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第55話
しおりを挟む「大魔法の行使……」
つい先程まで女神像がいた場所を見つめながら、ウェティが呟いた。
大魔法という単語自体は、クロノスがたびたび話題に上らせているからか聞き覚えがある。詳しくは知らないけれど、今までオンラインゲームで培ってきた知識から、通常の魔法よりも強力なものを大魔法と呼ぶのだろうと勝手に考えていた。魔術師が強力な属性魔法を行使する職業だということはわかりきっていたから、この世界にはそういうものもあるのだろう、と。
だから、ウェティの困惑と驚きがない交ぜになったような目がこちらに向けられたとき。
何故ウェティがそのような目で私を見るのかわからず、ただ首を傾げて彼女と視線を合わせることしかできなかった。
「あの方は、魔術師なのですわよね?」
「え?うん、そうだよ。私はそう聞いてるけど……それがどうかしたの?」
事実を再確認するかのような問いかけに大きく頷いてみせるも、ウェティの表情は晴れない。
「そう、ですわよね。貴女のお仲間ですもの、疑うべくもない事実ですわよね」
「もしかして、ウェティも驚いてる?実は私もなんだ。クロノスが魔法を使うところは何度も見てるけど、ここまで大規模なものは私も初めてなの。強い強いとは思ってたけど、ここまでとは思ってなかったかな」
ウェティの様子がちょっとおかしいのは私と同じで驚いているからだろう。
そんな安易な考えから、私は咄嗟に思い浮かんだ言葉を他愛もない世間話のようにつらつらと並べ立てる。ウェティはひとしきり喋り終えた私をじっと見つめてから、やがて困ったように微笑んでみせた。
「……ええ。貴女のおっしゃるように、驚いているというのももちろんありますわ」
「……あれ。ごめん、もしかして違ってた?」
「そうではないのですが……いえ、これは別に隠すようなことでもありませんわね」
どこか歯切れの悪い返答に、何か間違ったことを言ってしまったのかと不安になってしまう。
しかしウェティは私の言葉を否定するようにゆるりと頭を振ってから、離れた場所で未だ戦い続ける面々に視線を投じた。
「わたくしは治癒術師の勉強をしておりましたけれど、同時に魔術師の方もかじる程度に学んでおりましたの。魔術師にはなれずとも、使う機会が訪れることはなくとも、魔法についての知識を増やすことは自分のためになる。そう信じておりましたし、実際にそうでした」
「うん」
黒衣の剣士と剣を交え続けるロイドの姿をぼんやりと見つめながら、私はウェティの話に相槌を打つ。
本当は、仲間が大変な時に雑談なんてするべきではないのかもしれない。
でも、ウェティの語り口からこれは大事な話なのだとなんとなく察してしまったから、私は彼女の話に無言で耳を傾ける。
「魔術師同士の力の差というものがどこで生まれるのか――もちろん魔力量の差もありますけれど、魔法の種類や効果、威力についてはその者の適正やセンスによるところが大きいのですわ。けれど、先程貴女のお仲間が発動させた大魔法だけは別なのです」
「……別ってどういうこと?大魔法ってくらいだから普通の魔法よりは強いんだろうなって思ってたけど、同じ魔法なんじゃないの?」
思わずそう問い返すと、ウェティは「いいえ」と首を振り今度は明確に私の言葉を否定した。
「大魔法は一介の魔術師には行使できない大きな力。普通の魔術師では、限りなく近づけることはできても本物にはなり得ないもの。高位魔術師の名を戴く者ですらも、軽々には使用できない強大な力」
高位魔術師は魔術師の上位職であり、魔術師の中でも特に優れた者だけが就くことができる職業だ。オンラインゲーム内での上位職は条件さえ揃えればすぐにでも転職できる開かれた存在なのだが、この世界ではその存在すら貴重だという。並々ならぬ努力を必要とし、抜きんでた才能を持つ者のみが名乗ることを許される、限りなく狭き門の話なのだ。
このことを教えてくれたのは、他でもないクロノス張本人である。
