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第六話 魔族の現状
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「――――ふむ、それで魔王に残った生命力を生贄にして男の命を救った、か。ハヅキ、惚れておったのか?」
ティータの少しからかうような口調に、葉月はたちまち赤く染まった頬を膨らませて抗議した。
クールさを装ってはいるが、実は非常に気が短いのが葉月の嘘偽らざる本性だった。
「ち、違うわ! 彼はその……初めて……身内以外で陰鬼としての私をかばってくれた他人だったから……」
家族以外で葉月をかばってくれたのは、当麻が本当に初めての存在だった。
もちろん表面的には葉月に好意を寄せてくれる人間は多かったが、葉月が異能であり、しかも陰鬼であることまで理解してなお当麻が受け入れてくれたことは、葉月にとって命を賭けるに足りる十分な出来事であったのである。
ぼっちゆえのすりこみと言えなくもないが。
「まあ、そういうことにしておくが……」
「だから惚れてなんていなかったってば!」
「……惚れていないのはわかった……あまりムキになると今まで男に縁がなかったのが丸わかりだぞ」
「うぐっ!」
事情が事情であったとはいえ、一人の乙女でもある葉月にとって、男に縁のないぼっちであったというティータの指摘はぐさりと肺腑を貫くには十分な一言であった。
「生贄に捧げられたはずの葉月の魂と身体が何故このアヴァロンにやってきたか、ということには仮説をたてられぬことはないの。会った時からわかっておったが葉月には間違いなく魔王の血がかなり色濃く流れておる。それほどに濃い血がどうして千年以上も保存されたのかは疑問だが」
打って変わったかのようにティータの顔が真顔になったのに気付いて、葉月は思わず姿勢を正す。
「私が魔王の血を引いているのがティータにわかった?」
素朴な疑問を感じて葉月は首を傾げた。
その小動物的な可愛らしさに、ティータの両手がわきわきと触手のように蠢いた。
日本にいたときは一切警戒を解かなかった葉月を知るものにとっては、目を疑うような無防備で愛らしい仕草だった。
御防人などという組織のない異世界であるせいもあるのだろう。
「――――なんとなれば妾もまた魔王の血を引いているゆえな。だから妾とハヅキは家族も同然。ゆえに妾にはハヅキを抱きしめる権利がある!」
「なんですか! その超理論は!」
「妾が初めて出会う父上と母上以外の家族がまさかこんなにも可愛らしい生き物であったとは――これが天意か!」
「か、かわいいって…………」
鼻息を荒くしたティータは、滾る欲情のままに葉月の小さな身体を抱き寄せた。
「ひゃんっ! ちょっ、どこ触ってるのティータのエッチ!」
「家族というものは、お互いに尻を撫であうのが親愛表現ではないのか?」
「そんな家族がいてたまりますかあああ!!」
いかにも心外そうに唇を突きだすティータを、葉月は満身の力を籠めて突き離すのだった。
だが明け透けなティータの好意と、異世界という環境による解放感が葉月には心地よいものに感じられたために突き放す力はひどく弱いものであった。
それにしても、こんな近くでひと肌のぬくもりを感じるのはいつ以来だろうか。
死んだ兄に抱かれて眠った、あの幼い日以来のことかもしれない、と葉月は思う。
そう考えると、理性が主張する恥ずかしさに反してティータのぬくもりを得たいという欲望に、葉月は駆られてしまうのだった。
「ハヅキにはどうもスキンシップが足りぬようじゃの」
「…………私は慎み深い女なの! ……べ、別にスキンシップが嫌いというわけではないけれど」
言葉では文句を言いつつも抵抗する様子のない葉月は、まるでお見通しだ、と言わんばかりにティータに優しく背中を撫でられて、諦めたようにおとなしくティータの肩に小さな頭を寄せたのであった。
