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第51話
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星空、という言い方では若干語弊があるかもしれない。
けれど目の前の光景を正しく表現するための言葉が咄嗟に思い浮かばなかったのだ。
「わあ……」
古い教会の地下であるはずのこの部屋は、今までのそれよりも数倍は大きく、そして広かった。教会の構造がどうなっているかは知らないが、先程通ってきた女神像と振り子時計の部屋とは比べ物にならないほどの大きさである。
天井は高く、ずっと見ていると首を痛めそうなくらいだが、それでも見上げ続けるのは先程星空と表現した美しい光景がそこにあるからに他ならない。
黒や藍、多くの夜の色が混じり合う中、散らばるように存在する無数の小さな白い光が瞬いている。こんなにも綺麗な夜空であればいくらでも眺めていられそうなものだが、残念ながらここは教会の地下。本物ではない。
本物と見紛うほど精緻で美しい絵画が、天井いっぱいに描かれているだけなのだ。
「綺麗……」
「綺麗ですわね……」
二人並んでほうとため息をつく。
天井画だと頭では理解してはいるものの、時折明滅する星の光はどう見ても本物のそれである。そういう風に見えるだけなのか、何か別の力が働いているのか、そのあたりは私にはわからない。
「これだけ高い天井にどうやって描いたんだろうね。しかも本物そっくりの」
「さあ……わたくしにもわかりませんわ。とても美しい天井画ですけれど、これも何かの仕掛けなのでしょうか?」
「うーん、どうだろ……仕掛けっぽいものはめちゃくちゃいっぱいあるけどね」
私は天井を見上げるのを止め、周囲に視線を走らせた。
今度の部屋も不思議なものばかりが目に付いて、どこから調べようかと迷ってしまいそうになる。
私達を取り囲む壁には、天井の星空とは別の種類の絵が隙間なく描かれていた。太古の壁画、とでも表現すればいいだろうか。人物や植物などさまざまなものが描かれているが、どれも簡略化されている。
描かれた人物の数はそう多くなく、背中に翼の生えた女性と外套姿の男性の二人のみ。しかも壁一枚ごとに絵の種類が異なっているようだった。
空から舞い降りようとする翼の生えた女性に外套姿の男性が手を差し伸べているもの。四季を表現したと思われる風景を背後に二人が寄り添い合って座っているもの。星空の下で二人が杯を交わしているもの。
そして――桃色の花を満開に咲かせた大木の根元で、王冠を頭に被った男性が祈りを捧げているもの。
人物画に描かれているのは顔の輪郭のみで、表情まではわからない。けれどこの王冠を被った男性の顔からだけ、涙が零れ落ちていた。
(なんだろ……これ、どこかで見たような気がする)
壁画の内容に妙な既視感を覚えたけれど、それを追求するのはもう少し後にする。
私は壁画から視線を外し、次に興味を引かれたものに意識を移した。
私達から見て正面となる部屋の奥には、鎧をまとった騎士の彫像が六体あり、そのどれもが杯を手にしていた。正面の壁に描かれている壁画は大木と王冠の男性のものだったけれど、そのちょうど空白部分に沿わせるような自然な形で置かれている。
中心の絵を囲むように、左右に三体ずつ。手の中の杯は鈍い光沢を放っておりそれだけは本物のように見えるが、遠くからだと違いも何もわからない。近くまで行って調べる必要があるだろう。
(他に気になるものと言ったら……あれだよね)
私はさらに視線を巡らせた。
部屋の四隅には獅子をかたどった大きな彫像が鎮座しており、それらすべての視線は部屋の中央にある石碑に向けられていた。獅子の彫像の身体は伏せられ、頭には王冠らしきものが乗っている。奇妙な感覚はすれど、威圧感はあまり感じなかった。