けれど、上位職である高位魔術師でさえほとんど使用できない大魔法のことなんて、私は教わっていない。
「コトハ、あの方はいったい何者なのですか?」
ウェティの視線が真っ直ぐに私を射抜く。
だけど、私は彼女の疑問にすぐに答えることができなかった。
――だって私は、クロノスのことを何も知らないから。
「……ごめん。私もなんて答えたらいいかわからない。私が知っているのは、クロノスが魔術師で、大魔法すら簡単に使ってみせる強い冒険者だっていうことだけなんだ」
(……仲間だっていうのにね)
胸中で自嘲的に呟きつつ、私は苦い笑みを浮かべる。
「……騎士の彼のことは?」
「ええと……実はロイドのこともあまりよく知らないの。クロノスよりは付き合いが長いから、知っていることが少し多いくらいかな」
ロイドとの出会いはいろいろと複雑すぎるので、この場では少々説明しにくい。ウェティのことは信頼しているし新しい友達だと思っているが、異世界うんぬんについてはじっくり腰を据えて話したいところだ。
(あまり知らないっていうのも、本当のことだし)
だから今回は敢えて言葉を濁したのだが、ウェティはそれをどう捉えたのか、やや難しい表情をしている。
「貴女達はとても仲がよろしいのだと思っておりましたが……」
「仲は良いよ。ただ……私はいつか二人が話してくれる時まで待つつもりでいたの。知りたいのならこっちからたくさん質問すればいいだけなのかもしれないけど、誰だって聞かれたくないこともあるだろうから、どうしても無理強いはしたくなくて……」
「……そうでしたのね。ですがコトハ、物分かりが良すぎるのも考え物でしてよ」
視線を落とし、言い訳するようにぼそぼそと答える私の顔をウェティが覗き込んできた。
彼女の表情は先程までとは違って穏やかなもので、まるで仕方のないものを見るような優しい瞳を私に向けている。
「今のままでも良いのかもしれませんけれど、貴女があのお二人との仲をさらに深めたいのであれば。たまにはワガママになってみてもよろしいのではと、わたくしは思うのです」
そこから一拍の間を置いて、ウェティの声が魔法を構築するための呪文を紡ぐ。
徐々に薄くなり消え始めていた“防護の盾”の光が、再度私達の姿を包み込んだ。
(ワガママになってみる、か……)
私達の姿を覆う淡い光の膜をぼんやりと眺めながら、心の中でウェティの言葉を反芻する。
戦えない私を戦闘から遠ざけて、見返りを求めず真綿で包むように守ってくれる優しい人達へ、私が返せるものは何もない。今だってただ遠くから見ているだけで、彼らのために何もできず、手を貸すことすらできていない。歯がゆさは、いつだって私の心の奥にある。
(そんな負い目があるからこそ、踏み込むことに躊躇してしまうのかもしれないな……)
そんなことを考えながら、私は仲間達の方へ視線を向ける。
私とウェティが話をしている間に戦闘は佳境に入っていたらしく、三人の猛攻が黒衣の剣士をじりじりと追い詰めていた。黒衣の剣士の動きは目に見えて鈍っており、相手が一人から三人に増えたことで防戦一方となっているらしかった。
だが、黒衣の剣士の身体や武器から立ち上る紫色の光は衰えを見せず、諦める様子など一切ない。
「“――尊き白光、我が身に纏え――”」
ふと、ロイドが黒衣の剣士から距離をとり、詠唱とともに自身の剣を一撫でする。
すると、ロイドの持つ剣の刀身が白く輝き始め、彼が剣を振るとその軌跡に合わせて燐光が舞う。
確かあれは、MMORPG【レヴァースティア】において私が“ロイド”というキャラクターに覚えさせた魔法のひとつ。
光属性の付与魔法だ。
「ふふっ、ロイドもその気みたいだし、そろそろ終わらせちゃいましょうか?」
光を纏ったロイドの剣を一瞥してから、クロノスが長杖をくるりと一回転させる。
「“――縛れ――”」
クロノスの一言とともに、黒衣の剣士の足元へ闇を煮詰めたかのような黒い光が出現し、その両足へと絡み付いていく。黒衣の剣士はそれを振り払おうともがき始めたが、クロノスが即座にパチンと指を打ち鳴らすと、黒い光は太い鎖へと形を変えた。纏わりついた太い鎖がじゃらり、と重苦しい音をたて、黒衣の剣士の動きを阻む。