「それでおそらくハヅキの先祖にあたる魔王なのじゃが……おそらく妾の祖父にあたるシヴァと考えて間違いはない」
「ティータの御祖父ちゃん?」
そう考えると途端に魔王が身近に感じられるのだから現金なものだ、と葉月は思う。
もっとも千年も前の先祖がティータの祖父であるからといって、気が遠くなるような遠い血縁が確認できるにすぎないのだが。
「話は何故シヴァがハヅキの世界に飛ばされたかという話になるのじゃが……」
ふう、とティータはため息を漏らしてゆっくりと立ち上がった。
「茶でも入れよう。長い話になるゆえの」
ほのかな甘い香りが葉月の鼻をくすぐった。
実は密かにお茶が趣味であった葉月は、木苺に近いその香りから、フランボワーズに近いものであろうと察しをつけた。
素朴な飾り気のないカップにお茶を注ぐと、ティータはその湯気にむかって、ほっと息を吹きかけると同時に話し出す。
「――――この世界の名をアヴァロンという。東方大陸コン=ロンと西方大陸ティルナ=ノーグからなる世界じゃ。このシュワルツブラッケは西方大陸のほぼ中心部にあるニブルヘイム樹海の最奥……人跡未踏の秘境というやつじゃな」
道理でティータ以外に誰も見ないと思った、と葉月は首肯する。
「アヴァロンを有史以来支配していたのは魔王であった。そのことに誰も疑問など感じることもなかったのじゃがな。いつしかそれをよしとせぬ者が現れる。――人間族じゃ」
ティータは先ほどまでとは打って変わって、沈鬱そうに眉を顰めた
かつて魔王の名のもとに、魔族も人間族も、ひとしく平等に暮らしていた世界があったのである。
しかし、種族的に能力の低い人間族は、結果として魔族の下風に立たされることが多かった。
そのことに反発し、人間族こそが魔族を支配しなければならない、と考える者がいた。
後の初代聖王ジルカノである。
「いかにジルカノが人間としては規格外に優れていたとしても、それは魔王シヴァに比較すれば取るに足らぬ程度でしかなかった。なんとなればシヴァは歴代の魔王の中でも最強と目された武人でもあったゆえな。それゆえ、ジルカノは正面から敵対するのではなく搦め手を使った」
戦って勝てないのなら戦わずに済むようにすればよい。
人間族らしい思考の転換によって、ジルカノと腹心の大魔術師シルバーライトは、異界へと魔王を追放することに決めたのである。
「戦えば無敵であったろうシヴァも、転移魔法陣の力で世界から追放されてしまえばどうすることもできん。帰ってこなかったのは……おそらくこの世界よりもよほどマナの少ない世界に飛ばされたか……いずれにしろこれで魔族は割れた」
「割れた? 後継者争いってこと?」
「うむ、ここで問題となったのは、魔王は死ぬまで魔王であって、死後その力をもっとも――たいていは魔王の子供だが――受け継ぐ者が魔王となる。しかしシヴァは異世界にとばされただけじゃ。死んではおらん」
「――つまり魔王の地位が引き継がれなかった、と」
それは痛恨事というほかはない。
その時点で新たな魔王のもと、鎮圧に乗り出せば労せずジルカノなど容易に滅ぼすことが出来たはずだからだ。
ナチスドイツがラインラントに進駐したときに、対応しなかった列強と一緒である。
「魔王の死をもって、魔王の徴(しるし)は受け継がれる。魔王を失くした魔族は、権力闘争を開始して自ら瓦解した。着々と地歩を固める人間に対し、ようやく魔族が新たな魔王を立てて戦の臨んだのは数十年を無駄にした後だった」
そのころすでに人間は大陸に確固とした地歩を築き、曲がりなりにも王国としての体裁を整えていた。
指揮命令系統が一本化され、数に勝る人間と、団結力には劣るが、個々の戦闘力では圧倒している魔族。
その戦いの行方は、それでも魔族が優位と思われた。
