。
 俺は振り向き、化け物犬が大人しくお座りをして顔を向けている場所に、なんと、思い出したくもないろくでなしが笑顔で立っていたのである。

 革製のダブルの黒のピーコートを羽織り、その下には派手なピンストライプのスーツを着込んでいるという、存在自体が許せない男がそこにいた。
 俺よりも身長が低く日本人の平均身長程度しかないくせに、手足と胴体のバランスが黄金律かと思う程に最高で、顔だっても、ごついだけの俺とは比べ物にならない甘い顔立ちの男が、二十年ぶりにして二十年分老けた顔で立っているのだ。

「お父さん!」

 俺の横にいた美亜は、死んでいたはずの父親の元へと駆け出した。
 親父は美亜を抱き上げると、俺に軽くウィンクをして見せた。

「てめえ、死んだんじゃ無いのかよ?」

「大事な娘と息子が虐められたんじゃあな、地獄からだって蘇るさ。」

「お父さんの嘘吐き!あの事故でお母さんと一緒に死んでいたのは、お母さんの浮気相手のあの人だったのね!」

 俺の母を裏切って母に蹴り出された男が、再婚相手に裏切られていた事を知って、俺はほんの少し溜飲が下がった。
 けれど、兄として父親に言わねばならない事がある。

「ガキに男女のどろどろを見せてんじゃねえよ。美亜が可哀想だろうが!」

「俺が隠れていたせいでお前が大事な仕事を辞める破目になった事には、お前は俺に何も言わないんだ?お前は俺には勿体無い息子だよな。」

 俺を一言で黙らせることに成功した男は、美亜を抱きながらとことこと歩いて俺の横に立った。
 美亜の飼い犬も素直に父に付き従っている。

「その犬はどこの悪魔から盗んで来た?」

「ははは。この犬は放棄された神社の狛犬さんだよ。可哀想に一体しか残っていなかったからね、美亜を自分の相棒だと思っている。」

「で、どこがチビ太だ?」

「犬神としては小さいでしょう?チビ太君という名前がぴったり。」

「この、 夜雲やくもが!生きていたか!どうしてたかが人間の気配が読めなんだか!」

「それはほら、お前こそ知っているはずだと思うよ?」

 親父は腕から美亜を下ろすと、両手をパアンと打ち合わせた。
 すると、悪魔の真後ろに真っ白な光による円が生まれたのだ。
 悪魔は後ろを向き、光が描く魔法陣が何かわかったのか、脅えるどころか口元が耳まで裂けるぐらいの笑みを浮かべた。

「ひ、ひひひ。そうかそうか!さあ、続けろ。」

「俺と契約をしてくれたら。」

「何を望む?」

「我が一族への永劫の手出し無用の誓い。前払いで。」

「ああ、いいぞ。誓おう。ほら!さっさとこの円を完成させるのだ!」

「ま、待って!俺の上司を呼んだら許さない!ゼノ、離して!この人が俺の上司を呼び出すならば!俺はこの人を殺さねばならない!」

 俺は腕の中のヴァクラを抱き直し、俺を助けようとしている男を見返した。

「おい。俺の大事な恋人を泣かせたら、分かってんだろうな?」

「わかっているよ。分かっているから安心していなさい。ヴァクラちゃん。君のお尻は柔らかかった。お尻に免じて君の脅えることはしない。なあ、お前が呼び出して欲しいのは別の大悪魔さんだよな。」

 最後の一言を低い声で言い切ると、親父は両手の手を組んだ。

「エロイムエッサイム。我は求め訴えたり。」

 ごおおおおおおん。

 地響きで世界を揺るがしながら白き魔法陣は完成し、その魔法陣に導かれるようにして悪魔は魔法陣の真ん前へと立った。
 霧が円陣から吹き出し、円の中心には四つん這いとなる大きな獣のシルエットが現れた。

「ひひひ。さあ、いでよ、いでよ!我の足元にひれ伏せ!地獄の王!バラムよ!」

 俺の腕の中でヴァクラが、え?、と驚いた声を上げた。
 俺は驚きの声も出なかった。
 円から出現した大きなクマは、ガリンと音を立てて悪魔の頭を咥え、そのまんま円の中へと再び消え去ったのである。

 あの、悪魔と共に!

「何?何だった!」

「うそ!あいつはバラムじゃなかった!そんで、バラムの印なのに、クマしか現れなかった!一体どういうこと!」

 ヴァクラは俺の腕の中で暴れ、俺が手放すと、悪魔たちが消えた床へと走って行った。

「ちょっと待て!どうしたんだ?ヴァクラ!って。そうか、ここの大将はバラムだって話だったものな!親父!」

 俺の親父は俺に微笑んで見せると、そこからまたぱっと消えた。

「親父!」
「お父さん!」

 奴が消えたそこには、土地の権利書と、海自の復職願いの書類が落ちていた。
 俺はそれを拾い上げ、あの廃墟こそ親父の財産の一つで、それが俺に譲られていた事を知ったが、復職願いについては意味が解らなかった。

「どういうことだ?俺は辞職したはずだ。」

「お父さん!ああ!お父さん!お父さん!どこ!どこに行ったの!」

 美亜は迷子のようにして父を呼んでいた。
 俺は一先ず親父が残したものを後に考える事にして、あんなろくでなしの父親のせいで傷ついてばかりだったろう妹を抱き締めた。
 妹は俺にしがみ付き、俺は妹をよしよしと頭を撫でてあやした。

 髪の毛が可愛らしいショートカットになっていると、頭を撫でながら気が付き、それはヴァクラのお陰だろうと恋人を見返した。

 いなかった。

 何が起きたか理解できないまま呆けている大人達数人と、俺と美亜しか地下のこの部屋にはいなかった。
 俺も美亜が父を求めて叫んだようにして、恋人の名前を叫んでいた。

「ヴァクラ!」
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