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第33話
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私達を乗せた馬車が王都へと辿り着いたのは、空が茜色に染まり、夜の足音が聞こえ始めた頃だった。
もう少し日が落ちれば、逢魔が時とでも表現すべき時間帯となる。私の目にはまだ綺麗な夕焼け空しか見えないが、夜が天を侵食し始めるまでそれほど時間はかからないように思えた。
抜けるような青空の中ティレシスを発ったことを考えれば、移動に費やした時間はほぼ丸一日となる。馬車に長時間揺られたことで身体は確かに疲れを訴えていたが、王都を前にした私にとってはそれさえも瑣末な事でしかなかった。
「綺麗……」
沈みゆく太陽に照らされた王都の街並みは、ため息が出るほど美しかった。
門より先には石畳の道が長く伸びており、大小さまざまな建物が軒を連ねている。入り口からだとよく見えないが、それらは王都に暮らす人々の家屋だったり、生活を潤す商店だったりするのだろう。
中でもひときわ目を惹くのは、立ち並ぶ家々のずっと奥にある、白く大きな建造物だろうか。遠目からでもわかる立派なたたずまいの建物は、ヴィシャール王国の権威と象徴を表すもの――国を統べる者が座す、王の居城である。
古い一枚の絵画の中にでも飛び込んでしまったのかと錯覚しそうなくらいの綺麗さのおかげで、移動疲れなどどこかへ吹っ飛んでしまいそうだ。
「ほんと、さすが王都っていうだけあるね……迫力が違うっていうか」
「王都イレニアはヴィシャール王国のはじまりとともにある古い街だもの。そうね、古都と言っても差し支えないくらいじゃないかしら」
「へえ、そうなんだ!今から見て回るのが楽しみだね!」
「はい。ですが今日はもう日が暮れてきておりますし、観光は明日にするとしましょう。ああ、まずは宿をとらなければなりませんね」
「そっか、そうだよね。泊るところ探さなきゃいけないもんね」
「せっかく王都まで来たのだし、素敵な宿をとりましょ?ふふっ、アタシいくつか当てがあるのよねー」
ロイドの提案に、クロノスは機嫌よく頷くと、軽やかな足取りで歩き出した。
ロイドとクロノスはどんな宿をとるか話をし始めたようで、私は会話に耳を傾けながら彼らの後ろをついていく。二人の背中越しに見える王都の門は、ティレシスと同じようにアーチ状になっており、思い切り見上げなければならないほどの大きさだった。王都と言うだけあって人の出入りも激しいのか、門の前には人が大勢集まっているが、門番らしき人影は見当たらない。私が心配することでもないのだけれど、警備の面は大丈夫なのだろうか。
「ねえ、ここって門番とかはいないの?」
「王都に門番はおりません。門自体にステータスカードを読み取る魔法がかかっているので必要ないのですよ。ステータスカードを所持した“生者”ならば、問題なく通れるかと」
「へえ……」
ロイドの言葉通りならば、門番がいない理由にも納得がいく。裏を返せば、条件に当てはまらない者は門を通過できないということだ。
「こんなに来訪者が多いと警備も大変でしょう?だけど、門にかかった魔法がその都度適切な処理をしてくれるから、警備する方も通る方も楽ってわけ。もちろんモンスターなんかは絶対に入って来れないつくりになっているわ。ただ、この魔法には欠点もあるから、頼り切りになるのも考えものね」
歩を進めながら、クロノスがさらに説明を付け加えてくれる。
門にかけられた魔法は確かに便利なものだが、いわゆる魔法障壁のようなものとは異なるらしい。高度で複雑な魔法であるため簡単には真似できない構造になっているようだが、簡単に説明すると、門としての機能を格段に強化したもの――であるとか。そのため、魔法が読み取ることができるのはごく限られた範囲でしかない。もしそうでなくても、人の心の中までなんて見通せるわけもない。心の奥底に悪意を抱えた者がいても、条件に引っかからなければ門は通してしまう。だから、警備は常に厳重でなければならないのだとクロノスは語った。
詳しいことはよくわからない。けれど要するに、魔法も完璧ではないということだ。
「それでも便利な魔法だと思うけどなあ。ああでも、少し残念だな。久しぶりにステータスカードを出せるんだってちょっとわくわくしてたのに。ほら、不思議な力なんて馴染みがないからさ」
ステータスカード自体はティレシスの魔道院で作成済みだけれど、身分証明書と同価値であるならむやみに他人に晒すようなものではないはずだ。純粋にあれから使う機会がなかったというのもある。そのため今回は内心期待していたのだが、残念ながら使う機会はなさそうだ。