新たな魔王に批判的であった不死族(ノスフェラトゥ)の王、アルカードが裏切るまでは。
激戦の最中に突如撤退を開始した不死族のために、がら空きの側面を衝かれた魔族軍はあえなく敗退し、乱戦のなかで魔王としての徴を持たぬ新魔王、クロノスは行方不明となった。
アルカードは行方不明のクロノスに代わり新たな魔王となろうとするが、魔族を裏切ったアルカードについていく種族は少なく、結局魔族は各種族ごとに対応する、頭のない連合体と化してしまった。
当然の結果として魔族の劣勢は覆い隠すべくもなく、年を追うごとに魔族の領域は人間によって浸食されていった。
今や魔族は大陸の西方に、わずか一割ほどの領域に追いつめられていた。
ますます人口を増やす人間に対し、魔族がじり貧で衰亡の一途を辿るであろうことは、もはや誰の目にも明らかであった。
「そんなわけでな。この樹海もいつ人間の手が及ぶかわからん。いずれは妾もこの樹海を追われるのかもしれんな」
「そんな――――」
葉月は絶句した。
ずっと昔から、神でも魔王でもいいから、ここではないどこかに私を連れ去ってくれないか、と密かに夢想していた。
そうすれば陰鬼として、命を狙われ、人目を忍んで孤独な日々を送るしかない自分にも、ごく平穏な人として当たり前に享受できる人並みの幸せが味わえるのではないかと。
この世界にやってきて、ティータと出会って、ようやくそれが叶ったのではないかという期待は、
無惨にも打ち砕かれたのだ。
まるで子猫が、初めて叱られて落ち込んでしまうような葉月の様子に、ティータは本能的に葉月を抱きしめていた。
ボリュームのある巨乳に顔を押し付けられた葉月は、逆らおうともせず、むしろ積極的に頬を擦りつける。
もともと年齢よりも幼く見える日本人顔の葉月が、本当に幼子のような気がして、ティータは湧きあがる母性本能に身悶えした。
(萌え……死ぬ……!)
いや、母性本能というよりはただの邪な煩悩であったようだ。
無防備な葉月の泣き顔に、思わず押し倒してペロペロしたい欲望を、ティータはかろうじて抑えることに成功した。
――――それにしても、とティータは葉月を抱きしめながら、小さくて体温も高めな彼女の幼児体型を思った。
果てしなく愛らしく、何か新しい性癖に目覚めてしまいそうな気がするが、残念ながら葉月の成長は絶望的であろう。
個人の努力は遺伝子という神の御業の前には、すべからくむなしい。
(だが! むしろご褒美!)
幼いころから両親とともに、この地に隠棲していたティータにとって、被保護者ではなく、保護者となることは長年の夢であった。
亡き母の体調を慮って口にしたことはないが、何度弟妹が欲しいと願ったことか。
(亡くなったおじい様も、素敵な贈り物をくださったものだ)
異郷の地で、無念のうちに死んだであろう、一度も顔を合わせたことのない祖父(シヴァ)。
葉月が自らの身体を生贄にしたにもかかわらず、この世界にこうしてやってきたのは、祖父の仕業に違いないとティータは確信していた。
そして葉月から感じる恐ろしいほどの魔力の高さから、ティータはあるひとつの推論を立てている。
それはすなわち、葉月が魔王シヴァの力を受け継いだのではないか。
異郷に追放されていたシヴァが、葉月という媒介を得てアヴァロンに帰還したのではないのか、という推論である。
本来、魂というものは世界に還流する一種のエネルギーのようなものだ。
死して異世界(アヴァロン)の異分子であるシヴァの魂は、異物であるゆえに地球へと還元されることなく漂い続けていた。
そして長き時の果てに葉月の力を借りて、ようやく故郷アヴァロンの大地に還ることができたのだろう。
そう考えれば、彼女の中に色濃く残留する魔王の力にも納得がいくのである。
もしかしたらこの愛すべき小さな小さな少女は、滅びの道を歩む魔族にとって、切り札となるかもしれない。