彼らの視線の先にある、部屋の中央に座す石碑にも、例に漏れず何事か記されているようだった。こちらもできるだけ距離を詰めなければ判読は不可能である。
「いろいろ怪しいものはあるけど、肝心の扉がどこにもないね」
部屋の中を一通り眺めてみたけれど、先に進むための扉がどこにも見当たらない。
「ここが最後の部屋ってこと?」
「今の段階ではなんとも言えませんわね……この部屋の仕掛けが解かれた時にわかるといいのですけれど」
「まずは仕掛けを解くしかないのかもしれないね」
そんな会話をしつつ、私達は揃って石碑の方へ歩み寄っていく。
これまでの流れで、石碑には重要なことが書かれているに違いないとお互いわかっていた。だから迷うこともなかったのだが、その判断はまぎれもなく正しいものだった。
「“王の眠りし夜の中
天には星が輝きて
鏡写しの杯に
赦しの水が満たされる
女神の御許に跪き
最期の祝福を捧ぐは誰ぞ”」
目の前の石碑に刻まれた文章は、暗号とも詩ともつかぬ不思議な内容だった。
けれど、これが仕掛けを解くための暗号であることは想像に難くない。
私はウェティが読み上げてくれた文章を反芻しながら、顎に手を当てた。
「うーん……これまたよくわからないものが来たね……」
「ですがこれで手掛かりは得られましたわ。幸い、この部屋には興味を引かれるものがたくさんありますもの。……それに、わたくし、この部屋に入ってから気が付いたことがありますのよ」
「え?」
「この部屋一面に描かれている壁画について、ですけれど。わたくしには創世神話と建国の物語になぞらえた絵物語であるように思えてならないのです」
ウェティの言葉に、私は壁画の方を見やる。
確かに、壁画にある背中に翼の生えた女性と外套を羽織った男性の姿は、演劇で見た女神イルフィナと初代国王の姿に似ているように思える。先程の既視感は、そのせいだったのだろうか。
「実は私もどこかで見覚えがあるなって思ってたの。女神イルフィナとヴィシャール王国の初代国王、ってことだよね?」
「ええ、おそらくはそうでしょう。二人の出会いと別れの再現のように思えますわ。もちろん、確証はありませんけれど」
「そんなことないよ。だって私達、最初からここが女神イルフィナを祀る教会だって考えてたし。それに、この石碑の文章だって神話に関係することかもしれないじゃない?」
ヴィシャール王国に古くから伝わるさまざまな逸話。初代国王と女神イルフィナの悲恋の物語。
無関係ではないと思いたい。
「だとすれば、わたくし達はこちらの碑文を読み解くことから始めなければなりませんわね」
仮説通り、石碑に刻まれた文章が伝承に関係していたとしても、私はそれらにあまり詳しくない。
ここはウェティの知識頼りになってしまうが、こればっかりはどうしようもない話だ。
「王の眠りし夜の中、かあ……そのへんはちょっとわからないけど、二つ目の文章は今の状況に合ってると思うんだよね。ほら、この部屋にも星空はあるし」
一つ目の文章と二つ目の文章に出てくる夜や星という単語から、私は星空を連想した。
天に星が輝く夜――――今まさに頭上に広がるような、美しい星空を。
「夜空の天井画……そう、舞台は整っておりますわね」
ウェティが天井の星空を見上げながら呟いた。
「でしたら、王とはどなたのことなのでしょう。壁画にも描かれている初代国王を指すのでしょうか?」
「仮にもしそうだったとしても、壁画の中に眠っているような絵は無いんだよね」
壁画を調べれば話か進展するだろうか。
いや、もしかすると文面通りの意味ではなく、何かの比喩なのかもしれない。
そんな風に二人で意見を出し合ってみたけれど、しっくりくる答えは見つからない。
私達はとりあえず、室内にあるものを順番に調べていくことにした。
「うーん……」
入り口から右手側へと進み、そっと壁に触れてみる。
