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旅籠編

935.挫折に慣れている男

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 何を突然エイジが笑い始めたのか分からずヌーは、エイジを睨みつける事しか出来なかった。今のエイジにはその視線ですら彼の琴線に触れたようで、ヌーに尊敬の意すら覚えている。

「ふっ、ははは……! いや、すまぬな。ククククッ」

「気持ちの悪い野郎だな……」

 そう言って取り換えたばかりのグラスに入っていた酒をヌーは、再び喉に流し込み始めるのだった。

(成程。小生はどうやら思い違いをしていたようだ。世界征服を出来る存在だと彼が告げた事でどうやら小生は、彼が井の中の蛙で物事の大きさを推し量れていないのだと勘違いをしていた)

 だがどうやら、彼は全て分かっているのだ。今回のだけの事では無く彼は既に経験をしている。に直面した事がすでにあるのだ。

 その挫折した経験があって尚、挫ける事無く前を見続けてそれを乗り越えて、今この場に居るのである。エイジはその事に気づけたことで、ようやくヌーという男の本質を理解した。

 言葉は悪いがこの魔族は、この男こそは『ヌー』という男は、

 それも些細な物事の程度では無く、人生。いや魔族の人生観を左右し兼ねない何かをこれまでの人生で既に経験してきているのだ。

(クッククク……。普通じゃない!)

 エイジはもう何も言わずに隣に居る男と同じように、酒を呑み始めるのだった。

 ――エイジが理解した通り、ヌーと言う男は確かに挫折を繰り返してここまできている。

 そしてエイジが思っていた通り、最初はヌーという男は自尊心の塊のような男だった。しかしその自尊心を何度も何度も、何千年と繰り返し粉々に打ち砕かれてきた。

 それもその相手は、自分の世界の支配者であり、であった。

 ――大魔王『ソフィ』。

 一度目は大魔王フルーフを攫う前の事だった。アレルバレルの世界をかけてNo.2の座に登りつめた時だった。大魔王ソフィに戦争を仕掛けたが、あっさりと敗北を喫してしまい、自分が初めて他者に負ける経験を得た。

 そしてそこから数千年。ソフィに復讐を誓った彼はフルーフを攫った後に、それこそ血の滲む研鑽の末、数々の新魔法や戦術を得て、遂に立ち上がる事が出来た。

 二度目は『リラリオ』という世界で戦った。気が遠くなる程の年月をかけて、空気の汚染の魔法や、ソフィの意識を失わせる魔法に『エビル』という奴を倒す為だけに数千年以上を掛けて編み出した魔法。自分の力で会得した数々の魔法は、彼を立ち上がらせるに至らせたのだ。

 そして仮想上では何度も雪辱を晴らすに至っていた筈だった戦術を実際に二度目の戦いの時、現実にあの化け物にぶつけた。彼が数千年掛けて得た『』を使ったのである。

 そして想像通りの戦いが行われて、ソフィと言う化け物の意識を失わせて、毒汚染で苦しませて構想通りの新魔法も直撃させたのである。

 あれでダメならもう、どうしようもないという完璧なまでに全てが刺さった筈だった。

 ――しかしその結果に得たものは幸福では無く、絶望だった。

 自分を信じて数千年という年月をかけての復讐は全てが無に帰して、何も手元に残る事は無かった。

 二度目の戦いでヌーが思い描いた『全て』を跳ね返されて、彼は再び挫折させられた。

 そして三度目――。

 自分が見下していた人間、いや、厳密には元人間『煌聖の教団こうせいきょうだん』の総帥であった大賢者『ミラ』。

 何千年と研鑽をし続けた自分をあっさりと抜きさっていった天才。
 同盟関係ではあったが、年々自分よりも強くなっていく元人間の大賢者ミラに、ヌーは劣等感を抱いた。

 しかしいくら真面目に研鑽を続けても続けてもミラとの差は埋まらず、挙句には魔神の力の一部をも奪い、命のストックとやらも手にしたミラを見て、ヌーは諦めはしなかったが、勝てるのだろうかという感情を覚えて自らの考えに不信感すら抱いた。

 しかし諦観ていかんすることなく、いずれは追いついてやるという気概をもってソフィだけでは無く、ミラの背中をも追いかけた。

 ――そんなミラでさえ、あの化け物ソフィにはあっさりとやられてしまった。

 もう彼の自尊心は完全に崩れ去ったといっても、過言では無かっただろう。

 ――たった数年や数十年では無いのだ。

 自分を信じて努力を続けてきた期間は数千年である。決して魔族の年齢であっても、短い期間では無い。自分が如何に矮小な存在かという事は、誰よりも自分が理解している。

 しかしそんな彼はまだ諦める事は無かった。
 『ダール』の世界で大魔王フルーフが見せた死神の『召喚術』。

 ――呪文『死司降臨アドヴェント・デストート』。

 あれを見たヌーは再び立ち上がるキッカケを得た。これまで自分一人で戦ってきたヌーは、ソフィの力の魔神や、フルーフの死神のように、自らもまた神格を持つ神々と契約をして、

 その発想が、再び彼を立ち上がらせたのである。
 そしてそれこそが、これまでの彼を変える因子であった。

 ――死神貴族『テア』。

 ……
 ……
 ……
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