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第二章 異次元の魔術師
リルの想い1
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誰に憎まれようとも、誰に嫌われようとも、誰に阻まれようとも。私は正しい道を行く。
どんな烙印を押されたって、どんな悪評を背負ったって構わないわ。それで、誰かを守れるなら。
……けど、やっぱり否定されるのは悲しいわね。それが私の守りたい者であるほど。
でも、これが私の道。私しかできない、私が最大限できること。
いつだって、私の思うようにはならなかった。知恵の象徴であるのに、とんだ皮肉ね。
裏切られ、夢を現実に壊され、友を失って、そして……
だから、私は決めた。今度こそ、守って見せると。この手の平の上に全てを乗せてみせようと。誰も犠牲を出さず、誰も傷つかなずに、奴を倒すと。
そのためには、周到な準備が必要だった。いつかも分からない期限に間に合うかどうかはその時次第でしょう。けれど、これまでは順調そのものでした。
今起こっている最大の不安要素が無ければ。
外からの侵入者。それが一番の杞憂であった。その対策はしてありましたが、それでも来る物は来てしまう。しかも……
ともかく、これは私が処理しなければならない問題。この世界で唯一の空間魔法を操る私しか、解決できないのだから。だから、この場所に私自身が来た。遣いでは意味がない。
そして、それは正解であった。異界からの来訪者である彼の心は不安定で、元の場所に帰りたがっていた。
けれども、それ以外の者はどうだろうか。
ソフィアネスト……は、まあ、置いておきましょう。
ルディアは何も知らないはずの他人を庇い、そして守ると決意した。
そしてルルも。彼はルディアにつくと言った。
ああ、予想はしていた。けれども、自身の命を懸けてまでとは思いもよらなかった。彼女のツクモがあそこまで強くなったということは、想いもそれ相応という事。
——本当に私は正しいのでしょうか。
そんな不安が募る。覚悟はしてきたというのに。
……いえ、この感情は押し殺さなければならない。この選択は過去に、九年前にしてきたのだから。
もう、後戻りなどできない。してはならない。それが私の贖罪。彼女への、そして彼への……
=====
ルディア、ソフィとメティスらの戦いが終わった十分後、つまり話は今に戻る。
森の中の少し開けた場所でメティスとリル、彼女らの再会は僅か一時間も経たずに果たされてしまった。使い魔であるカリューオンとピテーコスはそこには、いない。
「メ、メティス……」
「先ほどぶりですね、リルーフ・ルフェン」
二人とも体は汚れており、服は破れ、そして何かに必死だった。リルはそこら中にかすり傷を負い、メティスも左の袖は全て破損し、かぶっていたとんがり帽子も何処かへ行き、スカートも足元まで見えるくらい破れていた。
しかし、彼女の服そのような破れた部分や汚れはあるものの、体自体には傷がない。
そのことにリルは違和感を覚える。ルディア達が戦ったはずなのに、傷がないということは、メティスの体は驚異的な回復力を持っているのか、それとも圧倒的に強靭なからだなのか。今の彼には知る由もない。
しかし、その事に思考を割いたことで、彼はあることを疑問に持つ。
「ふ、二人は……ルディアとソフィはどうなったんだ!」
メティスが今ここにいると言うことは、あの二人は敗れてしまったと言うこと。それが精神的な物なのか、物理的なのかはさておき。
「彼女らであれば……意識を失ってもらっただけです。心配ありませんよ、生死に関わるまでの怪我は負っていません」
「よ、よかった……」
安否の確認ができたところで、彼はホッと胸を撫で下ろす。
だが、根本の問題は解決できてない。
彼には未だ不安が残っている。メティスが言う自身の素性の不詳。
自分が何者かも分からない。悪であるかもしれない。無能であるかもしれない。自身の存在が謎であり、そして生きても良い存在なのか信じられない。