右側に描かれている壁画は星空の下で女神と外套姿の男性が杯を交わしているものだ。かなり古い代物だし、むやみやたらに触ると崩れてしまいそうな気がするけれど、私達にはここを出るという目的があるため敢えて目を瞑ることにする。
「またスイッチみたいなものがあるのかな?すぐ見つかるといいんだけど」
「気長にいきましょう、コトハ」
――結論から言えば、右側の壁には特に怪しいところはなかった。
最初は壁伝いにぐるりと一巡するつもりだったが、いきなり正面の騎士の像を調べるのは気が引けたので、飛ばして左側を調べることにする。騎士の像も六体もいればちょっと不気味だし、できれば最後にしたい。
そんな思いが功を奏したのか、部屋の左側の壁を調べ始めて数分後、私達はなんとかスイッチらしきものを見つけることができたのだった。
「こんなところに……」
左側の壁に描かれているのは、四季の移ろいを背に寄り添って座る二人の姿。
その鮮やかな色合いに紛れて、女神と男性のちょうど胸のあたりに、丸い形状の出っ張りが二つ。
私達は見つけた二つの出っ張りを順番に押してみたけれど、何も起こらない。物は試しと押す順番を変えてみても、特に意味はないようだった。
「なんでだろう?絶対これ何かあると思うんだけど」
「……順番に押すのではなく、同時に押すというのはいかがでしょう?」
なるほど、試してみる価値はあるかもしれない。
私達は話し合いの末、二つの出っ張りを分担して押してみることにした。
お互い一つずつ、片手で触れ準備を整える。そして私達は、息を合わせて同時に出っ張りを押し込んだ。
――その直後、私達の耳にどこかで何かが嵌ったような音が聞こえてきた。
思わず顔を見合わせる私達だったけれど、現在進行形で触れている壁の一部――寄り添う女神と外套姿の男が描かれた部分だけがゆっくりと奥に引っ込んでいくのを目にした途端、慌てて手を離す。
(やばい、壊した!?)
まさか壁画自体が動くとは思っておらず、うっかり壊してしまったかもしれないと内心焦ったものの、壁の向こうへと引っ込んでいった部分が一拍の間を置いて徐々に戻ってきたのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
けれど――元通りに嵌め込まれた部分をじっと見つめた後、私はあることに気付いてあっと声を上げた。
元に戻った件の箇所は隙間なくぴったり嵌っており、輪郭や大きさは何も変わっていない。
それなのに、そこには明らかな変化が生まれていた。
「え、うそ……さっきまでの絵と違う!」
スイッチを同時に押す前、壁画の男女はただ寄り添って座っているだけだった。
だけど今、私の視界に映るのは――向かい合って膝立ちになり、互いに両手を取り合う二人の姿。
そしてその周囲を囲むように、八つの丸い窪みがある。それはまるで何かを嵌め込むための穴のようだった。
「まあ…………これはまた随分と面白い仕掛けですわね。絵が変わってしまうだなんて」
「確かに面白い仕掛けだとは思うけどさ……でもこれからどうしよう。また新しい謎が増えちゃった」
「順番に解いていくしかなさそうですわね。さしあたっては、こちらの窪みに嵌める何かを探しましょう」
ウェティの言う通り、次の謎は既に示されている。まずはそちらに集中すべきだろう。
私達はまた、部屋の中の捜索を始めた。
次の仕掛けの鍵は、窪みに嵌る八つの丸いもの。しかし最初に部屋を一通り眺めた時も、周囲を調べながら移動している時も、それらしいものは無かったような気がする。
「……ん?」
――ふいに、視界の端に光る何かを見つけ、私はそちらを振り返る。
消えない松明の火が時折揺れるのに合わせて、部屋の隅に置かれた獅子の彫像の目が、一瞬きらりと光るのが見えた。私達を導いた光の玉のように自分で光を放っているのではなく、ただ明かりを反射しているだけなのだろう。
(……反射?)
