トリップ×ファンタジア

水月華

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第49話

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「ここはどこなのでしょう……」

 私の隣で、戸惑った表情を浮かべたウェティが周囲をきょろきょろと見渡している。確認はできないけれど、きっと私も同じような表情を浮かべていることだろう。

「わかんない……でも教会みたいだよね」

 呟きじみた小さな声が、広い空間内に反響する。
 視線の先にはぼろぼろになった木製の長椅子が等間隔に並び、そのうち幾つかは老朽化によるものなのかかろうじて原型を留めている程度に朽ちていた。壁や柱には独特の紋様が描かれており、部屋の最奥には一対の翼を背に祈りを捧げる女性の彫像が立っている。女神像、のようなものだろうか。全体的に薄汚れていて古い建物のように見えるのに、それだけが真新しく際立っていて、私にはそれがとても異質に思えてならなかった。
 天井は高く、ドレスを着た女性とマントを羽織った男性が描かれたステンドグラスが嵌め込まれている。日の光が当たればさらに美しく見えるのだろうが、生憎窓の向こうは薄暗く、青白い光だけが零れ落ちていた。

「今って朝のはずだよね?それにしては薄暗くない?」

 ――そう、薄暗いのである。
 私達が話し合いを行っていた時間は、確かに朝だったはずなのに。
 けれどどれほど目を凝らしても、ステンドグラスの向こうに太陽の光を見つけることはできなかった。

「うーん、天気が悪いだけ?でもそれにしては……何かおかしい気がする」
「ええ、わたくしもそう思いますわ。視界が確保できる程度の暗さといえど、これではまるで夜中のよう……あのステンドグラスから落ちる光はもしかして月明かりなのでしょうか?」
「どうなんだろう……すべてがおかしいことは確かだと思うんだけど……」
「わたくし達、いったいどちらへ飛ばされてしまったのでしょう……」

 ウェティの台詞を最後に、しばしの沈黙が下りる。
 事の発端は、例の転送装置が偶然にも発動してしまったことだった。何かの拍子に装置の発動条件を満たしてしまったために起こったことだと考えられるが、それが何だったのかは私にも見当がつかない。わかるのは、私達二人が知らない場所に転移してしまったという明確な事実だけだ。
 ここはどこなのか、私達はこれからどうしたらいいのか――疑問ばかり浮かぶのに、解決策は何も浮かばない。
 正直なところ、不安でたまらない。だけど少しでも前に進むためには、ここで二人立ち止まっているわけにはいかなかった。

「ねえ、ちょっと調べてみない?何かわかるかもよ?」

 幸い、判断材料となりそうなものはたくさん転がっている。調べてみる価値はありそうだ。

「そうですわね。……ねえコトハ。わたくしの手を離さないでくださいましね」

 ウェティは私の提案に大きく頷いてくれたけれど、やはり不安は隠せないのだろう。私の両手をぎゅっと握りしめている。
 本当は、二人とも怖いのだ。でも、膝を抱えてうずくまっていても何も解決しないのは目に見えているから、ただ行動するのみだ。

「……うん。私もほんとはものすごく怖かったんだ」

 薄く笑って本音を口にすれば、ウェティも微笑み返してくれる。私達は片手を繋いだまま、建物内部の探索を始めた。
 足を動かすたびに、ざり、と靴の裏が砂のようなものを踏む。床には砂埃やら木屑やらが散乱していて、長い間人の手が入っていないことを物語っている。椅子はたくさんあるものの、掃除をしなければとてもではないが座ることなどできないだろう。

「とても古い教会のようですわね……きっと想像もつかない程の長い年月を経ているのでしょう」
「誰かここを管理している人とかいないのかな?」
「内部の状態を見るに、管理者のような存在はいないと推測されますわ。そうでなければ神聖なはずの教会がここまで汚れることはなかったでしょう」

 会話を続けながらも、私達の視線は常に何かを探るように動いていた。
 よく見えないけれど、部屋の隅には塵や埃がうず高く積もっている。内壁をはじめ、すべての設備は本来とても美しいものであろうことが予想できるだけに、汚れでくすんでしまっているのは少し残念だ。

「あの奥の女の人の像は何なんだろう?」

 私は部屋の奥に立つ女性の彫像を指差した。

「女神像のようですけれど……ここからではよく見えませんわね。もう少し近付きませんと」
「近くまで行ってみよう」

 私達はゆっくりと奥へと進み、祈りを捧げる女性の彫像の前で立ち止まった。
 女性の彫像は石造りの台座の上に置かれているため、近くから全体を見るためには少しだけ見上げなければならない。
 台座の上に裸足で立ち、両手を組み合わせて祈る女性の彫像は、青白い光を受けてどこか神聖な雰囲気を醸し出していた。両の瞳は閉じられていたが、その表情はうっすら微笑んでいるようにも見える。たなびく長い髪と身体に触れる衣服の皺まで細かく表現されていて、素人の目から見ても見事な細工だと感じた。
 いくら眺めてみても、経年劣化の痕跡などは一切見当たらない。他の調度品のように、埃に塗れることなくただ美しいままそこに在ること自体が不思議に思えてならなかった。

