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第七章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~樹里~

第七章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~樹里~ ①

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「ちょっと、相沢大丈夫なの? 顔色めっちゃ悪いけど」


 ぎょっとした表情の杏奈ちゃんがそんな事言うので、私はほっぺを触る。質感はいつもと変わらない……いや、ちょっとガサガサしているかもしれないし、おでこにできたニキビも少し痛い。


「あはは! 樹里ちゃん、緊張してるんだ!」

「そ、そりゃするよ~! だって、もうじき本番なんだから」


 そう。季節は瞬く間に過ぎ去り、学校祭当日が来てしまった。私の手にはくしゃくしゃになった楽譜。書き込みが多くて、もうどこが音符なのかも分からない。歌の方も、真奈美ちゃんと杏奈ちゃんのお墨付きをもらっていて「もう心配ない!」と背中を押してもらっているけれど……体は緊張してガタガタ震えているし、お腹も強張ってしまって何も喉に通らない。二人とも露店で買ってきた焼きそばやチョコバナナを私にくれるけど、今日はそんなものを食べる気にはなかなかった。


「樹里ちゃんも、学校祭楽しまないと! もったいないよ!」

「そうそう。どうせ自分の事なんて誰も期待してないと思って、気を楽にしたらいいじゃない」

「わ、わかってるけど……」


 ぐっとチョコバナナを口に押し込まれる。ちょっぴり苦いチョコの香りと、甘いバナナの味が口いっぱいに広がる。おいしいけれど、今は胸いっぱいだ。


「まあ、まだ時間もあるからどこかで気晴らししておいでよ」

「う、うん……真奈美ちゃんと杏奈ちゃんは?」

「私ら、クラスのシフトあるから」

「え~、私一人で学校回るの?」


 周りをみると、楽しそうに歩いているグループが目に飛び込んでくる。友達と仲良く学校祭を回る、そんな高校生らしいことにも憧れていた私の夢も無残に打ち砕かれた。二人に見送られながら、私はチョコバナナ片手にとぼとぼと歩き始める。行くところなんで思いつかないけれど、何か気晴らしになりそうなもの。それを探しながら。

 私の心が重たいのは、発表が近づいて緊張しているだけではなかった。少し前から【子ども図書館】に行っても、あの細い文字の人が現れなくなってしまったこともある。
 曲が出来上がったのは三週間ほど前。その時【子ども図書館】に行った時は、あった。いつもの細い文字で『話を聞いてもらって良かった。ありがとう』と、優しさがにじみ出る言葉が。私も嬉しくなって、そのページの写真を撮ってしばらくの間ニヤニヤと流れていた。私の言葉で誰かが変わった瞬間を、生まれて初めて見ることができたから。ただ、曲ができても歌詞は全く浮かんでこない。杏奈ちゃんに流行りのダンスユニットの曲を借りたり、真奈美ちゃんにもおススメの恋愛小説を借りたりしたけれど……一向に思いつかなかった。


「あら、樹里ちゃん。こんな所で宿題? 難しいの?」


 テーブルに突っ伏して悩んでいると、春恵さんが覗き込んできた。


「ううん。歌詞作ってるの? 曲に付けるやつ」

「歌詞!? 曲、もう出来たの?」

「時間かかったけどね。できたよ」

「それはよかったわね、樹里ちゃん。……私も、先生にいい報告が出来そう」

「え? お、お母さんに?」


 春恵さんはうっかり口を滑らせてしまったみたいで、あっと口元を手のひらで押さえた。しかし、一度外に飛び出した言葉をなかったことにはできない。


「ねえ、お母さんに報告ってどういう事?」

「え、えっと~……それはぁ~」

「教えてよ春恵さん! はぐらかさないで!」


 お母さんがレッスンを再開させたのは、お父さんから聞いていた。休んでいても碌なことがないと、お父さんがせっついたらしい。私とお母さんの関係はいつも通り冷え切っていて、もうずっと会話なんてしていなかった。


「だから、先生も樹里ちゃんのことをとっても心配してるってこと。こんな私に偵察をお願いするくらいね」

「え~、それホント?」

「もちろん!」


 春恵さんは私の隣に座った。


「今までずっと、樹里ちゃんのピアノのレッスンできてたでしょ? その時は樹里ちゃんの様子とか見ることできたけど、今はそれもないから、どこでどうしてるか全然わかんないんだって。作曲するって言ってたけど、どうしてるのか、とか……」

「……私が挫折して、ピアノに戻ってくるの待ってるんだ」

「違うわよ。先生はね……『樹里には音楽の才能がある。だから、奏者としても作曲家としても間違いなく成功する。それを一番近くで見守りたかった。私は母親としての役割を見失っていた』って」

「……え?」


 思いがけない言葉に、私は声を失う。


「お母さんだって、何も自分の夢を押し付けてたわけじゃないのよ――いや、ちょぴっとそうだったかもしれないけど――、樹里ちゃんが自分の才能で羽ばたく日を楽しみにしてただけだと思うの」

「……そう、なのかな」

「でも、樹里ちゃんも先生も強情っぱりだし? ここは私が背中押してあげなきゃと思って、教えちゃった」

「え? な、何を?」

「樹里ちゃんが、高校の学校祭で、自分が作曲した曲を歌う事」

「は……はぁあああ!?」


 思わず大きな声が出てしまう。大きすぎる声は迷惑なので、と、春恵さんは私の口元を手で覆った。


「楽しみにしてるって」

「もう、余計なプレッシャーかけないでよぉ……」

「ま、頑張ってね。私は遠くから応援してます」


 春恵さんは軽く手を振ってカウンターに戻っていく。私はまた机に突っ伏していた。さらにのしかかった重しは、私の心が自由に羽ばたいていくのを押さえつける。それでも、曲は作らなければいけない。私はぐっと力を入れて頭を起こした。やらないことには、何もかも終わらせることはできない。私はノートを開いて、シャープペンを握りしめた。
 真奈美ちゃんのお兄さんが言っていたことを思い出す。


「自分の気持ちが、ちゃんと届くように」


 それなら、もう決まっている。私の背中を押した、もうノート越しに出会うこともできないかもしれない相手に『ありがとう』と伝えたい。ただそれだけだ。私は背筋を伸ばして、まっさらなノートに向き合った。想像力を膨らませて、私が知っている限りの言葉で感謝を綴る。私がその時どんな思いを感じたのか。それを織り交ぜて。


「……で、できた」


 思うがままに書いていたら、いつの間にか歌詞は出来上がっていた。まだ細かい修正はあるし、真奈美ちゃんと杏奈ちゃんにもチェックしてもらいたい。でも、出来た。安堵感と達成感に包まれた私は、ほっと息を吐く。


「できたの?」

「は、春恵さん!」


 気づけば、春恵さんが私の後ろに立っていた。あたりを見渡すと、子ども達の姿はどこにもない。


「もしかして、閉館時間?」

「そう。さ、早く帰りなさい。お母さん心配するわよ」
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