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1話
1話 ③
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「突然こんなことになって疲れているでしょう? ゆっくり座っていて、来てくれた方へのご挨拶は私たち家族でやりますから。ね、文明」
「そうだな、姉さん。……莉乃さんは、本当に何もしなくていいんだからな」
よく琴音さんに「ぼんやりしている」と言われる私でも、この人たちに厄介払いされていることはすぐに分かる。
彼女たちの言葉に逆らうことなく、少し背中を丸めながら葬儀会場の隅に置かれた椅子に向かった。途中ですれ違った女性に「あんなに猫背で、みっともない」と耳打ちされたけれども、途方に暮れてしまっている私には、そんな小言は全く気にならなかった。ただ、着慣れない和装の喪服の帯が苦しいのと……「これからどうしたらいいのだろう」という不安でいっぱいだった。
「あの【後妻さん】も立場ないわねぇ」
「もしかして、あの子、疫病神なんじゃない? あんなに元気だって人が、ぽっくり亡くなるなんて」
「そうね、実家の工場も傾いて大変だって言うし……」
「でも、籍なんて入れる前で良かったわよね」
葬儀場の隅っこに座る私の耳に、陰口が飛び込んできた。
婚姻届を提出しようとしたまさにその日、斉藤さんは突然倒れた。文明さんの奥さんが慌てて救急車を呼び、すぐに病院に搬送されたけれど……頭の中の大事な血管が破けてしまったらしく、病院に着いた時にはもう手の付けようがない状態だった。
バタバタとしながらも葬儀の準備をすべて整えたのは文明さんや優子さんで、私はその間も今も、ずっと蚊帳の外にいた。
それもそのはず。これで私は、彼らとは何も関係のない人間になってしまったのだ。
「それもそうね。これでもし入籍でもしてたら……財産の半分、持っていかれちゃうんでしょう? あの貧乏くさい女に」
「文明さんのお嫁さんも安心してたわよ。ま、取り分は多い方がいいからねぇ」
その悪意を持った言葉たちは、次第に遠ざかっていく。時間が経つにつれて、私の胸は、不安で押しつぶされそうになっていた。
斉藤さんが死んでしまった今、実家の工場への融資の話も立ち消えになってしまうだろう。その融資の話も、おそらく彼が独断で決めたことに違いない。結婚だけじゃなくて融資にも反対していた斉藤さんの息子も娘も、きっと……いや間違いなく、その話をなかったものにするだろう。
融資だけではない。実家の家族は、私が、斉藤さんの遺産を手に入れることを目論んでいた。実際にどれくらいあるか聞いたわけじゃないけれど、彼は若い娘が生活していくには十分すぎるだろうとぽろっと漏らしていた。
けれど、斉藤さんと正式に結婚できなかった私に、その財産の相続されることはない。法律がそう決めている。
遺言状があれば話は違うのだろうけれど、斉藤さんは、籍を入れたら弁護士に預けている遺言状も書き換えようかな、なんて話をしていた。それは、亡くなる前の晩だっただろうか。もっと早く変えてくれていたら……そんな浅ましい事を考えて、私は大きく息を吐いた。
自分を取り巻く環境が慌ただしく変わり続けて、もう家を出てから何日経ったかもわからない。けれど、私の家族が考えた稚拙な遺産相続計画ははじけ飛んだ泡沫と化したのは分かる。私は親族席に座ることも許されず、葬儀場の隅でただすべてが終わるまでじっと待っていた。
火葬場に行くのは親族と会社の人間、それと親しい友人だけ。そう言われたのは火葬場に向かうバスに乗り込もうとしたときだった。
一日も経つと喪服の帯のキツさにも慣れていた。バスの乗り口の段差に足を置いた時、娘の優子さんが私の前に立ちふさがりそうピシャリと言いのけた。
「莉乃さんは先に帰ってくださるかしら? ここからはあなたがいなくても大丈夫だから。……それと、あなたはもう我が家とは何の関係のない人なのだから、実家に帰る用意もしておいてね。帰ってきてから文明にお家まで送らせますから」
