9 / 59
第9話
しおりを挟む「おや、あんたたちも夕飯かい!?今持ってくるから適当に座って待ってておくれ!」
一階に下りていくと、両手に料理の大皿を抱えたカティアが私達の姿に気付いて遠くから声をかけてきた。先程はまばらだった宿泊客の数も、今ではテーブルと椅子の大半を埋める程。騒がしすぎない程度の楽しそうな話し声に食器の音が混じって、程よく賑やかだ。
私とロイドは、窓際の片隅にある二人掛けの席を選んで座ることにした。
「女将さん、すっごい忙しそうだねえ」
店内で宿泊客相手に忙しなく動き回っているのはカティアだけでない。この宿屋を実質取り仕切っているのは女将であるカティアその人だが、さすがに一人では無理があるのだろう。給仕と思われる数名の男女の姿もあり、こちらもかなり忙しそうだった。
「この時間帯はどうしても混雑してしまうのでしょうね。運良く席が空いていて助かりました」
「ね、ラッキーだったよね。確かロイドは前に泊まったことがあるんだっけ?」
「ええ、以前に数回」
「ここの食事ってどう?おいしい?」
「そうですね、おいしいと思いますよ。女将の料理の腕前はかなりのもので、噂によると王都で料亭を構えていたほどだとか。結婚を機にティレシスに移住してきたそうですよ」
「へえーっ、女将さんってすごい料理人なんだね!期待できそう」
そんな取り留めもない会話を続けているうちに、私達のテーブルにカティアが料理を持ってやってきた。二人分なので、一回ですべての料理を持ってくることができなかったのか、カティアはその後も厨房とテーブルを往復し、小さなテーブルはあっという間に料理の皿でいっぱいになってしまう。
「わあっ、おいしそう!」
歓喜の声を上げながら、私はカティアが持ってきてくれた料理の数々を眺めた。
籠いっぱいに入った柔らかそうなパンに、ざく切りにした野菜のようなものがたっぷり入ったスープ。デミグラスソースのようなものがかけられた大きめの肉は、よく焼かれていて食べやすいようにカットされていた。付け合わせのこの白っぽいものはマッシュポテトか何かだろうか。レタスや水菜、パプリカらしきものが混じったサラダに、デザートの果物の盛り合わせもある。
なんともボリューミーなメニューだが、どこかで見たことのあるような内容に私は内心ほっとしていた。この世界の食べ物は、元の世界で言う洋食のような感じなのだろうか。少なくとも、見た目だけは知らない食べ物ではなさそうだ。
「足りなかったらおかわりもあるからね!いっぱい食べとくれ!」
「はい、ありがとうございます」
私の返答に、カティアは満足そうな笑みを浮かべて離れて行った。
「……では、いただきましょうか」
「うん!」
ロイドに促され、私はいただきますと手を合わせてからスプーンをとった。
ドキドキしながらも、まずは野菜スープを一口。
「……おいしい!」
野菜の旨味が溶けていて、程よい塩加減がちょうど良い。
続いて食べたパンもふわふわだったし、肉も柔らかくてジューシー。どれもこれもおいしくて、ついつい食べ過ぎてしまいそうだ。もちろん、全部はさすがに食べられないので、余ったらロイドに食べてもらおうと思う。
(それにしても、おいしい食事にありつけて幸せよね!)
先程まで泣いていたことも忘れ、私はおいしい食事に舌鼓を打つ。
こちらの世界の食事マナーなんてものはよく知らないが、私はそこまで気にしていない。ナイフとフォークの使い方も小慣れているわけではないけれど、どの世界もだいたい同じだろうと思っておく。ロイドにも何も言われないし、見よう見まねでもきっと大丈夫だろう。
でもやっぱり箸が欲しいよね――などと思いつつ、私が使い慣れないナイフとフォークで厚切りの肉と格闘していると、ふいにロイドが小さく笑う気配がした。
視線を上げれば、ロイドはふわふわのパンにも負けないくらい、優しい笑みを浮かべてこちらを眺めていた。
(――なんで?)
