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第59話
しおりを挟む「まあ……騎士様でしたのね。お出迎えもせず、このようなお見苦しい格好で申し訳ありません」
訪問者が自身の兄ではないことを知ったウェティがベッドから降りようとするが、ロイドは「そのままで」と彼女の行動を制し、軽く頭を下げた。
「いえ。病み上がりの女性の部屋を予告なく訪れたこちらに非がありますので。すぐにお暇いたしますので、無作法者ゆえの非礼とお許しいただければと」
「ふふっ、ええ、許します。むしろ兄様に見習わせたいくらいの立ち居振る舞いだと思いますわ。お気になさらずに」
「光栄です」
ロイドの口調自体は穏やかだが、部屋の入り口から一歩も動かず、表情もやや硬い印象を受けることから、彼女に対して気を許しているというわけではないらしい。ウェティもそれをわかっているのか、薄い笑みを浮かべるのみに留まっている。
けれど、二人のやりとりがどこか軽妙に映るのはその丁寧な言葉遣いのせいだろうか。
(おお……なんか物語で見たことある貴族っぽいやりとりが生で見られるなんて……)
私の思考が若干ずれていることは否めないが、単純にそう思ったのだ。
(貴族っぽいっていうか、うーん、どう表現すればいいのかな。少なくとも私の口からはこんなの利いた言葉は出てこないし、普段使う機会なんてそうそう無いからなあ……)
「コトハのお迎え、でしたわね?本当はもう少しお話をしていたかったのですけれど……残念ですわ。そろそろあなたにお返ししなくてはいけませんのね、騎士様」
「……我が主人の羽休めの間、懇意にしていただけるのはありがたいことなのですが……それ以上はいただけませんね。貴方達兄妹は止まり木ごと切り落とすおつもりか?」
「まあ……とても良いお耳をお持ちなのですね。ふふっ、切り落とすなどと……そんな野蛮なことはいたしませんわ。ただ、そうですわね。小鳥にも選ぶ権利はありますものね?」
「それは当然でしょう。どれほど貴重な小鳥だったとしても、その心を無視して鳥籠に閉じ込めることはできません。それは貴女であろうと、私であろうと変わらない――――その存在を、どれほど切望しようとも」
ロイドとウェティの声音はどこまでも穏やかで、言葉の応酬の中にもおかしな点は見受けられなかったのに、二人の間に流れる空気がどこか寒々しく思えるのは気のせいだろうか。
二人とも微笑みながら会話しているし、混ざろうと思えば混ざることもできたのだが、どうしてか口を挟もうとは思えなかった。
第一、会話の内容がよくわからない。ロイドが私を迎えに来たということは入室時の彼の発言からも理解できたが、その後が問題だった。
私は小鳥なんて飼っていないし、ウェティからもそういう話は聞いていない。
そういえば、謎の教会に飛ばされた時にクロノスも小鳥や鳥籠といった単語を口にしていたが、何か関係があるのだろうか。ぐるぐると思考だけが巡るが、結局答えは導き出せないままである。
私が言葉の裏を読む才能に長けていれば、何か気づくこともあったのかもしれないけれど――
「……あのー。二人とも、さっきから何の話をしているの?」
話を聞くことは好きであるものの、その内容がわからないと何も楽しめない。
加えて、放置されていること自体にも飽きてきていたため、私は思い切って話に割り込んでみることにした。
会話の途切れたタイミングを見計らい、二人に声をかける。
すると、ロイドとウェティはほぼ同時に私の方へ顔を向けてきた。
「すみません、お待たせしてしまいましたね」
「いや、それは別に良いんだけど……話の内容がよくわからなかったから、何の話をしてるのかなって気になっちゃって」
申し訳なさそうな表情を浮かべるロイドに、私は先程も口にした問いを投げかける。
ロイドは表情に少しだけ困ったような色を乗せてから、首を横に振った。
「……特に意味のない問答ですよ、コトハ。少し、確認をしただけです」
「確認?」
「ええ、そうですわ。わたくし達の話はただの確認であって、貴女が気に病むような内容でもありません。ですからどうか安心してくださいな。ね、コトハ?」
「う、うん……」
ロイドの話を肯定するかのように、ウェティが私の頭を優しく撫でる。
何の確認をしたのかは知らないが、私への答え方を見るに、どちらも詳細を語る気はないようだ。
特に気にするような内容でもないという話だったが、隠されると逆に気になってくるものだ。
けれど、これ以上追及しても彼らが答えてくれないことは明白である。
釈然としないながらも、私は二人に向かって頷いて見せた。
「……随分とお引き留めしてしまいましたわね。コトハ、そろそろ騎士様と一緒にお行きなさいな」
「……うん、わかった。ウェティはこれからどうするの?何か用事があれば引き受けるけど」
「ありがとう。でも大丈夫ですわ。昼食まで時間もあることですし、わたくしは少し休みます」
「そっか。ずっと喋ってたし、少し横になった方がいいかもしれないね。じゃあ、また後で来るから」
「ええ」
私はウェティが頷くのを確認してから席を立ち、先導するロイドの後に続いて部屋を辞した。