「ステータスカードなんていつでも使えるわよ。それこそ宿屋の中でだってね。何なら、自室で使ってみなさいな?」
「うん、そうするよ」
そんな会話をしながら、王都の門をくぐる。
門の力が異世界の人間にも反応するかどうか少し不安だったけれど、難なく通り抜けることができてほっとした。
「ん……?」
王都の門をくぐった瞬間、ひらりと空から何かが降ってきたのが見えた。
ふと見上げた先にあったのは、空からふわふわと舞い落ちてくる桃色の花弁。花びらを受け止めようと手をかざしてみたけれど、不思議なことにそれは触れた瞬間消えてしまい、後には何も残らない。
雨のように、次から次へと降ってくる桜色と、王都の美しい街並みがうまく調和して、ひどく幻想的な光景に思える。
「わあ……これ、なんだろう。すっごく綺麗だね」
「――サクラ、ですね」
思わず感嘆の声を漏らす私に、ロイドが答える。
彼の口から聞き覚えのある単語が飛び出した瞬間、私は驚きのあまり目を見開いた。
「サクラ!?これ、サクラっていうの!?」
「はい、そうですが……この花がどうかしたのですか?」
泡を食ったような声を上げる私を、ロイドが不思議そうな目で見下ろした。
私が驚いた理由――それは王都に降り続ける桃色の花弁の名前が、馴染みのあるものだったからだ。
「元の世界にもね、同じ名前の花があったの。花びらの色も形も本当に似てるし、名前も同じだったからつい驚いちゃって。元の世界の“桜”は、こんな風に消えちゃうものじゃなかったけど……」
「そう、だったのですね。コトハの世界にも同じ名前の花があると考えると、とても不思議な感じがします」
腑に落ちたように頷くロイドの頭上にも、サクラの花弁が降り注いでは消えていく。
もしこれが実体を持ったものであったなら、ロイドの頭は今頃サクラの花弁に覆われていたことだろう。
「ああ――今年も“降り”始めたのね」
「え?」
ふいに、クロノスがぽつりと呟くのが聞こえた。
振り向くと、クロノスは手の平で桜色の光を受け止めながら、珍しくぼんやりとした表情で立ち尽くしていた。まるで遠くを見つめるような、不思議な色の瞳は目の前のサクラの花弁さえもとらえていないように思える。
そのさまに違和感を覚えた私は、思わずクロノスに声をかけていた。
「クロノス……?」
「――え?あ、ああ。どうしたのコトハちゃん」
私の呼びかけに、クロノスははっと我に返り、私に笑顔を向けてくる。
その瞳に、先程まで浮かんでいた不思議な色は一切みられない。
「ぼーっとしてたみたいだけど、どうしたの?」
「……なんでもないわ。少し、サクラに目を奪われていただけよ。……それよりも、知っているかしら?サクラが降るということは、花祭り開催の合図でもあるの」
綺麗な景色に目を奪われてしまうのは誰だってよくあることだ。本人がそう言うのであれば、そうなのだろう。意図的に話を変えられたような気はするものの、黙って続きを促すことにする。
王都イレニアでは、年に一度、春の間だけ花祭りが開かれている。花祭りとはヴィシャール王国を守る女神に感謝するもので、毎年国を挙げて盛大に行われているものらしい。
花祭りの間は、王都中に花々が咲き乱れ、とても美しく幻想的な光景を見ることができるのだが、特筆すべきは女神が愛した木とも呼ばれる桜に似た花――『サクラ』だろうか。サクラは花祭りの期間中にしか咲かず、花が咲いたタイミングで祭りが始まるのが通例らしい。祭りが終わるまで、王都にはサクラの花弁が絶え間なく降り続いているのだとか。
「サクラには二種類あってね?片方は触れたら消えてしまう光に似たものだけれど、もう一方にはちゃんと実体があるの」
「えっ、そうなの!?」
「……というより、実体がある方が本物なのよ。サクラの木々は植物の一種として王都中に植えられていて、触れても消えないわ。花祭りが終わったらすぐに散ってしまうのは同じだけれどね。満開のサクラは本当に綺麗なのよ?」
まだ実際には見ていないけれど、話を聞く限り実体がある方が元の世界のそれによく似ているように思える。
「どちらも精霊の力で咲いている――と考えられていますね。降ってくる花弁は女神の祝福の証であるという話も聞きますが、本当かどうかは私にもわかりません」
「へえー……さすが、二人とも詳しいね」
相槌を打ってから、私は再度空を見上げた。
映像でもなく、幻でもない、実体を持たない桃色の花。これらはいったいどこからやってくるのだろう。本当に不思議だ。
(そういえば……ゲームでもイベント期間みたいなのはあったな。こうやって花が降ってくるような演出はなかったけど。なんだっけ、イベント期間中に街に入ると花がもらえて、花の効果でバフがかかるんだっけ?)
この花にバフ効果があるとは思わないけれど、イベント期間中に起こる特別な現象だったとしたら、似たようなものかもしれない。
内心そんなことを考えつつ、クロノスとロイドに先導されて王都の街中を歩く。
もうすぐ日没だというのに、行き交う人々の数は多い。人の波を縫うようにすいすいと進んでいく二人を見失わないようにしながら進んでいくと、一軒の宿屋に辿り着いた。外観もさることながら、内装もセンス良くまとまっていて、妖精のやどり木とはまた違った魅力を醸し出している。
部屋は、個室が空いているというので一人一部屋ずつ三部屋とることになった。部屋が空いていなければロイドとクロノスが同室で、私一人が別室となる予定だったそうだ。今回も二人には金銭的にお世話にならなければならず、恐縮してしまったが、彼らは気にしないでいいと笑ってくれた。不甲斐なさ過ぎる。
「朗報よ。花祭りの開催は明日からみたい」
受付で部屋の鍵を受け取るついでにいろいろと話を聞いたらしく、クロノスが鍵を配りながらにこにこと嬉しそうな笑みを向けてくる。
「サクラが降り始めたのは二、三日前らしいわ。開催日が正式に決まったせいで、どの宿もほぼ埋まりかけてたみたい。あー、良い時期に来ることができて本当によかったわぁ」
「ね、ほんとによかったー。花祭りも見れるし宿もとれたし、ラッキーだったね」
「そうですね。コトハ、貴女は初めての馬車でお疲れでしょうし、明日に備えて今日は早めに休んでくださいね」
「うん、ありがとう」
私達がとった三部屋は横並びになっていて、部屋の行き来もしやすい距離だ。何かわからないことがあれば、二人の部屋を訪ねればいい。
私達は宿屋の食堂で夕食を済ませると、明日の集合時間を決め、それぞれあてがわれた部屋へと散った。
二人と別れた私は自室へと入り、内鍵をかけてから室内を確認する。内装はお洒落なデザインの家具で統一されていて、床には埃一つない。生活に必要なものもすべて揃っていて、宿としては申し分ないくらいの設備が整っているようだった。
きっちりと閉じられたカーテンを開けると、窓からは夜の闇に浮かぶ街の灯りが見えた。
「ここからの眺めも綺麗だなあ……」
ほう、と息を吐き、しばし窓からの景色を楽しむ。
今日も、異世界での一日が終わる。この世界で迎える夜にもだんだん慣れてきていた。
元の世界のことが気にならないといえば嘘になる。だけど、最初の頃より辛さが薄れてきているのは、きっと二人のおかげだ。二人のおかげで、寂しくない。
その証拠に、今の私の頭を埋め尽くすのは明日の花祭りのことだけだ。
(王都の街並みがあまりに綺麗だったから。花祭りが本当に楽しみだから――今は、純粋に楽しみたい)
年に一度しか開かれない花祭りに参加できるのだから、楽しまないと損だろう。
なんとなく自分に言い訳しながらカーテンを閉め、私はそのままの足でシャワールームに駆け込んだ。
(私はいずれ元の世界に帰る。両親も心配しているだろうし、帰らなきゃいけない)
――そう、思うのに。
(変なの。ロイドやクロノスと離れるのが寂しい、なんて)
それはきっと、私がこの世界を好きになってきているから。
そしてそれ以上に、この世界で出会った二人の仲間のことが大切だから。
(――帰る方法が見つかった時、私はどうするのだろう)
いくら考えても、答えは出ないことなどわかりきっていた。
私は不毛な考えを打ち消すように頭から湯を被り、明日の花祭りに思いを馳せる。
明日は、何も考えずに楽しもう。ただ、そう思った。
もう少し日が落ちれば、逢魔が時とでも表現すべき時間帯となる。私の目にはまだ綺麗な夕焼け空しか見えないが、夜が天を侵食し始めるまでそれほど時間はかからないように思えた。
抜けるような青空の中ティレシスを発ったことを考えれば、移動に費やした時間はほぼ丸一日となる。馬車に長時間揺られたことで身体は確かに疲れを訴えていたが、王都を前にした私にとってはそれさえも瑣末な事でしかなかった。
「綺麗……」
沈みゆく太陽に照らされた王都の街並みは、ため息が出るほど美しかった。
門より先には石畳の道が長く伸びており、大小さまざまな建物が軒を連ねている。入り口からだとよく見えないが、それらは王都に暮らす人々の家屋だったり、生活を潤す商店だったりするのだろう。
中でもひときわ目を惹くのは、立ち並ぶ家々のずっと奥にある、白く大きな建造物だろうか。遠目からでもわかる立派なたたずまいの建物は、ヴィシャール王国の権威と象徴を表すもの――国を統べる者が座す、王の居城である。
古い一枚の絵画の中にでも飛び込んでしまったのかと錯覚しそうなくらいの綺麗さのおかげで、移動疲れなどどこかへ吹っ飛んでしまいそうだ。
「ほんと、さすが王都っていうだけあるね……迫力が違うっていうか」
「王都イレニアはヴィシャール王国のはじまりとともにある古い街だもの。そうね、古都と言っても差し支えないくらいじゃないかしら」
「へえ、そうなんだ!今から見て回るのが楽しみだね!」
「はい。ですが今日はもう日が暮れてきておりますし、観光は明日にするとしましょう。ああ、まずは宿をとらなければなりませんね」
「そっか、そうだよね。泊るところ探さなきゃいけないもんね」
「せっかく王都まで来たのだし、素敵な宿をとりましょ?ふふっ、アタシいくつか当てがあるのよねー」
ロイドの提案に、クロノスは機嫌よく頷くと、軽やかな足取りで歩き出した。
ロイドとクロノスはどんな宿をとるか話をし始めたようで、私は会話に耳を傾けながら彼らの後ろをついていく。二人の背中越しに見える王都の門は、ティレシスと同じようにアーチ状になっており、思い切り見上げなければならないほどの大きさだった。王都と言うだけあって人の出入りも激しいのか、門の前には人が大勢集まっているが、門番らしき人影は見当たらない。私が心配することでもないのだけれど、警備の面は大丈夫なのだろうか。
「ねえ、ここって門番とかはいないの?」
「王都に門番はおりません。門自体にステータスカードを読み取る魔法がかかっているので必要ないのですよ。ステータスカードを所持した“生者”ならば、問題なく通れるかと」
「へえ……」
ロイドの言葉通りならば、門番がいない理由にも納得がいく。裏を返せば、条件に当てはまらない者は門を通過できないということだ。
「こんなに来訪者が多いと警備も大変でしょう?だけど、門にかかった魔法がその都度適切な処理をしてくれるから、警備する方も通る方も楽ってわけ。もちろんモンスターなんかは絶対に入って来れないつくりになっているわ。ただ、この魔法には欠点もあるから、頼り切りになるのも考えものね」
歩を進めながら、クロノスがさらに説明を付け加えてくれる。
門にかけられた魔法は確かに便利なものだが、いわゆる魔法障壁のようなものとは異なるらしい。高度で複雑な魔法であるため簡単には真似できない構造になっているようだが、簡単に説明すると、門としての機能を格段に強化したもの――であるとか。そのため、魔法が読み取ることができるのはごく限られた範囲でしかない。もしそうでなくても、人の心の中までなんて見通せるわけもない。心の奥底に悪意を抱えた者がいても、条件に引っかからなければ門は通してしまう。だから、警備は常に厳重でなければならないのだとクロノスは語った。
詳しいことはよくわからない。けれど要するに、魔法も完璧ではないということだ。
「それでも便利な魔法だと思うけどなあ。ああでも、少し残念だな。久しぶりにステータスカードを出せるんだってちょっとわくわくしてたのに。ほら、不思議な力なんて馴染みがないからさ」
ステータスカード自体はティレシスの魔道院で作成済みだけれど、身分証明書と同価値であるならむやみに他人に晒すようなものではないはずだ。純粋にあれから使う機会がなかったというのもある。そのため今回は内心期待していたのだが、残念ながら使う機会はなさそうだ。
「ステータスカードなんていつでも使えるわよ。それこそ宿屋の中でだってね。何なら、自室で使ってみなさいな?」
「うん、そうするよ」
そんな会話をしながら、王都の門をくぐる。
門の力が異世界の人間にも反応するかどうか少し不安だったけれど、難なく通り抜けることができてほっとした。
「ん……?」
王都の門をくぐった瞬間、ひらりと空から何かが降ってきたのが見えた。
ふと見上げた先にあったのは、空からふわふわと舞い落ちてくる桃色の花弁。花びらを受け止めようと手をかざしてみたけれど、不思議なことにそれは触れた瞬間消えてしまい、後には何も残らない。
雨のように、次から次へと降ってくる桜色と、王都の美しい街並みがうまく調和して、ひどく幻想的な光景に思える。
「わあ……これ、なんだろう。すっごく綺麗だね」
「――サクラ、ですね」
思わず感嘆の声を漏らす私に、ロイドが答える。
彼の口から聞き覚えのある単語が飛び出した瞬間、私は驚きのあまり目を見開いた。
「サクラ!?これ、サクラっていうの!?」
「はい、そうですが……この花がどうかしたのですか?」
泡を食ったような声を上げる私を、ロイドが不思議そうな目で見下ろした。
私が驚いた理由――それは王都に降り続ける桃色の花弁の名前が、馴染みのあるものだったからだ。
「元の世界にもね、同じ名前の花があったの。花びらの色も形も本当に似てるし、名前も同じだったからつい驚いちゃって。元の世界の“桜”は、こんな風に消えちゃうものじゃなかったけど……」
「そう、だったのですね。コトハの世界にも同じ名前の花があると考えると、とても不思議な感じがします」
腑に落ちたように頷くロイドの頭上にも、サクラの花弁が降り注いでは消えていく。
もしこれが実体を持ったものであったなら、ロイドの頭は今頃サクラの花弁に覆われていたことだろう。
「ああ――今年も“降り”始めたのね」
「え?」
ふいに、クロノスがぽつりと呟くのが聞こえた。
振り向くと、クロノスは手の平で桜色の光を受け止めながら、珍しくぼんやりとした表情で立ち尽くしていた。まるで遠くを見つめるような、不思議な色の瞳は目の前のサクラの花弁さえもとらえていないように思える。
そのさまに違和感を覚えた私は、思わずクロノスに声をかけていた。
「クロノス……?」
「――え?あ、ああ。どうしたのコトハちゃん」
私の呼びかけに、クロノスははっと我に返り、私に笑顔を向けてくる。
その瞳に、先程まで浮かんでいた不思議な色は一切みられない。
「ぼーっとしてたみたいだけど、どうしたの?」
「……なんでもないわ。少し、サクラに目を奪われていただけよ。……それよりも、知っているかしら?サクラが降るということは、花祭り開催の合図でもあるの」
綺麗な景色に目を奪われてしまうのは誰だってよくあることだ。本人がそう言うのであれば、そうなのだろう。意図的に話を変えられたような気はするものの、黙って続きを促すことにする。
王都イレニアでは、年に一度、春の間だけ花祭りが開かれている。花祭りとはヴィシャール王国を守る女神に感謝するもので、毎年国を挙げて盛大に行われているものらしい。
花祭りの間は、王都中に花々が咲き乱れ、とても美しく幻想的な光景を見ることができるのだが、特筆すべきは女神が愛した木とも呼ばれる桜に似た花――『サクラ』だろうか。サクラは花祭りの期間中にしか咲かず、花が咲いたタイミングで祭りが始まるのが通例らしい。祭りが終わるまで、王都にはサクラの花弁が絶え間なく降り続いているのだとか。
「サクラには二種類あってね?片方は触れたら消えてしまう光に似たものだけれど、もう一方にはちゃんと実体があるの」
「えっ、そうなの!?」
「……というより、実体がある方が本物なのよ。サクラの木々は植物の一種として王都中に植えられていて、触れても消えないわ。花祭りが終わったらすぐに散ってしまうのは同じだけれどね。満開のサクラは本当に綺麗なのよ?」
まだ実際には見ていないけれど、話を聞く限り実体がある方が元の世界のそれによく似ているように思える。
「どちらも精霊の力で咲いている――と考えられていますね。降ってくる花弁は女神の祝福の証であるという話も聞きますが、本当かどうかは私にもわかりません」
「へえー……さすが、二人とも詳しいね」
相槌を打ってから、私は再度空を見上げた。
映像でもなく、幻でもない、実体を持たない桃色の花。これらはいったいどこからやってくるのだろう。本当に不思議だ。
(そういえば……ゲームでもイベント期間みたいなのはあったな。こうやって花が降ってくるような演出はなかったけど。なんだっけ、イベント期間中に街に入ると花がもらえて、花の効果でバフがかかるんだっけ?)
この花にバフ効果があるとは思わないけれど、イベント期間中に起こる特別な現象だったとしたら、似たようなものかもしれない。
内心そんなことを考えつつ、クロノスとロイドに先導されて王都の街中を歩く。
もうすぐ日没だというのに、行き交う人々の数は多い。人の波を縫うようにすいすいと進んでいく二人を見失わないようにしながら進んでいくと、一軒の宿屋に辿り着いた。外観もさることながら、内装もセンス良くまとまっていて、妖精のやどり木とはまた違った魅力を醸し出している。
部屋は、個室が空いているというので一人一部屋ずつ三部屋とることになった。部屋が空いていなければロイドとクロノスが同室で、私一人が別室となる予定だったそうだ。今回も二人には金銭的にお世話にならなければならず、恐縮してしまったが、彼らは気にしないでいいと笑ってくれた。不甲斐なさ過ぎる。
「朗報よ。花祭りの開催は明日からみたい」
受付で部屋の鍵を受け取るついでにいろいろと話を聞いたらしく、クロノスが鍵を配りながらにこにこと嬉しそうな笑みを向けてくる。
「サクラが降り始めたのは二、三日前らしいわ。開催日が正式に決まったせいで、どの宿もほぼ埋まりかけてたみたい。あー、良い時期に来ることができて本当によかったわぁ」
「ね、ほんとによかったー。花祭りも見れるし宿もとれたし、ラッキーだったね」
「そうですね。コトハ、貴女は初めての馬車でお疲れでしょうし、明日に備えて今日は早めに休んでくださいね」
「うん、ありがとう」
私達がとった三部屋は横並びになっていて、部屋の行き来もしやすい距離だ。何かわからないことがあれば、二人の部屋を訪ねればいい。
私達は宿屋の食堂で夕食を済ませると、明日の集合時間を決め、それぞれあてがわれた部屋へと散った。
二人と別れた私は自室へと入り、内鍵をかけてから室内を確認する。内装はお洒落なデザインの家具で統一されていて、床には埃一つない。生活に必要なものもすべて揃っていて、宿としては申し分ないくらいの設備が整っているようだった。
きっちりと閉じられたカーテンを開けると、窓からは夜の闇に浮かぶ街の灯りが見えた。
「ここからの眺めも綺麗だなあ……」
ほう、と息を吐き、しばし窓からの景色を楽しむ。
今日も、異世界での一日が終わる。この世界で迎える夜にもだんだん慣れてきていた。
元の世界のことが気にならないといえば嘘になる。だけど、最初の頃より辛さが薄れてきているのは、きっと二人のおかげだ。二人のおかげで、寂しくない。
その証拠に、今の私の頭を埋め尽くすのは明日の花祭りのことだけだ。
(王都の街並みがあまりに綺麗だったから。花祭りが本当に楽しみだから――今は、純粋に楽しみたい)
年に一度しか開かれない花祭りに参加できるのだから、楽しまないと損だろう。
なんとなく自分に言い訳しながらカーテンを閉め、私はそのままの足でシャワールームに駆け込んだ。
(私はいずれ元の世界に帰る。両親も心配しているだろうし、帰らなきゃいけない)
――そう、思うのに。
(変なの。ロイドやクロノスと離れるのが寂しい、なんて)
それはきっと、私がこの世界を好きになってきているから。
そしてそれ以上に、この世界で出会った二人の仲間のことが大切だから。
(――帰る方法が見つかった時、私はどうするのだろう)
いくら考えても、答えは出ないことなどわかりきっていた。
私は不毛な考えを打ち消すように頭から湯を被り、明日の花祭りに思いを馳せる。
明日は、何も考えずに楽しもう。ただ、そう思った。
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