いくらルディアが彼の事を認めようとも、彼自身はそうではない。
「ルディア達は死ななかった……けど、巻き込んでしまった事には変わらない……」
何もしないとしても、ただいるだけで周りの人を不幸にしてしまう。
ならば、いっそメティスにこの身を預ければ……その先に死が待とうとも……
「けど俺は……俺は……!」
しかし一歩ずつ、逃げるように彼は後退していく。
ついさっきまでなら、これでいいのだと自分を納得させていたはずなのに、迷いが出てしまう。
ルディアの言葉、そしてさっきからちらつく記憶の断片。これらが彼を踏みとどまらせようとする。
そして、今も
「っ……」
自身の進路を阻むように立つメティスを見ていると、彼の脳裏にノイズ混じりの映像が流れ出す。おそらくは自身の過去だろう。その映像には自身の前に立つ誰かが見えた。
それと共に、頭に軋むような痛みと進まなければならないという感情が彼を襲う。
何故そんな事になったのか、なんていう因果関係は記憶が不十分の彼に分かるはずもない。しかし、
「この……記憶に……何か……答えが……」
ノイズの向こう側か、はたまたもう少し時間が進んだ記憶か、彼は直感する。この記憶のどこかに、最良の選択があるのだと。
「……リルーフよ」
そんな彼に、メティスは声をかける。その声は優しく、まるで何かを宥めるかのよう。
「私は貴方を責めなどしません。ただ、貴方は運が悪かっただけ。
今、この世界には新たなる厄災が復活しようとしています。だから、私は不安要素を早めに取り除いておきたい。
ですから、貴方を殺しはしません。ですから私の元へ……」
「うるせぇ!!」
怒声にも似た突然の拒否に、メティスは身をすくめてしまう。
先ほどまでの彼ならば、こうはなっていない。今までの覇気の無い彼とは違う。そこには、何か意思が芽生えようとしている。
「今……思い出せそうなんだ……!」
「っ……リル、この世界で貴方が生きる意味はありません。ですから……!」
何故か彼女は焦っている。額に汗を垂らし、まくし立てるかのようにその口は早くなっていた。
けれども、
——生きる意味を見失わないでくれ。
「……ああ、ほんの少し。ほんの少しだけど……思い出せた」
何がきっかけとなったか、彼はある事を思い出す。
誰かの遺言を。死に際に放った希望の言葉を。
「メティス、悪いけど、お前に俺の生きる意味なんて決められない。
だってそんな物、自分で決めることだ」
記憶の断片を取り戻したことで、彼は決心をする。
「今までは諦めていたんだ。死んでもいいやって、悪だろうと善だろうと、自分なんかどうでもいいって。
……けど、それじゃあダメなんだ。
だって、誰かが悲しんでしまうから。
だって、何も分からないままになるから。
だって、全部の可能性がなくなってしまうから
……メティス、お前の事情なんて一つも知らない。
けど、俺は俺の生きる意味を、過去を取り戻す!
だから……」
リルはその体を低く構え、自身の知らない力を出そうとする。
「俺はもう、諦めなんてしない!」
そして、彼は選択をした。前に進むために、戦う。それが彼の選択だ。
地面を蹴り、真っ直ぐにメティスへと駆け出す。
「……カリュ」
それを予測していたか、否か。メティスは使い魔であるカリューオンを、リルが走り出したと同時に黒孔から喚び出す。
「承知! ここから先は行かせんぞ!」
目の前を塞ぐ銀狼人。彼にとって、それは何故か最大の障壁に見えた。
「っ……くそ……」
圧倒的な存在感、絶対に手を出せない者。
体力がとか、相手が二人になるとか、そういう次元ではない。
今のままでは絶対に敵わない、リルは第六感でそう感じていた。
「そこを退けぇぇぇ!!」
けれども、自身が言った手前だからというのもあるが、彼は諦めるわけには行かなかった。
ただ思った事をそのままに、叫ぶ。そこに何の力はない、はずだった。
「っ……!?」
しかし、リルの願いに似た叫びは、カリューオンを一歩引かせる。まるで彼の道を開けるかのように。