何か引っかかる。私は獅子の彫像がある方向をじっと見つめながら、思考を巡らせた。
揺らめく炎を映すということは、そこに光を反射する何かがあるということだ。そう思って獅子の彫像をよく観察していると、光を反射させるのは片方の目だけでなく、その両方であると気が付いた。
私はウェティに調べたいところがあると断りを入れてから、獅子の彫像の方へと足を向ける。
獅子の彫像は、近くで見るとまるで本物をそっくり写し取ったかのような出来栄えだった。本物だったら恐ろしくて近付くことすらできないが、これは作り物だとわかっているので、安心して調べられる。
「……これは、水晶ですわね」
「え?」
獅子の目を調べていたウェティが、驚いたように声を上げた。
「目の部分に水晶玉が嵌め込まれているみたいですわ。獅子の目が炎を反射しているように見えたのはそのせいでしょう。無色透明で……とっても美しいですわね」
「水晶玉か……これって取れるのかな?」
獅子の両目に嵌め込まれた球状の水晶玉。大きさ的にも、壁の窪みにぴったり合いそうだ。
私は獅子の彫像に触れ、両手で水晶玉を引っ張ってみる。
すると軽く抵抗はあったものの、比較的すんなり外すことができた。
「やった、外れた!」
「まあ!わたくしもやってみますわね!」
私が喜びの声を上げると、ウェティももう片方の水晶玉を外し始める。
両目に嵌め込まれた水晶玉が取り外されると同時に、どういう仕掛けなのか獅子の彫像の瞼が自動的に下りていく。完全に目を閉じた獅子の彫像は、伏せた身体と相まってまるで眠っているようだった。
「……わたくし、わかったかもしれません」
「え?」
獅子の彫像を呆然と眺めながら、ウェティが呟いた。
「獅子は……そう、百獣の王とも呼ばれます。そして今、わたくし達が水晶玉を外したことで獅子の瞳は閉じられました。碑文の“王の眠りし夜の中”とは――このことだったのではなくて?」
ウェティの言葉に、私は軽く身震いした。
獅子の彫像は、私達の手によって眠るように目を閉じた。王は、星空の下で眠りについた。
――まさしく、碑文通りである。
「ちょっとぞくっとしちゃった……」
「実はわたくしも……けれどわたくし達が順調に進んでいるという証でもありますわよね?」
「そう、だね。とりあえず、この二つが窪みに嵌るかどうか確認してみようよ」
私達は水晶玉を落とさないよう注意しながら先程の場所へと戻り、壁の窪みに一つずつ嵌め込んでみた。
予想通り、水晶玉は壁の窪みにぴったりと嵌り、落ちたり外れたりすることもない。
さらに付け加えると、二つの水晶玉は窪みに嵌め込んだ後からぼんやりと穏やかな光を放つようになり、私達の考えが合っていることを証明してくれているみたいだった。
残りの穴は後六つ。手を付けていない三体の獅子の彫像から水晶玉を集めてくれば、ちょうど間に合う計算だ。
私達は獅子の彫像から水晶玉を取り外し、壁の窪みに嵌め込むという作業を何度か行った。
目蓋を閉じる獅子が増えるたび、光を内包する水晶玉の数も増えていく。
そうして、八つの水晶玉が揃った直後のことだった。
壁に嵌め込まれた八つの水晶玉から出現した細い光の筋が、その中心に向かって道を作っていく。八本の光の筋が、その中心に描かれた女神と男性に到達すると、彼らの姿も薄く発光し始めた。
そしてその光は私達の頭上を越えて反対側へと飛んで行き、部屋の中央にある石碑に吸い込まれた。
石碑はしばらく沈黙を保っていたけれど、やがて碑文の文字が光とともに浮かび上がったかと思うと、その背後に大きな金の杯を出現させる。
溢れんばかりの水で満たされた、大きな金の杯。
息を呑み立ち尽くすしかなかった私達の前に、次の謎が示された。