* * * * * *
「……迎えに来てくれてありがとね、ロイド」
すれ違う者もいない、静まり返った廊下をゆっくりと進みながら、私はロイドの方に顔を向けた。
「昼食まではまだ時間があるはずだし……わざわざウェティの部屋まで足を運んだってことは、私に何か用があったんでしょ?今までなかなか話せてなかったもんね」
教会脱出から現在に至るまで、私は仲間達の許可を得た上でできるだけウェティの傍にいた。ウェティの傍にいる時間が増えれば増えるほど、ロイドやクロノスと一緒に過ごす時間は自動的に少なくなる。
今後のこと、謎の教会での出来事や事実の擦り合わせなど、話し合うべきことはたくさんあるはずなのに、まったくできていない。これもすべて、仲間よりもウェティを優先した私の責任だ。
「ごめんね、私のワガママに付き合わせちゃって。これから何か話し合いとかする予定なのかな?だとしたら、きっとクロノスも待ってるよね」
「……そうですね。義賊団の本拠地を離れる前に、一度話し合いの場を設けなくてはなりませんが……それはクロノスが戻ってきてからになるでしょうね」
「え?」
「彼は今、散歩に出かけているはずですので。中庭で一時間ほど日光浴をしてくると話していたので、すぐに戻るとは思いますが」
「そうなんだ。……ということは、今はそれとは別件ってこと?」
「……はい」
何気なく口にした問いに首肯するロイドの反応は、普段よりも鈍い。
クロノスが不在であることから、別件の用事とはロイド個人のものであると推察できるが、少し待ってみても彼は困ったように眉を下げるだけで一向に話し出そうとしない。
(……?)
不思議に思いながらも、私はロイドの次の言葉を待ちながら目的地に向かって歩を進めていく。
目的地でもある私達三人が間借りする部屋は、もう目と鼻の先だった。
この続きは以前のように私の部屋ですればいいだろうと、私は何も考えずにドアノブに触れる。
しかし、扉が開くより先にロイドの手がドアノブを握る手に重なり、やんわりと私の動きを制止した。
「申し訳ありません。お話は、私の部屋で行ってもよろしいでしょうか?」
「……うん?」
ただ普通に話をするだけなら誰の部屋でもいいような気もするが、断る理由はない。
私は首を傾げつつも、素直にロイドの言葉に従った。
「――先程、貴女を迎えに行った時」
促されるままロイドの部屋に入室するや否や、彼は躊躇いがちに口火を切った。
「入室の許可を得るため、扉に近付いた時。貴女とあの女性の会話が漏れ聞こえてきました」
「ウェティとの会話?」
「はい。聞くつもりは無かったのですが……」
決まりが悪いといった様子で視線を逸らすロイドを見上げながら、私は目を瞬かせる。
私達の会話を耳にしたのはたまたまであり、その行為を咎めるつもりはない。私がロイドの立場だったとしても、室内で談笑する声が聞こえてきたらなんとなく耳を傾けてしまうだろうし、入室すら憚られることだろう。
それに、会話の内容も雑談程度のものだ。
ウェティの身の上話を除けば、そこまで重要なことではなかった――はずだ。
「そんなにおかしな話はしてなかったはずだから、別に大丈夫だと思うけど……ちなみにどこから聞いてたの?」
「………………貴女が、あの女性に相談を持ち掛けたところから」
「……あー……」
しばしの沈黙の後に得られたロイドからの答え。
その意味を瞬時に理解して、私は思わず呻いてしまった。
(ほぼ最初っから聞いてたってことじゃない……って、問題はそこじゃないか)
私がウェティに相談したレオニールとの一件は、雑談程度とはいえ目下の悩みであり、異性には少しばかり話しづらい内容だった。同性であるウェティに話すことですら恥ずかしかったのに、それを目の前の彼に全部知られてしまったのだ。正直気まずいどころの話ではない。
「……あー、うん。レオニールさんの話をしてたあたりからだよね?」
「はい。結果的に盗み聞きのような形になってしまったことについては謝罪します。……私に相談してくださってもよかったのにとは思いましたが」
不満げなロイドの様子に、なんだか後ろめたい気分になってくる。
私はロイドの視線から逃れるように俯くと、ぼそぼそと言い訳じみた言葉を口にした。
「それは、ごめん。なんとなく男の人には相談しづらくって……内容的に、恥ずかしいでしょ?」
「――それは、貴女がレオニールの話に多少なりとも心を動かされたからでしょうか」
「……え?」
ロイドの言葉に、私は弾かれたように顔を上げた。
視線の先にとらえたロイドの表情は憂いを帯びているように見える。けれど海の色を溶かし込んだかのような蒼い瞳は真っ直ぐ私へと注がれていて、何かを訴えるように揺れていた。
ロイドが何を思ってそんな目をするのかはわからないけれど――いつもと違う彼の雰囲気は、どうしてか私の心を落ち着かなくさせた。
「コトハ」
こつり。靴音を響かせてロイドが私の方へと一歩進む。
優しい声音は、いつもと同じ。それなのに、彼の纏う雰囲気がぴんと張り詰めているように感じて、私は困惑から一歩後ずさった。
ロイドはそんな私に構わず、ゆったりとした動作でこちらへ近付いてくる。
(待って、やっぱり様子がおかしいって!)