これには体の自由を奪われたカリューオンを、そしてそう願ったリル自身にさえも驚かせる。
「うおおお!」
その様子にリルは少し戸惑いながらも隙をついて、カリューオンの横を素通りしていき、一人となったメティスに狙いを定める。
「思い出せ……あの時を……!」
しかし、彼は何故かそこで一瞬止まり、また体を低く構える。今度は走り出すというような様子ではなく、右手を腰の横に引き、まるで拳の突きでも出すかのようだ。
「それは、まさか……!」
その先を予測できていたのか、メティスは黒孔を前に展開する。
そう、これはエンプトとの戦いでリルが放った瞬間移動……もどき。しかし、人の体感では、ほぼそう見えるため言い方自体は問題ない。
「だああああ!」
一秒ほどの『タメ』、そこから繰り出されるのは、誰も追いつけるはずもないスピード。神速というにはあまりにも過小表現ではないかと思うほどの真っ直ぐな水平跳躍。
だから、メティスの予測はどうあれ、行動は適切であった。地震に向かってくるのであれば、その間に障害物を置けば良い。
「……狼……閃……!」
そう、メティスへと一直線に向かってくるならば、だ。
「はああっ!」
「これは……!」
リルが地面を蹴った瞬間まで、彼女は目視する。しかし、次にはもう彼の姿を見失ってしまった。あまりにも速すぎるのか、それは全てを置き去りにする。
だが、メティスは手応えを感じなかった。黒孔に入っていったという手応えを。
つまり、彼はその黒孔には入っていない。
「……後ろ……!」
しかし、彼女はすぐに彼の行動を読み切る。
自身の横で砂埃が舞い、風が不自然に吹き荒れた。つまり、誰かが高速でそこを通ったということ。その誰かは一人に絞られる。リル、彼しかいない。
だから、横を彼が通りすぎ、後ろに回り込んだのでさないかと、彼女は予想したのだが、
「いない……」
そこにリルの姿はない……
「いいえ……違う……」
いや、今はもういないだけだ。
メティスが振り返った先の光景にはいくつかの不審点がある。分かりやすいほどの地面を蹴った跡。異常なほど空中に舞う土埃。
そこから、彼がそこにいたことも、どこへ行ったかも彼女の頭の中で判明する。
「左……! ガイアよ!」
彼女が指摘したその場所に、地面から壁が瞬時に形成される。
「読まれて……!」
そして、その向こう側にはリルが走って距離を詰めていた。
「けど、進んで見せる!」
壁に阻まれた。その程度で彼は歩みを止めようとはしない。
メティスに突き出そうとしていた拳を土壁に放ち、破壊する。土壁だった物は、まるで岩のように破片となって飛んでいくが、その先にいるメティスに当たる前に砂のように霧散していく。
リルとメティスの間に、障害物はもう無い。しかし、
「っ……! 右手が……!」
彼の振り切った右手、それがいつの間にか黒い何かに捕らえられてしまう。引いても押してもびくともしないそれは、まるで空間そのものに固定されてしまったよう。
「けど、左手はまだ……っ!」
残る左手、しかしそれも黒い物体に捕まってしまい、次第に両足、胴体さえも捕まり、動かなくなってしまう。
壁に止められた一瞬の間に、体の全てが止められてしまった。それらは全てメティスの魔術だ。ルディア達との戦いで、これを使わなかったのは手加減していたという証拠だ。
「っ……動けない……!」
「それは空間そのものを止める魔術。力任せでは逃れることなど不可能です」
彼女の言う通り、リルはどんなに、どういう風に力を入れても体が動くことはない。
さらに、彼はある異変に気がつく。
「いっ……! 腕が……それになんか体中に痛みが……!」
全身から強烈な痛みを感じる。
当然だ。瞬間移動並みの速さの動きを、身体能力が一般人並みの素人である彼がやれば、何かしらの反動が来るはずだ。体中の筋肉が張り裂けるか、はたまた神経が焼き切れるか。
それがエンプトと戦ったような一回だけならまだしも、今彼は後先考えず、三回連続でやってしまったのだ。その体が動けなくなってもおかしくはない。