けれど目の前の光景を正しく表現するための言葉が咄嗟に思い浮かばなかったのだ。
「わあ……」
古い教会の地下であるはずのこの部屋は、今までのそれよりも数倍は大きく、そして広かった。教会の構造がどうなっているかは知らないが、先程通ってきた女神像と振り子時計の部屋とは比べ物にならないほどの大きさである。
天井は高く、ずっと見ていると首を痛めそうなくらいだが、それでも見上げ続けるのは先程星空と表現した美しい光景がそこにあるからに他ならない。
黒や藍、多くの夜の色が混じり合う中、散らばるように存在する無数の小さな白い光が瞬いている。こんなにも綺麗な夜空であればいくらでも眺めていられそうなものだが、残念ながらここは教会の地下。本物ではない。
本物と見紛うほど精緻で美しい絵画が、天井いっぱいに描かれているだけなのだ。
「綺麗……」
「綺麗ですわね……」
二人並んでほうとため息をつく。
天井画だと頭では理解してはいるものの、時折明滅する星の光はどう見ても本物のそれである。そういう風に見えるだけなのか、何か別の力が働いているのか、そのあたりは私にはわからない。
「これだけ高い天井にどうやって描いたんだろうね。しかも本物そっくりの」
「さあ……わたくしにもわかりませんわ。とても美しい天井画ですけれど、これも何かの仕掛けなのでしょうか?」
「うーん、どうだろ……仕掛けっぽいものはめちゃくちゃいっぱいあるけどね」
私は天井を見上げるのを止め、周囲に視線を走らせた。
今度の部屋も不思議なものばかりが目に付いて、どこから調べようかと迷ってしまいそうになる。
私達を取り囲む壁には、天井の星空とは別の種類の絵が隙間なく描かれていた。太古の壁画、とでも表現すればいいだろうか。人物や植物などさまざまなものが描かれているが、どれも簡略化されている。
描かれた人物の数はそう多くなく、背中に翼の生えた女性と外套姿の男性の二人のみ。しかも壁一枚ごとに絵の種類が異なっているようだった。
空から舞い降りようとする翼の生えた女性に外套姿の男性が手を差し伸べているもの。四季を表現したと思われる風景を背後に二人が寄り添い合って座っているもの。星空の下で二人が杯を交わしているもの。
そして――桃色の花を満開に咲かせた大木の根元で、王冠を頭に被った男性が祈りを捧げているもの。
人物画に描かれているのは顔の輪郭のみで、表情まではわからない。けれどこの王冠を被った男性の顔からだけ、涙が零れ落ちていた。
(なんだろ……これ、どこかで見たような気がする)
壁画の内容に妙な既視感を覚えたけれど、それを追求するのはもう少し後にする。
私は壁画から視線を外し、次に興味を引かれたものに意識を移した。
私達から見て正面となる部屋の奥には、鎧をまとった騎士の彫像が六体あり、そのどれもが杯を手にしていた。正面の壁に描かれている壁画は大木と王冠の男性のものだったけれど、そのちょうど空白部分に沿わせるような自然な形で置かれている。
中心の絵を囲むように、左右に三体ずつ。手の中の杯は鈍い光沢を放っておりそれだけは本物のように見えるが、遠くからだと違いも何もわからない。近くまで行って調べる必要があるだろう。
(他に気になるものと言ったら……あれだよね)
私はさらに視線を巡らせた。
部屋の四隅には獅子をかたどった大きな彫像が鎮座しており、それらすべての視線は部屋の中央にある石碑に向けられていた。獅子の彫像の身体は伏せられ、頭には王冠らしきものが乗っている。奇妙な感覚はすれど、威圧感はあまり感じなかった。
彼らの視線の先にある、部屋の中央に座す石碑にも、例に漏れず何事か記されているようだった。こちらもできるだけ距離を詰めなければ判読は不可能である。
「いろいろ怪しいものはあるけど、肝心の扉がどこにもないね」