「ロイド!」
クロノスの鋭い声が飛び、剣を下段に構えたロイドが走り出す。
黒衣の剣士は自分の不利を悟ったのか、片腕を振って自身の周りを囲むように何本もの抜身の剣を出現させ、ロイドへ向かって次々と飛ばしていった。
ロイドは自身の獲物で向かってくる剣を弾き飛ばしながら進むが、いかんせん量が多く、捌ききれなかった件がロイドの身体を傷付けていく。それでも、ロイドの足は止まらない。
黒衣の剣士はロイドが簡単には倒れないことを確認するや否や、さらに自身の周囲に無数の剣を出現させ、片腕をゆっくりと天に向かって伸ばしていく。その動作と連動するかのように、宙に浮いたすべての剣の先端がロイドの方へと向く。今度こそ、ロイドを仕留めようとしているのかもしれない。
「だめ……やめて!」
――私の悲鳴のような叫びがこだました、瞬間。
「――させるわけねェだろうが!」
ひときわ大きな銃声と、それに負けないくらい大きな声。
無情にも振り下ろされた黒衣の剣士の腕を、レオニールの弾丸が撃ち抜いた。
「――――!」
黒衣の剣士は負傷した腕を庇いながら、悲鳴にも似た咆哮を上げた。
レオニールの銃弾に貫かれたそれからは血の一滴すらも流れていなかったけれど、代わりに真っ赤な静電気のようなものが走り、黒衣の剣士の身体を蝕んでいるようにも見える。事実、黒衣の剣士の周囲に浮いていた無数の剣はすべて姿を消していた。
レオニールが何をしたのかなんて、今は些末なこと。
今は、駆けるロイドの背中と、この戦いの行く先を静かに見守るのみだ。
「――これで、終わりです」
ロイドの静かな声が零れ落ちたと、ほぼ同時に。
白く輝く剣の切っ先が、黒衣の剣士の身体を真っ直ぐに貫いた。
――それから、数秒の静寂の後。
ぱきん、と何かが割れたような音が響き、黒衣の剣士の動きが完全に停止した。
ロイドは項垂れるように動かなくなったそれの身体から剣を引き抜くと、ゆっくりと後方に下がっていく。黒衣の剣士の身体はそのまま重力に従って地へと倒れ伏し、足元の方から徐々に光の粒子となって消え始めた。
「っ、あれは」
黒衣の剣士の姿が完全に消え去る直前。
空中にまた紫色の光が浮かび上がったことに気付いた私は、思わず声を上げた。
敵を二体も倒したのに、これ以上何をさせるつもりなのだろう。
私はウェティと頷き合って仲間達のもとに駆け寄っていった。
「“神と人間の物語は結し、生と死は巡る。名も無き人間よ、忘れることなかれ。神は古の約定違うこと能わず。ただ一つの愛を以て、世界を見守り続けよう”」
クロノスが、光で綴られた文字をゆっくりと読み上げる。
「……終わったの……?」
これまで私達の前に現れたいくつもの謎と、それに関する美しい詩。
物語が終わりを示しているのなら、仕掛けもこれで終わりなのだろうか――そう思い、ほっと胸を撫で下ろした、その瞬間。
ぐらり、と地震のような大きな揺れが私達を襲った。
「ひゃっ」
「コトハ!」
揺れに耐えきれず思わず膝をつきそうになる私を、ロイドの腕が支えてくれる。
「あ、ありがとう」
「コトハ、貴女はこのまま私に掴まっていてください。――教会が、崩れ始めています」
「えっ!?」
ロイドに支えられる格好のまま弾かれたように顔を上げれば、崩壊を始めた教会内部の様子が視界に飛び込んできた。天井は少しずつ崩落を始め、壁にはいくつもの大きなヒビが入っている。私達がいる場所は教会の地下であり、急いで戻ろうにも入り口の扉はひしゃげ、通ることができなくなってしまっている。
早くここから脱出しなければ、私達の行き着く先は全員生き埋めだ。
思わず最悪な想像をしてしまい、さっと血の気が引いた。
「まって、このままだとほんとにやばいよね!?……うひゃっ!?」
焦りからロイドの腕の中でじたばたと落ち着かずにいると、私達のすぐ近くに天井の欠片が落下してきた。驚きで身体を硬直させる私を引き寄せながら、ロイドが「大丈夫ですか」と私を気遣う言葉をかけてくれるが、正直まったく大丈夫ではない。