「これは――――女神イルフィナの像、ですわね」
「えっ?ウェティ、わかるの?」

 ぽつりと呟かれた言葉に驚いてウェティの方を見やれば、彼女の視線は女神像でなく台座の方に向けられていた。つられてそちらを見てみると、女神像が乗った台座には女神イルフィナの名が刻まれているようだった。

「ここに刻まれた名前が間違いでなければ、ですけれど」

 ウェティは台座の文字を手でなぞってから、ふいに私の方に顔を向ける。

「コトハ。貴女はヴィシャール王国に古くから伝わる神話と建国の物語をご存知?」
「うーん、ちょっとだけ。花祭りで演劇を見ただけだからそんなに詳しくないよ」
「それでかまいませんわ。大衆演劇によく用いられる物語はいずれも同じような伝承を基にしておりますもの。女神イルフィナと初代国王の恋物語。ええ、わたくしも見たことがありますわ」

 とても素敵なお話ですわよね、とウェティは微笑んだ。

「女神像はヴィシャール王国だけでなく、他国にももちろん存在しています。崇める神はそれぞれ違いますけれど、女神イルフィナを祀る教会や神殿を数多く有する国家は今やヴィシャール王国のみなのですわ。それを踏まえると、わたくし達がいるこの教会の位置は、おのずとヴィシャール王国のどこかに限定されるのです」
「な、なるほど……」

 探索を始めてから数分、集まった情報なんてほとんど無いに等しかったのに。
 女神イルフィナの名を冠した女神像だけで、ここまで考えが及ぶなんて。

「ウェティが博識で助かったよ……私じゃこうはいかないから」
「博識、というほどではありませんけれど……もともと読書が好きでしたから、そう見えるならそのせいかもしれませんわ。お恥ずかしながら、先程の内容も本の受け売りでしかありませんもの」

 ウェティは恥ずかしそうに笑ってから、女神像の方に視線を向ける。

「それに、まだ推論の域を出ていませんわ。ヴィシャール王国の歴史を語る上で切り離すことができないのが女神イルフィナという存在ですけれど、どうにも情報が少なすぎます。もう少しここを調べる必要がありそうですわね」
「うん。そうだね」

 私はウェティに頷き返してから、他に何か目につくようなものはないものかと視線を巡らせる。
 そこで、私はあることに気が付いた。

(見間違いかもしれないけど……ここ、もしかして入り口が無い?)

 私達は転送装置の力でここにやってきたため、入り口を通るという正規の手順を踏んでいない。教会という人が多く出入りする場所であるのなら、扉や門などの最低限の設備、もしくは穴のようなものがあると考えていいはずだ。けれど、どこを見てもそれらしきものは見当たらない。
 窓を割って出入りしようにも、それらはすべて天井高くにあり、脚立などの足場がなければどうしようもない。万が一窓を割ることができたとしても、外に出るにはそこから飛び降りるしかないが、怪我を負うことなく無事に脱出できるかどうかはまた別問題である。

(あっ、これ詰んだかも)

 出入り口の存在しない密室の中、あるかもわからない手掛かりを探す。
 なんだか途方もない作業にさえ思えてきて、内心ため息をつく。不安がまた胸中を埋め尽くしそうになったけれど、それを表に出してはいけないと私は胸元を片手で抑えた。

「コトハ。少しこちらへ」
「え?」

 突然ウェティに繋いだ手を引かれ、思考の淵に沈みかけていた私の意識は強制的に彼女に移る。
 何か見つけたのだろうか。疑問に思いながらもウェティに着いていくと、彼女は女神像の裏手で足を止めた。

「引き続き女神像を調べておりましたら、台座の裏にも何か刻まれているのが見えましたの。後ろに回らなければよく見えませんでしたので移動したのですけれど……こちらをご覧になって」
「ええと……“女神の御手みては何を護るか”……?」

 ウェティの言った通り、台座の裏には文字が刻まれていた。
 しかし、その文章の意図がわからない。女神像という作品自体に捧げられた言葉なのか、それとも別の意味を持つものなのか――私には判断できそうもなかった。

「どういう意味だろうね」
「暗号のようにも見えますけれど、これだけでは…………あ、待って。まだ何かあるようですわ」

 ウェティが指差した方向を注視すると、最初に読み上げた文章のずっと下、台座のほとんど床に近い位置に、小さく何かが書かれているのが見えた。私達は服が汚れるのも構わず、二人揃って床に膝をつく。
 それは台座に刻まれたものではなく、明らかに後から付け加えられたような、まるで走り書きのような文章だった。