「しかも、頭も……意識が……」
どうやら、脳までも疲労したのか、酸素を求めるほどに彼の頭は固定されずにフラフラと揺れる。
どんな烙印を押されたって、どんな悪評を背負ったって構わないわ。それで、誰かを守れるなら。
……けど、やっぱり否定されるのは悲しいわね。それが私の守りたい者であるほど。
でも、これが私の道。私しかできない、私が最大限できること。
いつだって、私の思うようにはならなかった。知恵の象徴であるのに、とんだ皮肉ね。
裏切られ、夢を現実に壊され、友を失って、そして……
だから、私は決めた。今度こそ、守って見せると。この手の平の上に全てを乗せてみせようと。誰も犠牲を出さず、誰も傷つかなずに、奴を倒すと。
そのためには、周到な準備が必要だった。いつかも分からない期限に間に合うかどうかはその時次第でしょう。けれど、これまでは順調そのものでした。
今起こっている最大の不安要素が無ければ。
外からの侵入者。それが一番の杞憂であった。その対策はしてありましたが、それでも来る物は来てしまう。しかも……
ともかく、これは私が処理しなければならない問題。この世界で唯一の空間魔法を操る私しか、解決できないのだから。だから、この場所に私自身が来た。遣いでは意味がない。
そして、それは正解であった。異界からの来訪者である彼の心は不安定で、元の場所に帰りたがっていた。
けれども、それ以外の者はどうだろうか。
ソフィアネスト……は、まあ、置いておきましょう。
ルディアは何も知らないはずの他人を庇い、そして守ると決意した。
そしてルルも。彼はルディアにつくと言った。
ああ、予想はしていた。けれども、自身の命を懸けてまでとは思いもよらなかった。彼女のツクモがあそこまで強くなったということは、想いもそれ相応という事。
——本当に私は正しいのでしょうか。
そんな不安が募る。覚悟はしてきたというのに。
……いえ、この感情は押し殺さなければならない。この選択は過去に、九年前にしてきたのだから。
もう、後戻りなどできない。してはならない。それが私の贖罪。彼女への、そして彼への……
=====
ルディア、ソフィとメティスらの戦いが終わった十分後、つまり話は今に戻る。
森の中の少し開けた場所でメティスとリル、彼女らの再会は僅か一時間も経たずに果たされてしまった。使い魔であるカリューオンとピテーコスはそこには、いない。
「メ、メティス……」
「先ほどぶりですね、リルーフ・ルフェン」
二人とも体は汚れており、服は破れ、そして何かに必死だった。リルはそこら中にかすり傷を負い、メティスも左の袖は全て破損し、かぶっていたとんがり帽子も何処かへ行き、スカートも足元まで見えるくらい破れていた。
しかし、彼女の服そのような破れた部分や汚れはあるものの、体自体には傷がない。
そのことにリルは違和感を覚える。ルディア達が戦ったはずなのに、傷がないということは、メティスの体は驚異的な回復力を持っているのか、それとも圧倒的に強靭なからだなのか。今の彼には知る由もない。
しかし、その事に思考を割いたことで、彼はあることを疑問に持つ。
「ふ、二人は……ルディアとソフィはどうなったんだ!」
メティスが今ここにいると言うことは、あの二人は敗れてしまったと言うこと。それが精神的な物なのか、物理的なのかはさておき。
「彼女らであれば……意識を失ってもらっただけです。心配ありませんよ、生死に関わるまでの怪我は負っていません」
「よ、よかった……」
安否の確認ができたところで、彼はホッと胸を撫で下ろす。
だが、根本の問題は解決できてない。
彼には未だ不安が残っている。メティスが言う自身の素性の不詳。
自分が何者かも分からない。悪であるかもしれない。無能であるかもしれない。自身の存在が謎であり、そして生きても良い存在なのか信じられない。
いくらルディアが彼の事を認めようとも、彼自身はそうではない。