それが葉月にとって幸せなことかどうかはわからないが、この愛しい少女を守るために自分は力を振るおう。
そう決意してティータは葉月を抱きしめる手に力を込めた。
ティータの少しからかうような口調に、葉月はたちまち赤く染まった頬を膨らませて抗議した。
クールさを装ってはいるが、実は非常に気が短いのが葉月の嘘偽らざる本性だった。
「ち、違うわ! 彼はその……初めて……身内以外で陰鬼としての私をかばってくれた他人だったから……」
家族以外で葉月をかばってくれたのは、当麻が本当に初めての存在だった。
もちろん表面的には葉月に好意を寄せてくれる人間は多かったが、葉月が異能であり、しかも陰鬼であることまで理解してなお当麻が受け入れてくれたことは、葉月にとって命を賭けるに足りる十分な出来事であったのである。
ぼっちゆえのすりこみと言えなくもないが。
「まあ、そういうことにしておくが……」
「だから惚れてなんていなかったってば!」
「……惚れていないのはわかった……あまりムキになると今まで男に縁がなかったのが丸わかりだぞ」
「うぐっ!」
事情が事情であったとはいえ、一人の乙女でもある葉月にとって、男に縁のないぼっちであったというティータの指摘はぐさりと肺腑を貫くには十分な一言であった。
「生贄に捧げられたはずの葉月の魂と身体が何故このアヴァロンにやってきたか、ということには仮説をたてられぬことはないの。会った時からわかっておったが葉月には間違いなく魔王の血がかなり色濃く流れておる。それほどに濃い血がどうして千年以上も保存されたのかは疑問だが」
打って変わったかのようにティータの顔が真顔になったのに気付いて、葉月は思わず姿勢を正す。
「私が魔王の血を引いているのがティータにわかった?」
素朴な疑問を感じて葉月は首を傾げた。
その小動物的な可愛らしさに、ティータの両手がわきわきと触手のように蠢いた。
日本にいたときは一切警戒を解かなかった葉月を知るものにとっては、目を疑うような無防備で愛らしい仕草だった。
御防人などという組織のない異世界であるせいもあるのだろう。
「――――なんとなれば妾もまた魔王の血を引いているゆえな。だから妾とハヅキは家族も同然。ゆえに妾にはハヅキを抱きしめる権利がある!」
「なんですか! その超理論は!」
「妾が初めて出会う父上と母上以外の家族がまさかこんなにも可愛らしい生き物であったとは――これが天意か!」
「か、かわいいって…………」
鼻息を荒くしたティータは、滾る欲情のままに葉月の小さな身体を抱き寄せた。
「ひゃんっ! ちょっ、どこ触ってるのティータのエッチ!」
「家族というものは、お互いに尻を撫であうのが親愛表現ではないのか?」
「そんな家族がいてたまりますかあああ!!」
いかにも心外そうに唇を突きだすティータを、葉月は満身の力を籠めて突き離すのだった。
だが明け透けなティータの好意と、異世界という環境による解放感が葉月には心地よいものに感じられたために突き放す力はひどく弱いものであった。
それにしても、こんな近くでひと肌のぬくもりを感じるのはいつ以来だろうか。
死んだ兄に抱かれて眠った、あの幼い日以来のことかもしれない、と葉月は思う。
そう考えると、理性が主張する恥ずかしさに反してティータのぬくもりを得たいという欲望に、葉月は駆られてしまうのだった。
「ハヅキにはどうもスキンシップが足りぬようじゃの」
「…………私は慎み深い女なの! ……べ、別にスキンシップが嫌いというわけではないけれど」
言葉では文句を言いつつも抵抗する様子のない葉月は、まるでお見通しだ、と言わんばかりにティータに優しく背中を撫でられて、諦めたようにおとなしくティータの肩に小さな頭を寄せたのであった。
「それでおそらくハヅキの先祖にあたる魔王なのじゃが……おそらく妾の祖父にあたるシヴァと考えて間違いはない」
「ティータの御祖父ちゃん?」
そう考えると途端に魔王が身近に感じられるのだから現金なものだ、と葉月は思う。
もっとも千年も前の先祖がティータの祖父であるからといって、気が遠くなるような遠い血縁が確認できるにすぎないのだが。
「話は何故シヴァがハヅキの世界に飛ばされたかという話になるのじゃが……」
ふう、とティータはため息を漏らしてゆっくりと立ち上がった。
「茶でも入れよう。長い話になるゆえの」
ほのかな甘い香りが葉月の鼻をくすぐった。
実は密かにお茶が趣味であった葉月は、木苺に近いその香りから、フランボワーズに近いものであろうと察しをつけた。
素朴な飾り気のないカップにお茶を注ぐと、ティータはその湯気にむかって、ほっと息を吹きかけると同時に話し出す。
「――――この世界の名をアヴァロンという。東方大陸コン=ロンと西方大陸ティルナ=ノーグからなる世界じゃ。このシュワルツブラッケは西方大陸のほぼ中心部にあるニブルヘイム樹海の最奥……人跡未踏の秘境というやつじゃな」
道理でティータ以外に誰も見ないと思った、と葉月は首肯する。
「アヴァロンを有史以来支配していたのは魔王であった。そのことに誰も疑問など感じることもなかったのじゃがな。いつしかそれをよしとせぬ者が現れる。――人間族じゃ」
ティータは先ほどまでとは打って変わって、沈鬱そうに眉を顰めた
かつて魔王の名のもとに、魔族も人間族も、ひとしく平等に暮らしていた世界があったのである。
しかし、種族的に能力の低い人間族は、結果として魔族の下風に立たされることが多かった。
そのことに反発し、人間族こそが魔族を支配しなければならない、と考える者がいた。
後の初代聖王ジルカノである。
「いかにジルカノが人間としては規格外に優れていたとしても、それは魔王シヴァに比較すれば取るに足らぬ程度でしかなかった。なんとなればシヴァは歴代の魔王の中でも最強と目された武人でもあったゆえな。それゆえ、ジルカノは正面から敵対するのではなく搦め手を使った」
戦って勝てないのなら戦わずに済むようにすればよい。
人間族らしい思考の転換によって、ジルカノと腹心の大魔術師シルバーライトは、異界へと魔王を追放することに決めたのである。
「戦えば無敵であったろうシヴァも、転移魔法陣の力で世界から追放されてしまえばどうすることもできん。帰ってこなかったのは……おそらくこの世界よりもよほどマナの少ない世界に飛ばされたか……いずれにしろこれで魔族は割れた」
「割れた? 後継者争いってこと?」
「うむ、ここで問題となったのは、魔王は死ぬまで魔王であって、死後その力をもっとも――たいていは魔王の子供だが――受け継ぐ者が魔王となる。しかしシヴァは異世界にとばされただけじゃ。死んではおらん」
「――つまり魔王の地位が引き継がれなかった、と」
それは痛恨事というほかはない。
その時点で新たな魔王のもと、鎮圧に乗り出せば労せずジルカノなど容易に滅ぼすことが出来たはずだからだ。
ナチスドイツがラインラントに進駐したときに、対応しなかった列強と一緒である。
「魔王の死をもって、魔王の徴(しるし)は受け継がれる。魔王を失くした魔族は、権力闘争を開始して自ら瓦解した。着々と地歩を固める人間に対し、ようやく魔族が新たな魔王を立てて戦の臨んだのは数十年を無駄にした後だった」
そのころすでに人間は大陸に確固とした地歩を築き、曲がりなりにも王国としての体裁を整えていた。
指揮命令系統が一本化され、数に勝る人間と、団結力には劣るが、個々の戦闘力では圧倒している魔族。
その戦いの行方は、それでも魔族が優位と思われた。
新たな魔王に批判的であった不死族(ノスフェラトゥ)の王、アルカードが裏切るまでは。
激戦の最中に突如撤退を開始した不死族のために、がら空きの側面を衝かれた魔族軍はあえなく敗退し、乱戦のなかで魔王としての徴を持たぬ新魔王、クロノスは行方不明となった。
アルカードは行方不明のクロノスに代わり新たな魔王となろうとするが、魔族を裏切ったアルカードについていく種族は少なく、結局魔族は各種族ごとに対応する、頭のない連合体と化してしまった。
当然の結果として魔族の劣勢は覆い隠すべくもなく、年を追うごとに魔族の領域は人間によって浸食されていった。
今や魔族は大陸の西方に、わずか一割ほどの領域に追いつめられていた。
ますます人口を増やす人間に対し、魔族がじり貧で衰亡の一途を辿るであろうことは、もはや誰の目にも明らかであった。
「そんなわけでな。この樹海もいつ人間の手が及ぶかわからん。いずれは妾もこの樹海を追われるのかもしれんな」
「そんな――――」
葉月は絶句した。
ずっと昔から、神でも魔王でもいいから、ここではないどこかに私を連れ去ってくれないか、と密かに夢想していた。
そうすれば陰鬼として、命を狙われ、人目を忍んで孤独な日々を送るしかない自分にも、ごく平穏な人として当たり前に享受できる人並みの幸せが味わえるのではないかと。
この世界にやってきて、ティータと出会って、ようやくそれが叶ったのではないかという期待は、
無惨にも打ち砕かれたのだ。
まるで子猫が、初めて叱られて落ち込んでしまうような葉月の様子に、ティータは本能的に葉月を抱きしめていた。
ボリュームのある巨乳に顔を押し付けられた葉月は、逆らおうともせず、むしろ積極的に頬を擦りつける。
もともと年齢よりも幼く見える日本人顔の葉月が、本当に幼子のような気がして、ティータは湧きあがる母性本能に身悶えした。
(萌え……死ぬ……!)
いや、母性本能というよりはただの邪な煩悩であったようだ。
無防備な葉月の泣き顔に、思わず押し倒してペロペロしたい欲望を、ティータはかろうじて抑えることに成功した。
――――それにしても、とティータは葉月を抱きしめながら、小さくて体温も高めな彼女の幼児体型を思った。
果てしなく愛らしく、何か新しい性癖に目覚めてしまいそうな気がするが、残念ながら葉月の成長は絶望的であろう。
個人の努力は遺伝子という神の御業の前には、すべからくむなしい。
(だが! むしろご褒美!)
幼いころから両親とともに、この地に隠棲していたティータにとって、被保護者ではなく、保護者となることは長年の夢であった。
亡き母の体調を慮って口にしたことはないが、何度弟妹が欲しいと願ったことか。
(亡くなったおじい様も、素敵な贈り物をくださったものだ)
異郷の地で、無念のうちに死んだであろう、一度も顔を合わせたことのない祖父(シヴァ)。
葉月が自らの身体を生贄にしたにもかかわらず、この世界にこうしてやってきたのは、祖父の仕業に違いないとティータは確信していた。
そして葉月から感じる恐ろしいほどの魔力の高さから、ティータはあるひとつの推論を立てている。
それはすなわち、葉月が魔王シヴァの力を受け継いだのではないか。
異郷に追放されていたシヴァが、葉月という媒介を得てアヴァロンに帰還したのではないのか、という推論である。
本来、魂というものは世界に還流する一種のエネルギーのようなものだ。
死して異世界(アヴァロン)の異分子であるシヴァの魂は、異物であるゆえに地球へと還元されることなく漂い続けていた。
そして長き時の果てに葉月の力を借りて、ようやく故郷アヴァロンの大地に還ることができたのだろう。
そう考えれば、彼女の中に色濃く残留する魔王の力にも納得がいくのである。
もしかしたらこの愛すべき小さな小さな少女は、滅びの道を歩む魔族にとって、切り札となるかもしれない。
それが葉月にとって幸せなことかどうかはわからないが、この愛しい少女を守るために自分は力を振るおう。
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