「“こうべを垂れよ。女神への礼を失するな。さすれば道は開かれん”……ウェティ、これって」

 思わずウェティの方を見ると、彼女も私と同じことを考えたのか神妙な顔で頷いていた。

「……ええ。これは何かあるとみて間違いないと思いますわ。頭を垂れよ、礼を失するな……女神像に祈りを捧げよということでしょうか」
「そういうことなのかな?やってみる価値はあると思う」

 やっと見つけた大事な手掛かりだ、どんどん試してみるべきだろう。
 私達は女神像の正面に移動すると、床に両膝をついた。祈りを捧げると一口に言っても、私は正しいやり方がわからなかったので、とりあえずウェティの見よう見まねで胸の前で両手を組み合わせてみる。どうやら後は目を閉じて頭を下げればいいだけのようなので、私はその通りにやってみることにした。
 目蓋の裏に暗闇が広がると同時に、教会内に静寂が満ちる。
 ただよう静けさに身を任せてもさほど恐怖を感じないのは、隣にウェティがいてくれるからだろうか――そんなことを考えながら、私は女神像に意識を傾ける。

(ウェティと一緒にここから出られますように。仲間の元に帰れますように)

 こういう時、何を祈ればいいのだろう。よくわからないから願い事のようになってしまったけれど、はたしてこれでよかったのだろうか。
 内心疑問に思いつつ、私はそっと目を開けた。

「……え」

 顔を上げて周囲を確認してみても、目に見えて大きな変化はみられない。
 けれども、視線の先の台座に――ひざまずいたまま真っ直ぐ顔を上げた時の目線の位置に、円状の不自然な出っ張りがあることに気が付いた瞬間、どくんと心臓が跳ねる音がした。

「ね、ねえ!ウェティ、あれ!」

 慌ててウェティを呼んで見つけたものを指し示せば、彼女は一瞬驚いたような表情をしてから、納得したように頷いていた。

「女神像の台座の下方……この位置は頭を下げなければ見えない場所。そしてこの出っ張りはわたくし達が跪くまで一切感知することができなかった……祈りを捧げるために膝を折ることで、初めて見えるようになったととらえて良いのでしょうか」

 確かに、先程ウェティと一緒に調べた時には見つけられなかったものだ。
 女神を祀る古い教会だからこそ、そういった仕掛けを用意していたのかもしれない。

「さっき台座も一通り触って調べたのに見つけられなかったもんね。魔法でもかかっているのかな?」
「これほどに古い教会ですもの。魔法を用いた仕掛けがあってもおかしくありませんわ。女神を敬う心を忘れなければすぐに見つけられる、ということなのかもしれませんわね」

 そう締めくくってから、ウェティは私の方をじっと見つめながら「どうなさいますか」と問いを投げかけてくる。たった今見つけた新たな情報の処遇を私に委ねるということだろうか。
 それが何のために存在しているのかとか、危険は無いのかとか、気にすべき点は確かにたくさんある。
 それでも、閉じ込められた私達が選べる道は一つしかないのだ。

「私が押すよ。いいよね?」

 念を押すようにウェティの方を見ると、彼女は静かに頷いて了承の意を示す。
 私は女神像に近付くと、意を決して台座の出っ張りを掴んでゆっくりと押した。

 ――事が起こったのは、それから数秒後のことだった。
 
 女神像の両手が突然光に包まれたかと思うと、そこから手のひらほどの大きさの光の玉が生まれ、すぐに床へと落下した。光の玉が床に触れた瞬間、教会全体に響き渡るほど大きな地鳴りがし始め、私達のすぐ傍の床が少しずつ抜けるように、一部分からゆっくりと下に落ちていく。
 私達はこのままでは危険だと判断し、咄嗟に女神像から距離を取った。その間にも、変化は止まらない。
 まるで崩落していくかのように次々と下に落ちていくさまは、よくよく見れば規則性があったのだが、それに私達が気付く頃にはすべてが終わっていた。
 女神像の正面に空いた大穴をしばらく呆然と眺めていた私達だったけれど、やがてどちらからともなく動き出し、おそるおそるそちらに近付いていった。

「……か、階段だ……」

 大穴の淵に立った瞬間、私の目に飛び込んできたのは大きな階段だった。
 階段は人が数人並んでも余裕で歩けそうなほど大きく、そして長かった。
 これがどこへ続いているかなんて、今の私達に知る術はない。知ることができるのは、この先へ足を踏み入れた者のみだ。

「コトハ、女神像がまた!」

 ウェティの言葉に弾かれたように顔を上げれば、女神像の両手がまた光を放っているのが見えた。
 今度は何が始まるのだろう、と身構えていると、女神像からさらに光の玉が零れ落ちて、ふわふわと階段の奥に向かって飛んで行く。光の玉の動きはひどく緩慢で、まるで私達を先導しているようだった。

「……先へ進むしかなさそうですわね」

 ウェティの落ち着き払った静かな声が、すべてを物語っていた。
 私とウェティは頷き合うと、光の玉の後を追うようにゆっくりと階段を下りていった。
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