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第六章 見せたい景色

第六章 見せたい景色 ③

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 次の日、学校祭当日となった校内はいつも以上に騒々しかった。ペットボトルロケット大会までの間、僕たち三人は学校の中を人混みを縫うように歩き回る。今までの学校祭は学校に来ることなくさぼっていたので、僕から見たらすべてが新鮮だった。


「どうする? 一年二組の焼き鳥屋、三組のクレープ屋……あ、二年の教室でかき氷だって! どこから行く?」

「んー……科学部がやってる実験ショーも気になるけど。彼方は? どこ行きたい?」

「いや、二人が好きなところでいいけど」

「じゃ、実験ショーとやら言ってから食い倒れツアーだな! 行くぞ!」


 三原が僕の腕を引っ張り、佐竹が背中から僕を押す。そんな事をしなくてもどこにも逃げない、僕はちゃんと二人と学校祭を回るつもりなのに。僕が笑みをこぼすと、二人とも声をあげて笑った。

 僕たちは結局、すべての催し物を回った。美術部が作った渾身のお化け屋敷では佐竹がとても怯え、僕たちは彼を慰めるのに時間を使った。三原は甘いものに目がなくて、財布の中身が空になるまで食べ尽くそうとしていた。


「さて、そろそろ時間かな」


 佐竹が時間を確認する、学校祭はそろそろクライマックス。三年生によるペットボトルロケット大会が始まる。グラウンドには三年生の生徒と観客が集まってきた。


「う~~、緊張するぜ」

「今回は爆発させるなよ」

「分かってるって」


 僕たちのクラスは、代表して僕と三原、佐竹の初期メンバーが発射することになった。振り返ると、クラスメイト達が応援しているのが目に飛び込んでくる。パネルやうちわまで作って、いつの間にかどのクラスよりも力がこもっていた。


「よし! 僕たちの番だ」


 前のクラスも、その前のクラスもあまり飛ばなかった。ごてごてした飾りが悪かったらしく、どのクラスもがっくりと肩を下ろしていた。


「じゃあ、友次郎。彼方の言ったところで止めるんだよ」

「大丈夫だって! 今日の俺は一味違うって言うところ、見せてやるよ!」


 三原はどんどん水が入ったペットボトルロケットにポンプを使って空気を押し込んでいく。パーツをつなぐビニールテープは最小限に、羽は佐竹が提案した流線型の物で、滑らかになるように丁寧にやすり掛けをした。僕が空気が入った量を見極めて「ストップ」と声をかけると、三原は名残惜しそうにポンプから手を離す。僕が発射スイッチを握ると、三原と佐竹が、僕のその手を握った。


「よし、行け、彼方」

「俺らのカナタ一号、見せてやろうぜ」


 やっぱり、その名前はいただけない。でも僕たちの気持ちを乗せたロケットはもう準備万端で、その時を待っている。僕は頷いて、スイッチを強く押しこんだ。
 ロケットが発射していく水しぶきの音に続いて、大きな歓声が僕たちを包み込んだ。ロケットは大きく飛び上がり、風に乗ってふわりと飛んでいく。勢いよく噴き出している水は霧のように飛び散り、それに太陽の光が反射して……一瞬だが、綺麗な虹が僕たちの眼前に描かれていた。生まれて初めて、手に取ることができるほど近くに現れた虹。僕がそれを掴もうと手を伸ばすと、すっと消えてしまう。僕には、このキラキラとした宝物を見せたいと思う相手がいた。名前も顔も、素性も分からない。あのノートの相手に見せてあげたいと思った。


「す、すっげー! 彼方、見たか?」

「……え?」

「ぼんやりしてる暇ないって、見なよ、僕たちのカナタ一号」


 二人にそう言われて、僕はハッと目が覚めたように前を見る。僕たちの作ったロケットは、他のクラスのロケットをはるかに超えて……うんと遠いところに横たわっていた。真後ろからは、クラスメイトの歓声が聞こえてくる。


「優勝だー!」

「すっげぇ! 誰か動画で撮ってたりしてないかな!」

「あ……は、はははっ!」


 思わず、笑いがこみ上げてくる。僕が声を出して笑っていると、三原も佐竹も同じように声をあげていた。そして、三原が僕に向かって手のひらを見せた。


「え?」

「ほら、ハイタッチだって」


 戸惑っている僕の手を、佐竹が掴んで高く掲げる。その手のひらに、三原が渾身の力を込めてハイタッチした。


「いった!」

「これが勝利の味だ。よく覚えておけよ」


 じんじんと、手のひらに痛みが広がっていく。僕はそれを忘れないように、ぎゅっと手を握ろうとする。しかし、それよりも先に佐竹が「僕も僕も」と急かすので、僕は三原の真似をして彼の手を強く叩く。バチンッという痛々しい音なのに、僕にはロケットが飛んでいく音と同じくらい心地いいものに聞こえた。


「やったな、彼方」

「うん。……良かった、本当に」


 大きく飛び上がっていくペットボトルロケットは、僕の心の中にあったよどみもかき消していく。もしあのノートの相手がこれを見たら……きっと同じように感じてくれるだろう。それを僕は、見せたくて仕方がなかった。

 クラスの打ち上げは大盛り上がりで、優勝の立役者となっていた僕は中々帰ることもできなかった。夕日が空の端っこで顔をのぞかせるだけになった時間になって、僕たちは進藤によって学校から追い出される。まだ名残惜しそうだった三原と佐竹の誘いを断って、僕は一目散に【子ども図書館】に向かう。着いた時には閉館時間ギリギリで、良く見るあの女性の司書は呆れたように「あらあら」と呟いていた。


「そろそろ閉館時間で本の貸し出しができないんだけど、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「わかった。閉館時間まであまり時間はないけれど、ゆっくりしていってね」


 そう言って司書はカウンターから離れて、館内の見回りに向かった。誰もいなくなったカウンターで僕は、あの一言ノートを開いた。そろそろ飽きられ始めているのか、子どもたちの書き込みも随分減ってきた。僕が書き込んだあの悩みも、三ページ前にある。僕はカバンの中からペンを取り出して、ノートにスラスラと滑らせた。


『話を聞いてもらって良かった。ありがとう』


 たったそれだけを。
 多くを語ることは、苦手だ。感謝の気持ちだけ伝わればいい。カバンにペンを仕舞っていると、あの司書が戻ってきていた。


「何かいいことあったの?」

「……え?」

「とっても嬉しそうな顔をしていたから」

「まあ、いろいろと……」

「そう、いいわね~若いって。さて、もうすぐ閉館時間だわ。良い子は帰る時間よ」


 その子どもに言い聞かせるような口調に、思わず吹き出してしまう。顔をあげると、司書は変わらずニコニコと笑っていた。


「あの、ありがとうございました」

「いいえ。またいらっしゃいな」

「はい。……今度は、友達もつれてきます」


 ここに初めて来たときとは違う、今の僕には何にも代えがたい友達がいる。もうこのノートに頼らなくても、悩みがあれば彼らに打ち明ければいい。きっと、新しい道を指し示してくれる。そう思うだけで、心がふっと軽くなった。
 しかし……あのノートの相手はどうだろうか? 親と喧嘩して……まだ自分の夢の途上にいる。今度は、僕が背中を押す番かもしれない。外に出た僕は、振り返って【子ども図書館】を見上げた。ドアにはもう『閉館』の札が下げられている。
 会って、話がしてみたい。……彼らがそうしてくれたように、僕も手を握って、もし途方もない悩みを抱えていたらそこに寄り添いたい。そしてもう一度ペットボトルロケットを打ち上げて、あの輝く虹を見せてあげたい。会ったことも話したことも、顔も知らない相手……僕は、文字の形しか知らない。でも、そんな相手でも友達になってみたいと思えるようになったのは、あの薄いノートを通じて、お互いの心の中をさらけ出したからだ。いつか……いつか必ず会えることを信じて、僕は歩き出していた。空を見上げれば、星が瞬いている。手を伸ばしても、その星は捕まえることはできない。そして虹すらも触れることができなかった。なのに、僕は確信していた。いつか、必ず会える。
 家に帰る頃には、すっかり夜が更けていた。真っ暗な部屋で、僕は立ち上げっぱなしのパソコンの通知を確認する。メールマガジンの中に埋もれていた一通のメール、僕はその差出人の名前を見てぎょっと目を丸めた。


「……デヴィッド」


 アメリカにいた頃の、良き同僚。僕が逃げるように日本に来てからも時折心配するようなメールを送ってくれていたが、僕はそれを無視し続けて……いつしか忘れられたようにメールは来なくなっていった。そんな彼が、今になってメールを送ってきた。僕は震える手で、そのメールを開封した。目を走らせている内に、どんどん胸がざわめき始めていた。

『カナタ、元気か? 日本のハイスクールに通っていると聞いたが、楽しくやっているか? 俺は今あの研究所を離れて、民間のロケット開発会社で研究員として働いている。そこでは民間人が旅行で月に行けるようなロケットを開発したいそうだが……何しろできたばかりの会社で、エンジンの専門家がまるで足りていない。そこでだ、カナタ。もしお前がまた開発したいという気になるなら……うちの会社に来たらどうだ? もう社長に話も通していて、お前が書いた昔の論文も高く評価してくれている。研究内容も外部に漏れることないよう配慮してくれるそうだ。安心だろ?
 だからカナタ、帰ってこい。お前の才能を発揮できる場所は、まだまだあるんだよ』
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