私は顔を伏せて、その言葉にうなずいた。
「はあ、これでやっとあなたとも縁が切れるのね、せいせいするわ」
「そうだな、姉さん。……莉乃さんは、本当に何もしなくていいんだからな」
よく琴音さんに「ぼんやりしている」と言われる私でも、この人たちに厄介払いされていることはすぐに分かる。
彼女たちの言葉に逆らうことなく、少し背中を丸めながら葬儀会場の隅に置かれた椅子に向かった。途中ですれ違った女性に「あんなに猫背で、みっともない」と耳打ちされたけれども、途方に暮れてしまっている私には、そんな小言は全く気にならなかった。ただ、着慣れない和装の喪服の帯が苦しいのと……「これからどうしたらいいのだろう」という不安でいっぱいだった。
「あの【後妻さん】も立場ないわねぇ」
「もしかして、あの子、疫病神なんじゃない? あんなに元気だって人が、ぽっくり亡くなるなんて」
「そうね、実家の工場も傾いて大変だって言うし……」
「でも、籍なんて入れる前で良かったわよね」
葬儀場の隅っこに座る私の耳に、陰口が飛び込んできた。
婚姻届を提出しようとしたまさにその日、斉藤さんは突然倒れた。文明さんの奥さんが慌てて救急車を呼び、すぐに病院に搬送されたけれど……頭の中の大事な血管が破けてしまったらしく、病院に着いた時にはもう手の付けようがない状態だった。
バタバタとしながらも葬儀の準備をすべて整えたのは文明さんや優子さんで、私はその間も今も、ずっと蚊帳の外にいた。
それもそのはず。これで私は、彼らとは何も関係のない人間になってしまったのだ。
「それもそうね。これでもし入籍でもしてたら……財産の半分、持っていかれちゃうんでしょう? あの貧乏くさい女に」
「文明さんのお嫁さんも安心してたわよ。ま、取り分は多い方がいいからねぇ」
その悪意を持った言葉たちは、次第に遠ざかっていく。時間が経つにつれて、私の胸は、不安で押しつぶされそうになっていた。
斉藤さんが死んでしまった今、実家の工場への融資の話も立ち消えになってしまうだろう。その融資の話も、おそらく彼が独断で決めたことに違いない。結婚だけじゃなくて融資にも反対していた斉藤さんの息子も娘も、きっと……いや間違いなく、その話をなかったものにするだろう。
融資だけではない。実家の家族は、私が、斉藤さんの遺産を手に入れることを目論んでいた。実際にどれくらいあるか聞いたわけじゃないけれど、彼は若い娘が生活していくには十分すぎるだろうとぽろっと漏らしていた。
けれど、斉藤さんと正式に結婚できなかった私に、その財産の相続されることはない。法律がそう決めている。
遺言状があれば話は違うのだろうけれど、斉藤さんは、籍を入れたら弁護士に預けている遺言状も書き換えようかな、なんて話をしていた。それは、亡くなる前の晩だっただろうか。もっと早く変えてくれていたら……そんな浅ましい事を考えて、私は大きく息を吐いた。
自分を取り巻く環境が慌ただしく変わり続けて、もう家を出てから何日経ったかもわからない。けれど、私の家族が考えた稚拙な遺産相続計画ははじけ飛んだ泡沫と化したのは分かる。私は親族席に座ることも許されず、葬儀場の隅でただすべてが終わるまでじっと待っていた。
火葬場に行くのは親族と会社の人間、それと親しい友人だけ。そう言われたのは火葬場に向かうバスに乗り込もうとしたときだった。
一日も経つと喪服の帯のキツさにも慣れていた。バスの乗り口の段差に足を置いた時、娘の優子さんが私の前に立ちふさがりそうピシャリと言いのけた。
「莉乃さんは先に帰ってくださるかしら? ここからはあなたがいなくても大丈夫だから。……それと、あなたはもう我が家とは何の関係のない人なのだから、実家に帰る用意もしておいてね。帰ってきてから文明にお家まで送らせますから」
私は顔を伏せて、その言葉にうなずいた。
「はあ、これでやっとあなたとも縁が切れるのね、せいせいするわ」
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