部屋の中を一通り眺めてみたけれど、先に進むための扉がどこにも見当たらない。
「ここが最後の部屋ってこと?」
「今の段階ではなんとも言えませんわね……この部屋の仕掛けが解かれた時にわかるといいのですけれど」
「まずは仕掛けを解くしかないのかもしれないね」
そんな会話をしつつ、私達は揃って石碑の方へ歩み寄っていく。
これまでの流れで、石碑には重要なことが書かれているに違いないとお互いわかっていた。だから迷うこともなかったのだが、その判断はまぎれもなく正しいものだった。
「“王の眠りし夜の中
天には星が輝きて
鏡写しの杯に
赦しの水が満たされる
女神の御許に跪き
最期の祝福を捧ぐは誰ぞ”」
目の前の石碑に刻まれた文章は、暗号とも詩ともつかぬ不思議な内容だった。
けれど、これが仕掛けを解くための暗号であることは想像に難くない。
私はウェティが読み上げてくれた文章を反芻しながら、顎に手を当てた。
「うーん……これまたよくわからないものが来たね……」
「ですがこれで手掛かりは得られましたわ。幸い、この部屋には興味を引かれるものがたくさんありますもの。……それに、わたくし、この部屋に入ってから気が付いたことがありますのよ」
「え?」
「この部屋一面に描かれている壁画について、ですけれど。わたくしには創世神話と建国の物語になぞらえた絵物語であるように思えてならないのです」
ウェティの言葉に、私は壁画の方を見やる。
確かに、壁画にある背中に翼の生えた女性と外套を羽織った男性の姿は、演劇で見た女神イルフィナと初代国王の姿に似ているように思える。先程の既視感は、そのせいだったのだろうか。
「実は私もどこかで見覚えがあるなって思ってたの。女神イルフィナとヴィシャール王国の初代国王、ってことだよね?」
「ええ、おそらくはそうでしょう。二人の出会いと別れの再現のように思えますわ。もちろん、確証はありませんけれど」
「そんなことないよ。だって私達、最初からここが女神イルフィナを祀る教会だって考えてたし。それに、この石碑の文章だって神話に関係することかもしれないじゃない?」
ヴィシャール王国に古くから伝わるさまざまな逸話。初代国王と女神イルフィナの悲恋の物語。
無関係ではないと思いたい。
「だとすれば、わたくし達はこちらの碑文を読み解くことから始めなければなりませんわね」
仮説通り、石碑に刻まれた文章が伝承に関係していたとしても、私はそれらにあまり詳しくない。
ここはウェティの知識頼りになってしまうが、こればっかりはどうしようもない話だ。
「王の眠りし夜の中、かあ……そのへんはちょっとわからないけど、二つ目の文章は今の状況に合ってると思うんだよね。ほら、この部屋にも星空はあるし」
一つ目の文章と二つ目の文章に出てくる夜や星という単語から、私は星空を連想した。
天に星が輝く夜――――今まさに頭上に広がるような、美しい星空を。
「夜空の天井画……そう、舞台は整っておりますわね」
ウェティが天井の星空を見上げながら呟いた。
「でしたら、王とはどなたのことなのでしょう。壁画にも描かれている初代国王を指すのでしょうか?」
「仮にもしそうだったとしても、壁画の中に眠っているような絵は無いんだよね」
壁画を調べれば話か進展するだろうか。
いや、もしかすると文面通りの意味ではなく、何かの比喩なのかもしれない。
そんな風に二人で意見を出し合ってみたけれど、しっくりくる答えは見つからない。
私達はとりあえず、室内にあるものを順番に調べていくことにした。
「うーん……」
入り口から右手側へと進み、そっと壁に触れてみる。
右側に描かれている壁画は星空の下で女神と外套姿の男性が杯を交わしているものだ。かなり古い代物だし、むやみやたらに触ると崩れてしまいそうな気がするけれど、私達にはここを出るという目的があるため敢えて目を瞑ることにする。