「このままでは危険ですね……何か手立てを考えなければ」
「転送装置も手元にないし、転移を使うわ」
ロイドの言葉に被せるように、クロノスが口を開く。
見れば、クロノスは既に魔法を発動させるための準備を始めており、彼の足元には魔法陣が描かれていた。
「うまく座標が定まらないわね……また空間を破壊して無理矢理押し通るべきかしら……ああもうっ、落下物が鬱陶しいわねっ!」
「わ、わたくしが皆様をお守りします!落下物についてはお任せくださいまし!」
ウェティが慌てて詠唱を始め、全員に“防護の盾”をかける。
水色の光の膜が私達全員を包み込むのと同時に、ウェティがかくりとその場で膝をついた。
「ウェティ!大丈夫!?」
「……っ、ええ、大丈夫ですわ。少し、疲れてしまっただけです」
私の声に答えるウェティの顔はやや青く、気丈にも笑みを浮かべているがその額には冷や汗が浮かんでいる。天井からの落下物が光の膜へとぶつかって弾かれるのを目の当たりにしてしまったが、彼女が無理をしていることは明白なので、感謝はすれど素直に喜ぶことはできなかった。
「魔力の使い過ぎだ。ウェティ、お前はこれ以上は何もするな。後は俺がやってやる」
「……兄様」
レオニールがウェティの頭にぽんと手を置き、続いてクロノスへと向き直る。
「おい、空間魔法なら俺にも心得がある。今回だけ力を貸してやる」
「なら、座標を固定して。王都イレニアでもどこでもかまわないわ。とりあえず、ここからの脱出を最優先で――」
「……お待ちください、貴方達が魔法を使う必要はありません」
レオニールとクロノスの会話を唐突にロイドが遮った。
「あァ?お前、ここから出たくないっていうのか?」
「違うに決まっているでしょう。……皆様、あちらを」
苛立たしげなレオニールの問いを即座に切り捨ててから、ロイドは部屋の最奥の方を指差した。
崩落の揺れの中、目を凝らして見てみると、ロイドが示した方向にいつの間にか光で形作られた扉のようなものが出現していた。
嫌な気配は一切感じられないし、扉から放たれる光はどこかあたたかい。罠の可能性もあるにはあったけれど、今の私達が選べる道は一つしかなかった。
「全員扉まで走って!」
クロノスの号令とともに、この場にいる全員が扉に向かって走り出した。
座り込んでいたウェティはレオニールに抱き上げられ、私はロイドに手を引かれながら走る。ウェティの魔法があるためか、崩落を気に留める者は誰もいない。
そのままなんとか扉まで辿り着くと、先頭を走っていたレオニールが光の扉の先に迷わず飛び込んだ。
私達も彼に続いて光の扉を潜り抜ける。
「“――――――”」
――ふわり。
走り抜ける私達の背中に、風が吹き付ける。
それは数秒にも満たない短い時間で、それほど強いものではなかったけれど。
まるで、誰かに背中を押されたような――そんな錯覚さえ覚えるほどの、優しい風だった。
* * * * * *
走り抜けるように扉をくぐった私達が辿り着いたのは、全員が見覚えのある義賊団の居住区だった。
足を止め、呆然と周囲を見回してみると、教会に行く直前まで使用していたあの大きな客室だということがわかる。
「も、戻ってこれたの……?」
困惑しながら後ろを振り返ってみたものの、先程通り抜けてきたばかりの光の扉など影も形もない。
部屋の中央を陣取る長方形のテーブルの上に、翼の閉じた転送装置がぽつんと置かれているだけだった。
「転送装置の翼が閉じている……これは、どのように解釈すれば良いのでしょうか」
「素直に受け取るのなら、転送装置の効果が切れたということかしら?」
ロイドとクロノスが転送装置を見下ろしながら話をし始める。
そんな彼らを尻目に、私はもう一度後ろを振り返った。
(……何もない。だけど)
空耳かもしれない。ただの気のせいかもしれない。
でも、光の扉を潜り抜けようとした時、私には確かに聞こえたのだ。
――ありがとう、という優しい声が。
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