一歩、二歩。ロイドが近付くたび、私はじりじりと後方に下がっていく。
気が付けば、私は壁際へと追いやられていた。
「あの、ロイド?なんか様子が変だよ、どうしたの?」
困惑しきり、といったようにあわあわと口を開くと、ロイドは苦い笑みを浮かべてみせた。
「そう、ですね。今の私は、確かにおかしいのでしょう」
理由は明白なのですが、と呟いてから、ロイドは腕を持ち上げ私の頬に触れる。
私の頬を包み込むように優しく触れてくるロイドの手に動揺し、私の心臓は早鐘を打ち始める。
「ロ、ロイド?」
「貴女が私の元から離れ、レオニールを選ぶ。そんなことを考えるだけで、胸が苦しくてたまらないのです」
大いに戸惑い、顔を真っ赤にさせる私の頬を撫でるように、ロイドの長い指が滑っていく。
見上げれば、まるで大切な何かを慈しむような熱を帯びた瞳と視線がかち合った。
私には彼の瞳が何を語るのかはわからない。けれども、その視線の強さに耐えられる自信がなかった私は、逃げるようにふいと視線を逸らした。
すると、くすりと笑う気配とともに、ゆっくりとロイドの顔が降りてくる。
彼が何をしようとしているのか完全に把握する前に、こつん、と額と額が合わさった。
「ひぇ」
心臓をぎゅっと掴まれたような心地だ。
あまりの出来事に、私は思わず小さく悲鳴を上げてぎゅっと目を瞑る。
だから、どんなに顔が近くとも。吐息がかかるほど近い距離まで身を屈めたロイドが、どんな表情をしているのかはわからない。
「――私はきっと、妬いているのでしょう」
囁くような、少しだけ掠れた声。
額を合わせたまま届けられた言葉は、ひどく切なく、甘ったるい響きを孕んで、私の耳に届いた。
「コトハ」
名前を呼ばれただけで、妙に心がざわつくのは何故なのだろう。
ドキドキと高鳴る胸の鼓動が、私の思考能力を奪っていく。
ロイドの言葉の意味を正確に理解する余裕など――今の私には無い。
「貴女が――貴女だけが、私の感情を搔き乱すのです。紛れもなくこれは、嫉妬という醜い感情なのでしょう。ですが、それでも……今はまだ、貴女の手を離したくない」
コトハ、とロイドがもう一度だけ私の名を呼んだ。
その声に促されるように、私はおそるおそる閉じた目蓋を開く。
そこには、以前にも見た私の知らない熱を宿した双眸が、間近から射抜くように私をとらえていた。
「貴女は、この場所を――あの男の傍にいることを選択するのですか?」
静かに問いかけられ、私は目を見開いた。
彼がウェティの部屋を訪れた理由とは少し違うのかもしれないけれど、ロイドが本当に問いたかったのは最後に口にした内容そのものだったのかもしれない。
(全然頭働かないし、ロイドがなんでこんなことをするのかはわからない。でも、ロイドは私がレオニールさんやウェティの提案を受け入れるのかもしれないって、心配しているんだ)
レオニールからの誘いに対して、何も思わなかったとはいえない。
ウェティの心からの言葉にも、確かに迷いはした。
(だけど、それでも)
私の心は、最初から決まっているようなものだった。
「――私は、どこにもいかないよ」
落ち着かない心をどうにか押し留めながら、私はロイドの瞳を見返した。
思わずといったように瞠目するロイドに、私はにっこりと笑いかける。
「確かに、ちょっとだけ迷ったよ?レオニールさんとも少しは仲良くなれたと思ってるし、ウェティの傍を離れたくないって思った気持ちも事実だし。でも、それだけなの。私が旅をしたいと思うのは、一緒にいたいと思うのは、ロイドとクロノスなんだもん」
「コトハ……」
「だから、そんなに心配しないで。迷惑ばっかりかけてる私が言えたことじゃないんだけど……私だってロイドの傍にいたいんだよ。だから、これからも一緒にいてくれると嬉しいな」
――ロイドが良ければ、なんだけど。
私が笑顔でそう締めくくった瞬間、突然目の前が真っ暗になる。
ロイドが、片手で私の視界を塞いだのだ。
「ちょ、ちょっとロイド!?」
見えないんだけど、抗議の声を上げるが、ロイドからの返答はない。
ややあって、私の視界を奪うあたたかな手の平ごしに感じるわずかな違和感と、かなり近い位置から聞こえる軽いリップ音。
その正体を私が確かめる間もなく、両目を覆う手が退かされた。
「……ありがとうございます、コトハ」
前髪が触れ合うくらい近い位置で、少しだけ照れくさそうに頬を染めるその人は、とろけるような極上の笑みを浮かべていて。
それは、収まりかけていた気恥ずかしさを呼び起こすとともに、私の顔を朱に染め上げたのだった。
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