「またスイッチみたいなものがあるのかな?すぐ見つかるといいんだけど」
「気長にいきましょう、コトハ」
――結論から言えば、右側の壁には特に怪しいところはなかった。
最初は壁伝いにぐるりと一巡するつもりだったが、いきなり正面の騎士の像を調べるのは気が引けたので、飛ばして左側を調べることにする。騎士の像も六体もいればちょっと不気味だし、できれば最後にしたい。
そんな思いが功を奏したのか、部屋の左側の壁を調べ始めて数分後、私達はなんとかスイッチらしきものを見つけることができたのだった。
「こんなところに……」
左側の壁に描かれているのは、四季の移ろいを背に寄り添って座る二人の姿。
その鮮やかな色合いに紛れて、女神と男性のちょうど胸のあたりに、丸い形状の出っ張りが二つ。
私達は見つけた二つの出っ張りを順番に押してみたけれど、何も起こらない。物は試しと押す順番を変えてみても、特に意味はないようだった。
「なんでだろう?絶対これ何かあると思うんだけど」
「……順番に押すのではなく、同時に押すというのはいかがでしょう?」
なるほど、試してみる価値はあるかもしれない。
私達は話し合いの末、二つの出っ張りを分担して押してみることにした。
お互い一つずつ、片手で触れ準備を整える。そして私達は、息を合わせて同時に出っ張りを押し込んだ。
――その直後、私達の耳にどこかで何かが嵌ったような音が聞こえてきた。
思わず顔を見合わせる私達だったけれど、現在進行形で触れている壁の一部――寄り添う女神と外套姿の男が描かれた部分だけがゆっくりと奥に引っ込んでいくのを目にした途端、慌てて手を離す。
(やばい、壊した!?)
まさか壁画自体が動くとは思っておらず、うっかり壊してしまったかもしれないと内心焦ったものの、壁の向こうへと引っ込んでいった部分が一拍の間を置いて徐々に戻ってきたのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
けれど――元通りに嵌め込まれた部分をじっと見つめた後、私はあることに気付いてあっと声を上げた。
元に戻った件の箇所は隙間なくぴったり嵌っており、輪郭や大きさは何も変わっていない。
それなのに、そこには明らかな変化が生まれていた。
「え、うそ……さっきまでの絵と違う!」
スイッチを同時に押す前、壁画の男女はただ寄り添って座っているだけだった。
だけど今、私の視界に映るのは――向かい合って膝立ちになり、互いに両手を取り合う二人の姿。
そしてその周囲を囲むように、八つの丸い窪みがある。それはまるで何かを嵌め込むための穴のようだった。
「まあ…………これはまた随分と面白い仕掛けですわね。絵が変わってしまうだなんて」
「確かに面白い仕掛けだとは思うけどさ……でもこれからどうしよう。また新しい謎が増えちゃった」
「順番に解いていくしかなさそうですわね。さしあたっては、こちらの窪みに嵌める何かを探しましょう」
ウェティの言う通り、次の謎は既に示されている。まずはそちらに集中すべきだろう。
私達はまた、部屋の中の捜索を始めた。
次の仕掛けの鍵は、窪みに嵌る八つの丸いもの。しかし最初に部屋を一通り眺めた時も、周囲を調べながら移動している時も、それらしいものは無かったような気がする。
「……ん?」
――ふいに、視界の端に光る何かを見つけ、私はそちらを振り返る。
消えない松明の火が時折揺れるのに合わせて、部屋の隅に置かれた獅子の彫像の目が、一瞬きらりと光るのが見えた。私達を導いた光の玉のように自分で光を放っているのではなく、ただ明かりを反射しているだけなのだろう。
(……反射?)
