トリップ×ファンタジア

水月華

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第39話

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 一夜明けて、花祭りは二日目を迎えた。
 窓の外に広がる今朝の空の色は青く、綿あめのような白雲がゆったりと揺蕩っている。窓越しの景色は相変わらず美しく、覗き込めば行き交う人々の姿をとらえることができた。
 一見して普通の爽やかな朝。それなのに、私は先程から窓辺で頭を抱えるはめになっていた。

 まず、私達三人は昨日夜遅くまで祭りに参加していたため、いつもより起床時間が遅かった。しかも、私に限っては眠気と気怠さが抜けず、目が覚めてもなかなかベッドから離れられないでいた。
 時間はその日によって前後するものの、食事は大抵揃って食べるようにしている。なので、なかなか起きてこない私を仲間のどちらかが起こしに来るのはほぼ必然とも言うべき事象だったのだ。

(だからって……だからって……あれは反則でしょ!)

* * * * * *

 ――それは、つい数分前の出来事である。
 布団に包まってうつらうつらと浅い眠りを享受していた私のところへ誰かがやってきたというのは、部屋のノック音で気付くことができた。ただ、前日遊び疲れて帰ってきた私はすぐに起きられず、扉の向こうにいる人物への返事が遅れてしまったのだ。
 しばしの静寂の後、「失礼します」とくぐもった小さな声が聞こえてくる。
 それからほとんど間を置かず扉が開かれる音がして、誰かが私の部屋へ入ってきた。
 足音も立てず、近付いてくる気配。その人物が誰であるかは、すぐにわかった。

「コトハ」

 誰かが私を呼ぶ声がする。その声に導かれるようにゆっくりと目を開ければ、ベッドの傍で膝を折り、こちらを覗き込むロイドと視線がかち合った。

「……ロイド?」

 寝起きの声で名前を呼べば「はい」と答えが返ってきた。
 寝ぼけまなこで見た彼の表情はどこまでも優しく、穏やかだったけれど、若干距離が近いような気がするのは気のせいだろうか。ぼんやりと目を瞬かせ、働かない頭でロイドがここにいる理由を考える。

「……あー……うん。ごめんなさい、寝過ごしました」

 理由を察した私は素直に謝る。けれどロイドは「いいえ」と首を振って私の言葉を否定した。

「昨夜は宿に戻るのが遅かったですからね。起きられなくても仕方ありませんよ。ところで、朝食は食べられそうですか?」
「うん、大丈夫。食べる」

 もそもそと布団を剥がし、欠伸をしながら身体を起こす。
 起きたばかりだから当然といえば当然なのだが、私の格好は寝衣のままだ。髪はぐちゃぐちゃだろうし、顔もまだ洗っていない。本来であれば、身支度もしていない姿を家族でもない異性に見せるのは恥ずかしいことなのだろう。私だって人並みの羞恥心は持ち合わせている。いくら仲間とはいえ寝起き姿をそのまま見せることに抵抗が無いわけでない。相手は年上の男性だし、見苦しいものを見せて申し訳ないという気持ちのほうが強いのだけれど。

(でも、今更なんだよね……)

 既に、ロイドにもクロノスにも寝起きを見られたことがある。加えて、メルカ遺跡脱出後などは眠り続ける私の傍に付き添っていてくれたのだから、もう今更としか言いようがないのだ。

「私とクロノスは先に食堂に向かっています。着替えたら下りてきてくださいね。ゆっくりでかまいませんから」
「ありがとう。でも寝坊したのは私だし。早めに着替えて行くから心配しないで」
「もしまだ眠いようでしたら、眠っていてもかまいませんよ?また声をかけに来ますから」
「ううん、大丈夫。動けば目も覚めるよ」
「わかりました。ですが無理だけはなさらないでくださいね。花祭りは逃げませんから」
「ふふっ、私もそこまでやわじゃないよ。ロイドは優しいね。でもありがと」

 どこまでも私を気遣ってくれるロイドに、私は笑みを返す。
 この世界で私が最初に出会い、一緒に旅をしてくれる優しい人。
 私という存在を否定することなく、どこまでも優しくしてくれるから、気を付けないと際限なく甘えてしまいそうになる。ただでさえ私は仲間の助けを借りている立場なのだから、これ以上は図々しくなりたくない。

「それにしても、ロイドは私にすごく優しくしてくれるよね。嬉しいけど、別にもう少し厳しくしてくれてもいいんだよ?寝坊した時だって、早く起きなさい、とか言ってくれてもいいのに」
「……もう少し厳しく、ですか……いいえ。私は貴女が貴女である限り、そうすることはできないでしょう。以前にもお伝えした通り、私にとっては貴女以上に大切なものなどありませんから。もちろん、貴女が道を踏み外しそうになった時には諌めるつもりですが……それはほぼあり得ないでしょうし」
「そ、そっか」

 あまりにも真っ直ぐでどこかくすぐったい内容に、思わずどきりとしてしまう。
 話を振ったのは私なのだけれど――彼のこの優しさに慣れきってしまうのは、人として危険な気がする。

「あんまり優しくしすぎるとそれに甘えすぎてダメになってしまいそうだから、ほどほどにしてね」

 内心のむずがゆさを押し隠し、私は茶化すようにそんなことを口にした。 
 
「ダメになってくださってもいい」

 間髪入れずに返ってきた言葉に、私は目を見開いた。
 彼は微笑んでいるはずなのに、その視線は真剣味を帯びていて、心臓をぎゅっと掴まれたような気分に陥ってしまう。知らず、私の手はシーツを握りしめていた。

「私のせいで貴女がダメになるというなら。貴女が私に甘えてくださるというのなら。私はそれでかまわない」
「……え、っと……」
「存分に頼り、甘えてください。たった一人で世界を渡り、誰かの庇護を必要とする貴女にはその権利があります。クロノスや他の誰かに頼るのも良いでしょう。できればそれが私だけでありたいと願うのは私の我が儘かもしれませんが……」
「それは……どういう……」

 問う声は私の困惑を表すように小さかったけれど、ロイドの耳にはきちんと届いていたらしく、彼はふっと小さく息を吐いて、何かを堪えるように一瞬だけ目を伏せた。

「……コトハ。私も正直なところ、貴女に何と申し上げるべきなのか迷っています。ですが……私も、覚悟を決めましたので」

 ロイドは何を言っているのだろう。私に何を伝えたいのだろう。覚悟とはいったい何なのだろう。
 疑問が溢れては口に出せないまま溜まっていく。
 何と答えるべきなのかわからないまま結局何も口を開けないでいる私に、ロイドはただ、優しく優しく微笑んだのだった。

* * * * * *

 ――爽やかな朝に似つかわしくない、意味不明なやりとりだったと思う。
 あの後すぐ、ロイドは部屋を出て行ってしまったから、彼の真意はわからない。

(昨日から、ロイドは何か変だ)

 何故か、私を動揺させることばかり言う。
 冗談なのか本気なのか判別しづらいというのもある。何か意味があって言っていることなのだと思うが、どうにも理解が追いつかない。

(……ただ)

 昨夜から時折混じる、甘やかな眼差しに。私の知らない感情を乗せて、見つめる視線に。
 私はどうしたらいいかわからなくなってしまうのだ。


 ――それからなんとか気持ちを切り替えた私は、仲間と一緒に食事を摂り、予定通り花祭りへと繰り出していた。
 昨夜から朝にかけてのロイドとの出来事はとりあえず気にしないことにして、サクラの降る街を練り歩く。
 今日は、ある程度のところで一旦解散し、それぞれ自由行動の時間を設けることになっていた。前日にはできなかった買い物の時間を作らないかと、クロノスに提案されたからだ。見たいもの、買いたいものはそれぞれ違うから、ラウスリースの時のように集合場所と時間を決めて別行動をとることになったのだ。
 そのため、宿を出る前に二人から軍資金とそれなりの容量だという魔法の鞄を渡されている。普段から支払いはすべて二人に任せっきりなのにここまでしてもらうのは悪い、と恐縮する私に、二人はせっかくの祭りなのだからと譲らず、結局押し切られた。無駄遣いだけはしないようにしようと心に決めている。

 そんなわけで、二時間ほどの自由時間をもらった私は、足の向くまま店を巡っている。
 ラウスリースよりも広く、大路小路が複雑に張り巡らされた王都を何の用意もなく歩けば迷子になるのは目に見えているのだが、それについては対策済みである。

(子供の迷子防止によく用いられるマジックアイテムか……)

 苦笑を浮かべ、私は歩きながらちらりと鞄を見やる。
 鞄の側面に、小さなベルモチーフのシルバーアクセサリーが付けられていて、動くたびに銀の鎖が太陽光を反射して煌めいていた。デザインは千差万別なれど、これはとてもポピュラーなマジックアイテムの類らしい。大抵ペアで売られており、当たり前だが効果が出るのはその一組のみ。相手を思い浮かべながら触れるともう片方の居場所を示してくれるのだとか。
 大人と子供、恋人同士、さまざまなペアで使用されるせいかデザインもかわいらしいのだが、なんだか複雑である。

「マジックアイテムもあることだし、せっかくだから行ったことのないところに行ってみようかな」

 よし、と気合を入れ、私は大通りから外れた一本の細い路地へ向かう。
 そこを選んだのは、紙に包まれたクレープらしきものを持って出てくる人が多かったから。この路地の向こうにクレープ屋があるのかもしれない、と内心期待してのことだった。
 別に食い意地が張っているわけではない。断じてない。単に、甘いものが食べたかっただけ。それだけだ。

 しばらく路地を進んだところ、予想通りクレープ屋を発見することができたので、そこで生クリームといちごがたっぷり入った甘いクレープを購入する。小さな店だというのに、私が見ている限りまったく客足が途切れないので、もともと有名な店だったのかもしれない。味も申し分なかったし、素敵な店を見つけたものだと良い気分で店を出る。

「……あれ?」

 クレープを少しずつ齧り取りながら周囲を眺め、適当に足を進めていたせいかもしれない。
 ふと気が付くと、私はやや薄暗い路地へ足を踏み入れていた。路地のどこをどう曲がったのかすら覚えておらず、今いる場所がどこなのかさえわからない。

「……もしかして、やっちゃった?」

 内心冷や汗をかく。これは俗にいう、迷子というやつなのだろう。

「迷子用のマジックアイテムもらっといてよかった……」

 とりあえず来た道を引き返して、それでも戻れなかったら使ってみよう。
 そう思い、身を翻した直後。
 静かな路地の奥の方から、かすかに誰かの声が聞こえてきた。耳を澄ませばようやく聞こえる程度のぼそぼそとした話し声のようなそれは、そこに誰かがいることを示していた。

(進むのはちょっと怖いけど、その人に話を聞ければ大通りに戻れるかも?)

 そんな考えのもと、私はゆっくり路地の奥へと進んでいく。
 暗がりの中、声のする方へと足を向ければ、まるで人目を避けるように話をしている二人の男の姿を見つけることができた。そして私は、瞬時にここまで来たことを後悔した。

(あの人達、明らかにやばい雰囲気じゃん……)

 二人の男は見るからにガラの悪そうな風体で、どちらも鞘に収まった短剣らしきものを腰に下げていた。
 見るからに怪しく、到底話しかけられそうもない。判断を間違えた、と心の底から思った。

(彼らに見つからないようにここから立ち去ろう)

 幸い、彼らは私の存在に気付いていない。
 このまま音を立てずに戻れば、見つからないはず――そう思い、身を翻した瞬間。
 地面に落ちていた石を誤って蹴り飛ばしてしまい、鈍い音が狭い路地へと響く。

(ここでそれはないでしょー!?)

 あまりにもベタな展開にさあっと血の気が引いた。

「おい!そこに誰かいるのか!」

 ――やばい。気付かれた。
 男の鋭い声とともに鞘から短剣を引き抜く音が聞こえたと同時に、私は一目散に駆けだした。

(どうしよう、どうしよう!)

 こんな可能性を微塵も考えていなかった、自分の不覚さを呪う。
 仲間に守られていた安心感から、危機感というものが頭から抜けていた。今は仲間もおらず、戦う術もなく、ただ逃げることしかできない。
 追いかけてくる足音は徐々に距離を縮めてきている。追いつかれるのは時間の問題だった。

「だからこんな場所で話すのは嫌だったんだよ!目撃者作ってどうすんだちくしょう!」

 ――そんな叫び声が、すぐ近くで聞こえた。
 咄嗟に、私はベル型のシルバーアクセサリーに触れる。一瞬それがチリンと鳴った気がしたけれど、それを確認する前に、後方から追ってきた男の片方に腕を掴まれ、引き倒されてしまう。
 身体を強かに打ち付けられた痛みに声を上げることもできず、ただ倒れ伏しているうちに、男達が私の退路を塞ぐ。

「まったく手間取らせやがって!殺されてえのか!」
「おい、叫ぶのはかまわねえが女に手を上げるのはさすがにおかしらにどやされんぞ」
「ちっ、仕方ねえ……」

 片方の男が懐を探り、巻物のようなものを取り出して無造作に広げる。
 すると、巻物が一瞬水色に輝いたと思ったら、私の身体の周囲にもその水色の光が出現した。
 何をされているのかもわからず、嫌だと声を上げようとしたが、それは叶わなかった。
 口を開きかけた瞬間、何故か急激に襲ってきた眠気に抗うことができず、私の意識は急速に遠退いていく。

「お、おい。いいのか?」
「そんなこと言ったって、見られちまったもんは仕方ねえだろ。連れてっておかしらの判断を仰ぐとするさ」
「あーあ、めんどくせえ。こういう時忘却オブリビオが使えりゃあ、俺らも楽に動けたんだけどな」
「バーカ、そんなもん魔術師ウィザードサマの特権だろうがよ!」

 落ちかけた意識の中、魔法を使われたのだとぼんやり思ったけれど、遅かった。
 男達の会話と、身体を襲う浮遊感を最後に、私の意識は途切れた。
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