「ルディア達は死ななかった……けど、巻き込んでしまった事には変わらない……」
何もしないとしても、ただいるだけで周りの人を不幸にしてしまう。
ならば、いっそメティスにこの身を預ければ……その先に死が待とうとも……
「けど俺は……俺は……!」
しかし一歩ずつ、逃げるように彼は後退していく。
ついさっきまでなら、これでいいのだと自分を納得させていたはずなのに、迷いが出てしまう。
ルディアの言葉、そしてさっきからちらつく記憶の断片。これらが彼を踏みとどまらせようとする。
そして、今も
「っ……」
自身の進路を阻むように立つメティスを見ていると、彼の脳裏にノイズ混じりの映像が流れ出す。おそらくは自身の過去だろう。その映像には自身の前に立つ誰かが見えた。
それと共に、頭に軋むような痛みと進まなければならないという感情が彼を襲う。
何故そんな事になったのか、なんていう因果関係は記憶が不十分の彼に分かるはずもない。しかし、
「この……記憶に……何か……答えが……」
ノイズの向こう側か、はたまたもう少し時間が進んだ記憶か、彼は直感する。この記憶のどこかに、最良の選択があるのだと。
「……リルーフよ」
そんな彼に、メティスは声をかける。その声は優しく、まるで何かを宥めるかのよう。
「私は貴方を責めなどしません。ただ、貴方は運が悪かっただけ。
今、この世界には新たなる厄災が復活しようとしています。だから、私は不安要素を早めに取り除いておきたい。
ですから、貴方を殺しはしません。ですから私の元へ……」
「うるせぇ!!」
怒声にも似た突然の拒否に、メティスは身をすくめてしまう。
先ほどまでの彼ならば、こうはなっていない。今までの覇気の無い彼とは違う。そこには、何か意思が芽生えようとしている。
「今……思い出せそうなんだ……!」
「っ……リル、この世界で貴方が生きる意味はありません。ですから……!」
何故か彼女は焦っている。額に汗を垂らし、まくし立てるかのようにその口は早くなっていた。
けれども、
——生きる意味を見失わないでくれ。
「……ああ、ほんの少し。ほんの少しだけど……思い出せた」
何がきっかけとなったか、彼はある事を思い出す。
誰かの遺言を。死に際に放った希望の言葉を。
「メティス、悪いけど、お前に俺の生きる意味なんて決められない。
だってそんな物、自分で決めることだ」
記憶の断片を取り戻したことで、彼は決心をする。
「今までは諦めていたんだ。死んでもいいやって、悪だろうと善だろうと、自分なんかどうでもいいって。
……けど、それじゃあダメなんだ。
だって、誰かが悲しんでしまうから。
だって、何も分からないままになるから。
だって、全部の可能性がなくなってしまうから
……メティス、お前の事情なんて一つも知らない。
けど、俺は俺の生きる意味を、過去を取り戻す!
だから……」
リルはその体を低く構え、自身の知らない力を出そうとする。
「俺はもう、諦めなんてしない!」
そして、彼は選択をした。前に進むために、戦う。それが彼の選択だ。
地面を蹴り、真っ直ぐにメティスへと駆け出す。
「……カリュ」
それを予測していたか、否か。メティスは使い魔であるカリューオンを、リルが走り出したと同時に黒孔から喚び出す。
「承知! ここから先は行かせんぞ!」
目の前を塞ぐ銀狼人。彼にとって、それは何故か最大の障壁に見えた。
「っ……くそ……」
圧倒的な存在感、絶対に手を出せない者。
体力がとか、相手が二人になるとか、そういう次元ではない。
今のままでは絶対に敵わない、リルは第六感でそう感じていた。
「そこを退けぇぇぇ!!」
けれども、自身が言った手前だからというのもあるが、彼は諦めるわけには行かなかった。
ただ思った事をそのままに、叫ぶ。そこに何の力はない、はずだった。
「っ……!?」
しかし、リルの願いに似た叫びは、カリューオンを一歩引かせる。まるで彼の道を開けるかのように。
これには体の自由を奪われたカリューオンを、そしてそう願ったリル自身にさえも驚かせる。
「うおおお!」