「……ロイド?どうかした?」
思わず手を止めて問いかけると、ロイドは笑顔を崩さず「すみません」と謝ってから言葉を続けた。
「特に意味は無いのですが、つい」
「……?もしかして私なんかおかしいことしてた?マナー違反みたいなこととかさ」
「いえ……そういうことではなくて」
ロイドはゆるりと首を振って、私に視線を合わせた。
「こんな風に誰かとゆっくり食事をするのは、随分と久しぶりなものですから。つい、可笑しくなってしまって」
「え?」
「可笑しい、では少し語弊があるかもしれませんね。これまでの“私”では考えられなかったことなので、少しくすぐったい気分になっているのかもしれません。これもコトハのおかげなのでしょうね」
「ええっと、話が見えないんだけど……わかるように説明してくれない?」
「私は――――――いえ、コトハが私の主人で良かった、ということです」
そう言って、ロイドはまた穏やかに微笑んだ。
明らかに何か言いかけた気がしたけど、他でもないロイド自身に言うつもりが無いのならば、追及しても仕方がない。気になるけれど、今は我慢して、聞き流すことにした。必要であれば、彼自身の口から話してくれるだろうし。
(ロイドのこと、知ってるようで何も知らないんだよなぁ)
もちろん私自身のことも、ロイドは何も知らないだろう。
後でちゃんと時間をとって、いろいろ話すことができればいいのだけど。
「もう、だから私はマスターなんかじゃないって言ってるのに。やっぱりロイドは私のこと美化しすぎだって。もう見るからに一般人じゃん」
「私と、この世界のことを少しだけ知っている普通の女性だということは、この短時間でも充分に理解しています。それでも、私はコトハが良いのです。こればかりは何を言われても曲げられません」
「…………」
ここは宿屋であるとともに、公の場である。
そんな他の人の目もある中でこんな妙なやりとりをしていたら、変に注目されかねない。
まあ、そこまで神経質にならなくても大丈夫そうだけど。
「と、とりあえず食べよう。食べて部屋で話そう。今後のこともあるし」
私は話を切り上げるべく、そそくさと食事に戻った。
食事に集中し始めた私を、ロイドがしばしの間じっと見つめていたことにも気付かないまま。
* * * * * *
食事を済ませた私達は、そのまま真っ直ぐロイドの部屋へと向かった。
今後のことについて話し合う必要があったからである。ロイドは疲れを癒してからでも良いだろうと、私のことを気遣ってくれたけど、やんわり断った。
朝までゆっくりすれば疲れはとれるかもしれないけど、今後の方向性を決めないことには気が休まりそうもなかったから。
ロイドの部屋は、当たり前だが構造自体は私の部屋とほとんど変わらなかった。
机の上には火の入った大きなランプが乗せられており、日が落ちて暗くなった部屋全体を明るく照らしている。
旅には荷物がつきものであるが、それらしきものは部屋の片隅に無造作に置かれた鞄が一つ。気になって聞いてみると、もともとロイドの荷物は多くなく、魔法がかけられた鞄一つで間に合う量なのだそうだ。容量が驚くほど増え、どんなものでも持ち歩くことができるという魔法の鞄――所謂マジックアイテムというやつなのだろう。ゲームでも、剣やら回復アイテムやらを一緒くたに持ち歩くことができたのは、この特殊な鞄のおかげなのかもしれない。
(ありがとう、魔法の鞄さん。その節はお世話になりました)
私はロイドの鞄を一撫でし、自分の部屋と同じ位置にあるベッドの端に腰かけた。
本当は椅子を勧められたのだが、そうなるとロイドが立ったままになる。ロイドは元からそうするつもりでいたようだが、疲れているのはお互い様だろうし、部屋主を立たせたまま私だけ椅子に座るのは気が引ける。
不毛な譲り合いの末、ロイドが椅子に座る代わりに、私がベッドに腰かけるということで落ち着いたのだ。何故こうなったのだろう。私にもよくわからない。
「――それで、どうするの?今後」
問題は早々に片付けてしまいたいので、さっさと本題に入ることにした。
ロイドは私の方に身体を向け、笑みを消した真面目な表情で口を開く。
「差し当たって考えるべきは、明日からの行動でしょうね。最終目標としては、貴女を元の世界に帰すこと。ですが、私に世界を渡るための知識や技術が無い以上、それは長期的な目標となる可能性も考えられます」
「うん」
こうなってしまった以上、すぐには無理だということは理解しているつもりだ。
どんなにその事実を否定したくとも。
「ならば、まずは生活の基盤を確立させることから始めるべきだと思います」
「生活の基盤?」
「そうです」
ロイドは頷いた。
「コトハは、このレヴァースティアという世界を知っている。どうしてこの世界と私のことを知っていたのかはわかりませんが、少なくとも知らない世界ではないはずです。しかし、コトハが“知っている”のはほんの一部。とても狭い世界に過ぎません。この世界での暮らしはどういうものなのかすら、コトハは知らないままだ」
「うん、そうだね。私はこの世界のこと、全然わかってない」