何か引っかかる。私は獅子の彫像がある方向をじっと見つめながら、思考を巡らせた。
揺らめく炎を映すということは、そこに光を反射する何かがあるということだ。そう思って獅子の彫像をよく観察していると、光を反射させるのは片方の目だけでなく、その両方であると気が付いた。
私はウェティに調べたいところがあると断りを入れてから、獅子の彫像の方へと足を向ける。
獅子の彫像は、近くで見るとまるで本物をそっくり写し取ったかのような出来栄えだった。本物だったら恐ろしくて近付くことすらできないが、これは作り物だとわかっているので、安心して調べられる。
「……これは、水晶ですわね」
「え?」
獅子の目を調べていたウェティが、驚いたように声を上げた。
「目の部分に水晶玉が嵌め込まれているみたいですわ。獅子の目が炎を反射しているように見えたのはそのせいでしょう。無色透明で……とっても美しいですわね」
「水晶玉か……これって取れるのかな?」
獅子の両目に嵌め込まれた球状の水晶玉。大きさ的にも、壁の窪みにぴったり合いそうだ。
私は獅子の彫像に触れ、両手で水晶玉を引っ張ってみる。
すると軽く抵抗はあったものの、比較的すんなり外すことができた。
「やった、外れた!」
「まあ!わたくしもやってみますわね!」
私が喜びの声を上げると、ウェティももう片方の水晶玉を外し始める。
両目に嵌め込まれた水晶玉が取り外されると同時に、どういう仕掛けなのか獅子の彫像の瞼が自動的に下りていく。完全に目を閉じた獅子の彫像は、伏せた身体と相まってまるで眠っているようだった。
「……わたくし、わかったかもしれません」
「え?」
獅子の彫像を呆然と眺めながら、ウェティが呟いた。
「獅子は……そう、百獣の王とも呼ばれます。そして今、わたくし達が水晶玉を外したことで獅子の瞳は閉じられました。碑文の“王の眠りし夜の中”とは――このことだったのではなくて?」
ウェティの言葉に、私は軽く身震いした。
獅子の彫像は、私達の手によって眠るように目を閉じた。王は、星空の下で眠りについた。
――まさしく、碑文通りである。
「ちょっとぞくっとしちゃった……」
「実はわたくしも……けれどわたくし達が順調に進んでいるという証でもありますわよね?」
「そう、だね。とりあえず、この二つが窪みに嵌るかどうか確認してみようよ」
私達は水晶玉を落とさないよう注意しながら先程の場所へと戻り、壁の窪みに一つずつ嵌め込んでみた。
予想通り、水晶玉は壁の窪みにぴったりと嵌り、落ちたり外れたりすることもない。
さらに付け加えると、二つの水晶玉は窪みに嵌め込んだ後からぼんやりと穏やかな光を放つようになり、私達の考えが合っていることを証明してくれているみたいだった。
残りの穴は後六つ。手を付けていない三体の獅子の彫像から水晶玉を集めてくれば、ちょうど間に合う計算だ。
私達は獅子の彫像から水晶玉を取り外し、壁の窪みに嵌め込むという作業を何度か行った。
目蓋を閉じる獅子が増えるたび、光を内包する水晶玉の数も増えていく。
そうして、八つの水晶玉が揃った直後のことだった。
壁に嵌め込まれた八つの水晶玉から出現した細い光の筋が、その中心に向かって道を作っていく。八本の光の筋が、その中心に描かれた女神と男性に到達すると、彼らの姿も薄く発光し始めた。
そしてその光は私達の頭上を越えて反対側へと飛んで行き、部屋の中央にある石碑に吸い込まれた。
石碑はしばらく沈黙を保っていたけれど、やがて碑文の文字が光とともに浮かび上がったかと思うと、その背後に大きな金の杯を出現させる。
溢れんばかりの水で満たされた、大きな金の杯。
息を呑み立ち尽くすしかなかった私達の前に、次の謎が示された。
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