その様子にリルは少し戸惑いながらも隙をついて、カリューオンの横を素通りしていき、一人となったメティスに狙いを定める。
「思い出せ……あの時を……!」
しかし、彼は何故かそこで一瞬止まり、また体を低く構える。今度は走り出すというような様子ではなく、右手を腰の横に引き、まるで拳の突きでも出すかのようだ。
「それは、まさか……!」
その先を予測できていたのか、メティスは黒孔を前に展開する。
そう、これはエンプトとの戦いでリルが放った瞬間移動……もどき。しかし、人の体感では、ほぼそう見えるため言い方自体は問題ない。
「だああああ!」
一秒ほどの『タメ』、そこから繰り出されるのは、誰も追いつけるはずもないスピード。神速というにはあまりにも過小表現ではないかと思うほどの真っ直ぐな水平跳躍。
だから、メティスの予測はどうあれ、行動は適切であった。地震に向かってくるのであれば、その間に障害物を置けば良い。
「……狼……閃……!」
そう、メティスへと一直線に向かってくるならば、だ。
「はああっ!」
「これは……!」
リルが地面を蹴った瞬間まで、彼女は目視する。しかし、次にはもう彼の姿を見失ってしまった。あまりにも速すぎるのか、それは全てを置き去りにする。
だが、メティスは手応えを感じなかった。黒孔に入っていったという手応えを。
つまり、彼はその黒孔には入っていない。
「……後ろ……!」
しかし、彼女はすぐに彼の行動を読み切る。
自身の横で砂埃が舞い、風が不自然に吹き荒れた。つまり、誰かが高速でそこを通ったということ。その誰かは一人に絞られる。リル、彼しかいない。
だから、横を彼が通りすぎ、後ろに回り込んだのでさないかと、彼女は予想したのだが、
「いない……」
そこにリルの姿はない……
「いいえ……違う……」
いや、今はもういないだけだ。
メティスが振り返った先の光景にはいくつかの不審点がある。分かりやすいほどの地面を蹴った跡。異常なほど空中に舞う土埃。
そこから、彼がそこにいたことも、どこへ行ったかも彼女の頭の中で判明する。
「左……! ガイアよ!」
彼女が指摘したその場所に、地面から壁が瞬時に形成される。
「読まれて……!」
そして、その向こう側にはリルが走って距離を詰めていた。
「けど、進んで見せる!」
壁に阻まれた。その程度で彼は歩みを止めようとはしない。
メティスに突き出そうとしていた拳を土壁に放ち、破壊する。土壁だった物は、まるで岩のように破片となって飛んでいくが、その先にいるメティスに当たる前に砂のように霧散していく。
リルとメティスの間に、障害物はもう無い。しかし、
「っ……! 右手が……!」
彼の振り切った右手、それがいつの間にか黒い何かに捕らえられてしまう。引いても押してもびくともしないそれは、まるで空間そのものに固定されてしまったよう。
「けど、左手はまだ……っ!」
残る左手、しかしそれも黒い物体に捕まってしまい、次第に両足、胴体さえも捕まり、動かなくなってしまう。
壁に止められた一瞬の間に、体の全てが止められてしまった。それらは全てメティスの魔術だ。ルディア達との戦いで、これを使わなかったのは手加減していたという証拠だ。
「っ……動けない……!」
「それは空間そのものを止める魔術。力任せでは逃れることなど不可能です」
彼女の言う通り、リルはどんなに、どういう風に力を入れても体が動くことはない。
さらに、彼はある異変に気がつく。
「いっ……! 腕が……それになんか体中に痛みが……!」
全身から強烈な痛みを感じる。
当然だ。瞬間移動並みの速さの動きを、身体能力が一般人並みの素人である彼がやれば、何かしらの反動が来るはずだ。体中の筋肉が張り裂けるか、はたまた神経が焼き切れるか。
それがエンプトと戦ったような一回だけならまだしも、今彼は後先考えず、三回連続でやってしまったのだ。その体が動けなくなってもおかしくはない。
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