私は何も知らない。オンラインゲームを通して知った、ほんの一部分しか知らず、ロイドの助けが無ければ暮らしていくことさえできないだろう。
「だからこそ、最初は“知る”ことから始めるべきだと思うのです。私が知っていることならばなんでもお教えします。しかし、それだけでは足りない。自分の目で見て、聞いて、コトハ自身がこの世界に触れて……まずはこのレヴァースティアという世界に少しでも慣れるべきだと、私は思います」
「慣れる……」
呟くと、ロイドは少しだけ微笑んだ。
「焦っても良い結果は見えてきません。しばらくはこの街に滞在しつつ、生活に慣れてきたら次の道を模索していきましょう」
「……そうだね、この世界に慣れなきゃ旅だってなんだってどうにもならないもんね。もしかしたら、この街でだって良い情報が見つかるかもしれないし」
「その意気です」
「よしっ!じゃあ決まりだね!そうだ、この街に滞在するって言っても、今後はどこを拠点にするの?こればっかりは、ロイドを頼るしかないんだけど……やっぱり今日みたいに宿をとる感じ?」
「はい、コトハに野宿はさせられませんから。確か、“妖精のやどり木”も長期滞在可能だったはずなので、コトハが良ければこの宿屋を拠点にしようかと……どうでしょうか?」
「うんうん、全然問題無いよ!」
私が二つ返事で了承すると、ロイドは「では女将に話を通しておきます」と席を立った。
すぐに戻るとのことだったので、私はロイドが戻るまでこのまま部屋で待たせてもらうことにする。
私は静かに部屋を出て行こうとするロイドに「いってらっしゃい」と声をかけ、静かになった部屋で一人、ほうと息を吐いた。
「明日から、がんばらなきゃね」
呟きながら、私は部屋の主がいないのを良いことに、ころりとベッドに寝転がる。
話も良い感じにまとまったので、安心したのかもしれない。
「ふあ……」
気を抜いた瞬間、どっと疲れが出て、眠くなってきた。
寝てはいけない。寝てはいけないのだと、何度も頭の中で繰り返す。ロイドの部屋だし、起きていないと代わりに用事を済ませてくれているロイドに申し訳ないと思うのに。
結局、襲い来る睡魔には抗えないまま、私は急速に眠りの中へと堕ちて行った。
夢うつつ。
――コトハ、と私の名を呼ぶ優しい声は、いったい誰のものだったのだろう。
0
お気に入りに追加
248
あなたにおすすめの小説
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
転生したらチートすぎて逆に怖い
至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん
愛されることを望んでいた…
神様のミスで刺されて転生!
運命の番と出会って…?
貰った能力は努力次第でスーパーチート!
番と幸せになるために無双します!
溺愛する家族もだいすき!
恋愛です!
無事1章完結しました!
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
異世界に来ちゃったよ!?
いがむり
ファンタジー
235番……それが彼女の名前。記憶喪失の17歳で沢山の子どもたちと共にファクトリーと呼ばれるところで楽しく暮らしていた。
しかし、現在森の中。
「とにきゃく、こころこぉ?」
から始まる異世界ストーリー 。
主人公は可愛いです!
もふもふだってあります!!
語彙力は………………無いかもしれない…。
とにかく、異世界ファンタジー開幕です!
※不定期投稿です…本当に。
※誤字・脱字があればお知らせ下さい
(※印は鬱表現ありです)
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
チート幼女とSSSランク冒険者
紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】
三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が
過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。
神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。
目を開けると日本人の男女の顔があった。
転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・
他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・
転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。
そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語
※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる